どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

お茶つぼ道中・・京都

2022年06月30日 | 昔話(関西)

         京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 昔といっても江戸時代。大名行列がくると、道を歩いているものはもちろん、そばで農作業しているものも土下座して見送らなければならなかった時代。とちゅう、頭を上げたり、その行列を横切ったりしたら打ち首にされることも。

 宇治川にかかっている赤い宇治橋を物々しい行列がやってきた。みんな土下座をしていると、かごの中からいいにおい。うっすら目をあけてそっと見ていると、かごが揺れた瞬間に、みえたのが絹に包まれた茶つぼ。なんとお茶つぼ道中だったという話。

 宇治の茶は、全国一ええお茶というので、毎年新茶を江戸の将軍にとどけたという。このお茶つぼ道中には、大名行列も道を譲らなければならなかったという。

 

 京都らしいお話。


米だし地蔵・・京都

2022年06月29日 | 昔話(関西)

          京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 ひとりの男が用事がすんで帰る途中、頭から雪をかぶったお地蔵さんが寒そうにしているのをみて、背負って帰り、囲炉裏の火をぼうぼうに燃やし、火にあたらせます。

 まっかにもえる囲炉裏の火で、ぬくもりが家の中いっぱいにひろがり、おじぞうさんの顔もやさしい顔になりました。すると、どういうことか、お地蔵さんの口から、ぽろっとひとつぶ、白い米がこばれます。びっくりしてみていると、またぽろり、またぽろりと、米のつぶがこぼれでてきた。おかしなことに、家の人が一日食べられる量になるととまります。

 つぎの日も、次の日も米がぽろぽろ出てくるので、家のもんは両手をあわせて感謝していた。

 ところが人間というのは、だんだん欲が出てくる。お地蔵さんの口を、もっと大きくすると、たくさん米が出てくるんじゃないかと考え、金てこで、お地蔵さんの口を、ほじくって大きくすると・・・。

 

 いくら米を作っても、年貢米としておさめなければならなかった人々の嘆きにも、ふれられています。


もしも ぼくの せいが のびたら

2022年06月28日 | 絵本(日本)

    もしも ぼくの せいが のびたら/にしまきかやこ/こぐま社/2010年

 

 1980年の初版から30年、2010年に絵が描き直され出版です。


 お父さんとお母さんに「たろうは このごろ きゅうに せいが のびたんじゃないかな」と言われ、たろうは ベッドのなかで 考えた。

もしも ぼくの せいがのびたら

 おかあさんが かくしておいた チョコレートを見つけ

 せいが ぐんぐんのびて 天井を突き抜け 屋根も突き抜け

 道路も川も 山も ひとまたぎ

 入道雲と 力くらべをして・・・

 

 チョコレートを見つけるあたりまでは微笑ましいのですが、そのあとは想像が全展開。限界ないのが子どもらしいところ。

 まだ小さいからといわれると、ちょっと反発したくなります。

 電気を ひもを引っ張って 消すのは 昭和そのもの?。


比治山の天女・・京都

2022年06月26日 | 昔話(関西)

        京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 羽衣伝説ですが、後日談に特徴があります。

 比治山のすその村に住んでいた若い猟師の三右衛門が、山の池の木に、これまで見たこともないほど、すきとおっている衣をみつけ、うまいこと弓のはずに、ひっかけ家に戻ります。

 池で遊んでいた天女は、正直者で知られている三右衛門がまさか衣をもっていったとは信じられませんでしたが、まずは、三右衛門にあたってみるしかないと村へおりて、そのまま夫婦に。

 ややこが三つになったある日、天女は床柱に隠してあった羽衣を見つけ、書置きを残し天界へもどります。

 三右衛門は、書置きのとおりにして、天上にのぼりつきます。天女たちに歓迎され、なつかしのかかにもあえて、やれうれしやと思ったが、せっかくきてもする仕事がない。うり畑の番でもしてくれといわれるが、とって食うなといわてれていた。けれども、いいにおいにつられて、ひとつぐらいならと、うりを食べてしまう。ほっぺたが落ちるようなうまさに、いくつも食べていると、にわかな大水に、流されて気がついたら我が家に流れ着いていた。

 それを見ていた天女が「七日七日にあいたい」というが、とちゅうでとりついだアマノジャクが「七月七日にあうで」といったので、天女と三右衛門は、一年に一回だけ会うようになったという。

 三右衛門がながされた川は、いまでも天の川になって残っているという。

 

 子どもがどうなったかがでてこないのはご愛敬でしょうか。

 羽衣をかくしてある場所も。蔵、おひつ、ワラ束の中、畑の中、花の中、藪の中など昔話によっていろいろ。


まってるまってる

2022年06月25日 | 絵本(日本)

     まってるまってる/高畠那生/絵本館/2012年

 

何の行列と思って並んでみたら たこやき。

そこを過ぎると また 行列

まってる まってる ドーナツの行列

またまた行列

こんどは?

そこを過ぎると また ながーーーーーい ぎょうれつ

なんだか みんな 顔面蒼白、冷や汗たらたら・・・

 

並んでいるのは

女の人? くま、おに、ゆうれい、さる、ぶた、だるま、ねこ、プロレスラー・・・。

さいごの晴れ晴れした みんなの表情のわけは?

面白いかどうかは あなた次第。


妖怪用心 火の用心

2022年06月24日 | 絵本(日本)

    妖怪用心 火の用心/富安陽子・文 山村浩二・絵/理論社/2016年

 

1丁目から7丁目まで でてくるでてくる 妖怪

3丁目ではヌラリヒヨン 6丁目ではろくろっくび

驚いている人をしりめに、拍子木をたたいて”火の用心”のこどもふたり。

数え歌とあって 「妖怪用心、火の用心」と リズミカルに すすみます。

 1ちょうめの いすけさん イチかけ 二かけ 見かけた。

 4ちょうめの よすけさん イチかけ 二かけ 見かけた。

 7ちょうめの ななすけさん イチかけ 二かけ 見かけた。

出てくる妖怪はドロドロした感じはありません。妖怪サトリをはじめて 知りました。

 

楽譜付きで、こどもたちなら すぐ覚えそう。


ウェン王子とトラ

2022年06月23日 | 絵本(外国)

    ウェン王子とトラ/チェン・ジャンホン・作絵 平岡敦・訳/徳間書店/2007年

 

 表紙には、トラの口の中で眠っているウェン王子の姿。大型絵本より一回り大きい絵本ですが、最初から最後までトラの存在感が抜群です。

 ウェン王子が、トラのところで暮らすようになったのは、ラオラオばあさんの予言でした。

 子どもたちを猟師に殺されたトラが、村を襲い、家を壊して、人や家畜を食い殺すようになっていました。

 王さまは、兵士にトラ狩りをさせようとしましたが、ラオラオばあさんは、王子を差し出すように いいます。

 王さまは、「わたしのむすこを、いけにえにしろというのか?」と怒鳴りますが、「王子が危ないめにあうことはない」という予言にしたがい、王子を大きな森へ連れていきます。

 長い間歩き続けて、疲れ切って木の下で眠ってしまった王子に、トラが近づきます。トラは、とびかかろうとしますが、知らないうちに、昔、自分の子どもをくわえたように、ウェン王子をくわえたのでした。それから、トラはウェンに寄り添うように暮らしはじめます。トラの隠れ家で、ウェンはトラの毛のなかに矢が刺さっているのを見つけ、手を出そうとしますが、傷に触れられ、また怒りがわきあがったトラに、襲われそうになります。しかし、ウェンの目を見たトラは、子どもトラの目を思い出します。

 それから、トラは村を襲うことはなくなり、一方、ウェンはトラの子どもが覚えなければならないことを、習得していきます。

 ある日、王子のことが心配になった王さまは、王子を取り戻すため、兵をだし、森に火を放ち、トラを追いつめめますが・・・。

 

 トラがウェンを育てたのは、我が子を思う母親としての愛情が、怒りよりも強かったのでしょう。そして、トラの窮地をすくったのは、生みの親のお妃さま。二人の母親の愛情が交錯しています。

 トラのもとで育ったウェンのりりしさも、伝わってきました。

 

 昔話と思ったのですが、作者のあとがきには、パリのセルニュスキ美術館所蔵の青銅器(殷代)をながめて着想し、赤ちゃんの時トラに育てられた子文という男の子の伝説を合わせたとありました。


ヤングさんのオーケストラ

2022年06月22日 | 絵本(日本)

    ヤングさんのオーケストラ/なかえよしを・作 小池敏彦・絵/ポプラ社/2022年

 

 新聞記者の取材で、有名なオーケストラの指揮者ヤングさんは、自分が指揮者になった理由を思い出していきます。

 コンクルールでの優勝、音楽学校にはいったこと、楽器をかってもらったことがきっかけと、ひとつひとつ過去を思い出しているうちに、原点になった出来事を思い出します。

 それは、公園で ひとり ヴァイオリンをひいている おばあさんに であったことでした。おばあさんは自分で作った曲をおしえてくれ、音楽のすばらしさおしえてくれたのでした。そのとき、大人になったら、立派な音楽家になって おばあさんにきかせてあげるって、約束したことをヤングさんは、思い出します。

 忘れていた約束をはたすため、ヤングさんは、おばあさんを探しはじめますが、何十年もたっていて、行方はしれませんでした。あきらめてかけていたとき、おばあさんのいるところが わかりました。

 おばあさんは、何年も入院していたのです。ひとりきりの おばあさんのところへお見舞いにくる人はだれもいませんでした。

 ある日、おばあさんの耳に 聞き覚えのある なつかしい 音楽がきこえてきました。窓をあけてみると オーケストラが 演奏していました。そう、ヤングさんが 約束を 得意そうに はたしているところでした。

 

 感動的な結末は、まるで映画でも見ているよう。

 あれがなかったら、これがなかったらと考えるより、あんな出会い、こんな出会いがあったから、いまがあると考えたい。

 舞台は外国ですが、日本だと表現しにくいのでしょうか。


せかいいちおいいしいスープ、くぎスープ、石ころのスープ

2022年06月21日 | 絵本(昔話・外国)

         
    せかいいちおいしいスープ/マーシャ・ブラウン・文絵 こみやゆう・訳/岩波書店/2010年

 フランスの昔話がもとになっているとありますが、おはなし会でよく聞く機会があるスエーデンの「くぎスープ」と同じです。

 「くぎスープ」(世界のむかしばなし/瀬田貞二・訳 太田大八・絵/のら書店/2000年)は、けちんぼうのおばあさんのところに、一晩泊めてくれといった男が、釘一本でおいしいスープができるといいながら、おばあさんに小麦粉、牛乳、じゃがいも、肉をださせておいしいスープをいただくことに成功?する話。

 食べものはいっさいださないと念をおすおばあさんが、男の口車にのせられて、まんまと男の策略にのせられるあたりが楽しい話です。

 「せかいいちおいいしいスープ」は、戦場からふるさとにかえる三人の兵士と、一切食べ物をだそうとしない村人とのやりとりが楽しい話です。

 三人は石のスープをつくることを村人にいいます。
 石でスープができると聞いて、村人は興味津々。

 三人はことばたくみに、塩、コショウ、にんじん、キャベツ、牛肉、じゃがいも、おおむぎをださせることに成功します。さらにパン、肉、酒も。
 おまけに、寝たのは村一番のベッドです。

 登場人物が複数で、村全体が口車にのってしまうので、「くぎスープ」よりスケールをかんじさせてくれます。
 釘や石でスープができるわけがないので、まったくの詐欺行為ですが、騙されるときは、こんな具合でしょうか。

 しかし、「くぎスープ」のおばあさんも、「せかいいちおいいしいスープ」の村人たちもおいしいスープをいただいていますから、騙されただけではありません。

 

    石ころのスープ/ジュディス・マリカ・リバーマン・文 ゼイネップ・オザタライ・絵 こだまともこ・訳/光村教育図書/2021年

 トルコのお話。「せかいいちおいしいスープ」では、三人の兵士ですが、トルコ版ではひとり。

 旅人に冷たい けちんぼ村にやってきた男が、とても珍しいという石を、もっともらしくハンカチにからとりだすところから、はじまります。

 材料を入れるたびに、歌うのですが、これがおいしさのもと?

 できたスープを、みんなで囲み、さらに踊りだす場面は、村人にとって、とても幸せそうな時間。そして旅人の残していった手紙も、村人の考え方を変えてくれたよう。

 パグラマやズルナというのはトルコの民族楽器でしょうか。最後に入れるオレガノという草も 気になりました。

 読後感がとてもさわやかでした。


はぐすけ・・石川

2022年06月20日 | 昔話(北信越)

      石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 ちょっと楽しい貧乏神の話。

 昔、萩谷に はぐすけという若いしゅうがおった。昼も夜も よう働いていたが いつまでも貧乏で、たんぼでも、ろくなもんができない。

 これは貧乏神のせいだと、在所から逃げ出すことにし、がんじょうな草鞋を、貧乏神にみつからないよう、こっそりつくったとい。

 まだ外が暗がりのとき外に出ようとすると、なぜか草鞋が片方しかみつからない。いくら探して見つからず、このままだと夜が明けてしまうと、片方の草鞋をはいて、家を出た。上方に行こうと、道を急ぎ、川を渡っていると、向かい側から来た旅のもんが「また、おかしなもんに出おうた。さっきも片方の草鞋をはいたもんにでおうたが、また、ひとりでおうた」といって、わろうたとい、

 これをきいた はぐすけは、草鞋を片方はいて、先きを越していったのは、貧乏神にちがいないと、はいていた草鞋をすてて、在所にもどってきたとい。

 帰ってみると、小屋の前に でっかい牛みたいなもんが、ねまっている。はぐすけは、貧乏神が先回りしたにちがいないと、鍬を、ねまっている牛めがけてたたきつけた。ガッチッと手ごたえがあって、よくみると、それは大判小判のつまったふくろやったとい。

 いっぺんに長者になった はぐすけは、みんなから大事にされるもんやから、有頂天になってみんなにふるまいをしたとい。

 はぐすけは、倉をいくつも建て、毎日が極楽暮らし。それでも毎日、道楽していたら、食うもんは何食べてもうまくないし、若いじぶんに食べた時の味がわすれられない。このままだと、おらも在所のもんも、だめになってしまうと案じていた。

 そのうち、はぐすけは、毎晩夜になると、かめに大判小判をつけて山へでかけるようになった。ふしぎにおもった村人のひとりが、こっそりあとをつけるが、山の中で、姿を見失ってしまう。

 はぐすけは、昼間は寝て、夜になるとうごきまわるので、ミミズクみたいになって、しまいには あんばいが悪くなって死んでしまう。在所のもんが、はぐすけに 銭の隠し場所を聞くが、結局どこを掘り返しても、出てこなかったという。

 どんな食べものより、汗水働いて食べるものの方がおいしいという境地には、なかなかなれません。


かしこいカンフ

2022年06月19日 | 紙芝居(昔話)

    かしこいカンフ/ラメンドラ・クマール・再話 訳・脚色 野坂悦子 絵・田島征三/童心社/2007年(12画面)

 

 「インドの民話より」とありました。

 

 昔、ある国の王さまが「だれでも、めずらしいもの、おいしいものを とどけてくれたら、ほうびは たっぷり つかわすぞ」といっていました。

 ところが、お城のビカットという門番が、みんなを驚かし、王さまのほうびの半分を よこどりしていました。それをじっと見ていたのは、森のさるたち。

 ビカットは、さるたちに きづき こざるを つかまえ、ぶんぶん振り回しました。さるたちは「キッキキー、ビカット、ワルイ !ヤツ」と、おおさわぎ。

 ある日、大きな大きなスイカをかついで、サルタンの村から カンフが あるいてきました。カンフは、さるたちからビカットのことを聞いていましたから、王さまのほうびを、半分分けるという約束をし、ビカットに約束をわすれないようにと念を押して、お城の中へ はいっていきました。

 王さまから、ほうびのことを聞かれたカンフは、鞭で50回打つようにいいます。不思議に思った王さまが、わけを聞くと、すぐにビカットをよびますが、ビカットは しらないと とぼけ、さるたちにも乱暴しようとします。王さまがビカットをひっとらえろ!と命令すると、ビカットは にげていってしまいます。

 

 元の話は、もっと長いと想像できます。簡略化したようです。


 田島征三さん描くビカットの存在感が抜群で、主人公より目立っていました。最後は、王さま、カンフ、さるが おいしそうに スイカを食べています。


アジアを旅する「腰折れ雀」型昔話

2022年06月18日 | 昔話(日本・外国)

 動物が助けられたお礼をする昔話も多い。そのなかでツバメなど鳥が主役になるもの。
 助けられてから、いったん助けた人の前を去り、翌年にプレゼントをもってくるというのにうまくマッチするのがツバメか。渡り鳥ならではの話ができる。

腰折れ雀(日本昔話百選 改訂新版/稲田浩二・稲田和子編著/三省堂/2003年)

 羽を折られた雀を助けたおばあさんが雀から種をもらい、植えてみると見事なひょうたんができ、その中からお米がでてきて、使っても使ってもつきることがない。
 それをみた隣の欲深婆さんが、石をなげて木から落ちた雀に、優しいお婆さんのまねをして米粒をやったり、水をやったり。この欲深婆さんにも、雀が種をもってきます。
 欲深婆さんができたひょうたんをあけると、蛇、蜂、むかでがでてきてお婆さんを殺してしまいます。

 この話は、1200年代の前半までに作られた「宇治拾遺物語」にものっており、すくなくとも900年までさかのぼることができそうだ。(宇治拾遺ものがたり/川端義明/岩波少年文庫/1995年初版)


かぼちゃの種(朝鮮民話選/岩波少年文庫/1987年改版)

 ツバメを助けた心のやさしい弟が、ツバメからかぼちゃの種をもらう。できあがったかぼちゃから大工や木材が出てきて立派な家を、二つ目のかぼちゃからは百姓や女の召使いがでてきて「なんでも御用を言いつけてください」と声をそろえていい、さらに三つ目のかぼちゃからはたくさんの金や銀がでてきます。
 これをみた欲深兄さんもわざとツバメを傷つけ、薬と白い布で介抱してあげるが、翌年ツバメがもってきた種からできたかぼちゃからは、大勢の鬼や借金取り、さらに泥がでてくる。兄弟とあってか、最後には兄弟がなかなおりするという結末。 

 どちらも「恩返し型」で、登場人物は「ペア型」。一方はおばあさんと欲深おばあさんで、もう一方は兄弟。ペア型の登場人物は、一方は正直で勤勉、もう一方は欲深。対比させることで劇的な構造をもたせるのはペア型の特徴である。


男の子とつばめ(シルクロードの民話1 タリム盆地/小澤俊夫編 虎頭 恵美子訳/ぎょうせい/1990年初版)

 男の子が、翼さが折れていたツバメを助けたことから、翌年ツバメがまくわうりの種をプレゼントしてくれる。大事に育てると、まくわうりのなかから金がでてくるというもの。
 まくわうりを育てるのは、男の子ではなく父親。この育て方を丁寧に描いているのがほかの二つとはちがうところです。
 この金のことが王さま(パーデシャ)に知られることになり、金がとりあげられてしまいます。王さまはツバメのもってきたまくわうりの種からできたまくわうりをもってきたら、金をかえすという。
 最後は、想像できるように、まくわうりから蛇がでてきて、王さまを殺してしまうという結末。似たような話でも微妙な違いがみられる。


二人の隣人の物語(チベットの民話/W・F・オコナー編 金子民雄訳/白水社/1999年初版)

 貧乏な男が、けがをした燕を助け、もらった穀物の種をまくと、宝石が実ります。金持ちの男が無理やり燕を傷つけ、手当てして離してやり、もらった穀物の種をまくと、見るからに恐ろしい顔つきをした男があらわれます。
 恐ろしい顔をした男は、「前世に金を貸してあった債権者だ」となのり、金持ちの家や、土地、家畜などの所有物を取り上げ、奴隷の身分に落としてしまう。この話はここで終わらず、さらに続きます。


金色のカボチャ(世界民話の旅7中国・東南アジアの民話/河野六郎他/さ・え・ら書房/1980年初版)

 上と同じくチベットの昔話。
 助けた鳥がくれたかぼちゃの種。カボチャの中身は金でした。
 欲張りのお爺さんのカボチャからは、こわい顔のおじいさんがでてきて、おじいさんの首をきってしまうというもの。

金色のカボチャ(チベットの昔話/アルバート・L・シェルトン 西村正身・訳/青土社/2021年)

 上記のものと微妙にちがっていて、出典が異なっているものかもしれません。

 助けた鳥がくれたかぼちゃの種。やがてできたカボチャは、五人がかりでやっと運ぶ大きさ。カボチャの外側の皮をむくと、それは紙のように薄くて、洗うと純金。老人は、貧しい人々に与えたり、必要とするすべての人を助けけるために、使います。
 欲張りのお爺さんのカボチャからは、閻魔大王に頼まれて、お前の重さをはかるためにきたという老人があらわれ、いざ体重をはかり、軽すぎて何の役にもたたんと、老人の首をきってしまいます。

コウノトリのおはなし(ウズベクのむかしばなし/シェルゾット・ザヒドフ編・再話 落合かこ 他訳/新読書社/2000年初版

 コウノトリを助ける貧しい男が、コウノトリからもらったスイカの種をまくと、スイカからは金貨があらわれ、怠け者が無理やり傷つけたコウノトリがもってきた種からは、ミツバツがでてくるという話があった。
 怠け者は誰にも見られないようにドアのカギというカギを全部かけたので、ミツバチから逃げ出すことができず、死んでしまう結末になっている。

 この手の話はアジアを旅しているのかなとも思う。      


あなふさぎのジグモンタ

2022年06月17日 | 絵本(日本)

     あなふさぎのジグモンタ/とみながまい・作 たかおゆうこ・絵/ひさかたチャイルド/2020年

 

 洋服に空いてしまった穴をふさぐ仕事をしているジグモ(地蜘蛛)のジグモンタは、何代も続いている「あなふさぎや」さん。(「かけつぎ」というより、「あなふさぎ」 というのが新鮮)
 どんな色の服にもあうように何種類もの染料を用意し、糸作りからはじめ、8本の手足を巧みに使って、穴をふさぎます。
 ところが、このところ空いた穴をふさぐのではなく、みんな新しいものを欲しがるようになりました。「穴ふさぎなんて、もう役に立たないんだ」。ジグモンタはさびしくなりました。

 何日もお客さんが来なくなり、気落ちしたジグモンタは、「しばらく おやすみします」と、張り紙をして森に出かけます。そこで であったのは、木の穴で 「ハクション!」「ハクション!」とふるえているフクロウの こどもたち。フクロウのお母さんは、今夜はひえそうで毛布に穴が開いていて困り顔。

 おもわず、「その穴、ふさいでも よいでしょうか?」と、声をかけたジグモンタ。しかし夜まで時間がなく、糸を染める時間はありません。時間が勝負です。糸がこんがらかっても 気にしてはいられません。夜が来る前に、三つの穴がふさがりました。絡まった糸に、フクロウの羽が織り込まれていました。

 それから三日三晩眠り続けたジグモンタは、あわててふさいだ穴のあとが気になって やり直しをふくろうのお母さんに提案しますが・・・。

 

 周回遅れと思っていたら、いつのまにか最先端をはしっていることにきずいたのは、フクロウの おかあさんの一言でした。

 いつでも新しいものが手に入るご時世ですが、大切な思い出が詰まった古いものを修理して、世界に一つしかないものに変わったら いつまでも受け継いでいけそうです。それにしてもモノがあふれるいま、「もったいない」精神で、見直すことが多すぎる。

 

 コラージュの絵も優しく、ジグモンタの仕事のときの歌も楽しそう(楽譜付きです)。

  ♭たていとが あなを ふさげば うっふっふ

  ♭よこいとが あなを ふさげと らんらんらん

  ♭ふさいだ あなが すきになる

  ♭あな あく まえより すきになる

  ♭たのしい うれしい あなふさぎ

  ♭ジグモンタの あなふさぎ

 この絵本は、地蜘蛛がヒントになっていますが、クモは世界で五万種、日本には約1,700種のクモがいて、網を張るのは、半分といいます。


イモほり藤五郎・・石川

2022年06月16日 | 昔話(北信越)

           石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 むかし、わらぶきの貧乏な家に住んでいた藤五郎ところへ、嫁入り行列がやってきて、よめごに してほしいという。

 何が何だかわからない藤五郎に、後からきた白髪の爺さんが、「わたしゃ大和の国初瀬村の方信というもの。長い間こどもにめぐまれなかったもんで、毎日毎晩初瀬の観音に願をかけ、さずかったのが和子と、もうします。すくすくのびて、今年17。ある晩、観音さまが、まくらもとにたたれて、加賀の国、山科という里に藤五郎という若者がいる。家は貧しいが、気だてはやさしく、むことして不足のない男や。いそいで出かけるがよいぞ」という。

 それならばと、よめさんに もらうことにした藤五郎。

 藤五郎は、村のもんを呼んで、よめさんをひきあわせ、よめさんのもってきた着物や帯を、お祝いじゃというて、みんなにわけてやったと。

 年もあけて、正月も終わりのころ、初瀬の長者から、お年玉というて、重たい袋がおくられてきた。なんやと思うて開けてみたら金のつぶが数えきれないほどはいっていた。これをみた藤五郎は、「ありがたいとは思うが、わしにゃ用のないもんや」というて、うらのたんぼにまきちらした。

 おどろいたよめさんが、「金といえば大切な宝物。すてんでいいものを・・」というと、「金なんか、わしゃ自然薯を掘りに行くと、自然薯についてでてくるわい。」といった藤五郎は、翌日、イモほりにでかけた。

 イモづるを見つけて、くわサクリ打ち込み、ポンとほりかえすと、ぴかぴか光る金のつぶ。またくわを打ち込むと、ちょうどうめておいたかのように、大粒小粒がでてきた。藤五郎は山イモを川であらうと、川底に金のつぶが ぴかぴかひかっていた。藤五郎は、この金のつぶも、村人にわけてやったと。

 藤五郎が、山イモをあらったところを、「金洗い沢」と、いつのまにか よばれるようになったという。

 

 世の中、世界の各地に別荘をもち、自家用飛行機でとびまわる超富豪がいる。しかしいくら金があってもそれがかなずしも幸せにはつながらない。一生使いきれない金なら、しかるべきところへ寄付して社会貢献をしてもらいたいもの。


ジェニーのぼうし

2022年06月15日 | 絵本(外国)

    ジェニーのぼうし/エズラ・ジャック・キーツ・作 石津ちひろ・訳/好学社/2022年

 

 いつも小鳥に、パンくずをあげているジェニーに、小鳥から素敵な贈り物がありました。

 おばあさんからプレゼントとしてもらった帽子。シンプルですが なにかさびしい。その帽子をかぶって教会へいった帰り、小鳥たちが、花や葉っぱ、小さな扇子、赤や黄色のバラ、それに白鳥の絵、オレンジの葉っぱ、ハートの飾りなどを、帽子の上においてくれたのです。

 しあわせになったジェニーは、お母さんに手伝ってもらって、帽子をレースでくるみました。

 世界で一つしかない帽子でした。

 

 落ち着いた色合いの絵で、ジェニーの服は、鳥の羽柄です。