九月姫とウグイス/サマセット・モーム・文 武井武雄・絵 光吉 夏弥・訳/岩波の子どもの本/1954年
九月姫?、それでは十月姫もいるかなと思うと、九月姫を最後に、お妃さまには、お姫さまはおできになりませんでした。シャムの王さまには、九人のお姫さまとAからJの十人の王子さま。
お姫さまもはじめは二人で「夜」と「ひる」。
四人になると「春」「夏」」「秋」「冬」。
七人になると「月曜」から「日曜」
八人目になると一年の名前をつけることに。
お姫さまはあんまり名前をかえられたので、すっかりひねくれてしまいます。しかし九月姫はとても素直な優しい性質。
王さまはやさしいところがあって、お姫さまの誕生日に金色の籠に入った、みどりいろのオウムをおくります。
ところが、ある日、九月姫のオウムが籠の底に横になってしんでいました。泣き悲しんでいる九月姫の部屋に一羽の小鳥が飛び込んできました。ウグイスでした。
ウグイスの歌で元気をとりもどした九月姫は、それからウグイスとなかよくなります。
そのうち8人のお姫さまにいわれて、ウグイスを籠に入れることにします。
ところが、自由を奪われたウグイスはだんだんよわっていきます。
ウグイスにいわれて、籠からだしてあげた九月姫のもとに、ウグイスが帰ってきて、美しい歌を聴かせてくれます。
九月姫は、ウグイスがいつでも部屋に入ってこられるように、昼も夜も窓をあけはなしておきました。
王さまは、12人も生まれたらお妃の首をちょんぎってしまわなければなるまいとなげいたり、「大臣たちは、おなじことを七とおりものいいかたでいうんでね」と皮肉っぽいところがあったりと、なかなかです。
九月姫が、籠のウグイスに「籠のほうがネコにねらわれないので安全」「籠は国中で一番上手な職人がつくったもの」、「食事も朝から晩まで何の苦労もなしに、すきなだけうたっていればいいのよ」「じきに籠になれるから、二、三日もしたら、自由だったことなんか、わすれてしまうわよ」といっても、やはりウグイスは自由を選びます。
にたような選択をせまられることもありそうですが、自由を放棄できるでしょうか。
お姫さまたちが仏塔のようなものをかぶっている絵も楽しめました。
この話は、サマセット・モームの唯一の童話といいます。
サマセット・モーム(1874年 - 1965年)の名前だけはしっていましたが、調べてみると波乱万丈の人生です。
作家活動をつづけながら、医師の資格ももち、諜報員というあたりが、いかにもイギリス人らしい人生です。
父がパリのイギリス大使館勤務の顧問弁護士で、生まれはパリ。母親はパリ社交界でも花形の存在。しかしモームが8歳のとき母親が肺結核で、10歳のとき父親が亡くなります。
1914年、第一次世界大戦が起こると、志願してベルギー戦線の赤十字野戦病院に勤務。ロシア革命にもかかわっていたといいいます。
時代の流れもあったのでしょうが、作家という枠だけではとらえられない生き方です。
1959年にはアジア各地を旅行訪問し、11月から約1か月間日本に滞在しているといいます。