イギリス民話選 ジャックと豆のつる/ジェイコブズ作 木下順二・訳 瀬川康男・絵/岩波書店/1986年11刷
日本と外国の昔話の違いの一つが舞踏会のシーン。舞踏会というと日本では明治の鹿鳴館を思い出すが、あまりなじみがない。
古めかしいが男女七歳にして席を同じうせずということわざが生きていた日本では、舞踏会などはもってのほかと考えられていたのかもしれない。
外国でも庶民にとっては縁がないはずだが、昔話ではここを舞台にして、幸せをつかみとることが多い。シンデレラストーリーはいうまでもないが、イギリスにも舞踏会がでてくる「“ねこの皮”さん」と「とうしん草のずきん」というお話がある。
「“ねこの皮”さん」では、父親にきらわれた娘が、台所の下働きをしながら、城の当主が催した舞踏会に出て、当主からみそめられ結婚することに。
「とうしん草のずきん」では、三人姉妹が、父親にどれだけを好きか聞かれ、末の娘は「肉のごちそうに塩が大切なくらい」とこたえるが、父親は「ちっともおれをすいておらん」として、家から追い出されます。末のむすめは、おおきな家に住み込んで、いろいろきたない仕事を引き受け、女中として働くうちに、舞踏会に三度でて、金持ちの息子にみそめられて結婚します。
二つの話は、最後には父親と一緒に、幸せに暮らすという結末。
「とうしん草のずきん」では、結婚式のあとに塩をいれないで作った肉を食卓にだし、塩がどれだけ大切なものかを父親に思い出させるという味な結末です。
ペローのサンドリヨンにでてくる舞踏会のシーンは、ルイ14世のベルサイユ宮殿での舞踏会がイメージされているという。
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ひみつのたからチョコラーテ/作:平山暉彦/福音館書店/2012年初版
絵本といっても、マンガ風のコマ割りで、チョコレートの歴史を知ることができます。
しょうたくんと、しょうたくんのおじさんである発明家が、タイムトラベルボンボンを食べてしまい、400年前のスペインに支配されていたメキシコのアステカ王国にタイムスリップしてしまいます。
二人はそこで、チョコレートの原料となるカカオからチョコラーテという飲み物をスペイン人が作っているところを目撃します。
不老不死の薬として厳重な管理の中で作られていたカカオ飲料は門外不出だったのですが、この秘密をねらうイタリア人がいました。
人物のセリフの漢字には、かなもふられていて読みやすくなっています、
チョコレートは、はじめは薬として、さらにはアステカ族の通貨としても使われていたようです。
チョコレートがヨーロッパに広まったのは、メキシコに遠征したスペインのフェルナンド・コルテス将軍がアステカ帝国を征服した際にチョコレート(カカオ)の効用に驚き、兵士たちに与え、疲労回復をさせたことがきっかけといいます。
スペイン王室からフランス国王ルイ13世、ルイ14世に嫁いだ娘の花嫁道具の中にもカカオがはいっていたといいます。
その他のルートではスペインとフランスで、当時階級の高かった僧侶たちによる交換されたプレゼントでした。その他、スペイン圏で飲まれていたカカオの秘法がイタリアの商人によって、1606年にフィレンツエにもたらされ、そしてフランスへと伝わったともいわれています。
16世紀後半のスペイン輸送船の海路がのっているのですが、こちらも興味深いものがあります。
南に向かって吹く貿易風と東へ吹く偏西風をうまく利用した航海。
トマト、トウモロコシ、トウガラシ、ジャガイモといった、いまでは当たり前になっている野菜の原産地も知ることができます。
マンガ仕立てですが、歴史の一コマを別の角度から知ることができました。
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ふたごのどんぐり/作:上野 与志 絵:いしい つとむ/文研出版/2014年初版
かしの木の命の循環。
ふたごの”ドン”と”グリ”。
「ぼく ずうっと、かあさんといっしょがいい」
でもおかあさんはきっぱり。
「おまえたちは、わたしから はなれて、りっぱな かしの木に なるのです。それが わたしたち かしの木の いきかたなの。」
りすに食べられそうになり、からすにくわえられ、とんびにおわれたからすが、くちをあけたとたん、どんぐりは地面の上に。
落葉にだかれ、目をさますと・・・・。
クヌギのどんぐりを植えておいたら、3年もすると1mをこえる大きさになりました。
木の実をいろいろうえてみましたが、どんぐりの成長は目をみはるものがあります。
柿はことわざどおり、7年かかりました。
ビワは7年たっても実はなりません。
自然はうまくできていて、命をリレーするためさまざまな苦労があります。
やわらかなタッチの絵が優しい感じです。
岡山のむかし話/岡山県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年初版
おじいさんではなく、おばあさんが山へ柴刈りに。
お日さまが頭のほうにきたころ、弁当をたべようと大きなおだんごをだすと、コロコロころがりだして・・・。
だんごを追いかけていくと、そこには大きな鬼が。
うめえ おだんごをまた作ってくれと鬼にたのまれ、だんごをつくります。鬼はどんなぐあいにしてこしらえるのかと、つきっきり。
そのうち、飯炊きさせられるようになりますが、ほんの少しの米が、みるみるうち大がまいっぱいの飯になります。秘密は 大しゃもじにありました。この大しゃもじで かまの中を かきまぜると、大がまいっぱいの飯になりました。
やがて、鬼が遠方にでかけたすきに、おばあさんは、しゃもじと米をもって帰れば、一生安楽にくらせるだろうと、逃げ出しますが・・・。
コロコロころがるのが、おにぎりだったり、お団子だったり、そしてそこ行き先が鬼のところだったりと、日本の昔話によくあるパターン。
すこし長い話だと、このあと逃げ出すときに、いろいろな場面がでてくるのですが、この話では、おばあさんが、大きなしゃもじで川を渡りはじめると、鬼が川の水を飲み干したので、おばあさんが鬼のほうにおしりをまくって、おおーきな屁をブリッとすると、鬼が笑いこけて、水をはきだしてしまいます。
展開がわかりやすく安心して?きける話です。
ぼくのにんじん/作・ルース・クラウス 絵・クロケットジョンソン 渡辺茂雄・訳/ペンギン社/1980年
小さい男の子が、にんじんの種を蒔きます。
ところが、お母さんも、お父さんも、お兄さんにも、「めなんかでないわよ」とひややか。
でも、男の子は毎日、種のまわりの草をぬき、水をかけます。
何日も何日も、芽は出てきません。
それども世話をしつづける男の子。
でも、ある日、にんじんは芽を出します。
それも特大の葉。
自分と同じぐらいの巨大なにんじんでした。
まわりから何を言われても我慢ずよく、にんじんの世話をする男の子に喝采です。
家族も芽がでないとは思っていなくて、男の子のやる気を励ます意味で、いっていたのかもしれません。
さりげなく意欲をかきたてていた家族のようにも思います。
人物像がほのぼのした印象です。それにしても最後にでてくる巨大なにんじんをどうしたかのかも気になりました。
日本の昔話では一寸法師のように、生まれはちいさくても結末には等身大になりますが、外国の昔話では、「こびと」はこびとのままのようです。
・ルンペンシュティルツヘン(子どもに語るグリムの童話1/佐々梨代子・野村ひろし・訳/こぐま社/1990年初版)
粉やが器量のよい一人娘を自慢したことから、娘はわらを金にすることを王さまから命じられ、こびとが娘にかわって金をつむぎます。
2度目までは娘が自分がもっているものをお礼にあげることで王さまの命令を果たします。
しかし3度目には娘のはじめての子どもを、こびとに渡すという条件がつきます。
やがて娘は王さまと結婚し、子どもが生まれます。こびとは、子どもを連れにきますが、自分の名前をあてられたらこどもをとらずにおこうといいます。
ある話を聞いてきた使いの者の話がヘントになり、こびとの名前をあてると、こびとはかんしゃくをおこして死んでしまいます。
・悪魔の名前(スペイン民話集/三原幸久:編・訳/岩波少年文庫1989年)
グリムの「ルンペンシュティルツヘン」と同様のスペインの話です。グリムより古いのでしょうか。
グリムは粉やですが、ここでは水車番と訳されています。水車番が王さまの前で、娘はわらで黄金を紡ぎだしますと自慢したことから、娘は王さまのところで黄金を紡ぎだすよういわれます。
この話では、悪魔があらわれ、一度目は金の首飾り、二度目は銀の指輪、三度目は、最初に生まれるこどもをもらう条件で藁で黄金を紡ぎます。
王妃になった娘に子どもが生まれると、悪魔がやってきて、三日間のうちに、名前を当てたら、こどもは悪魔から自由になるといわれて・・・。
・トム・ティット・トット・・イギリス(世界むかし話8 イギリス おやゆびトム/三宅 忠明・訳/ほるぷ出版/1974年初版)
「ルンペンシュティルツヘン」と話型は同じですが、こびとからだされる条件はお嫁になるというもの。名前がわかるのは、王さまと妃の会話。
グリムのもとになっているのは、ドイツの昔話か、それともイングランドのこの話がベースになっているか知りたいところ。
ただイングランド版では、小さい黒い生きものと訳されています。
・ティッテリチューレ・・スエーデン(スエーデンの森の昔話/アンナ・クララ・テイードホルム・編訳 うらたあつこ・訳/ラトルズ/2008年初版)
こびとが金を紡ぐことができる手袋を娘に渡し、娘は、この手袋で粘土と麦わらから3回金を紡ぎます。
こびとがだした条件は、名前を言い当てられなかったら花嫁になるというもの。王さまの話が名前を知るヒントになります。
・伯爵夫人と森のこびと(世界の民話6 ドイツ編 赤ひげとぶどう酒商人ほか/小川一枝 佐藤忠良・絵/家の光協会/1978年初版)
森に迷い込んだ伯爵を救うためこびとが出した条件は、もし伯爵夫人が、こびとの名前を当てられなかったら夫人はこびとのものになるというもの。
3回試してよいと、こびとは余裕綽々。
しかしこのこびと余裕がありすぎて、3回目に、家の中で歌を歌っているのを伯爵夫人に聞かれてしまい、プルツインゲーレという名前をあてられてしまいます。
ここまでは、名前にからむのが、いずれもこびとです。
ところで、父母や会社の上司を名前でよぶことはほとんどありません。実名忌避というのは極めて儒教的な社会通念で、実名を呼ぶと相手の裸体と接する違和感をもったようです(塚本青史/李世民/日本経済出版社)。
日本の「大工と鬼六」も、名前をあてることで難を逃れるというのは共通しています。
鬼が大工にかわって川に橋をかけますが、その条件に大工の目玉を要求します。しかし子どもらの歌う声で、鬼のなまえをあてて、難をのがれるのですが・・・。
こびとも鬼も難題を解決してくれる存在として登場しますが、見返りはなにもありません。。
ついでにいうと、「大工と鬼六」は、1922年に翻案されたものが、各地で語られ、昔話に混入したものといいます。なるほど類話がいくつもあるなかで、「大工と鬼六」に類したものがないのに納得しました。
・なまけ者のおかみさん(マン島の妖精物語/ソフィア・モリソン・著 ニコルズ恵美子・訳/筑摩書房/1994年初版)
タイトルからは想像できないのですが、巨人の名前をあてる話です。
一日中何もしないで、暖炉の傍で日を過ごし、よその家にいって、噂話を聞くぐらいの、なまけもののおかみさん。
着るものがなくなった、だんなさんから、ぼろぼろになった服をなおしてくれといわれ、羊の毛を紡ぐようにいわれます。
おかみさんは、家にだんながいるときは、懸命にはたらいているようにみせかけ、だんなが仕事からかえってくるころに、紡ぎ車をだしておきますが、一向毛糸玉はできません。
やいのやいのいわれたおかみさんは、山の上にすんでいる巨人を思い出し、毛糸を紡いでくれるように頼みます。
すると、巨人は、名前を当てることができたら、紡いでやろうといいます。
だんなが家に帰ろうと山を下っていると、こうこうとあかりがついている家のなかで、巨人が糸をつむいでいるのを見ます。巨人は糸つむぎの歌をうたいながら、自分の名前までさけびます。
だんなから話をきいたおかみさんが山の巨人のところから、見事に毛糸玉を手に入れることになります。
なんどもとぼけて、わざと違う名前をいうやり取りは「大工と鬼六」と同じです。
巨人が糸を紡ぐとき「くるくる回れ、紡ぎ車、くるくる回れ。歌え、紡ぎ車、歌え。家中の梁、頭の上をくるくる回れ」と歌うのですが、梁でも何でもいいから、糸つむぎを手伝ってほしいと、大変な作業だったことを表しているようです。
・アントニウス・ホーレクニッペル(世界の民話14ロートリンゲン/小澤俊夫・編/ぎょうせい/1978年)
若者が王女に恋し、魔女の力をかりて、王女と結婚しますが、条件がありました。
最初に生まれてくる子どもを、魔女にあげるという条件でした。
やがて、髪は黄金のよう、目は星のよう、肌はミルクと血のような美しい女の子が生まれます。
約束をはたすよう魔女がやってきて、三日だけ時間をやるから、名前をあててみろといいます。
若者は夜も昼も森の中を走り回って、なんとか名前を知ろうとしますが・・・。
魔女の最後のことば。
「おやまあ、そういう名前だよ。だれが教えたんだろう? たちの悪い敵かしら、それともだれだろう?」
魔女は立ち去りますが、ひどく無作法なふるまいをしていったので、国中が臭くなったのでした。
臭くなったのはなぜだったのでしょう。
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りんごがひとつ/作:いわむら かずお/童心社/2015年
すごく地味な感じがします。というのもモノトーンでリンゴだけが赤く描かれているからです。けれども逆に素朴なところが味わい深い絵本です。
一度絶版になり、昨年再出版されたようです。
丘の上がだいすきな「なっちゃん」は、リンゴを食べようとしますが、リンゴは、なっちゃんの手をはなれてころころ。
坂道をころがるリンゴをうさぎとりすと一緒に追いかけます。
リンゴがくるりんすると、りすもうさぎもなっちゃんもくるりん。でんぐり返しがリズミカルです。
やっと大きなくまの背中ににぶつかってリンゴもみんなも止まります。
みんなでリンゴを食べるのですが一人づつパリッ シャクシャク ポリポリ ショリショリ カプカプ。
食べる順番をまっている笑顔と食べる音がなんともいえません。
最後に残った種を蒔くと、空にきれいな夕焼けが。
夕焼けの赤とリンゴの赤と重なります。
岡山のむかし話/岡山県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年初版
福井県には、人魚の肉をたべて800歳までいきたとされる尼の話があるというのですが。岡山のこの話は貝をたべて不老長寿の命をもった女の話です。
主人公は、二十七か二十八のとき大病にとりつかれ、夫が海でみつけてた不思議な貝を食べると大病がなおり、あたりまえの暮らしができるようになります。
ところが、何年たっても年をとらず、二十七,八の姿のまま。
夫が死んで子どもも大きくなって六〇,七〇になっても若いまま。
いつの間にか「化け物」とうわさされるようになり、その土地にいたたまれんようになって、家出して別の土地に住み着きます。
ここでも結婚して子どもももうけますが、やっぱり年をとらず、その土地からも逃げ出します。
何回かそんなことを繰り返してきた女。
女は道に迷った薬売りを家に泊めたとき、こうした自分の身の上話を語ります。
不老長寿は誰でも願うことですが、「山の中に住んでから何年たってしまったか、ようわからん。わたしの産んだ子どもは何百人いるやら、孫までいれれば何千人いるやらわからんほどです。それでもわたしゃ今この山ん中で、ひとりぼっなんですら。」と、たんたんと身の上話をする女に、鬼気迫るものがあります。
子どもを対象に話したとは考えにくく、話し手の方は、どんな場で、この話をしたのでしょうか?。
岡山のむかし話/岡山県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年初版
小学校の先生が採話した昔話で、話し手のお名前がのっています。今でもこうしたことが行われているのか知りたいところです。
病気のおかさんをかかえ、炭俵を運んで駄賃をえていた太郎という若者が主人公です。
仕事をおえた太郎が、子どもたちにいじめられているカメをみつけ、銭とひきかえに、カメを助けます。
出だしは浦島太郎風。助けたカメが娘姿で、太郎を竜宮に連れていきますが、太郎は、カメが背中ではなく、馬にのっていきます。
乙姫様のもてなしをうけ、帰るときになって「いちばんほしいものをいうてくだされ」といわれますが、太郎は乗ってきた馬をもろうて、家に帰ります。
この馬はチャチャラと小判をうみます。いっぺんに大金持ちになった太郎のところに五郎という欲深い男がやってきて、どうしてもと馬を借りていきます。もちろん目当ては小判でしたが、今度はおおきなくそをします。五郎は怒って馬を殺してしまいます。
太郎が泣き泣き馬の死がいをうらの庭に埋めます。
毎日、墓参りする太郎。
あるひ墓の上に小さい木がはえます。ぐんぐん大きくなった木はエノキになり、黄色い花を咲かせます。やがて実がはじけてチャランチャランと小判がふってきて、お金の山ができます。
話し手のかたが、自由に想像力を働かせて話している様子が目に浮かぶお話です。玉手箱をあけると、浦島太郎がおじいさんになるというより、同じ太郎でも、この話のほうが楽しいと感じました。
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ろくろっくび/せな けいこ/童心社/1995年初版
おはなちゃんが隣に引っ越してきて、二階の窓から「あそびましょー」
よくみると首がスルッーと伸びています。
柿をとるのもらくちん。
おもしろいからもっとのばしてみせてというと、おれよあれよというまに、富士山をこえて、雲の上。
「へんなやつだ。やっつけろ!」「そら みず ぶっかけろ!」と水をかけられさんざん。
ひぐれになって、おそろしいかげがうしろからやってきます。
「みこしにゅうどう」でした。
江戸時代風で一つ目の「みこしにゅうどう」も楽しい。
おばけといっても、とってもかわいいおばけでですから、お友だちにしたいと考えるのも不思議ではなさそうです。
たんぽぽ先生あのね/宮川ひろ/ポプラ社/2001年初版
3冊目の宮川ひろさんの作品です。小学校3年生が舞台。
宮川さんのえがく先生は、とても素敵な先生です。
ときにニュースで注目をあびる先生には、首をかしげたくなるところもありますが、ほんの一握りでもあっても、その先生が担任になった場合に苦しめられるのは、子どもですから、先生は完璧でなければいけない厳しい職業です。
康介君は、両親が車の事故で亡くなり、おばあちゃんとの二人暮らし。康介は本読みもできないし、九九もできず、ふらふらして、みんなのじゃまばっかりしているとクラスの親からもあまり歓迎される存在ではありません。
康介を担任することになった上田先生は、最初の日に、根の着いたたんぽぽを教室にもってきます。
出席をとったとき、康介は床に寝ころんでしまいます。
「あのねちょう」という交換ノートをとおして、親の考え方も展開するのですが、「たんぽぽって、根のさかないときに、深く根をのばすんだよ。根がしっかりしていたら、ふまれたぐらいでかれりゃしない。がまんしているときに、根はのびるのさ。」と、たんぽぽを持ち込んだ先生の意図もすぐに理解する親もいて、こんな親がいたら先生の仕事もやりやすくなりそうです。
ある日、康介の姿が教室にみえません。土手で道草してるというので、先生が土手にいってみると、康介はたんぽぽをほっていました。先生はそっと康介からはなれると教室にもどります。
やがて康介が最初の日に先生がもってきたたんぽぽよりも根の長いたんぽぽをもって教室に入ってきます。先生がきびしい声をだすと康介はびっくりしますが、先生がひざをついて、康介と同じ背たけになって、ランドセルごと、康介をだきしめると、康介は先生の胸に顔をうずめて、なきだします。康介はこれまで心配されたことがなく、だいてもらったのもはじめてだったのです。
康介のことを気にかけないクラスの子どものほうがもっと心配だった先生ですが、いつだってからだをかたくし、つっぱっていた康介が泣いているのをみて、わけはわからないのにクラスのみんなもこみあげるものがあって、教室に風がふきわたります。
すぐにクラスの雰囲気を変えてしまう先生。こんな先生にであいたかったなあ。
先生の宿題はだっこです。
おとうさんでもおかあさんでも、おじいちゃんおばあちゃんでもいい、小さいときのようにだっこしてもらって、子守歌もうたってもらえたらいいな。だっこしてもらってもいいんだよ。
先生は正直です。
給食の時間、手洗いした先生ですが、黒板にはくぼくで「あしたもってくるもの」と書きます。そのまま席に座って「いただきます」を待っていた先生ですが、マキちゃんから「先生の手きれい?、はくぼくがついていないの」と指摘されて、はずかしそうにまた手洗いします。
ごまかそうとしたのさと あやまる先生。すると圭一が「手洗いしてからドッチボールで遊んじゃって、だれも気がついていないからごまかそうと思ったんだ。洗ってきまーす」。
すると次々に再び手を洗い出すこどもたち。
たしかにオレンジのかおりがあふれるようです。
だっこを宿題に出す先生。いいな~。
子ども目線もできそうでむずかしい。
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ぽけっとくらべ/作:今江 祥智 絵:和田 誠/文研出版/2005年初版
"とんとんむかし"という出だしですが、昔話ではなく、山ネコが人間から失敬してきたエプロンのポケットから、ハンケチ、あめ玉、時計を次々にとりだしたのをみた動物たちが、便利なもんやないかとポケットくらべをすることに・・。
どんなポケットがでてくるか興味津々です。
ブタがつくってきたのは、長い長い靴下風。豆を次々にいれていきますが、最後が楽しい。
キツネは四十八もついたポケット。
タヌキは、腕もポケットも四十八。
サルは三十一匹、みんな左右にポケットがついていて、おじぎ、げんこつもシンクロしています。
カンガルーは普段着のまま。
最後にカメがでてくるのですが・・・。
ところどころの関西弁風の文がきいていて、絵もなんともいえません。個人的にはヤマアラシが印象に残りました。
また、裏表紙のサルが上着にポケットを縫いつけています。
ポケットから何がでてくるかを想像すると楽しそうです。
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きんいろの しか/文:唯野元弘 絵:清水 耕蔵/鈴木出版/2013年初版
インドの説話集「ジャータカ」をもとにした絵本です。
絵は日本のかたが描いたとは思えないほど、古いインドの雰囲気があります。
とくにお妃の衣装が素敵です。
金色のシカに命を助けられた男が、誰にも言わないというシカとの約束を破り、王さまに金色のシカの住んでいる場所を教えてしまいます。
王さまは、シカを射止めようとしますが・・・・。
シカは自分の居場所を誰が教えたかを王さまに問いただします。
シカが男を助けたことを王さまに話しますが、それを聞いた王さまが男を捕らえるように命じます。しかし、シカは、男にかかわるのは恥だとして、男を許すように王さまにいいます。
約束は守ろうというテーマはシンプルです。
また、王さまはけものをとったり、ころしたりすることをやめさせるのですが、命を大事にするという説話らしい絵本です。
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ちいさなふるいじどうしゃ/作・絵:マリー・ホール・エッツ 訳:たなべいすず/冨山房/1976年初版
カラフルな絵本が多い中で、この絵本はモノトーンで、地味な感じがしますが、初版が40年前のものですから、なんとなく納得できました。
小さな古い自動車が、カエル、ウサギ、アヒル、牛、ぶたと卵をかかえたおばあさんを次々に跳ね飛ばして、最後には機関車と衝突。自分はばらばらの部品になってしまいます。
乱暴かとも思える展開ですが、繰り返しの連続ですから、次に何がおこるかわかりやすいところもあります。しかし最後には、機関車と衝突してばらばらになってしまい、その部品のいく末もどうなったか気になります。
この自動車大分クラシックで、自分をコントロールできません。
坂道を全力で走るのですが、多分ブレーキがきかなかったのでしょう。
あらららと感じるのは大人の感性で、子どもはびっくりしながらも、真剣に受け止めるのかもしれません。
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パンパさんとコンパさんはとってもなかよし/作:角野 栄子 絵:長崎 訓子/講談社/2003年初版
外国の絵本かと思ったら、作は角野栄子さんです。
絵本は横にめくっていくものと思うと、縦にみたり、文章も絵のなかにあるもの、余白をうまくつかうもの、交互のページに文と絵がでてくるものといろいろです。
この絵本は同じページに二つの絵がでてきます。
コンパさんは飼い主、コンパさんは犬です。
この二人?は気のあうどうしで、ねるのも、ゆめも同じ、着るものも一緒。食事も同じ。おしっこも一緒。喧嘩も一緒。
ちょっと違うのはいばりんぼとけちんぼのところ。
いちばんすきなのはかわいい女の子。でもこればっかりは半分にできないので、二人は別れておよめさんさがしにでかけます。
家族がふえてもやっぱり、一緒に住んで同じ夢をみます。
いいな!パンパとコンパ。喧嘩してもすぐ仲直りできます。