どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

昔話の人々のなりわい(日本、外国)

2013年07月31日 | 昔話あれこれ

<日本>

 昔話の登場人物が何をなりわいとして生活していたかを探ろうとしても意外にもこうした点はさらっと流されているのは、話の進行上あまり重要なものとして考えられなかったのが原因でしょうか。

 日本昔話百選/稲田浩二・稲田和子 編著/三省堂/2003年改訂版から狐や狼など動物の話や、お百姓、山に薪とりに行ったなどを除くとかなり限定されている。

   茶屋(うぐいすの里、手なし娘)
   呉服屋(犬ッコと猫とうろこ玉、手なし娘)
   魚屋(狐と狼)
   大工(大工と鬼六)
   炭焼き(味噌買橋、炭焼長者、運定めの話)
   鍛冶屋(力太郎)
   猟師(鴨とりごんべえ、黄金の爪)
   床屋(糠福と米福)
   豆腐屋(味噌買橋)
   うらない(はっけ見)(聞耳頭巾、猿の生肝)
   飯屋(天狗とかくれみの)
   馬喰、馬子(水乞い鳥、馬子どんと山んばばあ)
   ばくちうち(天狗とかくれみの)

 面白いのでは、北前船の船方(鼻きき五左衛門)、ほうろく売り(天人女房)

 昔話では、お百姓が一般的かというと、必ずしもそうではなく、「貧しい、おじいさん、おばあさんがいました」と、何を生業としていたのかははっきりしない。

 

<外国>

 昔話は成立が古ければふるいほど、農業や牧畜、狩猟が主だった時代を反映したものが多いことはうなずけますが、中には日本の昔話にはあまりでてこないものも。

  インドの昔話に床屋がでてくるものがありますが、他の国ではあまり読んだことがありません。

  「床屋と幽霊」(インドの民話/長 弘毅/福音館書店)は床屋の夫婦の物語。食べるに精いっぱいの床屋の女房が、床屋をなぐりつけるが、これに嫌気がさした床屋は家をとびだしてしまう。途中幽霊にであい、食べられそうになるが、鏡をうまく利用して、金貨と籾米でいっぱいの倉庫をせしめてしまう。叔父の幽霊が「やつはずるい人間だ。お前はだまされたんだよ」と床屋のところにでかけていくが・・・・。

 「かいば入れから生まれたおよめさん」(大人と子どものための世界のむかし話 インドのむかし話/坂田貞二 編訳/偕成社/1989年初版)の中にも、おべっかつかいの床屋がでてきます。
 村の人に何か連絡する場合、インドではこうした役割をもっていたのが、床屋だったといいいます。この昔話のほかの人々のなりわいは、ヒツジつかい、村長、坊さん(なりわいといえるかは疑問ですが)など。

 岩波少年文庫のグリム童話集(上下)(佐々木田鶴子・訳 出久根 育・絵)から「なりわい」を拾ってみると、面白いのが水車小屋というもの。これを仕事にした人がいたんでしょうね(ひょろひょろ足のガタガタこぞう)(テーブルとロバとこん棒)(三本の金の毛のある悪魔)など。
 
 仕立て屋・・・(テーブルとロバとこん棒)(ワラと炭とそら豆)(名人の四人兄弟)(ゆうかんな仕立て屋さん)。
 猟師(狩人)やきこり・・・(漁師とおかみさん)(ヘンゼルとグレーテル)(ふたりの兄弟)。
 職人(金細工師やほうきづくりなど)・・・(しあわせハンス)(テーブルとロバとこん棒)(ガラスびんの中のばけもの)。
 泥棒・・・(親指こぞう)(三本の金の毛のある悪魔)(名人の四人兄弟)。
 そのほか、宿屋、居酒屋、肉屋、牧師、楽師、コックなど。

 職業不明の昔話も多いが、思ったほど多くはない。


子どもと鬼

2013年07月30日 | 昔話(日本)

    新版日本の昔話8 桃太郎/坪田譲治/偕成社文庫/2008年初版
    グリム童話集 下/佐々木田鶴子・訳 出久根 育・絵/岩波少年文庫/2007年初版

 

 未亡人が三人の子を養うことができなくなって山の奥に捨ててきてしまう。
 いつまで待ってもおかあさんがかえってこないので、上の二人は泣きはじめるが、末っ子の七つになる子が、どこか泊めてもらおうと、森の中に一軒の家をみつける。
 その家にはおばあさんがいて、この家は鬼の家で、鬼が帰ってきたら食べられてしまうからはやくにげなさいと忠告する。しかし、くたびれていた三人は泊めてくれと懇願する。おばあさんはお前たちが食べられるからと押し問答ををしているところに鬼が帰ってきたので、お婆さんは三人を土間の穴蔵に押し込んでふたをしてしまう。しかし、鬼が人くさいとあちこちを探し始めたので、おばあさんが「三人の人間の子どもが今晩一晩とめてくれとやってきたが、おまえが帰った足音を聞いて、あわてて逃げて行った」というと、鬼は千里のくつというのを履いて飛び出す。いくら追っかけても子どもがみつからないので、鬼は自分が早すぎたのかもしれないと居眠りしてしまう。
 
 あとから子どもたちが家から逃げ出すが、鬼が行った道に出て、寝ている鬼と鉢合わせ。鬼のそばを通り過ぎる時、末の子が千里のくつを脱がせ、一番上の子がそのくつをはき、下の二人は兄の体に自分たちの体をしばりつけ、さっさと逃げ出す。

 子どもたちが母親から山の中に捨てられてしまうという衝撃的な導入部であるが、昔話をよく聞いている子どもたちはそれほど深刻なものと受け止めず結末を楽しみに聞けるのでは・・・。

 話の緩衝剤として出てくるおばあさんは良い人としてでてくるが、これは「ジャックと豆のつる」の人食い鬼の奥さんが良い人としてでてくるのと似ている。

 グリムの「ヘンゼルとグレーテル」は、貧しい木こりの夫婦から男の子と女の子が森の中に捨てられるという導入部がかなり長くて、親とヘンゼルの知恵比べが面白い。森の中で見つけた家が、全部パンでできていて、屋根はケーキ、窓は砂糖という子どもたちが喜びそうな場面も。
家の持ち主は魔女で、子どもを太らしてから食べようとするがグレーテルがこの困難を切り抜け、宝石や真珠を持ち帰り、お父さんと三人で幸せに暮らす。

 捨てることに積極的なお母さんが、二人が家に帰った時、亡くなっていたというのはグリムらしい終わり方。                      


ぼくがラーメン たべてるとき

2013年07月23日 | 長谷川善史


    ぼくがラーメン たべてるとき/長谷川義史/教育画劇/2007初版


 題名からは想像できない内容が待っている絵本。普段絵本を読む機会が少ない大人の方にも読んでもらいたい絵本です。

 「ぼく」がラーメンをたべているときのお隣でのできごとから、隣のまち、隣の国、そして隣の隣の国へと、どんどん世界が広がって、どこかの国で男の子が倒れているところが。
 
 倒れている男の子のそばを風がふいていますが、風の音が聞こえず沈黙が支配しているよう。倒れている男の子のところで風がふき、同じ風のもとで日常生活をおくっている人の姿が。

 いまこの時間、世界のどこかで飢餓や地雷、爆弾でなくなる子どもたちの姿と重なります。
 
 裏表紙に倒れた男の子が立ち上がっている姿がえがかれています。ある人は「希望」と、ある人は「願望」と、とらえています。

 想像力は自然につくものではなく、普段の努力を重ねた結果として生まれものでしょう。

ぼくがラーメンたべているとき
となりで ミケが あくびした
となりで ミケが あくびしたとき・・・
となりの みっちゃんが チャンネル かえた
となりの みっちゃんが チャンネル かえたとき・・・
となりの となりの たいちゃんが ボタンを おした
となりの となりの たいちゃんが ボタンを おしたとき・・・
その となりのゆうちゃんが バイオリンを ひいた
その となりのゆうちゃんが バイオリンを ひいたとき・・・
・・・
・・・
・・・
となりの くにの おとこのこが じてんしゃを こいだ
となりの くにの おとこのこが じてんしゃを こいだとき・・・
その となりの くにの おんなのこが あかちゃんを おんぶした
その となりの くにの おんなのこが あかちゃんを おんぶしたとき・・・
・・・
・・・
・・・
その また やまの むこうの くにで おとこのこが たおれていた
かぜがふいている
かぜがふいている そのとき
かぜが ふいていた
              


おしゃべりなたまごやき

2013年07月20日 | 絵本(日本)
おしゃべりなたまごやき  

    おしゃべりなたまごやき/寺村輝夫・作 長 新太・画/福音館書店/1972年初版

 

 初版は40年ほど前。

 表と裏表紙いっぱいにとり小屋が描かれているのが印象的。

 狭いところにぎゅうぎゅうに押し込められたにわとりをみていると、王さまがかわいそうに思って、小屋のかぎを開けたのがよくわかる。

 この王さま、だいぶとぼけたかたで、「かぎをあけたはんにんをろうやにいれてしまえ」とめいれいするが、逃げ出しためんどりが王さまの部屋に逃げ込み、卵を産んでしまいます。
 卵が大好きな王さまが、たった一つだけ残った卵でコックにめだまやきをつくってもらうが、めだまやきを食べようとするとだれかさんの声が。

「ぼくが、とりごやをあけたのを・・・。だれにも、いうなよ・・・」

 くすりと笑ってしまう絵本。

 でもほんとは、王さまっておとぼけではつとまらないんですよね・・・。      


天の畑・・朝鮮のむかし話3

2013年07月17日 | 昔話(アジア)

        天の畑/李 錦玉・朝鮮のむかし話3 かみにしゃくなげの花/李 錦玉 文・金 正愛・画/少年写真新聞社/2009年初版


 とんち話ですが、昔話の楽しさが伝わってくるお話です。 冗談の後始末はとんちで乗り越えます。

 冗談のすきな大臣。となりの国に王さまの使いででかけ、役目を無事に終えた宴会の席上、自分の国の都のはるか天上に広い広い野菜畑があって、都の人間が一年間たっぷり食べられると冗談をいってしまいます。

 となりの国の人々は天の畑を見物したいと頼み込みます。ほらふき大臣は自分の冗談が国と国との問題にまで発展してしまうのではないかと後悔し、家に帰ると心配のあまり寝付いてしまいます。

 息子がとった解決方法は?

 となりの国の人々が天の畑への案内を頼むと、息子が連れて行った宮殿の広場には、三百人のお年寄りが酒を飲んで歌ったり踊ったりの大騒ぎ。

 もう一方では三百人の子どもが、わあわあと声を上げて泣き悲しんでいます。息子がいうには「天の畑へは往復40年かかります。畑仕事を終えて都に帰るのは50年後になるでしょう。喜んでいるお年寄りは天の畑から帰ってきた人で、泣いている子どもたちは、これから天の畑にでかけるので、別れをおしんでいるのです」。

 これを聞いたとなりの国の人々は、そんなに遠いところにでかけられないと、自分の国に帰ってしまいます。


ありがとうへんてこライオン

2013年07月15日 | 絵本(日本)
ありがとう へんてこライオン  

     ありがとうへんてこライオン/長 新太/小学館/2005年初版

 

ほんとうにへんてこなへんてこなへんてこなライオン

ゆうちゃんがコポコポあるいていたらライオンが
ライオンのあたまのけがかわり いつのまにかおかあさあんに

しんくんがテクテクあるいていたらライオンが
しんくんのおなかがクークーなくと ライオンがカレーライスに

ゆうちゃんがコポコポあるいていたらライオンが
ライオンがゴロゴロとにひきになると ライオンがクツに

しんくんがテクテクやってくるとライオンが
ライオンがきのうえにあがっていくとヒコーキに

ゆうちゃんがコポコポあるいていたらライオンが
ゆうちゃんが ライオンのうえで そらをみているとライオンがベッドに

ゆうちゃんがポコポコ
しんくんがテクテク
こわーいこわーいライオンが楽しいおくりもの。詩のような絵本。


孔雀が少しだけ顔をだす話・・アラビアンナイト(黒檀の馬)

2013年07月14日 | 昔話(外国)

     黒檀の馬/子どもに語るトルコの昔話/児島満子 編・訳 山本真紀子 編集協力/こぐま社/2000年初版


 羽を広げた姿がほんとにかわいらしい孔雀。
 これまで孔雀がでてくる昔話は記憶にない。意識的によまないと記憶に残らないこともありそうであるが、アラビアンナイトの「黒檀の馬」にほんのワンシーンだけ孔雀が。

 新年のお祭りのとき、三人の発明家がめずらしい品物を持って、王さまの前にやってくるが、そのとき一人がもってきたのが金のクジャク。残念ながらその後、クジャクの出番はない。

 孔雀はキジ科の鳥類で、中国から東南アジア、南アジアに分布するクジャク属2種とアフリカに分布するコンゴクジャク属1種から成るが、通常クジャクといえば前者を指すとあり、ヨーロッパの昔話に登場しないことに納得がいく。

 ところで、先日のテレビで日本書紀には、新羅から推古天皇に孔雀がおくられた(598年)という記事が載っており、江戸時代、大阪、江戸には孔雀茶屋が店を開いていたというのが紹介されていた。江戸時代の円山応挙の描いた孔雀図もあるので、日本の昔話にももう少し登場してもよさそうなもの。

 インドでは国鳥になっているということなので、インドの昔話に出番があるかもしれない。

            
 イソップの「くじゃくとつる」の寓話

” クジャクがツルをバカにして、羽根の色をけなしました。
「わたしは金色の羽で、こんなにきれいだけれど、あなたときたら翼のどこを見てもきれいな色が全然ないわね」
 するとツルいうことには、
「でもわたしは、空の高い所まで飛んで行けるのよ。あなたなんかニワトリと同じで、地面を歩き回るだけじゃないの」
 着飾っていても自由のない人間よりも、身なりは質素でも自由のある人間の方が良いというのですが。

 ここでもクジャクはあまりいい役割ではなさそうです。


ケローランと鬼の大女・・トルコ

2013年07月13日 | 昔話(中近東)

        ケローランと鬼の大女/子どもに語るトルコの昔話/児島満子:編・訳 山本真紀子・編集協力/こぐま社/2000年初版


 「ねむっているのは、だれだい、ねむらないのは、だれだい」
 「みんな、ねむっているよ。でもケローランはねむらないよ」
 このフレーズが三回くりかえされるのが効果的。

 なまけもののケローランが、近所のこどもと森へまきをひろいにでかける。森の中で、道にまよってしまった三人がある家にたどりつくが、そこは人の肉を食べるでっかい鬼女の家。

 食べられそうになった三人はケローランの知恵でなんとかにげだすが、大事なナイフを忘れたケローランが家にもどったところで、鬼女につかまってしまいます。
しかしここでもケローランは頭を働かせます。

 冒頭部に、なまけものとするのは、これ以外の昔話にもにもみられるところですが、本当は知恵も勇気もある男の子ですので、でだしでなまけものとするのは、どうにもしっくりしません。

 これと同じ話形なのが、イランの「豆子と魔物」ですが、豆のように小さい女の子が主人公で、この話のほうがよく語られているようです。

 薪ではなく、麦の落ち穂を拾いに行きますが、落ち穂は季節がかぎられてくるので、語るためには頭がいたいところです。


やまんばあかちゃん

2013年07月12日 | 絵本(日本)

 

やまんばあかちゃん  

     やまんばあかちゃん/富安陽子・文 大島妙子・絵/理論社/2011年初版

 

 富士山の噴火で大きな岩がポーンととびだし、森のなかへ

 大きな岩がまっぷたつにわれてでてきたのはやまんばのあかちゃん

 びっくりした大イノシシがやまんばちゃんに突進して、でっかいキバでやまんばちゃんをつきあげるが、やまんばちゃんはおおよろこび
 もう一度もういちどもういちどとおねだりされた大イノシシは、なんと103回もほうりあげてやらなくちゃならなくなる
 
 森の動物たは、やまんばちゃんをどうするか相談
 フクロウのおばあさん提案で、動物たちに順番に里親になることに
 
 大イノシシが最初の里親に
 大イノシシのもとで5日もたつとやまんばちゃんは、たったの26分で富士山を往復することに
 イノシシお父さんは、巨大な岩も、たおれた大木もこっぱみじんにする“とっしん・ドーン”のわざをおしえる

 二番目に里親になった森のボスザルのもとで、5日もたつと森の木という木のてっぺんまでスルスルのぼれるようになったやまんばちゃん

 ボスザルお父さんは、高い木の上のてっぺんの枝につかまって、その枝をゆらしてはずみをつけ、別の木の枝にびゅーんととびうつる“ゆさゆさ・ビューン”のわざをおしえる

 カワセミおばあさんからは“ヒュ-ン・バシャン・パクリ”のわざを

 フクロウおばあちゃん森のルールを

 野ネズミじいさんはじょうずなかくれかたを、野ウサギのかあさんはとおくのものの音のききわけかたを

 カエルとうさんはたかくジャンプする方法、リスかあさんはおいしいどんぐりの集め方、タヌキとうさんは上手な死んだぶりを

 やがてやまんばちゃんは、クマかあさんの家で、冬を越すことに

 やまんばは昔話では損な役割が多いが、この絵本ではあかちゃんやまんばが動物たちと交流しながらたくましく生きていくありさまがえがかれ、痛快そのもの。

 フクロウおばあさんの顔や、大きく描かれたやまんばちゃんの緑の目玉が印象に残る。天衣無縫のやまんばちゃん、このあとどうなることやら。               


ジャックと豆のつる

2013年07月10日 | 絵本(昔話・外国)
ジャックと豆のつる  

    ジャックと豆のつる/木下順二・文 田島征三・絵/ほるぷ出版/1992年初版

 木下順二のあとがきに、この話が昔から日本に紹介されているが、どういうわけか「ジャックと豆の木」という題になっていることに疑問をていし「ジャックと豆のつる」という題にしたことをのべています。

 昔から紹介されている作品でもこうしたことがあるなら、今のところまだ著名ではない作品の題名についてももう少し工夫したものがあってもよさそうなものも多い。題名は作品の入り口であり、人を引き付ける魅力的な題名であってほしい。

 ところでこの「ジャックと豆のつる」の田島征三さんの絵、それぞれ特色を持った絵本が多い中で、“荒々しいタッチの線が魅力的でウーン、やるな”と言った感じ。子どもたちがどう受け止めているか知りたいところ。

 また、木下順二は「日本中のいろんな地方のことばをまぜあわせて、私なりの“民話のためのことば”を作って、芝居を書く時も、それを使う」とあり、こうした影響をうけていると思われる作品も散見されます。

 この絵本をみたのは、同じ作者の岩波書店から出されているイギリス民話選の「ジャックと豆のつる」が頭にあったからですが、絵本のほうが凝縮されていてわかりやすかった。ただその反面、凝縮されすぎた感じもあるので、絵本を参考にしながら、岩波版で話を覚えてみたいと思う。

 ところで、原文が英語のせいか、いろんな人が訳しており、そのなかに阿川 佐和子さん訳の絵本も発見して、あらためてこの作品のもつ魅力も感じられた。                 


ぼくのおとうと

2013年07月09日 | 絵本(日本)
ぼくのおとうと  

    ぼくのおとうと/かどのえいこ いとうひろし/童心社/2009改訂新版

 

あかちゃんにてをやきながらもいっしょうけんめいなおにいちゃん。
幼児には、ぽいぽいというくりかえしのリズムが楽しいかも。

4歳のおにいちゃん、あかちゃんのお世話に一生懸命
ゆびきりげんまんやぽいぽいあそびをおしえてあげたり
ぽいぽいあそびがだいすきになったあかちゃん
スリッパ、くまちゃん、つみき、スプーンをぽいぽいぽいぽい
なげるものがなくなるとそっくりかえっておおなき

こんどはボール投げ、たくさんたくさんなげる
おにいちゃんが「もうおしまい」というとおとうと、そっくりかえっておおなき

その日の夜、大きな木を一本はやしたおばけがでてきて、「ゆびきりげんまんのやくそくをやぶった。だからおやまのおばけが、おにいちゃんをどこかにつれていくという

おにいちゃんは、「あかちゃんとぽいぽいあそびをしておとうとがまけたら、つれてってもいい」よ
おばけは、あかちゃんがぽいぽいあそびができるわけがないというが
「やってみればいいじゃないか」という、おにいちゃんのどなりこえで、
おばけはぽいぽいあそびをはじめる
ぽいぽいぽい
またぽいぽいぽい
いつまでもぽいぽいぽい

おばけは「もうおしまい」というが、おとうとはやめない
おばけはとうとうなきだす
おにいちゃんはおとうとがねちゃうまでずーっとあそんでやるんだ


金色の髪のお姫さま・・チェコ、ハチの女王・・グリム

2013年07月03日 | 昔話(ヨーロッパ)

・金色の髪のお姫さま(チェコの昔話集/カレル・ヤロミール・エルベン・文 アルトゥシ・シャイネル・絵 木村有子・訳/岩波書店/2012年初版)

 作者は、チェコのグリムといわれるているといい、その中から13話がおさめられています。
 多分数多くの中から訳者が厳選したものですが、語りで活動している人の助言もあったとあるように、語りにも適していて楽しめる内容となっています。
 外国の昔話で著名なものは複数の訳があって比較することができますが、これには限りがあって訳しかたで語りやすいものになるのは、やむを得ないところか。

 収録されている話はどれもおもしろいが、とくに「金色の髪のお姫さま」は、昔話のいろいろな要素が詰め込まれていました。


1 ある日、ひとりのお婆さんが年老いた王さまのところにヘビをもってきて、これを食べると動物の言葉がなんでもわかるというので、王さまはお礼をはずんで、ヘビを買います。
 ヘビの調理をまかされた使用人のイジークは、王さまから「少しでも舌の先にのせたらお前の首が飛ぶ」と言われますが、まったく味見をしないで、ごちそうを作るなんてことはあるだろうかとイジークは思い料理を運ぶ時、少しだけ味見をします。するとハエやガチョウの言葉が理解できることに気づききます。

2 王さまとイジークは、食事のあと散歩にいくが、馬が話しているのを聞いたイジークはおもわず笑ってしまう。イジークを疑った王さまは、ワインをもってくるよう命じるが、「ワインが少なくても多くてもお前の首はない」と条件をつける。
 イジークがワインをついでいるとき、二羽の小鳥が窓から入ってきます。逃げている小鳥はくちばしに三本の金色の髪の毛をくわえていたが、お互いに髪の毛を引っ張りあって、一本の髪の毛を床に落として飛んで行ってしまう。
 それに気をとられたイジークはワインをこぼしてしまう。イジークは首を切られそうになるが、金色の髪のお姫さまを探し出してきたら許すという王さまのことばで、あてのない旅に出ます。

3 イジークは旅の途中、アリ、子ガラス、金の魚を助けます。金の魚を捕まえた漁師から金色の髪のお姫さまの居所を知ったイジークは漁師の舟でお姫さまがいる島につく。イジークはお姫さまを自分の王さまの妃にくださるようたのむ。しかし島の王さまは、三つの仕事をこなすことを条件にだします。

4 三つの仕事
・草原に散らばってしまったお姫さまのネックレスの真珠を探す出す。
・お姫さまが海に落とした指輪を探す出す。
・命の水と死の水をもってくる。
イジークは旅の途中で助けたアリ、子ガラス、金の魚の力をかりて三つの仕事をなしとげます。

5 イジークは、ひょうたんに入った命の水と死の水をもって城に帰る途中、クモに食べられそうになったハエを助けます。

6 島の王さまは三つの仕事をやりとげたイジークに12人の姫のなかから本物の金色の髪の姫を選ぶようにいい、助けたハエから本物のお姫さを教えてもらったイジークは、姫を自分の王さまの城につれていきます。

7 城にもどったイジークは、王さまの命令で打ち首になってしまいます。王さまの言い分は「縛り首にしてカラスに食わせようと思っていたが、斧で打ち首にして立派な葬式を出してあげる」というもの

8 金色の髪のお姫さまは亡くなったイジークをくださいと王さまにたのみ、頭と体を寄せて「死の水」をかけると、頭と体がくっつき、さらに命の水をかけると、イジークは生まれ変わったように生きかえり、シカのようにういういしくて若さにあふれて輝きます。

9 年老いた王さまは、イジークが前より若くてりりしくなっているのをみて、自分も若返ろうと自分の首を切らせますが、生きかえることはありません。みんなはイジークを王さまにし、金色の髪のお姫さまをお妃にします。こうして動物の言葉がわかる王さまが誕生する。

 ところで、グリムの「ハチの女王」もこれに似た話

・ハチの女王(グリム童話集下/佐々木田鶴子 訳 出久根 育 絵/岩波少年文庫/2007年初版)

 この話の3,4,6の部分で構成されている。グリムは3人の王子が出てくるが、上の二人が壊したり殺そうとするアリやカモ、ミツバチを末っ子の王子が救い、動物たちの助けをかりてかわいらしい王女と結婚するというもの。

 課題の一つは王女の真珠を杜のこけの中から探す出すということ。
 二つ目の課題は海のなかから、王女の寝室のカギを拾ってくること。
 最後は三人の王女の中から、末の王女を探す出すこと。

 三人の王子が三人の王女と結婚する結末、この中では死ぬ人がでてこない。