どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

アレグラ姫

2020年05月31日 | 創作(外国)

     兵士のハーモニカ/ジャンニ・ロダーリ・作 関口英子・訳/岩波少年文庫/2012年

 

 笑ったことのないお姫さまを笑わす昔話はよくありますが、ジャンニ・ロダーリ(1920-1980)のこの話では、笑い好きのお姫さまが目から涙をながすわけがありました。

 王さまとお妃さまが15年目に恵まれた女の子は、アレグラ(よろこび)と名づけられ、快活で無邪気な子どもに成長しました。

 ところがアレグラ姫は、おごそかな儀式の最中、階段で でんぐり返ししたり、総理大臣の背中に、魚の形を切り抜いた紙きれをはりつけたり、宮廷の窓から出入りしたりしていました。

 そんなアレグラ姫でしたが、王さまはまわりの心配をよそに、気長に見守っていました。ところが王さまが病にたおれ、お妃まであとを追うように亡くなって、アレグラ姫はひとりになっていまいます。

 16歳で女王になったアレグラ姫は大臣たちのなんのことかわからない会議に参加したり、舞踏会、演劇、コンサートなど次から次へと行事が続き、いつまでも悲しんでいるわけにはいかなくなり、むかしのように明るく無邪気な少女にもどっていきました。

 ところが従兄のドリベルト公爵が、王位を奪おうと策略します。捕まえられそうになったアレグラ姫は、追いかけっこや、スキーで好きなだけ競争できるなんて なんて素敵だことと召使と真冬の森に逃げ出します。

 アレグラ姫は、三年の歳月を森ですごしましたが、笑わない日が一日もないというほど、毎日愉快に遊んでいました。

 ところが、王になったドリベルト公爵の悪政につかれた人びとが軍にはたらきかけ、軍がが反旗を翻しました。そしてアレグラ姫は、また女王としてむかえられました。こうして、アレグラ姫はこれまでように侍従長をからかったり、総理大臣のひげをひっぱたりしながら陽気に国を治めはじめました。

 アレグラ女王が二十歳の誕生日を、むかえた日、大臣たちは、そろそろお婿さんをえらぶ時期だと伝えます。

 結婚なんて考えただけでおかしくなるわと笑い出したアレグラ女王でしたが、大臣たちにおされ、条件をだします。

 「貴族でも平民でも、異国の人でも、とにかく、わたしのことを笑わせずに、民衆の前で愛の告白をした方と結婚することにしましょう。わたしがその方の告白をずっと真剣に聞くことができたら、それできまり。その方が、わたしの結婚相手となるのです」。

 きめられた日に、国の内外から王族や貴族があつまりました。

 最初の若者が「女王陛下、わたしの心をあなたに捧げます・・」といいますが、それ以上言葉をつづけることができませんでした。プロポーズを熱心にきいていた女王が、いきなりたちあがり、玉座のまわりをうろうろまわりはじめました。「あなたの心がどこにあるのかさがしているの」という女王が、けらけら笑い出したのです。

 二番目の若者が「わたしの心のなかで愛の炎が燃えさかり・・」というと、女王は「たいへんだわ!消防車をよんでちょうだい!」と愉快そうに叫びました。

 こんな調子で求婚者たちは一人、また一人と、うちひしがれて去っていきます。

 そのとき、女王の美しい顔が、とつぜん真剣になり、悲しそうな表情を浮かべました。

 求婚者たちをからかって楽しんでいた最中に、女王の目は、ひとりの若者にとまったのです。その若者はいちども笑いませんでした。片方の腕がなく、上着の片方のそではからっぽのままだらりとたれさがり、先だけがポケットにしまわれていました。表情にも元気がなく笑顔をうかべることもありません。戦争でけがをした兵士でした。

 大臣たちはアレグラ女王を悲しませないため、この国で起こったできごとについては誰も話しませんでした。ドリベルトは王位に就くと隣の国と勝ち目のない戦争をはじめ、おそろしい戦争をくりかえし、多くの若者の命が失われていたのです。

 アレグラ女王は「どうしてそんなに大切なことを、これまでわたしにないしょにしていたの?」、「これほどの苦しみがまわりにあるというのに、何も考えずに笑ったり楽しんだりしているわたしを、なぜいままでほうっておいたの?」。

 そして戦争で腕を失った若者をじっとみつめ、若者も目をふせることもなく敬意をこめた目で女王をじっと見つめ返します。それから女王は若者に歩み寄っていきます。

 天衣無縫のように見えるアレグラ女王は、本当のことを知ってこのあと立派な王になったにちがいありません。

 結末はやや甘いでしょうか。


ちょっとだけ

2020年05月29日 | 絵本(日本)

    ちょっとだけ/瀧村有子・作 鈴木永子・絵/福音館書店/2007年(2005年初出)

 

 なっちゃんの おうちに あかちゃんが やってきました。

 お母さんは、あかちゃんをそだてるのが いっぱいになって ちょっと これまでと かわってきました。

 お買い物に行くとき、なっちゃんは おかあさんと 手をつなげません

  (なっちゃんは スカートを ちょっとだけつかんで あるきました)

 牛乳をついでもらおうとおもったら あかちゃんがなきはじめて・・

  (なっちゃんは はじめて 牛乳を ちょっとだけコップにいれることができました)

 パジャマのボタンを とめてもらおうと おもっても お母さんは あかちゃんを ねかせていました

  (なっちゃんは がんばって ちょっとだけ ボタンを とめることに 成功しました)

 髪の毛を 結んでもらおうとすると おかあさんは あかちゃんの おむつを とりかえていて

  (なっちゃんは 髪の毛を とめることに ちょっとだけ 成功しました)

 ひとりだけだと ブランコもうまくこげません

  (なっちゃんは がんばって ちょっとだけ ブランコを ゆらしました)

 おねえちゃんだから、おひるねしないとおもっても だんだん めがとじてきて・・

 おかあさんにちょっとだけだっこしてときくと おかあさんは やさしくわらって もういちど「ちょっとだけでなくて いっぱい だっこしたいんですけど いいですか」と ききます。もちろん なっちゃんも 「いいですよ!」にっこり笑って いいました。

 なっちゃんは あかちゃんに ちょっとだけ がまんしてもらい いっぱい だっこしてもらいました。

 

 あかちゃんがうまれると おにいちゃん おねえちゃんは、どうしても おかあさんから 距離をかんじてしまいます。でも なっちゃんは 健気です。ちょっとづつ ちょっとづつ ひとり立ちしていきます。

 「ちょっとだけでなくて いっぱい だっこしたいんですけど いいですか」というお母さんも 素敵です。なっちゃんの ちょっとだけ 頑張る姿も よくみえています。

 多くのお母さんから共感されています。二人目が生まれたお母さん、お父さんのプレゼントにもいいかもしれません。お母さんだけでなく、お父さんも ぎゅっとだっこしてほしいものです。

 作者は3人の子どもを持つお母さんで、はじめての絵本、絵を描かれた鈴木さんもはじめての絵本と紹介されていました。


オツベルと象

2020年05月27日 | 宮沢賢治

      画本 オツベルと象/宮沢賢治 画・小林敏也/バロル舎/1987年

 

 ある日、学校ぐらいもあって頑丈な小屋に、新式稲扱器械が六台もあって、十六人の百姓がイネコキしているところへ白い象がやってきました。

 何をしでかすか知れない白い象にかかわりあっては大変と、なんでもないように塵をとばしながらイネコキをつづける百姓たち。

 工場を経営するオツベルは、決死の覚悟で象に声をかけます。

 「どうだい、ここは面白いかい」

 「面白いねえ」とこたえる象に、オツベルが「ずっとこっちにいたらどうだい」と声をかけ、息を殺してまっていると、象はいてもいいよと答えます。

 オツベルは、言葉巧みに時計や鎖、靴、四百キロもある分銅を象に嵌めこんでしまいます。

 象がオツベルからいわれ川の水を汲んできた夕方は、十把の藁

 森から大量の薪をはこんできた晩は、八把の藁

 脚をぺたんとおって、半日炭をふいた晩は七把の藁。

 五把、三把と減り続ける食料。ある晩、象はふらふら倒れて しくしく泣きだします。

 月から「仲間へ手紙を書いたらいいや。」といわれ、筆も紙もないと、しくしく泣く象の前に赤い着物の童子が、硯と紙をもってあらわれます。

 童子のもってきた手紙をみた象たちは、白い象をとりもどそうとオツベルの家に押し寄せます。百姓たちは、主人の巻き添えはくいたくないから、すぐに降参のしるしを腕に巻き付けます。

 象たちは、オツベルの六連発のピストルをものともせず、丸太なんぞはマッチのように、へしおり、家の中にどしどしなだれこみ、すっかりやせた白い象を救い出します。

 

 弱い者と強い者の関係かと思うと、そうでもなさそうです。

 オツベルは、気のいい象に、恐る恐る声をかけ、自分の財産にしてしまうのですが、損得だけを考えると、象を追い込まず、長く働いてもらうことが利益になったはず。

 一方、象も衰弱してしまう前に、何か方法がなかったのでしょうか。

 助けられた象が、喜ぶのではなく「さびしく」笑ったのは、なぜだったのか気になりました。

 牛飼いが物語るように進みますが、「おや(一文字不明)川へはいっちゃいけないったら」という最後は、牛飼いが牛にいったのでしょう。画には川にいる牛、そしてうしろにはワニが描かれています。

 象が月を見ながら「ああ、せいせいした。サンタマリア」「ああ、つかれたな、うれしいな。サンタマリア」「苦しいです。サンタマリア」とつぶやき、仏教が発祥したインドでは、白い象がお釈迦様をはこんできたと信じられているといいますから、ここには、二つの世界が混在しています。

 新式稲扱器械が動く様子が「のんのんのんのんのんのん」、仲間の象が「グララアガア、グララアガア」と叫ぶようすも独特の表現です。

 沙羅樹の下の象が、いちどに噴火したように たちあがる画も圧巻です。


りゅうのめのなみだ

2020年05月26日 | 絵本(日本)

    りゅうのめのなみだ/文・はまだひろすけ 絵・いわさきちひろ/偕成社/1965年

 

 国の山のどこかにかくれているという龍。

 「いたずらっ子や わるい 子を 龍は ねらっているんだぞ」と、大人も言うので、子どもらは みんな龍をおそれていました。

 ところが ひとりの子が 「ちがうちがう。こわくはないよ。かわいそうなんだ。どうして だれも あの 龍を、かわいがってやらないの」と、誕生日に龍をよんでよと頼むと、お母さんは「わるふざけの 子は、だいきらい」と、怒ります。

 ところが ふしぎな 子どもは、誕生日を前に 山にでかけていきます。

 木の下で一晩を過ごし、やまもも、きいちごを、食べながら山にはいりますが、やまはひっそり。

 子どもが、深い谷間で「やまの りゅう やまの りゅう」と、よびたてると、「おうい、なんの よう。」と返事。そして龍は、暗いほら穴の奥からはいだすと、こどもからたんじょうびにくるよう いわれます。

 これまで、人間から、ただの一度も、やさしい声を かけてもらったことがない、それどころか いつでも 嫌われ、憎まれ続けてきた龍。

 子どもの思いがけない声を聞いた龍の目から涙があふれだすと、涙が川のようにながれだします。

 龍は「舟に やさしい こどもを たくさん たくさん のせてやろう。そう やって、この世のなかを、あたらしい よい よのなかにして やろう。」と、舟になって、子どもをのせ、町へ戻っていきます。

 怖いものといわれ続けてきた龍に、なんの偏見も もたない勇気のある子ども。自分で判断することの大事さが伝わってきます。

 そして、だれからも相手にされなかった龍が、子どものやさしさにふれ、涙になったのでした。

 いわさきちひろさんの中国をおもわせる情景も素敵です。

 ちひろさんが亡くなられてから、今年で もう46年もたちます。


えほん 長良川

2020年05月25日 | 絵本(日本)

   えほん長良川/詩・笠木透 絵・岩田健三郎/フィールドウオーク・カルチャー F・F・C・ユニオン郡上/1997年

 

 美濃和紙でつくられたという絵本は、めくるのではなく、絵巻物ように広げていきます。全長10mほどの長さに圧倒されました。

 真ん中に長良川、日本海を渡る人たちの目印という白山から、森を通り谷間の町郡上八幡へ。濃尾平野を過ぎて伊勢湾まで、流路延長166㎞。

 森の中には熊、きつつき、空にはツバメ、水鳥、川にはさまざまな魚が描かれています。

 鵜飼があり、人々の暮らしもあります。

 長良川を俯瞰するように展開していきますが、魚が空を飛び、巨大な山椒魚、なまずも。

 生き物の楽園のような長良川流域を表現しているかと思ったら、1995年長良川に河口堰が建設されて環境が悪化し、河口堰開門の運動が進められているといいます。生態系を犠牲にして作られた河口堰は、高度経済成長期に伊勢湾工業地帯の用水確保を目的に作られたが、実際に使われていないし、また使う計画もないといいます。

 えほん「長良川」をつくる会・編とあって、長良川に寄せる人々の思いの詰まった絵本です。


ピーター・ラビットの絵本2

2020年05月24日 | 絵本(外国)

   ピーター・ラビットの絵本2/ビアトリクス・ポター いしいももこ・訳/福音館書店/1971年

 

 セットのなかの第二集で、三冊がありました。五十年以上のロングセラーの絵本も数多くありますが、百年以上も前となるとほとんど目にしません。ピーター・ラビットの絵本は原著が百年以上も前。

 石井桃子さんの訳以前にも翻訳されたか わかりませんが、まったく古さを感じさせないどころか、社会情勢の変化にも耐え、このあとも生き続ける絵本でしょうか。

 

・こわいわるいうさぎのおはなし(1906年)

 おかあさんからもらったにんじんを食べようとしていたうさぎのところへやってきたうさぎ。いきなり にんじんを よこどり おまけに ひっかきました。

 そこへやってきた 猟師が ずいぶんおかしな 鳥だと 思いながら”ずどん”。たちまち逃げ出したうさぎが のこしていったのは しっぽと ひげでした。

 おとなしいいいうさぎ、わるいうさぎ とされていますが、わるいうさぎも おなかが減っていたんですね。

 これは、こわいわるいうさぎです。このあらあらしいひげをごらんなさい。これは、おとなしいいいうさぎです。いいうさぎが、にんじんを食べていると、わるいうさぎは自分もほしくなりました と語り口調の文章です。

 

・こねこのトムのおはなし(1907年)

 ある日、お母さんねこが、お茶会におともだちをよぶことになりました。そこでお母さんねこは、三びきの子ねこの かおおをあらい、毛にブラシをかけ、しっぽとひげを くしでとかし うつくしい きゅうくつな ふくをとりだして きせました。それからお茶会の準備をするため 子どもたちを外ににおいだしました。

 モペットとミトンはエプロンのすそをふんで、うつぶせに ころんでしまい、ふくのあちこちに みどりのしみを つけてしまいます。

 トムも、あたりの草を倒し、右や左に ボタンをおとしながら やっと つきやまのうえに のぼりました。

 帽子、ボタンもおとして、みんながこまっていると やってきたのはあひるの親子。あひるは、子ネコのおとした帽子とえりをひろって頭にかぶりました。おかしな格好のあひるをみて わらいころげた子ネコが、石垣からおちるとミトンたちのエプロンふくと、トムの着ていたものが、ぜんぶぬげてしまいます。

 おすのあひるのドレークさんは、ゆっくりと あるきながら おちていたいろいろなものを ひろいあげますが、自分で、みんな きて そのまま ぴた ぱた よたり ぱた、と ほちょうをそろえて、いってしまいます。

 お母さんねこが 子どもたちをみると なんにもきないで 石垣の上にすわっていました。おこった?お母さんは、子ねこを、二階においあげ、おきゃくさまには はしかでねておりますと、言い訳しますが・・・。

 こねこは、お母さんには忖度しませんから、当然のなりゆきです。子どもは母親の思い通りにはなりません。

 あひるも、きているものがみんなぬげ(というのもボタンがみんなとれていましたから)、いまでも ふくをさがしているというオチも笑えます。

・モペットちゃんのおはなし(1906年)

 おや、ねずみの音がしたなと子ねこのモペットちゃんは思いました。

 戸棚の後ろからのぞいているねずみは モペットちゃんをからかっています。子ねこなんか怖くありません。

 ねずみにとびかかったモペットちゃんでしたが、戸棚に頭をぶつけてしまいました。

 モペットちゃんが、あたまを 小さな布でしばって、だんろにすわっていると、ねずみがちかづいてきました。布で顔をくるんでいたモペットちゃんは、布の穴から、ねずみのぞき、いきなり ねずみに とびかかりました。

 モペットちゃんは、ねずみをからかってやろうと 布に包んで、ボールのように あちこち 投げて遊びました。 
 ところが、布をほどいてみると、布には穴が開いていて、ねずみは どこかにいっていました。

 そしてねずみは 戸棚の上で おどりをおどっているではありませんか。ねずみのほうが一枚上手でした。でも、次の攻防戦がうまくいくとは、かぎりません。

 

 ヘレン・ビアトリクス・ポター(1866-1943)の創作活動は十数年と長いものでなかったようですが、その生涯も興味深い。


よるのおはなし

2020年05月22日 | 絵本(外国)

  

   よるのおはなし/ハウアスレウ・作 クランテ・絵 きむらゆりこ・訳/偕成社/1978年

 

ドーテちゃんがぐっすりねむっていて まんまるくまくん、むっくりふとったペンギンくん、あかげのねこも ねむり、しずかなよるです。

あさがきて、ことりの歌も聞こえ、にぎやかになってきました。

よるが どこかにいくと みんなで おはようのごあいさつ

みんな おふろにはいり あさごはんをたべて おひさまのしたで たのしく あそびます。

 

ねこいがいは 人形のようです。

小型本で何気ない風景の一コマですが、どううけとめられているのでしょう。

朝お風呂に入ってから朝食というのは文化の違い?


キャベツろば

2020年05月21日 | グリム
      グリムの昔話3/フェリックス・ホフマン:編・画 大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年
 
 
 「お爺さんとお婆さん」「美と醜」「いじわるとやさしさ」「貧乏と金持ち」「死と生」をはじめ、対称的な組み合わせが特徴な昔話。
 
 この話にはタイトルからイメージできるように、キャベツを食べるとロバになってしまいます。キャベツには二種類あって悪いキャベツと良いキャベツ。
 
 このキャベツを発見したのは若い狩人でした。
 
 あるとき狩人が、まずしいおばあさんに施しをこわれ、お金をやると、その見返りに素敵な約束をしてくれます。おばあさんの言うとおり小鳥を撃ち落としその心臓をまるごとのむと、毎朝起き上がると枕の下に金貨一枚がありました。それだけでなく、どこかの場所に行きたいと願いさえすれば、瞬きするうちにそこに行けるマントも手に入れます。
 
 毎日起きるたびに金貨が手にはいり、狩人は「このまま、うちにいたんじゃ、こんなに金貨あったって、いったい何の役に立つだろう?ひとつ、旅に出ていって、ひろい世の中をみてまわろう。」と考え両親に別れを告げ、物入れ袋と鉄砲をもって、世の中に出て行きました。
 
 ある日、うっそうとした森を通って立派なお城で、魔女のお婆さんと素晴らしく美しい乙女にであいます。
 魔女と魔女に脅された乙女は、狩人に飲み物をあげ、小鳥の心臓を吐き出させ、娘が心臓を飲み込んでしまいます。
 
 ところが狩人は、娘の美しい姿に目をとめ一緒に時を過ごすことだけで満足していました。

 年とった魔女は魔法のマントもとりあげようと、娘を狩人と宝石が出るザクロ山にやり、狩人が眠っている間に、一人荒れた山に置き去りにしてしまいます。
 
 狩人はたっぷり眠って目が覚めると、娘が自分をだまし、荒れた山に置き去りにしたことを知ります。しかし、この山にすむ三人の巨人の「山のてっぺんまで行ったら、雲たちがこいつをつかまえて、どこかに運んでいっちまうさ。」という会話を聞いて、巨人が行ってしまうとすぐに立ちあがって山のてっぺんへ登っていきました。そしてしばらくそこにいると、雲が狩人の方へふわふわ漂ってきて、狩人をつかまえて運び去り、長い間空を漂っていました。それから雲は低くなっていき、周りを塀に囲まれた大きなキャベツ畑におりました。それで狩人はキャベツや野菜の土にふんわりとおりたのです。

 とても腹ぺこの狩人が、「苦しいときには、葉っぱだって食べれるさ。特にうまいってことはないけど、まあ元気はつけてくれるだろうよ。」と思い、立派なキャベツの玉を一つ、さがしだして食べだしました。ところが2口、3口食べるとすぐ、とてもきみょうな気分になって、自分がまるっきり変わったような感じがしました。見ると足が四本生え、頭は太くなり、長い耳が二つのびだしていました。つまり、自分はロバに変わってしまっただとわかって狩人は、ぎょっとしました。それでも、ますますお腹がすいてきたので、しかもロバになっている今は汁気のある葉っぱが適していたので、とてもうまそうに食べ続けました。そのうち、しまいに種類がちがうキャベツのところに来たのですが、そのキャベツを少し飲み込むとまた変わるのを感じ、もとの人間の姿にもどったのでした。

 それから狩人は横になり、眠って疲れをとりました。次の朝目覚めると、悪いキャベツとよいキャベツの玉を袋に入れると、塀を乗り越え、恋しい娘の城を探しにでかけました。
 二、三日、あちこち歩いていくと、運よくあの城が見つかりました。そこで狩人は、自分の母親でもわからないように顔を赤黒くそめて城に行き、宿をお願いしました。狩人は「王さまの使いで、天下でもっともおいしいキャベツを探しにきました。運よくそのキャベツを見つけて一緒に持ち歩いていますが、日でりがはげしいので、おいしいキャベツがしなびてしまいそうで、これさき、これをもっていけるかどうか、わからないんですよ。」といいます。

 食い意地がはった魔女がおいしいキャベツのことを聞いて、すぐに味見させるよう頼み、葉っぱを2,3枚口に入れると、魔女はロバの姿になってしまいます。そして城の女中も娘も
ロバになってしまいます。

 狩人は、三頭のロバを粉屋に追い立てて行って、年とったロバ(それは魔女でしたが)には毎日三度なぐって、食べ物は一度だけあげ、若い方のロバ(これは女中でしたが)には、毎日一度ずつなぐって、食べ物は三度あげ、そして一番若いロバ(これは娘でしたが)には、一度もなぐらないで、食べ物は三度あげるように言いました。というのは娘をぶたせる気になれなかったのです。そのあと狩人は城にもどりました。すると、入り用なものは、のこらずそこにそろっていました。

 二,三日して、粉屋が来て、毎日三回ぶたれて一度しか食べていなかった年とったロバが死んだと報告しました。残りの二頭は確かに死んではいないし、毎日三回食事をやっていますが、とても悲しんでもうあまり長くはもちませんな、と粉屋は続けて話しました。これを聞くと狩人は、かわいそうになって、怒る気持ちもすっぱり捨ててしまい、粉屋に、もう一度ロバを返してくれ、と言いました。それでロバたちが来たとき良いキャベツを食べさせたので、二人はまた人間に戻りました。
 すると美しい娘は狩人の前に膝まづいて、「ああ、あなた、私がしたひどいことを許して。母がやらせたんです。私はそんなことをしたくなかったのに。だって私はあなたをとても愛しているのですから。あなたの魔法のマントは戸棚にかかっています。鳥の心臓の方は、私が吐き薬を飲みますわ。」と言いました。しかし狩人は違うことを考えていて、「それをとっておきなさい。同じことだよ。僕は君を本当の妻にするから。」と答えます。

青いランプ

2020年05月20日 | グリム

      グリムの昔話3/フェリックス・ホフマン:編・画 大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年

 

 アランビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」とシュチエーションがにています。

 戦争が終わって、王さまから文無しで放り出された兵隊が、森の中でみつけた一軒の家。

 仕事をしてくれると泊めてやると言われ、庭をほりかえします。しかし、日が暮れるまでにしごとをかたづけられませんでした。

 この家にすんでいるのは魔女でしたが、馬車一台分の薪を割って、こまかくするなら、もう一晩泊めてあげるといわれ、一日かかって薪をつくります。

 さらに魔女は、水の枯れた古い井戸に落ちた青いランプを拾ってくるならもう一晩とめてやろうといいます。

 あくる日、兵隊は井戸のなかで青く光るランプを見つけ、井戸からひきあげてくれるよう合図します。先にランプを取り上げようとする魔女のたくらみにきがついた兵隊がランプをわたすことを断ると、魔女は、すさまじくおこりだし、兵隊を井戸の中におっことして、行ってしまいます。

 しょげかえった兵隊が、最後の楽しみにポケットに残ったパイプでタバコをふかしはじめると、ふいに小さな黒いこびとがひとり現れます。

 「お望みのことを、なんでもやらなきゃならないんでさ」というこびとに、井戸からつれだしてくれるようたのんだ兵隊は、青いランプと魔女が集めた宝物をもって地面の上にでます。

 次に兵隊が「あの魔女をしばりあげ、裁判所につれていけ」というと、こびとはいくらもたたないうちにもどってきて「すっかり、かたをつけました。あの魔女はもう、首つり台にぶらさがってますよ」といい、つぎのいいつけを聞こうとしますが、「いまのところは、なんにもない」という兵隊の言葉を聞くと、ふっと消えてしまいます。

 次に兵隊は、文無しでおいだし、ひもじい思いをさせた王さまに仕返しするために、こびとをよびだすと、王さまのお姫さまがベッドに入ったら寝ているまんま、宿屋につれてくるよういいます。女中にして働かせるというたくらみです。

 次の朝、お姫さまは、部屋の掃除や長靴をみがいたり、いやしい仕事をさんざんやらされたふしぎな夢をみたことを王さまに話します。

 王さまは、正夢だったことかもしれないと、ポケットにエンドウ豆をつめて穴をあけ、つれていかれたら豆がおっこちるようします。しかし目に見えない姿で話をきいていたこびとは、その晩眠っているお姫さまをかついで、こぼれおちた豆をひろいながら、兵隊の宿屋につれていきます。

 お姫さまは、またもやニワトリが鳴きたてるまで女中仕事をしなければなりませんでした。

 王さまは、こんどはベッドにはいるとき靴をぬがないでおいて、むこうから帰る前に、片方の靴をかくしてくるようお姫さまにいいます。

 次の朝、王さまは都じゅう、すみずみまで、おひめさまの靴をさがさせます。靴がみつけられた兵隊は逃げ出しますが青いランプもたくさんの金貨を置き忘れてしまいます。そして追いつかれて牢屋に放り込まれてしまいます。

 兵隊が鎖りにつながれて窓のそばに立っていると、昔の兵隊仲間がとおりかかります。ポケットにたった残っていた一枚の金貨で仲間に青いランプをもってきてもらった兵隊は、裁判所で死刑判決がでて外にひきだされたとき、一つだけ願いをかなえてくれるよう王さまに頼みました。

 兵隊がパイプをとりだし青いランプでタバコに火をつけると、こびとが現れ、王さまも裁判官も捕り手どもを叩きのめしてしまいます。

 王さまは命が助かりたいばかりに兵隊に国をやり、お姫さまも兵隊のおよめに!

 この兵隊、仕返しをしたいなら、お姫さまではなく、直接王さまにしたほうが早いと思うのですが・・。また、女中仕事がいやしいというのも、いまでは、ひっかかるところ。

 ふしぎなこびとは、青いランプでパイプタバコに火をつけると現れますが、ヨーロッパでパイプタバコがみられるのは1500年代以降。南アメリカの一部のインディオと、アメリカ本土全域でインディアンが行っている先住民族の文化がヨーロッパに伝えられ、そこから世界各地にひろまっているようです。


海の館のひらめ

2020年05月18日 | 安房直子

       海の館のひらめ/遠い野ばらの村/作・安房直子 絵・味戸ケイコ/偕成社文庫


 島田しまおは、16歳でレストランアカシヤに働くようになってから6年。

 料理人は島田を入れて6人でしたが、いつまでたっても下っ端で、毎朝山ほどの玉ねぎを刻む仕事から皿洗い、なべ洗い、流しみがきに、ごみのそうじをしていました。

 馬鹿正直でゆうずうがきかなくて、人のきげんをとるのがとてもへたで、料理長は料理のコツは何一つ教えてくれませんでしたし、なべに残ったソースの味見させるのさえいやがっていました。そして「きみはもう、やめたらどうだい。海に館のひらめにでも見込まれないかぎり、一人前になるのは、とてもむりだよ」とまでいっていました。

 すっかり気がめいいって、指にけがをしたり、ソースのなべをひっくりかえしたり、悪口をいわれたりして、この店はやめてほかのところで、やりなおそうと心に決めました。

 ところが、そのとき「しんぼう、しんぼう」と、だれかがいいました。まわりをみまわしてもだれも、しまおに話かけてはいません。すると、また小さな声がきこえてきました。「わたしが力になってあげますから、もうすこし、ここでしんぼうしなさい」。

 それは死んだお父さんの声ににています。そして、しまおは、流しの下の氷の上に寝ているいっぴきのひらめを見つけたのです。

 ひらめは、「わたしは、もうすぐ料理されて、食べられてしまいますけどね、骨だけになっても、ちゃあんと生きています。だから、わたしの骨を、ごみバケツなんかに、捨てないでください。わたしの骨を、大事にしてくれたら、わたしはきっと、あなたの力になります。」といいます。

 よごれた食器がどっど、もどってくると、しまおは、食器の中にあのひらめの骨を見つけ、すばやくふきんに包んで、ポケットに入れました。その夜、屋根裏の小さな部屋にかえると、ひらめにいわれたように大きめのガラスのコップに塩を一つまみ水の中にいれ、さらにひらめの骨をいれます。

 すると、骨だけのひらめがいきかえり、「役目が終わったら、海にかえしてください」といいます。

 ひらめの役目は、しまおを、一人前の料理人にして、店を一軒持たせてあげるというのですひらめは、まじめな人間が、損ばかりしているのが、わたしには、がまんできませんでねえ・・ともいいます。

 ひらめの助言は、まず店一軒を手に入れること。アカシヤで働いた給料を無駄遣いせず、きちんとたくわえてきましたが、とても一軒の店を手に入れる金額にはたりません。けれども、ひらめは売りに出ているレストランにいくよういいます。夜9時過ぎ、売り店をたずね、6年分の給料を銀行からおろした金額で、売ってくれるよういいます。全然足りないという売主に「ぼくには、海の館のひらめがついていますから、けっして損はおかけしません」というと、男は「残りの金は来年中に、かえしてくれればいい」と、しまおに店を売ってくれることに。

 それからは、ひらめが料理の作り方を伝授。アカシアでの仕事がおわると、夜中に購入したばかりの店で練習です。わき目もふらずに料理の練習をつづけ、ほんのすこしのあいだに腕利きの料理人になってしまいます。ただ働きづめに働いて眠る時間も休む時間も無くなって、すこしやせ、ときどき頭ががふらふらします。

 ひらめは、そんなしまおに、体をやすめて、開店まで力をたくわえるよういいながら、さらに「あなたは、およめさんをもらう必要があります。明るくて気だてがよくて、働き者の娘さんを見つけて、結婚することですよ。」「レストランは、なんといったって、客商売ですからね、いくら料理の味がよくても、あいそのいい奥さんがいないと、うまくいきません。」と、あるちっちゃい喫茶店でピアノをひいている娘さんを紹介します。

 ここでも、ひらめにおされて、勇気を出してぶつかっていったしまおでした。

 娘の名まえは”あい”、「海の色の名まえ」でした。

 まもなく しまおはアカシヤをやめ、あいと、ささやかな結婚式をあげて、新しい店へ移っていきました。新しい店の開店準備をすませると、二人は海に行き、ちいさな舟で沖に出ると、真っ白いナプキンにつつんだ骨を海の水にうかべ、心から「ありがとう」と、いいました。

 「海の館のひらめ」は、レストランアカシヤの料理長も、店を売ってくれた男も聞いていましたし、娘の夢にもあらわれます。何百年に一度しか手に入らない、死んでも生きかえるすばらしい魚で、見込まれたものは、とびきりの果報者だといいます。

 昔話では、よく不思議な助言者が登場しますが、「海の館のひらめ」も、そんな助言者で、ひっこみがちな しまおの背中をおしてくれる存在です。


ぶたたぬききつねねこ

2020年05月17日 | 絵本(日本)

    ぶたたぬききつね/馬場のぼる/こぐま社/1978年

 

 おひさま→まど→どあ とはじまる しりとり。

 あまり関連なさそうなことばを 絵がうまくつないでいきます。

 らっぱのあとは ぱいなっぷる で、ぱいなっぷるが らっぱのなかから とびだします

 しちめんちょうが コックさんからにげだし、うばぐるまにのって にげだします

 すとーぶ のあとは ぶた→たぬき→きつね→ねこ

 こーと をきた ぶた、たぬき、きつね、ねこが とんがりぼうしをかぶった しろく ま が まく をひくと・・・。

 ことばをおぼえはじめた子どもと、知らない言葉も絵で確認しながら そして歌いながら楽しめます。

 馬場さんの絵にも癒される感じ。  

 季節感もあるのですが、いつの時期か想像できるでしょうか?。


たんじょうび

2020年05月16日 | 絵本(外国)

    たんじょうび/ハンス・フィッシャ:文・絵 大塚勇三・訳/福音館書店/1965年

 

 森のそばの野原に住むリゼッテおばあちゃんの76歳の誕生日。

 村に買い物に行って牧師さんのところでおしゃべりして夕方家にかえってきましたが、いつも むかえに とんでくる 動物たちがみえません。

 窓の隙間から灯かりが見えました。家に駆けこんでドアを開けると、誕生日のお祝いの支度ができていました。テーブルの上には花が飾られ、ケーキとりんご。

 出迎えてくれたのは、ねこのマウリとルリ、いぬのベロ、おんどりが一羽、めんどりが六羽、あひるが七羽に、うさぎが八匹、そしてやぎ。

 ごちそうがおわると、おばあちゃんの昔の服でお芝居がはじまりました。

 それだけではありません。外にもちだしたテーブルのろうそくとりんごが、まるで星のようにいくつも輝いています。

 そしてもうひとつのサプライズが・・・。

 動物たちは、おばあちゃんがいないあいだ相談して準備していたのです。

 動物たちとおばあちゃんの素敵な信頼関係です。

 「やぎのしっぽは、みえませんが、それは、いえのかげに なっているせいです」とあって絵を見るとたしかに、やぎのしっぽはみえません。「おんどりは、なにをしているのかな?」と、絵を見ると、おんどりは、りんごをもいでいて、文と絵に相乗効果があります。

 うさぎは、ろうそくを、めんどりは、たまご、やぎは花と、みんなできることをしています。

 ところでケーキが、まっくろくろこげになって、砂糖をかけてかくしましたが、どんなあじだったでしょう。

 誕生日のプレゼントにしたら喜ばれそうです。


おしゃべりも無駄でない?

2020年05月15日 | 日記

定期的にかよっている歯科で、歯の洗浄中にむせた。

通常、むせることがないようベッドの角度を調整しているというが、むせるというのは のどの筋肉が弱っているという。

筋肉の衰えは女性より男性の方に見られ、女性の方がおしゃべりなのも影響しているというのが歯科衛生士さんの指摘。毎回歯科衛生士からのダメ出しが多いが、こんなのは 初めて。

男性がリタイアすると、地域とのコミニュケーションがうまく取れず、孤立するという。すると会話の機会も減少し喉の筋肉の衰えにつながる。

歌を歌ったり、昔話を語るといったことも 喉の筋肉を維持していくには有効になりそうだ。

笑いもストレスを解消してくれるというから、人生 よくしゃべり、笑うことか。


ばばちゃんのひとり誕生日

2020年05月14日 | 絵本(日本)

   ばばちゃんのひとり誕生日/堀田京子・作 味戸ケイコ・絵/コールサック社/2019年

 

 作者ご自身の人生でしょうか。

 きょうは、ばばちゃんの77回目の誕生日。おおきなローソク7本、ちいさなローソク7本、テーブルの上には、まっかなバラ、大きなケーキで誕生日をむかえ これまでの人生を ひとりで ふりかえります。

 一本目のローソク 家でかっていたやぎのお乳で育ったばばちゃん。

 二本目のローソク 居間も土間も納屋も二階も お蚕。家族7人 川の字で寝ていました。

 三本目 10歳。はずかしがりやで自身のない子どもでした。

 四本目 ふるさとをでて、保育士に。「せんせい、けっこんして!」といわれたことも。

 五本目 25歳で結婚。

 六本目 ふたりの女の子が誕生。

 七本目 娘たちが巣立ち、結婚、孫の誕生。父母、夫、であったなつかしい人々との別れ。

 最後の大きなローソクも燃えつきて、のこりわずか。

 なぜ一人で誕生日を祝うことになったのでしょうか。娘さんが病魔にたおれ、生死のあいだをさまよったとありますが、このあと娘さんには触れられていません。お孫さんもいるのですが、だれにも邪魔されずに過去をふりかえってみたかったのでしょう。

 両親の死、伴侶の死にも ふれられていません。それ以外にも、さまざまなドラマがあったはずですが、言葉にするには、もう少し時間がかかるということかも。


山の巨人をからかったむすめ・・スエーデン、三本のカーネーション・・イタリア、フィッチャーの鳥・・グリム

2020年05月13日 | 昔話(外国)

 「見えるわ見えるわ」というフレーズが印象に残る話。同じ逃走するのでも知恵というのが親しみやすい。ただこのタイプは日本の昔話ではみたことがありません。
 

山の巨人をからかったむすめ(スエーデン)(子どもに贈る昔ばなし13 桃もぎ兄弟/小澤昔ばなし研究所/20127年初版)
                      
 めんどりがどこかにいってたまごをうんでいるので、三人姉妹の長女が、めんどりの足に糸を結んであとをおっていくと、山の巨人につかまってしまいます。次女も同じようにつかまります。

 末っ子もつかまってしまうが、山の巨人は末っ子が気に入って結婚することに。
 
 結婚式のため、かたづけや掃除をするが、そこででたがらくたやぼろも、まずしい家では必要だとして、末っ子は山の巨人に、これを袋にいれて、家の石段の上においてくるよう話す。

 山の巨人がかついだ袋のなかには、長女が隠れていて、袋をみようとすると「袋の中を見ちゃだめよ」という声。

 次女も同じように袋にかくれて家の石段のうえに。

 最後に、末っ子が自分の人形をつくり、椅子に座らせ、自分は袋のなかに。
 巨人が袋の中をのぞこうとすると「袋の中を見ちゃだめよ」という声。
 巨人が家に帰って、人形ときづき、むすめになぐりかかるが、おこりすぎて体がはれつし、こなごなになってしまいます。
   

三本のカーネーション(子どもに語るイタリアの昔話/剣持弘子 訳・再話 平田美恵子・再話協力/こぐま社/2003年初版)

 父親が早くに亡くなって、母がせんたく屋を営みながら育てている三人姉妹のところに、見知らぬ男がやってきて長女を嫁にほしいという。

 はじめは断わりますが、娘が幸せになるならと嫁にやることに。
 男は娘の胸にカーネーションをさしてやります。そしてこの部屋だけは絶対開けてはいけないと言い残し、でかけます。

 開けてはいけないといわれて、部屋を開けると、そこは炎の海で、大勢の娘たちが泣き叫んでいます。
 炎でカーネーションがもやされ、男は長女が部屋をあけたことにきづき、長女を炎の部屋に放りこんでしまいます。

 次女も同じ運命に。

 男は末娘にも結婚を申し込み、家につれて帰ります。男は末娘にもカーネーションをつけ、あの部屋だけはあけてはいけないと言い残し でかけます。
 末娘はカーネーションを胸からはずし、あの部屋を開けてみます。するとそこには、大勢の娘と姉たちも苦しんでいます。

 末娘は男に、たくさんのせんたく物を母親のところにもっていってくれるよう頼みます。
 末娘は、大きな箱を用意し、せんたく物でつつむように、長女をなかにいれ、とちゅう男が箱を下におこうとしたら「見てるわ見てるわ」というように話す。次の日、男が箱をかついで出かけますが、あまり重いので箱を地面におこうとしますが「見てるわ見てるわ」という声が聞こえてきます。
 男が母のもとへ箱をとどけると、中からは長女が。次女も同じように助かります。
 末娘も身代わりの人形をつくり、自分は箱の中へ。

 男は人形の末娘に気がつき、壁に頭をぶっつけてくやしがり、あまりのくるしさに、火の中に飛び込んでしまいます。

 ここにでてくる男、途中で急に悪魔にいいかえられます。

フィッチャーの鳥(グリムの昔話1/大塚勇三・訳/福音館文庫/2002年)

 イタリアの「三本のカーネーション」と、にています。

 魔法使いが貧しい男の姿をしていろんな家の戸口に行き、なにかめぐんでください、などといっては女の子をつかまえ、どこかにつれていっていました。

 犠牲になったのは三人姉妹。

 一番目と二番目の娘は、魔法使いの家につれていかれ「どこにいってもいい。何を見てもいい。ただ一つ、小さい鍵で開ける部屋だけは、はいっていけない」といわれます。

 たくさんの部屋は、銀や金できらきらかがやいていて、あけてはいけないという部屋をあけてしまいます。するとそこには血だらけのたらいがあって、その中には、死んできりきざまれた人たちがはいっていました。

 もっていた卵の赤いしみをみた魔法使いは、娘が部屋に入ったのをすぐにさとると、体をばらばらにして、あの部屋のたらいのなかに、放り込んでしまいます。

 二番目の娘も同じ運命。

 ところが三番目の娘は、卵を大事にしまってから、部屋をあけ、二人の姉さんのばらばらな手足などを集めると、それらを頭、胴、腕、足をきちんとならべ生きかえらせます。

 三番目の娘が魔法使いの花嫁になることになり、魔法使いは、娘から両親に金貨を入ったかごをとどけるよういわれ、かごをもってでかけます。このかごには二人の姉がはいっていました。

 かごが重く魔法使いが途中で休もうとすると「あなたがみえているわ。さっさと歩いていきなさい」とかごのなかの娘のひとりがさけびます。魔法使いは、休むたびにおなじことをいわれ、かごを娘たちの家に運び込みます。

 三番目の娘は、死人の頭を一つ持ってきて、それに飾りをつけ花輪をのせると、その頭を屋根裏部屋の窓のそばに置き、窓からのぞいているようにしました。こうした用意をすっかりおわると花嫁はハチみつの樽の中につかってから、ベッドの羽ぶとんを切り開き、そのなかでころげまわったので、ふしぎな鳥のようになり、誰だかわからなくなりました。

 魔法使いも花嫁にたずねます。「おや、フィッチャーの鳥さん、どこからきたの?」「フィッツェ・フィッチャーのうちから、きたの」「あのうちの わかいよめさん なにをしてるの?」「下から上まで うちを すっかり そうじして 屋根窓から 外を のぞいている」

 花婿が飾り立ててある死人の頭をみて、したしげにあいさつして家の中にはいったとたん、花嫁の兄弟や親類たちが家にやってきて、家に火をつけたので、魔法使いとお祝いにやってきたならず者たちも、焼け死んでしまいました。

 

 「フィッチャーの鳥」がどんなものかは想像するしかありません。タイトルでは、とても内容もイメージできませんでした。バラバラになった死体がすぐに生きかえるのは、まさに昔話です。

 こわそうな悪魔や魔法使いは性格が素直?で、言われたことを信じてしまう心やさしい悪役です。