どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

赤ずきん

2020年07月31日 | グリム

 「赤ずきん」で楽しいのは、赤ずきんとおおかみのやりとりでしょうか。

 「おばあさんは、なんておおきな耳をしているんでしょう」
 「おまえの言うことがよく聞こえるようだよ」
 「なんて大きな目をしてるんでしょう」
 「おまえのことが、よく見えるようにだよ」
 「なんて大きな手をしてるんでしょう」
 「おまえを、よくつかめるようにだよ」
 「なんて大きな口をしてるんでしょう」
 「おまえを、一口に食えるようにだよ」

 リズムがあるやりとり。怖さが段々ます場面です。

 ところで、でだし、かわいい女の子が登場するのですが、やはり可愛くなければいけないのでしょうか。おおかみが食べるのに見た目は関係ないのですが、男の視点でしょうか。

 かわいい女の子は、おばあさんからつくってもらった赤いずきんが気にいって、ほかのものをかぶろうとしなくなったというのですが、ペロー以前の原型では少女は赤い頭巾をかぶっておらず、この部分はペローが加えたといいます。

 赤ずきんがでかけるのは三十分ほどの森の中に住んでいるおばあさんのところ。
 森の中に危険がありそうにもかかわらず、おかあさんは赤ずきんをわざわざ一人でおばあさんのところにやるのは、いろいろ体験をさせるためなのでしょうか?

 おばあさんが森の中に住んでいるのは、年老いた者を捨てる背景があるという解釈も読んだことがあります。

 赤ずきんがおばあさんのところにもっていくものをケーキとワインと訳しているのもあれば、お菓子とぶどう酒と訳しているものもあります。

 おおかみがおばあさんを飲み込んでから、ねまきとナイトキャップをかぶるところは、ねまきとずきんとしているものもあります。

 狩人と猟師とでは、どちらが聞いていてわかりやすいでしょうか。

 「赤ずきん」というと、最後、おおかみのおなかをハサミで切ると、おばあさん、赤ずきんがでてきますが、これはグリム兄弟がくわえたもので、原型では、赤ずきんが食べられるところでおわります。(世界むかし話 フランス・スイス/八木田宣子・訳/ほるぷ出版/1988年)

 ほるぷ出版版では、赤ずきんがおばあさんのところにもっていくのは、ケーキとバターの壺です。ワインやぶどう酒と訳されているのが多く、小さな子にお酒?を持たせたというのにひっかかっていましたが、ケーキとバターで、すっきりしました。さらにほるぷ出版のものでは、おばあさんが住んでいるのは、森ではなく、村で水車小屋のそばです。

 フローラ・アニー・スティールが編者になっているというイギリスの昔話(夜ふけに読みたい不思議なイギリスのおとぎ話/吉澤康子・和爾桃子:編・訳/平凡社/2019年)では、「赤ずきんちゃん」というタイトル。

 赤ずきんがおばあさんのお見舞いにもっていくのは、ケーキとバター。赤ずきんは自分の意思でお花を集めに行き、オオカミに食べられたところでおわります。オオカミとのやり取りには足もでてきます。

 「おばあさん、ずいぶん腕が長いのねえ!」
 「おまえをぎゆっと抱きしめられるようにさ」

 「おばあさん、ずいぶん足が大きいのね!」
 「早く走れるようにさ!」

 「おばあさん、ずいぶん目が大きいのねえ!」
 「よく見えるようにさ!」

 「おばあさん、ずいぶん歯が大きいのねえ!」
 「おまえを、ぱっくと食べられるようにさ!」

 訳がいろいろあると、どれを選択するか悩むところです。

 「赤ずきん」は、もともと北欧神話で、オオカミのフエンリルという冬の魔物が太陽を飲みこむので、北欧の冬はまっくらという。じつは赤ずきんの正体は太陽で、オオカミはフエンリルといいます。



    赤ずきん/バーナディット・ワッツ・絵 生野 幸吉・訳/岩波書店/1976年

 ワッツ絵では、赤ずきんが住んでいる家は、4階建て、おばあさんがすんでいる小屋は、鬱蒼とした森の中。赤ずきんが寄り道したのは、おばあさんに花をもっていくためですが、どうしても摘んでみたい花です。
 メガネをかけたオオカミがチャーミングに見えちゃうのはご愛敬です。
 石を詰められたオオカミのおなかには、ちゃんと縫ったあとがあって、倒れてしまうところは4枚の絵で表現されています。


いたずらおばけ・・イギリス、わたしゃほんとにうんがいい

2020年07月31日 | 絵本(昔話・外国)


       いたずらおばけ/瀬田貞二・訳 和田義三・絵/福音館書店/1978年月刊「こどものとも」発行

 イギリスの昔話の再話で、発行されたのは1978年ですが、瀬田貞二さんの生誕100年記念として2017年に出版されたものです。

 貧乏な一人暮らしのおばあさんが、ある日、道端に黒い大きな壺をみつけます。なかをのぞくと金貨がどっさり。

 ショールで引っ張って帰る途中、大きな家を買って、暖炉のそばでお茶をのもうと空想していましたが、引っ張るものが重くて、一息入れます。そしてもう一度壺を見ると、銀の塊だけ。

 金貨は死ぬほど心配だったけど、銀なら心配ないしと思いながら、もう一度一休みすると、今度は鉄ころがあるだけ。

 もういちど一休みすると今度は大きな石があるばかり。
 木戸を止める石がほしかったと、喜んで家に帰り、ショールをほどこうとすると、いきなり石はとびあがり、もくもく山のように大きくなって、おばあさんのところから逃げていきます。

 おばあさんは、いたずらおばけがこの目でみられるなんてと大喜び。

 このおばあさん、なにがあっても楽天的で、いい方いい方に受け止めます。

 貧乏でも心は豊か、なんともポジティブな生き方です。

 こんなふうに生きられたら何倍も人生が楽しくなること間違いありません。

 この話は「ヘドレイのべこコ」(イギリスとアイルランドの昔話/石井桃子・編訳 J・D・バトン・画/福音館書店/2002年初版)というタイトルで石井桃子訳がありますが、「やれやれ!おら、このあたりでも、いちばん運のいい人間さなあ。おらヘドレイのべこコをひとりじめにして、それも、あのように、えんりょなく、つきあってしまってよう。ああ、こりゃ、ごうせいなことだったなあ」とおわります。
 ただ、急に”べこっこ”がでてきてわかりにくく、おばけのほうが身近です。

 ”べこっこ”というのがひっかって、木下順二訳(ジェイコブス作/イギリス民話選/ジャックと豆のつる/岩波書店)をみてみました。「ヘドレイの牛っこーというのはおばあさんのつくったでたらめなことばのわけだがーをみたんだからな」とあって、ようやく納得がいきました(「ヘドレイの牛っこ」というタイトルです)。 

 イギリスの昔話は、これまでジェイコブズが編者のものを翻訳したものが中心のようですが、フローラ・アニー・スティールの「おばあさんとお化け」(夜ふけに読みたい不思議なイギリスのおとぎ話/吉澤康子・和爾桃子:編・訳/平凡社/2019年)では、タイトルにもあるように岩がお化けになって、逃げていくという終わりかたをします。

 

 この話、せな けいこさんの作・絵で「わたしゃほんとにうんがいい」という絵本があります。(鈴木出版/1992年)。シンプルで楽しめる絵本。

 こどもがおもわず「わたしゃほんとにうんがいい」と口ずさみたくフレーズに、おもわずほっこりしました。


やぎのしずかの たいへんな たいへんな いちにち、やぎのしずかの しんみりした いちにち

2020年07月30日 | 田島征三

   やぎのしずかの たいへんなたいへんな いちにち/偕成社/2011年

 

 やぎのしずかが、ふたごのあかちゃんにミルクを飲ませるために パクパク ムシャムシャ ゴクン パクパク ムシャムシャ ゴクン と夢中になって草を食べていると、葉っぱの上で、ひるねをしていたバッタの 足をかんでしまいました。これが一日の大変な騒動のはじまり。

 ごめんなさいをいう間もなくバッタはしずかのかおにしがみついて、目も鼻もふさいでしまいました。

 きゅうにはしりだしたしずかは、こんどはひるねしていたアマガエルをふんずけて、おっぱいに はりつかれてしまいます。

 ふりおとそうと すごいいきおいではしりだしたしずかは、ナマズにヒゲにぶらさがれ、コジュケイたちに どなられて どこまでもどこまでも はしりました。

 とうとう しずかは土手のキャベツ畑の大きなキャベツに 頭をつっこんでしまいました。

 「これはきのどく きのどく」と、みんなでキャベツを かじったり、ひっぱがしたり、つっついたり。しずかも内側からムシャムシャ、キャベツを食べて、バッタのタクトで<よかったね よかったね>を 歌いました。

 いつもながら躍動感のある田島さんの絵ですが、しずかが キャベツに頭を突っ込んだときの大変なようすにビックリ。

 ふたごのあかちゃんやぎが 小屋でミルクをのんでいる様子は、しずかにゆったりです。

 表紙の見返しのコジュケイ親子の散歩も楽しそうです。

 ところで崖の上のポニョは大変な2か月半だったのか、それとも自由な日々のどちらだったでしょうか。

    やぎのしずかの しんみりした いちにち/偕成社/2015年

 

 やぎのしずかが、川の岸辺に水を飲みにいくと ともだちのナマズだでてきて<しんみりするうた>を歌ってくれます。

 ナマズの歌が、なにを 歌っているかよくわからないしずかでしたが、草を食べながら「しんみりするって どんなことだろう?」と考えます。

 セミが きゅうに 歌うのをやめると 木から落ちて動かなくなりました。すぐにアリたちがやってきて、アリがやってきてセミを運んでいきます。

 しずかがあとについて しげみに頭をつっこむと、そこには、きれいな朝露が綺麗な玉になってクモの巣の上にならんでいました。

 しずかが「あなたたちは、こんなにきれいなのに、どうして だれにも気づかれないでキラキラしているの?」と聞くと、朝露は黙ってキラキラするだけ。

 「ねえ、あさつゆたちが キラキラしているのを みた?」「ねえ、セミは死んだら、もううたわないの?」と、しずかがきいても、ガマガエルやコジュケイは、こたえてくれません。

 しずかは、やわらかな はなびらが蕾から はみだしているのをみて、 おもわず ぱくりと食べてしまいました。

 それをみていたバッタから「やーい、やい。しずかが たべちゃった! きれいな はなの つぼみを たべちゃった!」と、はやしたてられ、しずかは、咲くことができなかった花のことを 思いました。

 セミのこと、朝露のことを考えながら眠ってしまったしずかでしたが、目を覚ますと、何を考えていたのか思い出せませんでした。

 ガマガエルとコジュケイたちもやってきて、バッタがタクトをふって、みんなで<げんきに なるかも>という歌を歌うと、調子はずれの、元気な歌が、風に乗って 遠くまで流れていきました。

 セミの死や、誰にも知られずキラキラ輝いている朝露にであって、しみじみと泣いた しずかもまた、花の命を摘むようなことをしてしまったことを指摘されました。

 一時落ち込んだしずかですが、仲間が<げんきに なるかも>という歌で、はげましてくれました。

 つい先日、クモが網を張って、セミが絡まっていました。夜八時ごろでしたが、朝見ると地面に落下していて、今度はアリの大群が群がっているのをみたばかりですから、妙にリアルでした。セミは、5年も地中で過ごし、地上にあらわれても本当に短い命。クモにやられるというのも自然の営みです。


めぐる森の物語

2020年07月29日 | 絵本(自然)

    めぐる森の物語/いまいあやの/BL出版/2018年

 

 ふと目にしたウサギのあとをおいかけて 荒れ地にやってきた ぼくがみたものは?。

 荒れ地の真ん中で、さっきのウサギが何かしています。ウサギが次々にやってきて、あなをひってうめているのは どんぐりでした。

 ウサギが藪の中に消えると、今度はカラスやムクドリ、カケスやサギなどが木の実をうめていきました。

 次にリス、クマ、小さな虫までも種を運んでいました。

 観察していてうちにまぶたが重くなって、草むらに横になると、いつのまにか ねむってしまいました。

 ふときがつくと、荒れ地だった場所には、たくさんの木が生えて、見上げるような森になっていました。

 森の緑は濃くなっていき、季節もゆっくりうつりかわっていきます。

 

 夢で見たのは百年後の森。子どもや孫が遊び、木も虫も、魚も動物もくらす森でした。

 百年後の森の風景が何ページもつづき、命をまもろうという作者の思いが伝わってきます。

 荒れ地は、滋賀県近江八幡の里山が舞台といいます。


ねえさんの青いヒジャブ

2020年07月28日 | 絵本(外国)

       ねえさんの青いヒジャブ/イブティハージ・ムハンマドSK・アリ 絵・ハテム・アリ 野坂悦子・訳/BL出版/2020年

 

 ヒジャブというのは、イスラム教徒の女性が髪の毛をおおいかくすためにつけている布。

 はじめてヒジャブをつけて登校するお姉さんのアシャの一日を、妹ファイザーの目をとおして描いています。

 アシャの青いヒジャブは、空に向かって波打つ海、海はいつもそこにあって、そのうえ強くて、やさしいの というファイザーのいうとおり、青が印象的です。

 イスラム教徒が多い国なら違和感のない習慣ですが、キリスト教徒が大半をしめるアメリカではとても勇気のいることだったかもしれません。

 2001年9月11日、マンハッタンの高層ビルが崩れ落ちる瞬間を目にしてから19年。アメリカのイスラム教徒には、目に見えない様々な圧力があったはずです。

 こうしたなかでも信念を曲げず、自分の生き方を貫くには、どれほど困難だったか想像するしかありません。

 作者のイブティハージ・ムハンマドさんは、アメリカの選手としてはじめてヒジャブをつけて2016年リオデジャネイロオリンピックのフェンシングの団体戦で銅メダルを受賞しました。

 異文化を簡単に理解できるとは思えませんが、ヒジャブが、そのとっかかりとなればと思いました。


まっかっか トマト

2020年07月27日 | 絵本(日本)

    まっかっかトマト/いわさゆうこ/童心社/2015年

 

 夏はキュウリやトマトの時期。冷やしてまるごと食べるトマトの美味しさ。ただ今年は梅雨が長引いて雨に弱いトマトにとっては災難です。

 また、大雨が長く続き被害も各地にでていて、野菜を作っている農家のかたにとっては、大変な事態。

 

 手書きでかかれた茎や葉、花からトマトができる様子など、ひとつひとつがリアルです。

 色合い、へた。縦に切った断面と横に切った断面の違い。タネの様子。

 あおからしろ、あかが色濃くかわっていって・・。変身完了という表現がぴったりです。

 トマトの原産地は南アメリカのアンデス高地というのも参考になりました。


チム・ラビットとかかし

2020年07月26日 | 創作(外国)

     チム・ラビットとかかし/チム・ラビットのぼうけん/A・アトリー・作 石井桃子・訳 中川宗弥・画/童心社/1967年

 

うさぎの子チム・ラビットは、麦畑にたつ案山子に、こんな詩を歌ってあげました。

 「むぎばたけの くにをおさめる  かかしは えらいおうさまだ

 きじや そらをとんでいくゆく  とりたちは かかしのけらいだ

 むぎは かかしの ごてんのおつき  みどりのなみの その上に

 さやさや かぜが ふいてくると  千も 万もの むぎがおじぎする

 よるになると 月がでて  あかるいひかりを かかしにあてる

 木でできたかかしは むぎのはたけの たったひとりの えらいおうさま」

 チムは、もう役に立たないと悲観していた案山子に、のどのまわりに白いハンケチをまいてやり、干し草を、からだのうすいところに つっこんであげ詩を歌ってあげたのです。

 すると案山子は、麦笛をチムくれました。麦笛には、いろんな歌が しまってあるのです。

 案山子は、ときどきてくれたら、お話をしてあげるとチムにいいます。

 「ぼく、あなたみたいなともだちが ほしかったんだ。大きなせかいのことを話してくれる人で、ぼくの歌を聞いてくれる人が。」というチムは、案山子と大の仲良しになりました。

 案山子は「わしは 子うさぎさえ だませないのか。からすのやつなどは うでにとまって、わしをつっついたりする。やどなしおとこが うわぎのぼたんやすかーふをもってたおかげで いまじゃ 風がはらわたまで しみわたる」と、チムに話していたのです。

 チムは犬や、にわとり、あひるに がやがやいわれても 分捕り品を案山子にもっていってあげました。

 雨や風の日も動くことのできない案山子のふところから お話がころがりおちないか心配するチムって、読者が作者に思うことでしょうか。

 そして、麦笛に歌がつまっているといわれれば、そのとおりなのかもしれません。


こわがりのかいじゅう

2020年07月23日 | 絵本(外国)

       こわがりのかいじゅう/マリオ・ラモ:文・絵 原小枝・訳/平凡社/2020年

 

怪獣にこわいもの?

おかあさんの愛情いっぱいにつつまれた、おちびさんのポロション。

ママのお話がすんで、お休みのキスも終わって眠ろうとすると、どこからか へんな音が。

ママが駆け戻ってだきしめますが、ママがいなくなるとベッドの下で、またゴロゴロ。

あっかんべえしたり、鼻をつまんだり、お尻をつねったり、まくらでたたいたり 投げ飛ばしたりする怪獣は?

ムーミン風のポロションくん、じつはあまりこわくありません。

怖がって夢?にでてくるのが、じつは女の子という逆転の発想が楽しい。

ひと騒動があったあと、ぐっすりねむったポロションの目覚めはすっきりです。


伊賀のキャベ丸

2020年07月22日 | 絵本(日本)

       伊賀のキャベ丸/野菜忍列伝 其の六/川端誠/BL出版/2018年

 

 「野菜忍列伝」シリーズの6冊目で、今回はキャベツです。

 江戸風の家並みにはちょっと不釣り合いな洋食屋キッチン・コック。

 お手伝いのおかるちゃんが、店の前に水まきをしていて、通りがかった2人の侍に水をチャッポンとかけてしまったことから騒動が。

 「ぶれいもの!」と侍は怒り出し、通りかかったキャベツ頭の少年が「さしかかる きかかる足に 水かかる 足軽いかる。おかるこわがる」と歌を口にしてとりなそうとしますが、バカにされたと思った侍が、お前から成敗してやると刀をぬきました。

 侍の1人は顔が豚に似た風風(ぶうぶう)流・豚山ぶた吉。もう1人は、新陰流・野牛牛兵衛(やぎゅうぎゅうべえ)。

 伊賀の忍者キャベ丸の顔が豚になったり、大きくなったりキャベ丸の葉からモンシロチョウの幼虫があらわれたり、モンシロチョウがあらわれ、相手をモウチョウ炎にしたり大活躍。

 最後はキャベツと、豚肉と牛肉の合いびき肉でつくった何種類ものロールキャベツがキッチン・コックさんにならんでいます。

 巻末の見返しの料理レシピ、今回はコンソメロールキャベツです。川端さん料理もご自分でつくるのでしょうか。


チム・ラビットのあまがさ

2020年07月21日 | 創作(外国)

   チム・ラビットのあまがさ/チム・ラビットのぼうけん/A・アトリー・作 石井桃子・訳 中川宗弥・画/童心社/1967年

 

 どしゃぶりのあめで、のうさぎのサムと遊ぶのもできなくなったチムのところに、あひるのエミリーがやってきました。

 「こんなおてんきだいすき」というエミリー。あめがやんだとき、川にいってみると、エミリーが ねえさんやいもうと、いとこたちにかこまれて楽しそうに遊んでいました。

 また雨がふってきて、いばらのやぶの下にもぐりこんで雨がやむのをまっていると、ジョンが黒いレーンコートをきて、ゴム長靴を履き、傘をさしてやってきました。

 ジョンが傘に入るようにいいますが、チムは学校に行きたくありません。

 ジョンの傘をみたチムは、大きなきのこを見つけ傘のかわりにして歩き出します。チムのいとこの女の子が「りこうだね」と、声をかけます。ハリネズミが、おとうとのハリネズミに「はやく! チムが きのこをかぶっていくから、みてごらん」と、いっています。

 としよりウサギが「ほしい」、親類のイライザおばさんが「わたしのばんごはんに、りっぱなきのこをもってくれたじゃないの!」といっても「これは にがいきのこだよ」と、いえにかえります。

 もちかえったきのこをみて、「テーブルになるわ。こんな大きなきのこみたことありませんよ」と、おかあさんがいいますが、チムは「傘。」と、もういちど いいました。

 すると、おかあさんは すこしも あわてず「ばんごはんに すこし たべることにしよう」とフライにします。それから一週間は、雨傘のフライです。それからおかあさんは、チムの靴もつくりました。

 こうして、いつでも雨が降ると、チムは、さっさと 牧場にでかけていって、きのこをとってくるようになりました。

 

 きのこを傘のかわりにして、ちょっと得意そうなチムの表情がうかんできます。

 あひるのように雨がすきな動物もいます。被害をもたらす大雨はごめんですが、適度な雨も必要です。


たべることは つながること

2020年07月20日 | 絵本(外国)

     たべることは つながること/しょくもつれんさのはなし/パトリシア・ローバ・作 ホリー・ケラー・絵 くらた たかし・訳/福音館書店/2009年

 

はじめは、はっぱ→いもむし→みそさざい→たか

なかほどに、どんぐり→りす→こよーて(やまねこ、きつね)

小さな魚→大きな魚→大きな魚→人間

と、さまざまな食物連鎖が、図と矢印でえがかれ、とてもわかりやすく描かれています。

ただ、はじめの例ででてくるタカは、だれからも食べられないので食物連鎖が終わるとされ、リンゴを人間が食べると、そこでおわるというのがありますが、人間の排せつ物が堆肥になって、木の成長を手助けすることもありますから、このあたりにもふれてもいいのでは?と思いました。

ここにでてくる例以外にも植物、動物のさまざまなつながりについて、話し合うきっかけにもなりそうです。

食物連鎖で きがかりはマイクロプラスチックのこと。マイクロプラスチックには有害物質も付着し、生物濃縮によって海鳥や人間の健康に影響することが懸念されています。

地球に負荷をかけないために、今できることはなにかということにも思いをはせました。


ほね、ほね、きょうりゅうのほね

2020年07月19日 | 絵本(外国)

       ほね、ほね、きょうりゅうのほね/バイロン・バートン・作 かけがわやすこ・訳/ポプラ社/2017年

 

 ツルハシ、スコップを手に持ち、リュックサックを背負って、「骨はないか、骨はないか。」と、恐竜の骨探し。

 骨を見つけ、穴を掘り、しっかりくるんで、箱に詰め、トラックで博物館へ。

 いよいよ組み立て。頭の骨、背骨、足の骨、肋骨、歯、爪・・・。

 最後に尻尾の骨をつけるとティラノサウルスの出来上がり。

 そして、探検隊は今日も骨探しです。

 

 恐竜はもちろん、地の色もあざやか。

 ラジオの子ども科学電話相談で、子どもが恐竜の名前をスラスラいうのを聞いていつも感心しています。

 ティラノサウルス、アパトサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス、ガリミムス、パラサウロロフス、アンキロサウルス、テコドントサウルス・・、どれかひとつでもイメージがわいたなら子どもと話がはずみます。


ひとはなくもの

2020年07月18日 | 絵本(日本)

    ひとはなくもの/みやのすみれ・作 やべみつのり・絵/こぐま社/2020年

 

すみれちゃんは よく泣きます

 ねこの はなが死んだら

 お母さんからおこられたら

 おばけが ゆめにでてきて

 ゲームで負けて

 おもちゃを かってもらえなくて

でも泣くのは、感性が豊かなこと

辛くて、悲しかったら ないても いいんだよ

「なくこは きらい」というといいますが

「おかあさん、すきになりなさい」というすみれちゃんの言葉が強烈!です。(でもでも やっぱり おかあさんは すみれちゃんが すきなのです)

思い当たることがある人も多いのはないでしょうか。

 

ご夫婦、親子で作られた絵本もありますが、これは祖父との合作。

作者が2020年中学卒業をまえに出版された絵本。コロナでこれまでとは違った卒業式だったろう孫のために、おじいさんからの素敵なプレゼントだったのでしょう。

作者が小学校一年生のときつくった紙芝居がもとになっていますが、絵本を出版したこぐま社にもあっぱれです。


おばけいしゃ

2020年07月17日 | せなけいこ

       おばけいしゃ/せなけいこ/童心社/2017年

 

 天狗の長い鼻を包帯で巻いているお医者さん。天狗に何があったのか気になる表紙。

 いたってひまなお医者さんのところにやってきたのは一つ目小僧。目が痛いというので目玉に薬をつけてまどのところでかわかしていると、みみずくが目玉をつかんでとんでいってしまいました。

 天狗とひとだまがやってきて目玉を取り返しますが、ひとだまはしっぽがきれ、天狗の鼻はおれてしまって泣き出しました。

 お医者さんが、天狗とひとだまをなおしてやると、それをききつけたおばけが ぞろぞろやってきます。

 おばけが怪我や病気になるという発想も楽しいのですが、おばけの特徴を逆手に取るようすも楽しい。

 ねこは、ねずみに食いつかれ

 鬼火は燃えず

 かさおばけは けんかで ぼろぼろに

 ゆうれいは さむけがし、

 うみぼうずは 海でおぼれ

 ・・・。

 

 おばけにもお医者が必要のようですよ。かかりつけ医ができてよかったかな。


証文の裏

2020年07月16日 | 昔話(日本)

      いまに語りつぐ日本民話集9/笑い話・世間話/監修:野村純一・松谷みよ子/作品社/2002年

 

 このシリーズは「大きな活字で読みやすい本」となっていて、たしかに読みやすい。短いものが多いので気軽に読めます。

 

 昔は奉公に行く場合は、給金が一年払いというのもあって、いわゆる契約書・証文を書いたという。

 北風の吹く日に、奉公に来た男に野良仕事をたのむと「北風が吹いているから、今日はだめだ」という。

 主人が、百姓は北風が吹いたって、仕事をしてくれなきゃ困るというと、男は「証文の裏」を見てくれという。

 証文の裏を見ると「北風はいやで候う 雨の日は申すに及ばず」とあった。主人も証文の裏側には気がつかなかったという話。

 

 奉公人も文字を書くことができる、読むことができるという日本の識字率の高さを思わせる話です。