川崎大治民話選 日本のおばけ氏話/川崎大治/童心社/1969年
ほんとうに臆病なとっつぁが、法事からかえって家の敷居をまたぐと、なんやらつめたいもんに、ぴたっと首根っこをおさえられ「ばけもんじゃ ばけもんじゃ」と大騒ぎ。
おかかがよくみると、首には屋根の雨だれが一つ。
とっつぁが、「ばけもんちゅうは、みんな雨んぶちやないか」というと、おかかが「ああそうや そうや」と合づつ。
それからとっつぁは、急にこわいものがなくなって、暗い夜道も平気、おかかにつれてもらっていた便所もひとりで。
しばらくたって、村におかしなばけものがでるといううわさがたち、商人が追いかけられて気を失ったとか、侍が刀をぬいたまま、腰をぬかしたと、とかたいへんな評判に。
「おらが退治してやるべ」と、とっつぁがでかけていくと、真っ黒けな水がめみたいなやつが、てっくらてっくら歩いています。
ばけものが「ひっつくぞ、とっつくぞ ひっくつぞ、とっつくぞ」というと
「ひっついてみろ とっついてみろ おらあ、雨んぶちなんかこわいこたあねえぞい」と、とっつぁ。
どんどんおいかけていくと、ばけものはやんま橋までくると橋の下へもぐりこみます。
長ーい竿で橋の中をつっつくと、チャラン チャランと妙な音が。
とっつぁまが、川の中へじゃぶりじゃぶりと、おりてみると、川の中にはおおきな水がめがあって、よくみると大判小判がザックザック。
とっつぁまがかめをだいて歩いていくと、かめは「ありがたいこった。おらあ、一生、ひゃっこい水の中に、おらにゃならんかと、あんじておったぞ。これでたすかったわい。おまえのすきなように、おらをつこうてくんなさい」といいますが、おかかに頭が上がらない とっつぁまは、「おかかにきいてみなければどうにもわからんぞい」とすぐには喜びません。
それどころか、「おらあ着るもん濡らしてしまうたでな、おかかが、おこったら、いいわけしてくれろ」と小さな声で頼みます。
最後、こわいものがなくなった とっつぁまも、おかかには、頭があがらない感じがでていて、思わずうなずいてしまいました。
とっつぁま、夜になるとひとりで便所にもいけないほどの臆病とはじまりますが、この便所は、母屋と離れています。今ではもうみられないので注釈がないと、子どもには理解できにくいかも知れません。
じょうぶな頭とかしこい体になるために/五味 太郎・作絵/ブロンズ新社/1991年初版
「子どもの疑問・悩み・希望」の50項目について、五味さんが回答?というか考え方を自由自在に展開しています。じょうぶな体というのはわかりますが、頭が丈夫じゃなきゃというのは?(あとがきでふれられています)。
・学校には行かなくちゃいけないの?
・なぜ友だちと競争しなくてはいけないんだろう
・わたし 絵がへたなの・・
・わたし美人になりたい
・大人になんかなりたくない
・ずっと働かなくて暮らしていきたい・・
・お金がほしい などなど
なかには「SEXしたい」などもありますから、中学生ぐらいからでしょうか。
ピカソの絵はさっぱりわかりませんが「わたし 絵がへたなの・・」で、絵は個人の表現手段のひとつですから、その人の表現欲や表現目的が絵によって表れれば成功、よい絵ですとありました。
「仕事をしたい」に、宇宙飛行士になるには、学校の先生になるには、お医者さんになるには、といったなかに、お坊さんになるには、シスターになるには、もあって懇切丁寧です。
「わたし美人になりたい」に、美人のつらさが五つ列挙され、ほんとに美人はつらそうで、美人になんかなりたくないでしょ、美人じゃなくてよかったでしょ、と結んでいます。
子どもたちが一度は思う疑問や悩み、希望のどれかひとつにであうことができます。
3びきのこねこ/作:V・ステーエフ・文 ジュリオ・マエストロ・絵 訳:やぎた よしこ・訳/ほるぷ出版/1978年
くろ、しろ、はいいろのこねこ。
ねずみをおいかけると、ねずみは粉の入った缶のなか。こねこも缶の中に入ると3びきは、みんな白。
かえるが飛び込んだストーブのえんとつにとびこむと、3びきは、みんな黒。
さかなをおいかえ池にとびこみはいだすと、3びきは、いつもとおなじくろ、しろ、はいいろのねこに。
最後、3びきが見ているのは、毛虫かな?
次の冒険は?
暴れまわるというより、好奇心旺盛な子ネコたち。
みんな、おなじように見えますが、目の色に注目です。
もしかすると絶版かもしれません。
まめたろう/愛蔵版おはなしのろうそく10所収/東京子ども図書館・編/2010年
四歳のジェニーが、自分のおこずかい100円で、もうすぐ三つになるクリストファーの誕生日プレゼントに買ったのは、こねこのチョコレート。
チョコレートは一箱に八つ。
ジェニーは部屋のたんすの中にかくします。
その晩ベッドにはいったジェニーでしたが、なかなか眠れません。チョコレートがきになっていたのです。
箱には八ひきのこねこがいて、一つぐらい食べてもクリストファーは気にしないと思うわ、とまず一個。
あたしがもう一つ食べてもクリストファーは気にしないと思うわ、おなかのなかではこねこが、一人ぼっちできっとさびしがってるわと二個目。
おいしい、六つのこねこのチョコレートもわすれられません。
とうとう、箱の中のチョコレートはジェニーのおなかのなかに。
ジェニーの心理がとっても伝わってくる話です。
3個目から最後までの言い訳があるともっと楽しそうですが、3個目はサラッとしていて、4個目以降、とりわけ最後の一個は、どう自分に納得させてたべたのかな?
箱が空っぽになって、ちょっと気持ちが悪いと思ったジェニー。
まあ四歳ですからね。誰しも同じようなことがありそうです。
絵本にもなっています。
こねこのチョコレート/B・K・ウィルソン・作 大社 玲子・絵 小林 いづみ・訳/こぐま社/2004年
2004年初版ですが、モノクロとカラーのページが効果的につかわれています。
「おはなしのろうそく」とおなじ小林いづみさんの訳ですが、「ろうそく」では「ジェニーには、クリストファーという弟がいます。ジェニーは四つで、クリストファーは、もうすぐ三つです」です、とはじまりますが、絵本では「ジェニーは、四さいの女の子です。弟のクリストファーは、もうすぐ三さいになります」とはじまり、そのほかにも、細かな違いがあります。語られている方は、どちらで語られているのでしょうか?
はじめの方に、小さな男の子のすきなおもちゃはこれ、女の子のすきなおもちゃはこれと決めつけられていて、ジェンダーの視点からいうと、いまではどうでしょうか。
お静かに、父が昼寝をしております/ユダヤの民話/母袋夏生・訳/岩波少年文庫/2015年
この世で一番聡明な知恵者ソロモン王のところに、たいそう美しく、とても賢く、だれにも解けそうもないない問題やなぞなぞをつくる才にたけていたシバの女王がやってきます。
女王はソロモン王に謎をいくつもだしますが、王はそのすべてを解きます。
するとシバの女王は、召使に花束をもってこさせ、一輪は本物であるが、他の花は職人がつくった造花であると説明し、花束のなかから本物の一輪を探す出すようにいいます。賢い人が、かならずしも感性が鋭いとはかぎらないというのがシバの女王の考えでした。
そのとき王を助けたのはミツバチ。ミチバチがもぐりこんだミツバチが本物の一輪を教えてくれたのです。
このミツバチ、以前に王の鼻をチクリと刺したので、王の鼻はぶっくりふくれ、ざくろのようにあかくなり、やけどもたいに痛み出しました。
怒った王は、すべての棘や針をもつものを宮殿にあつめ、名乗り出るように命令します。
ミツバチが鼻と花の区別がつけられず、自分がやったことだともうしでて、鼻にも匂いがあるといいます。
知恵者の王でしたが、鼻に匂いにあるというのは考えもしませんでした。
ミツバチは小さな生きものが役に立つということもあるといっていたのです。
「あのこわっぱが、王を助けるけるとはな!」と笑い飛ばした王さまが、たしかにミチバチに救われ、面目をほどこしたのでした。
シバの女王は「旧約聖書」にみえ、「ソロモンの知恵の噂を伝え聞くと、多くの随員を伴って、香料、大量の金、宝石などの贈り物をラクダで運び、難問を以って彼を試そうとエルサレムを訪問した。」とありました。
ソロモンもなじみがないのですが、なかなか興味深い人物です。
ポルコさまちえばなし―スペインのたのしいお話/ロバート・デイヴィス・文 瀬田貞二・訳/岩波書店/1964年初版
ポルコさまにところにやってきたのは大勢のけもたち。
人間がわたしたち けものにどんなことをしようにも、わたしたちは人間を勘弁してやって、心から人間の役に立ち、人間をきずつけたりしないという、あのおきてをやぶりたいというのです。
リカルドという男の子は、コウノトリのつばさを引き抜いたり、子ねこを四匹も水におぼらせたり、めんどりのタマゴを13個も踏んだりと、とんでもないいじめっ子。
けものたちは、けがをさせないという条件で、仕返しをすることに。
お弁当をひらくと、なかには死んだネズミと、緑色の毛虫が2匹。水筒は栓がボロボロでからっぽ。横になって昼寝をしようとするとアリが耳,鼻に、カブトムシは頭に。
驚いたリカルドは井戸を見つけ、水を飲もうとしますが、ヤギに一突きされて井戸の中へ。
井戸の中にはヘビがうようよ。水も冷たく痛いほど。
ポルコは動物を可愛がると誓うなら井戸から助けるといいます。
ポルコというのはブタ。スペインではクマやオオカミよりブタがずっと尊重され尊敬されたとありました。
この話では、金ボタンのついたみどりいろの服を着ています。
最近の記事に、スペインでは人より350万頭多い5500万頭もの豚がいるとありました。
いろいろ問題も多いようです。
こんにちは、ゾウです。/わしおとしこ・文 内山晟・写真/教育画劇/2005年
写真で一面にゾウの姿。やっぱり大きいですね。
乳幼児向けでしょうが、この時期、こどたちは、大きさをどのように認識するのかと思いながら見ました。
水浴び、プールでパシャパシャ、むしゃむしゃ食べる様子、鼻で握手と、乳幼児の喜びそうなものばかりでした。
まじょのかんづめ/作・絵:佐々木 マキ/福音館書店/1994年
漫画風の絵で、魔女も怖くないとおもうのですが、小さな子には、結構怖そうで、大人の感覚でみるのとギャップがあります。
いつものように森に散歩に行った女の子と犬が、これまでなかった小さな家を見つけます。
部屋の中には彫刻やベッド、台所のテーブルには缶詰がありました。
どこからか「たすけてくれ」「だしてくれ」と小さな声。
缶詰をあけると、ゾウ、クマ、ぶたが三匹出てきて、次々に森のなかへ逃げていきます。
そこへかえってきたのは魔女。家の中にはバーゲンセールのチラシがあって、紙袋を二つもかかえているので、買い物に行ってたのでしょう。
女の子と犬は、魔女の呪文で、すぐに缶詰にされてしまいます。
さあ、女の子と犬の運命は?
魔法がとけて、あらわれたのは郵便屋さん。家にあった彫刻は、じつは郵便屋さんでした。
魔女は「うーん、くやしい。このおかえしは、いつかかならず してやるからね」と、つぶやきながら、地球のまわりを飛び続けているようですよ。
魔女が動物を缶詰にするのは、やっぱり食べるため? 缶詰にするというのは現代の魔女です。
おばけなんてないさ/作・絵:せな けいこ/ポプラ社/2009年
歌が先にあって、絵本があるかと思って調べたら、やっぱりありました。
♪おばけなんて ないさ おばけなんて うそさ と歌っていると
「こわいおばけがでるぞ」といっても、「こわくないよ」と、切り返しされそうです。
♪だけどちょっと だけど ちょっと ぼくだって こわいな
少しだけ おばけとともだちになれたら 楽しいかな
一番目はなんとかクリアしても、二番目以降は何回か練習しないと、うまく歌えないようです。
ほんとに古い歌ですが、それでも口ずさむことができるのが不思議です。
にわか芝居が盛んな村の権十爺じいさまが亡くなって、ひとりぼっちで暗い道をとぼとぼあるいていると、そこにやってきたのはえんま大王さま。
しゃばのものが楽しんでいるのに、わしが見んというほうはない。はやくにわか芝居をやってみろといわれ、えんま大王の衣装をかりて、踊っていると、そこにやってきたのは赤鬼、青鬼。
亡者が大勢やってきて大忙しだから、すぐにえんま庁のもどるようにいわれ、権十じいの閻魔大王は、えんま庁へ。
一方、本物のえんま大王は、亡者の姿だったので、赤鬼、青鬼の金棒でめったうちにあってしまいます。
昔話では、えんまさまは、どことなく愛嬌があって憎めません。死神とは、どこか違います。ヨーロッパの昔話で、死神が置き換わる例には、あったことがありません。
おばけのこもりうた/作・絵:せな けいこ/童心社/2003年
こどもたちにせがまれて、おばあちゃんが、おばけのこもり歌を歌います。
一から十まで、ちょっと古風なおばけが多いかな?。
ふなゆうれい、いったんもんめ、やまうば、とっくりおばけ
このうちひとつでも知っていたらかなりのお化け通ですよ!
子どもとの会話もはずむようです。
お静かに、父が昼寝をしております/母袋夏生:編・訳/岩波少年文庫/2015年
男の夢に死神が現れます。
男は「娘や息子がたくさんさずかりまいたが、子どもたちにのこしてやるものが、何一つありません。どうか、私が死んだ後も食べていけるよう財産をたくわえさせてください。それまで、どうか猶予をおあたえください。」と必死に頼み込みます。
心を動かした死神は「今回だけは魂をとらずにおいてやろう。だが、つぎに、おれがやってきたら、もう俺の手からは逃げられないぞ!」といいます。
この時、男は「このつぎのときは、お使いのものをまえもっておよこしください。死への恐れを取り除いて、あの世に旅立つ用意をしますから」とお願いします。
夢からさめた男は、長生きし、財をなし、孫やひ孫にもめぐまれます。
やがて死期が訪れ、男が床についているとき、死神があらわれます。
「心の準備ができるよう、まえもって使いのものをおよこし下さいと申し上げたはずですが、なぜ、いきなりおいでになったのですか?」という男に、死神は七回も使いをおくったといいます。
第一は目、最近はほとんど見えまい。
二つ目は耳、このごろは角笛さえも聞こえないだろう。
三つ目は歯、今は一本ものこっていないだろう。
四つ目は髪、すっかりぬけて、わずかにのこる髪も白くかわっているだろう。
五つ目は、背筋、弓のようにまがってしまったではないか。
六つ目は、足、いまでは杖がなくては歩けなかろうが。
七つ目は食欲、このごろはどんなものも口に合うまい。
老いは死との隣りあわせ。心の準備が必要なようです。死神もむやみやたらに魂をとることはなさそうです。
ぼくら バッタのなかまたち/作・写真:栗林 慧/教育画劇/2013年
紙芝居といっても写真で構成されています。
でてくるのは、トノサマバッタ、コオロギ、キリギリス、ショウリョウバッタと身近なものばかり。
でも、じっくりとながめることは少ないのでは。
写真はバッタの目線ですから、怪獣のようにもみえます。
コオロギは男の子しか鳴かないそうですよ。
ともだちをたすけたゾウたち/わしお としこ・文 遠山 繁年・絵/教育画劇/2002年
多摩動物公園で本当にあったという話です。
ゾウのアヌーラが目がとろんとし、えさもたべず、からだにみずばかりかけています。
獣医さん、飼育係の努力にもかかわらず、よくなりません。ふつうゾウは、夜よこになって ねむりますが病気のときは、ずっとたったままです。よこになると、たてなくなってしまうのです。
そんなアヌーラにタカコとガチャコの二頭のゾウが、エサをたべるのをやめて両脇に立って、アヌーラがたおれないように、からだでささえます。
動物園にやってきた子どもたちの前でも三頭はかたまりになっています。散歩もみじあびも我慢してアヌーラをささえるタカコとガチャコ。
やがて一頭が支えていると、もう一頭は水遊びや散歩。しばらくすると、もう一頭とかわります。そんな日がいく日もつづき、アヌーラは一か月後には、しっかりと自力で歩き出します。
ゾウは仲間の異変をどうして知ったのでしょうか。
「群れ生活のなかで誕生し、成長する過程で培われた”他を思いやる心”」の結果なのだろうと、元多摩動物公園長の中川さんの解説がありました。
仲間のために尽くす「利他行動」があれば、いじめなどはなくなります。
まんげつのはなし/住井すゑ・作 田島 征彦・絵/河出書房新社/1982年
2006年に復刊ドットコムからも出版されていますので、絶版になっていたのでしょうか。
見返しに巻物の絵があり、でてくる人物は古代風の衣装です。
ただらの国に、ほだかの金丸という大金もちがいました。
贅沢な暮らしにあきた金丸が、この世にふたつとない めずらしいものを みつけてまいれと召使に命令します。
金丸が手に入れたのは、なんともみすぼらしい弓。しかし”まんげつ”というこの弓は、どんなつよいけものでも、どんな すばやいとりでもたったひと矢でしとめるすぐれたものでした。
大石に矢を射ってみるとガラガラドシーンと岩をくだいてしまいます。
”まんげつ”をもっているかぎり、もはやだれも、あなたさまの めいれいに できませんといわれ、さっそくただら国の人びとをせめ、王さまになります。
そしてこんどは別の国をせめ、やがて東西南北の国を征服し、金丸は金丸大王と名乗ります。
ほとんどが両開きのページが一体となっていますが、圧巻は、悲惨さをふくめ、文は一切なく6ページにわたって描かれている戦いのシーン。田島さんの40代の作品です。
”まんげつ”に、三年三か月をかけ、大王にふさわしい彫りをほどこし、狩りにでかけた大王でしたが・・・。
遠い海のむこうでは、たくさんの戦争がおこって、人びとは苦しみつづけましたが、ただらの国では金丸大王のあわれな 最後をつたえきいた人びとが、だれひとりとして とくべつに 金持ちになりたいともおもわなければ、まして 王さまなどに なりたいとおもわなかった と住井すゑさんのメッセージも明快です。