どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おやゆびこぞう

2024年10月31日 | グリム(絵本)

  おやゆびこぞう/スペンサー・オットー・絵/矢川澄子・訳/評論社/1981年

 

 おやゆびこぞうが、馬の耳にはいって、「馬をたくみに誘導する」、「見世物小屋に売って人儲けをたくらむ男から、お金を巻き上げる」、「ふたりの泥棒を手玉にとる」、「牛に飲み込まれる」、さらに「おおかみにのみこまれる」と、ちょっとやりすぎじゃないかという冒険の連続。

 おやゆびこぞうからみれば、まわりは巨人の連続。靴や帽子、牛などとおやゆびこぞうなどの対比がうまく描かれ、まさに絵本の世界。

 「まったく、世の中の中には苦労のたねがつきない」・・まさにそのとおり。

 

 グリムでは、こどもいない夫婦におやゆびこぞうがうまれるところからはじまりますが、ペロー版では、七人兄弟の末っ子として登場し、貧乏な夫婦から捨てられようとするところからはじまっています。


ルンペルシュテイルツヘン

2023年03月07日 | グリム(絵本)

   ルンペルシュティルツヘン/絵・ボールガルトン 訳・乾佑美子/童話館/1994年

 だいぶ前に、覚えてみようと思った話ですが、「ルンペルシュティルツヘン」のほか、でてくる名前が、舌を噛むようであきらめてしまった話です。

 

 むかし、貧乏な粉屋が、「わたしにはむすめがひとりおりますが、このむすめは、わらをつむいで金にいたしますんで」と、自分を偉くみせようと、つい王さまに いいました。「たいしたわざだな」「わしがためしてやろう」と、王さまはむすめを城につれてくるようにいいます。

 王さまは、むすめが城にくると、わらでいっぱいになった部屋へむすめをつれていき、糸車と糸巻きをわたして、あすの朝まで、わらを紡いで、金にするよういいます。

 わらを金にする どうして?

 これは誰にも できそうにありません。しかし、昔話では、できないことはありません。こびとがやってきて、首飾りとひきかえに、わらを 金の糸にしてしまいます。

 すると、もっと金が欲しくなった王さまは、前より大きな部屋のわらを金に紡ぐように命じます。今度も、こびとが、むすめの指輪と引き換えに金に紡ぎます。三回目には、「おきさきになってから、一番はじめにうむ子どもを おれにくれるか?」と聞かれ、約束してしまいます。

 やがてお妃になったむすめに、あかちゃんがうまれると、あの こびとがやってきて、子どもを連れて行こうとします。こびととの約束を、すっかりわすれていたお妃が、あまりにもひどく泣くので、こびとは、「三日間だけ、時間をやろう。そのあいだに、おれの名前をあてられたら、子どもはわたさなくていい」と、いいました。

 一日目、二日目がすぎ、三日目に 使いの者がかえってきて・・・。

 

 名前をあてられたこびとは、よほど悔しかったのでしょう。われとわが身を、まっぷたつに ひきさいてしまいます。

 

 ポール・ガルトンが描く人物は、高学年向きでしょうか。娘は、好みがわかれるところ。こびとは、おばあさん風でもあり、小鬼風にも見えます。

 「名前をあてる」という話はほかにもありますが、この「ルンペルシュティルツヘン」が「がたがたの竹馬こぞう」と訳されることもあるというのは、今回知ることができました。


ブレーメンのおんがくたい

2023年01月07日 | グリム(絵本)

   グリム童話 ブレーメンのおんがくたい/ハンス・フィシャー・絵 せたていじ・訳/福音館書店/1964年初版

 数多くの絵本がありますが、「ブレーメンの音楽隊」といえば、やはりこの絵本。二世代、三世代、そしてこれからも読み続けられていきそうです。

 余白をうまく生かした動物の絵もかわいいし、月明かりの夜、泥棒の家の外の四匹、家に居座る動物の幸せな感じ、泥棒の家に につかわしくないドアのハートマークも子ども心をつかみます。

 フィシャーが長女のクリスマスプレゼントとして作ったというこの本、動物はいずれもわかわかしくて、おもわず苦笑いしました。   

 役にたたなくなったろば、いぬ、ねこ、おんどりがでてくるのは、自分に重ね合わせると、ぎょっとさせられるところ。

 

   ブレーメンのおんがくたい/ゲルダ・ミューラー・作 ふしみみさを・訳/BL出版/2015年

 ミューラーはオランダのかたですが、農村?、山や森の風景が豊かに描かれ、背景がほとんどないフィッシャーのものとは、だいぶ印象がちがいます。フィッシャーの描くロバ、イヌ、ネコ、オンドリは楽器をせおっていますが、ミューラーのものには楽器がありません。泥棒もしっかり描かれ、小屋も藁ぶきで質素です。

 あらためてフィッシャーがえがく小屋をみると、ガス台?があったりと、今風なのにきがつきました。

 

   ブレーメンの音楽隊/絵・リスベート・ツヴェルガー 訳・池田香代子/BL出版/2007年

 すぐに泥棒の家になだれ込むのではなく、みんなが歌いはじめてから 窓から なだれ込みます。楽器はもっていませんから現地調達する予定だったのかも。

 ちっともらしくない泥棒。犬、猫、おんどりが出てくる場面では、ページの上に、その境遇がえがかれ、ブレーメンへ向かう途中、ロバの背には、仲間がのっているあたりが、ほかの絵本との違いです。

 

・ブレーメンの音楽隊(英語と日本語で語るフランと浩子のおはなしの本/フラン・ストーリングス・編著 藤田浩子と「かたれやまんばの会」訳/1999年)

 聞き手の参加をえながら進めていくのが、フランさんのもの。

 ろば組、犬組、猫組、雄鶏組の役の人が、語り手の合図で、それぞれの声でなき、合図をしたら なくのをやめます。

 歌いながら歩いていくのも楽しく、泥棒の家にすみながら合唱するので、音楽隊のイメージがぴったり。そして音楽隊にはいるのではなく、自分たちで一旗揚げようというのも前向きです。


ゆうかんなちびの仕立屋さん

2018年10月26日 | グリム(絵本)


    ゆうかんなちびの仕立屋さん/スベン・オットー・絵 矢川 澄子・訳/評論社/1982年


 布切れでジャムをぬったパンにむらがったハエを、ひとたたきで七匹を殺した仕立屋が、自分の勇ましさを町中、いや世界中にしらせようと世の中に出て行った仕立屋。

 類話もたくさんあるので物語の展開はそんなに珍しいものではありませんが、巨人とのかけひき、王さまに仕えて、大男二人、一角獣、いのししを退治し、王女と国の半分を手にした仕立屋でしたが、そこからすこしひねったラストがあります。

 仕立屋の寝言で、正体を知った若いお妃が、別れさせてくれるよう王さまに訴えると、王さまは、仕立屋が寝込んだら、踏み込んで縛りあげ、船で遠くに追い払おうとします。

 しかし若殿びいき(仕立屋)だった太刀持ちが、この企てを告げ口します。

 すると、仕立屋は「ひとうちで七つ、大男も二人ころし、一角獣もとれば、いのししだってつかまえた。そのおれさまが、外にいるやつらなんぞ、おそれるものか」とわめきはじめます。
 おそれをなした、外の人々はあわててにげだしてしまいます。

 こうして、ちびの仕立て屋さんは、そのまま一生、王さまとしてすごします。

 大男との力比べで、石の代わりにチーズを握りつぶし、夜大男が鉄の棒でひっぱたたいても翌日の朝はけろりとした仕立屋。じつはベッドがおおきすぎて、すみっこに寝ただけ。
 いのししは、礼拝堂に閉じ込めてしまいます。

 まわりが勘違いするだけなのですが。仕立屋も随分と調子いい男。

 自分を信じるのが大切なのでしょうか。

 絵本にしては文章が多いので、読み聞かせにはどうでしょうか?


月はどうしてできたか

2018年09月28日 | グリム(絵本)


     月はどうしてできたか/ジェームズ・リーブズ・作 エドワード・アーディゾーニ・絵 矢川 澄子・訳/評論社/1979年


 「グリム童話より」とあります。グリムの昔話もいわば再話ですが、再々話です。

 昔、月がなかったころの話。

 夜になると真っ暗で、あとはもう、さっさとねるだけのエクスのまちの四人兄弟がワイの町にでかけました。
 ところがワイの町は、夜になってもエクスのようにくらくありません。よく見ると木の上にあかりがありました。
 この町の男を呼び止めてたずねると、市長が2ポンドで買ってきて、カシの木にぶらさげたといいます。この男は月に油をさし掃除をするため、月に10ペンス市長にはらっているといいます。

 町ではまた別のものをかえばいいという理屈で、四人兄弟は月をいただいて(盗むという感覚はなさそうです)エクスの町へもどります。

 エクスの町は、夜になっても明るいので大喜び。月は掃除し、油をいれなければならず、町の人は週に10ペンスづつ、四人に払います。

 ところが一番上の兄がなくなるとき、月の四分の一は、おれのものだと、お墓に持っていくことになります。
 市長が木に登って四分の一を、お棺にいれてやります。

 二番目の兄がなくなるときも、月の四分の一はおれのものだといい、お棺にいれてやります。

 三番目、四番目のときもおなじようにすると、エクスの人びとは、また暗闇です。

 一方、地面の下では月は一つになって、明るくなって、死人たちはおどろきます。お墓から出てきて飲めや歌えの大騒ぎ。そのうちついつい飲みすぎて、けんかが始まり、こん棒をもちだして殴り合い。この騒ぎは天国までとどきます。

 天国のご門番、聖者ピーターが、ものおとをききつけて、いくさでもはじまったのかと思い、天の軍勢を呼び集めます。ところが軍勢がなかなかあつまってこないので、業を煮やした聖者ピーターは、天国の門をとびだし、かみなりのような声で死人たちに、「おとなしくお墓にもどれ」といいわたし、さわぎの原因になった月をかつぎあげ、天の高みにぶらさげてしまいます。

 お金も払わず、月の恩恵をうけているのは、聖者ピーターのおかげだったのです。

 天の月が、あまねく地上を照らすようになったのは、四人兄弟が地下へ月をもっていった結果でもありました。

 ところで四人兄弟ですが、上からアルン(としより)、ボーア(おとなしい)、キャス(やりて)、ドール(ずる)という意味ありげな名前ですが、それぞれの特徴が生きていないのが残念です。


六にんぐみせかいあるき

2018年09月03日 | グリム(絵本)


    六にんぐみせかいあるき/グリム 矢川 澄子・再話 スズキ コージ・絵/教育画劇/2001年

 こぐま社からでている「子どもに語るグリムの昔話2/佐々梨代子・野村宏訳」では、「六人男、世界をのし歩く」という題です。

 戦争が終わって、お金もろくにもらえずにお払い箱になった兵隊が、とちゅうであった五人の男。一人は、力持ち、二人目の男は遠くのものを射抜く名人、三人目の男は遠くから鼻息で風車を回す男、四人目の男はとりより速く走る男、五人目はぼうしをかぶるとあたりがおそろしく寒くなる男。

 この六人が、王さまから宝物を分捕って、みんなで山分けして、さいごまで、面白おかしく暮らすというお話。

 六人がやってきた都には、お姫さまとかけっこして、勝ったらお婿にする、負けたら、首をちょんぎるというお触れ。

 お姫さまには勝ち、さらに蒸し焼きにされそうなところも切り抜け、国中の金貨を手に入れた六人組に、王さまは、「きへいたい」にあとをおいかけさせますが・・。

 何しろスズキ・コージさんのカラフルな色づかいに圧倒されます。

 六人組のキャラクターにびっくりし、お姫さまのランニング姿にどっきりです。

 このお姫さま、最後のほうのページでもまだ走っています。こんどは素敵なお婿さまがみつかるかな。

 ほんとに最後のページには、王冠をかぶった鳥がいて、おなかのあたりには五線譜まで、これはなに?

 矢川さんの再話もテンポよく進みます。

 こおらせおとこに「よう、キザな ぼうしの おにいさん」とよびかけます。

 「きへいたい」がでてきますが「騎兵隊」ということでしょうか。「六人の男の世界旅行」(世界の民話6 ドイツ編/赤ひげとぶどう酒商人ほか/小川一枝・著 佐藤忠良・絵/家の光協会/1978年)には「騎兵隊」と漢字表記してありました。


ヨリンデとヨリンゲル

2018年08月11日 | グリム(絵本)


    ヨリンデとヨリンゲル/作:グリム童話 ベルナデッテ・ワッツ・絵 若木ひとみ・訳/ほるぷ出版/1982年


 昔話では、若者(ヨリンゲル)と娘(ヨリンデ)がでてくると、結末で結ばれるのがほとんど。
 ところが、この話では、二人は、はじめから恋人同士。

 間もなく結婚することになっていましたが、ふたりきりになりたくて、二人が森の中へはいっていくと、ヨリンデが魔女によって、ヨナキウグイスにかえられてしまいます。

 ヨリンゲルも魔法をかけられ、石のように動くことも、なくことも、しゃべることができなくなりますが、魔女は「こんばんわ、ツァヒエル、お月さんがかごのなかをてらしたら、はなしておやり。ツァヒエルや、ちょうどいいときをみはからってな」と呪文をかけると、ヨリンゲルの魔法はとけます。ヨリンゲルが、ヨリンデをかえしてくれるように頼んでも、いじわるく「もう、にどとヨリンデにはあえまいよ」と言い残して、姿を消すます。
 魔女が、わざわざ、ヨリンゲルの魔法をとくのは昔話らしいところです。

 魔女はお城に住んでいて、この城にちかずくのが若い娘だと、娘を小鳥の姿に変え、籠に閉じこめて城の部屋に連れていきます。こうした鳥かごが、もう7000個もありました。

 どうすることもできなかったヨリンゲルが、ある夜、まんなかにおおきな真珠のついた赤い花をみつける夢をみます。
 その花でさわったものはなにもかも、魔法とけてしまうというものでした。

 ヨリンゲルは、山を越え谷をぬけ、さがしにさがして九日目に、ついにこの花を見つけます。

 ヨリンゲルは、この花をもって魔女の住む城まで走り続けます。

 この花で魔女にさわると、魔女は、根が生えたように、その場に釘付けになり、魔法をかけることができなくなってしまいます。


 話としてはシンプルですが、ワッツの深い森にある城、白い鳥かご、魔女の絵が、この話にぴったりです。

 不思議なことに、魔女は7000羽もいる小鳥に、えさをやっていますから、娘を小鳥に変えて、人の不幸を楽しんでいたのでしょうか。
 
 昔話の成立期には、樹木や広大な草地、池や沼、川が広がり、今では想像もできない無数の鳥が飛んでいたのではないかとの思いがあります。


カエルの王さま

2018年08月01日 | グリム(絵本)


    グリム童話 かえるの王さま/ビネッテ・シュレーダー・絵 矢川 澄子・訳/岩波書店/1992年

 はっとするほど美しいおひめさまが泉に落とした大事な金のまり。泣いて悲しんでいるおひめさまに、カエルが声をかけます。
 「真珠や宝石、金のかんむりなどいらない。遊び相手にしてほしい。あんたと一緒のテーブルで金のお皿から食べ、いっしょのコップからのんで、いっしょのベッドにねかせてくれ」るなら、すぐに金のまりをひろってきてあげるといいます。
 
 心の中では「カエルがなにをいっての」と思ったおひめさまが、適当な約束をするとカエルはすぐに、金のまりをくわえてあがってきます。
 おひめさまはいそいで城にかえり、それっきりカエルのことは忘れてしまいます。

 しかし次の日、カエルは城にやってきて・・・。

 「約束をまもらなくてはいかんな」と、王さまからいわれ、ドアをあけると「だっこして、となりにすわらせて」「一緒に食べられるように金のお皿をこっちによこせ」「いっしょにおねんねしたいから、絹のベッドをしつらえてよ」というカエルを嫌悪しながら、また王さまから「こまったときに助けてくれたお方への、ご恩を忘れるなんて、とんでもない」と、いわれ、さらにベッドに横になったおひめさまのそばでゆっくり眠りたいとカエルからいわれると、おひめさまは、こんどこそ頭にきて、カエルを力任せに壁にたたきつけると、床に落ちたカエルはきれいな優しい目をした王子になっていました。王子はわるい魔女の呪いで、カエルにされていたのです。

 自己中心的なおひめさまですが、さすがにカエルと一緒に寝るというのは、我慢できなかったのでしょう。

 最初、この話を聞いたとき、叩きつけるシーンにびっくりしたのを思い出しました。

 ここにでてくる王さま。カエルとの約束をまもるようにさとすのは、おひめさまのわがままに手をやいていたのかも。

 後半に、胸に鉄のたがを三本はめた忠臣ハインリヒがでてきますが、ここまで何の伏線もなく急に登場するので、あれっという思い。

 「たが」は、子どもに理解できるでしょうか。

 カエルが王子に変わる場面は、好き嫌いがわかれそうです。城はカエルの目線で描かれているので奥行きがあります。


七羽のカラス・・グリム

2018年07月17日 | グリム(絵本)


    七羽のカラス/ブライアン・ワイルドスミス・絵 どばし たまよ・訳/らくだ出版/2000年

 お父さんの一言でカラスになってしまった七人の息子たち。

 その妹末っ子のアンナが、指輪と水に入った壺、小さな椅子をもって世界の果てに行きます。

 さらに太陽と月のところにいきますが、太陽はとてもあつくて、やけどをしないうちにそこをにげだし、月には冷たく意地悪されて、次にいったのは、星のもと。
 明けの明星から、兄さんたちのいるガラスの山の門をあける魔法の骨をもらってさらに旅を続けるアンナ。

 ガラスの山の門をあけようとすると、魔法の骨はどこかでなくしていました。しかし小指を差し込むと門はあきはじめます。
 ガラス山の中に入ると番人がいて、部屋に案内してくれます。カラスは留守でしたが、アンナはカラスの食事を一口づつ、カップの飲み物も一口ずつ飲み、最後のコップに指輪をおとしておきます。

 カラスの兄さんたちがコップの指輪をみつけ、妹がきたことがわかりました。アンナが姿をあらわすと、カラスの呪いはとけて、七羽とも人間の姿にもどり、家に帰ります。

 もとの話は、太陽は小さな子どもたちをむしゃむしゃ食べる存在。門をあけるときナイフで指を切り落として戸にさしこみますが、絵本ではドキッとする部分は割愛されています。そしてアンナは女の子、そしてガラスの山でむかえてくれるのは、番人ではなくこびと表現されています。

 なんといってもブライアン・ワイルドスミスの絵、とりわけ太陽、月、星、ガラスの山は魅力的です。しかし、兄弟の服が現代風なのは好みが別れそうです。

 初版では兄弟が三人ですが、二版以降では七人。七人のほうが物語の厚みが増し、絵本にしても絵になりやすいようです。


ヘンゼルとグレーテル

2018年07月16日 | グリム(絵本)

             
    ヘンゼルとグレーテル/飯田正美・絵 天沼春樹・訳/パロル舎/1997年

 グリムの昔話で、よくしられている「ヘンゼルとグレーテル」ですが、全部を通して読んだり聞いたりすることが意外と少ない感じです。
 語るとなると30分がこえることもあるのでしょうが、お話し会でも、ほとんど聞く機会がないのは残念です。

 各社からだされ、日本人のかたの絵本も数多くあります。

 パロル舎の、この絵本の表紙は、森のお菓子の家を魔女がながめ、フクロウがそれをながめています。

 夫婦がでてくると、夫の方はどちらかといえば、存在感がありませんが、「ヘンゼルとグレーテル」で、子どもを邪魔者扱いするのは、おかみさんのほうで、木こりの父親は、子どもを捨てるのに逡巡するという珍しく存在感がある役割です。
 二人が家に帰ると、理由にはふれることなく、母親はすでに死んでいた、と、さらっとしています。

 飯田さんが描く両親はリアルで、ヘンゼルとグレーテルは朴訥な感じがします。お菓子の家は本当に美味しそうです。
 魔女っていうのは、どうして鼻がながいのでしょう。そして、真珠や宝石は、何のためにもっていたのでしょう。

 はじめはお兄さんのヘンゼルが何かと妹をかばいますが、後半部では魔女をやりこめるのが妹で、かもの背にのって帰ろうとするとき、重いのでひとりづつ、わたしてもらいましょうというのも妹の方です。

 グリム童話はいろいろなかたが訳されていますが、矢川澄子訳(ヘンゼルとグレーテル/ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろ/福音館書店/1986年初版)は、おばあちゃんがお話しを楽しんでいるかのような訳で、ほかの訳にはみられない味があるようです。

 でだしが「大きな森のとっつきに、ひとりのまずしいきこりが、おかみさんと二人のこどもといっしょにすんでいました」とあって、「森のそばに」となりそうなのが「とっつき」とあって、すぐに話にひきこまれます。

 こどもを森に捨ててこようと話し合っている夫婦の会話。木こりのセリフ。
「そいつはごめんだ。てめえの子を森ん中へおいてけぼりにするなんて、どうしてそんな気になれるかって。おそろしいけだものたちがたちまちよってきて、八つざきにされちまうぞ」
 べらんめえ調のセリフがなんともいいリズム。

 ヘンゼルとグレーテルがお菓子でできた家をたべているときに、おばあさんがいうセリフ。
 「おやまあ、いい子ちゃんたち、だれに案内してきてもらったの?おはいんなさいってば。はいってゆっくりなさいって。心配するこたないわよ」
 いい調子の感じがつづきます。

 グレーテルがたすかるところ。
 「たすかったわよ。おばあさん死んじゃったわ!」

 ラスト、かもに頼む場面。
 「かもさんには重すぎるでしょう、かわりばんこに運んでもらわなくちゃ」
 冒険の中で成長した妹を感じさせてくれるセリフです。
 (天沼訳では、「かもさんには重すぎわ。ひとりずつわたしてもらいましょう」とありますが、ニュアンスが微妙に違います)

 「ヘンゼルとグレーテル」は、もとは飢饉等で、子どもを捨てざるをえなかった時代を反映したものといいます。一見冷酷に見える母親が、そこまで追い詰められたという時代状況も考える必要がありそうです。


しらゆき べにばら

2018年07月15日 | グリム(絵本)


    しらゆきべにばら/絵:バーバラ・クーニー・絵 鈴木 晶・訳/ほるぷ出版/1995年

 第三版ではじめて収録されたというグリム童話。
 しらゆき、べにばらという姉妹は、お母さんとの三人暮らし。

 昔話では姉妹といっても、姉の方が意地悪という損な役割が多いのがですが、この姉妹はできすぎた姉妹。

 べにばらは、家をいつも、掃除したり、バラの花をいけたり。しらゆきは、銅のやかんをいつもぴかぴかにみがきます。べにばらは、原っぱを走り回り、花や蝶々を追いかけるのがすきでした。
 お母さんが読んでくれるお話に耳を傾けながら、姉妹は、糸つむぎもします。


 あるばん、三人の家に黒いクマがやってきます。さむさでこごえ、火のそばで、温まりたいというのです。
 はじめ驚いた姉妹でしたが、すぐにクマと仲良くなります。クマはいつも夜にやってきます。
 冬が過ぎ、春になるとクマはお別れをいいだしました。

 姉妹が森に薪を集めに行くと、真っ白な長い髭をはやしたこびとにあいます。髭が木の割れ目にはさまれていました。しらゆきはハサミで髭の先を切って、こびとを自由にしてやります。
 このこびと、魚に川にひきずりそうになっていたのを助けたのも、姉妹。大きな鳥にわしずかみされ、さらわれていくところも助けたのは姉妹でした。
 こびとは、どこから集めたのか、金貨、真珠、ルビーを袋にいれていました。
 こびとが宝石を地べたいっぱいに、ひろげて、うっとりしているのをみてしまった姉妹を、こびとは、まっかな顔でおこりだします。
 そこにあらわれたクマは、前足でこびとをなぐりたおしてしまいます。
 するとクマは王子にかわります。小人に魔法をかけられていたのでした。こびとの宝物は、王子から盗んだものでした。

 それから、しらゆきは王子と、べにばらは王子の弟と結婚することに。

 バーバラ・クーニーの絵に、ひかれた方も多いようです。

 大人の目線で読むと、じつはわからないことも。

 王子がクマにされた原因がよくわかりません。

 魔法をつかうこびとが、危険な目にあっているのは、なぜでしょうか。結構ドジなこびとです。そして助けてもらいながら悪態をつく、かわいげのないこびとです。

 姉妹の名は、庭に咲いた白バラと紅バラにちなんでいますが、名前だけで姉妹のやさしがつたわってきます。


いばらひめ、おどる12人のおひめさま

2017年08月26日 | グリム(絵本)


    いばらひめ/作:グリム童話 絵:エロール・ル・カイン・絵 矢川 澄子・訳/ほるぷ出版/1978年


    おどる12人のおひめさま/作:グリム童話 絵:エロール・ル・カイン・絵 矢川 澄子・訳/ほるぷ出版/1980年


 どちらも絵はエロール・ル・カイン、訳は矢川 澄子さんです。

 装丁はどちらも同じようで、表紙の絵と裏表紙には同じ絵がえがかれています。そして文章は額縁の中にえがかれ、それのまわりには物語の細かな模様が描かれています。

 「いばらひめ」には、13人の仙女、「おどる12人のおひめさま」には、12人のおひめさまと12人の王子が出てきますが、おひめさまの一人一人の衣装が丁寧にえがかれ、これをみているだけでも楽しくなります。

 そして冒頭の一枚であっというまにお話の世界に引き込まれます。
 「いばらひめ」の冒頭は、らせん階段をのぼるいばらひめ。奥行きを感じさせる階段の途中にはネズミまでいます。このあと錘にさわったおひめさまは、百年の眠りに。

 「おどる12人のおひめさま」ベッドに眠る12人の王女。高い高い天井の豪華な寝室です。

 「いばらひめ」の仙女は鳥や長い角の馬、クジャクをつれています。

 そして「おどる12人のおひめさま」の見開きは、まるで蝶のような おひめさまです。

 2冊並べてみると絵本の魅力がよくわかります。

 「おどる12人のおひめさま」では、毎晩おひめさまたちと踊る12人の王子がでてきますが、ラスト秘密がばれて踊れなくなった12人がしょんぼりしていて、余韻が残ります。


ねむりひめ・・絵本

2017年08月22日 | グリム(絵本)



   ねむりひめ/グリム原作 フェリクス・ホフマン・絵 瀬田 貞二・訳/福音館書店/1963年

 

 落ち着いた色合いが昔話にぴったりです。

 女の子のおいわいに、招待状をおくるようす、まねかれた占い女の洋服、百年の眠りについた茨に覆われた城、王子と眠り姫の結婚式まで、しっとりしています。


               
   ねむりひめ/リンダ・ジェニングス・文 フランチェスカ・クレスビー・絵 山川京子・訳/西村書店/1986年 

 

 山川訳はペロー版がベースですが、眠り姫のイメージが瀬田訳版とは、大分ちがっています。

 登場人物が、まるで人形のように描かれています。

 六人の妖精は蝶のイメージです。
 お姫さまはオーロラ、王子にはフロ-リムンドと名前があります。
 王子がオーロラ姫にあいにいくところが、比較的長いのも特徴でしょうか。

 「いばらひめ」は、すべてが百年の眠りにつくというイメージなのですが、リンダ・ジェニングスは、「働き者のクモだけは、せっせと巣を作り続けていました。ねむっている人のからだにかかったクモの巣は、死人に、かける布のようにみえるのでした。」と、クモだけはねむっていません。


 グリム版の絵本はいろいろな方が描かれていて、それだけ魅力のある内容なのでしょう。


三つのことば・・・グリム

2017年07月24日 | グリム(絵本)


      3つのことば/絵:イヴァン・チャマーヤフ 訳:八木田 宜子/西村書店/1990年

 スイスの伯爵の一人息子。おろかもので何もおぼえられません。心配した父親は有名な教授のところへおくりますが、一年たって息子がおぼえてきたのは「犬のことば」。
 次の一年は「鳥のことば」。
 三年目は、「カエルのことば」。

 父親は役に立ちそうもないことをおぼえてきた息子を殺すよう召使にいいつけます。しかし召使は息子を助けます。

 息子はある城で一夜の宿をこいますが、そこは獰猛な犬がいて、毎日一定の時間になると男をひとりほうりこまなければならない恐ろしいところ。

 しかし、犬のことばがわかる若者は災難をのがれ、さらには法王が亡くなったばかりのローマについて・・・。


 貼り絵手法の絵本。独特の味わいのある絵が特徴的です。絵本にしては小型で、一人で読むのを前提としてつくられているようです。

 動物の言葉を理解できるというのは、そのあとに素敵な結末がまっているのが昔話です。
 うまくいきすぎている感もあります。


うできき4人きょうだい・・グリム

2017年06月03日 | グリム(絵本)


      うできき4人きょうだい/グリム原作 バーナデッド・ワッツ・文絵 福本友美子・訳/BL出版/2009年初版

 少し前に安野光雄さんの絵本「あっぱれ四人兄弟」をみたのですが、同じグリムのお話。

 四人の兄弟が、世の中に出ていって、四年後、いずれもうでききの泥棒、星のぞき、鉄砲の名人、仕立て屋となってかえってきます。
 四人の腕前は、星のぞきが大木の鳥の卵をかぞえ、泥棒は親鳥に気づかれないで卵をさらい、鉄砲の名人は五つの卵を一発で、まっぷたつにし、仕立て屋は、われた卵をぬいあわせ、卵からは無事にひながかえります。
 導入部が長いのですが、後半は、竜にさらわれたお姫さまを四人で救い出します。

 ワッツさんの描く竜の目が優しくとても恐い感じがしません。連れ去られたお姫さまが、竜と一緒にいる場面もなにかほのぼのしています。

 ここにでてくる仕立て屋さん、竜が落ちて、船が木っ端みじんになると、板切れを取り出して、船を縫い合わせて修復する腕前です。 

 おはなし会では聞く機会がありませんが、絵にはなりやすいのでしょうか。
 パステル画風で兄弟が腕利きのように見えないのも愛嬌です。

 フェリクス・ホフマンの絵本もありました。



      うできき四人きょうだい/フェリクス・ホフマン 寺岡 寿子/訳/福音館書店/1997年