どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

青い花

2021年07月18日 | 安房直子

     青い花/安房直子・作 南塚直子・絵/小峰書店/2021年

 

 岩崎書店から1983年に刊行された同作を南塚直子が銅版画で全面的に描き直したとありました。

 裏通りに「かさのしゅうぜん」という大きな看板がかかった 小さいかさやがありました。

 降り続いた雨が、やっとあがると、町中のこわれた傘の修理が、この店に舞い込みました。腕のいい傘屋の若者がいつもの三倍の傘を修理すると、いつになくたくさんのお金が残りました。

 屋根の修理、新しいカーテン、油絵具、新しいギターと ほしいものは まだまだたくさんありました。

 ほそいほそい雨がふるなか、街に買い物に行く途中、小さい女の子が 垣根にもたれてぽつんとたっているのをみつけました。傘もささずに 遠くを見つめてみていました。

 傘のこととなると 人一倍夢中になる若者は、女の子に雨傘をつくってあげようと、傘に貼る布を探します。女の子が選んだのは とても高い値段がついた青いきれでした。

 傘ができたら届けてあげようと、家の場所をきくと、女の子は「さっきのまがりかど」でいいといいます。

 買い物の目的も忘れ、若者は、夜遅くまでかかって雨傘をつくりました。

 「海の色に にているわ」水色の服の女の子は傘をさしてかえっていきました。

 それから不思議なことがおこります。たくさんの女の子が青い雨傘をもとめてきたのです。その日から若者は眠る暇もないくらい青い傘をつくりつづけます。お客があとからあとからやってきて、十日もたたないうちに 若者は たいへんな お金持ちになりました。

 新聞の記事にもなって青い傘を求める人がたえません。そのうち傘の修繕をことわるようになります。前に修繕を頼んだ人が、傘を取りに来ても壊れた傘は ひとつも直っていませんでした。

 ところが、ある日、とつぜん 青い傘が見向きもされない日がやってきます。新聞に「雨の日には レモン色のかさをさしましょう。 ○○デパート」という広告がのったからでした。

 裏通りの小さなかさやにやってくる人は、だあれもいなくなります。ほそい雨がふっていた日、店に 雨に濡れた小さいお客がやってきました。「あたしのかさ なおっていますか」といわれても、はじめは気がつきませんでしたが、さいしょに青い布をえらんだ女の子でした。 

 その夜、女の子の青い傘をていねいになおし、若者が 前のところへいくと水色の洋服がみえてきました。若者が雨の中を一目散にかけだし ちかづいてみると そこには だあれもいませんでした。曲がり角の 低い垣根には、いつの間にか、あじさいに花がまるで、大きな青いまりのように咲いて、雨にぬれていました。 

 

 安房作品にはかかせない小さなお店、職人、そして花。

 お金持ちになって、いつのまにか傲慢になっていた若者におとずれた寂しさ。忘れてしまっていた大事なことに気がついた若者でした。

 紫陽花の花言葉のひとつは「移り気」。町中の傘が、青からレモン色に変わるのに どきっとしました。

 梅雨の時期に読みたい作品です。


海の館のひらめ

2020年05月18日 | 安房直子

       海の館のひらめ/遠い野ばらの村/作・安房直子 絵・味戸ケイコ/偕成社文庫


 島田しまおは、16歳でレストランアカシヤに働くようになってから6年。

 料理人は島田を入れて6人でしたが、いつまでたっても下っ端で、毎朝山ほどの玉ねぎを刻む仕事から皿洗い、なべ洗い、流しみがきに、ごみのそうじをしていました。

 馬鹿正直でゆうずうがきかなくて、人のきげんをとるのがとてもへたで、料理長は料理のコツは何一つ教えてくれませんでしたし、なべに残ったソースの味見させるのさえいやがっていました。そして「きみはもう、やめたらどうだい。海に館のひらめにでも見込まれないかぎり、一人前になるのは、とてもむりだよ」とまでいっていました。

 すっかり気がめいいって、指にけがをしたり、ソースのなべをひっくりかえしたり、悪口をいわれたりして、この店はやめてほかのところで、やりなおそうと心に決めました。

 ところが、そのとき「しんぼう、しんぼう」と、だれかがいいました。まわりをみまわしてもだれも、しまおに話かけてはいません。すると、また小さな声がきこえてきました。「わたしが力になってあげますから、もうすこし、ここでしんぼうしなさい」。

 それは死んだお父さんの声ににています。そして、しまおは、流しの下の氷の上に寝ているいっぴきのひらめを見つけたのです。

 ひらめは、「わたしは、もうすぐ料理されて、食べられてしまいますけどね、骨だけになっても、ちゃあんと生きています。だから、わたしの骨を、ごみバケツなんかに、捨てないでください。わたしの骨を、大事にしてくれたら、わたしはきっと、あなたの力になります。」といいます。

 よごれた食器がどっど、もどってくると、しまおは、食器の中にあのひらめの骨を見つけ、すばやくふきんに包んで、ポケットに入れました。その夜、屋根裏の小さな部屋にかえると、ひらめにいわれたように大きめのガラスのコップに塩を一つまみ水の中にいれ、さらにひらめの骨をいれます。

 すると、骨だけのひらめがいきかえり、「役目が終わったら、海にかえしてください」といいます。

 ひらめの役目は、しまおを、一人前の料理人にして、店を一軒持たせてあげるというのですひらめは、まじめな人間が、損ばかりしているのが、わたしには、がまんできませんでねえ・・ともいいます。

 ひらめの助言は、まず店一軒を手に入れること。アカシヤで働いた給料を無駄遣いせず、きちんとたくわえてきましたが、とても一軒の店を手に入れる金額にはたりません。けれども、ひらめは売りに出ているレストランにいくよういいます。夜9時過ぎ、売り店をたずね、6年分の給料を銀行からおろした金額で、売ってくれるよういいます。全然足りないという売主に「ぼくには、海の館のひらめがついていますから、けっして損はおかけしません」というと、男は「残りの金は来年中に、かえしてくれればいい」と、しまおに店を売ってくれることに。

 それからは、ひらめが料理の作り方を伝授。アカシアでの仕事がおわると、夜中に購入したばかりの店で練習です。わき目もふらずに料理の練習をつづけ、ほんのすこしのあいだに腕利きの料理人になってしまいます。ただ働きづめに働いて眠る時間も休む時間も無くなって、すこしやせ、ときどき頭ががふらふらします。

 ひらめは、そんなしまおに、体をやすめて、開店まで力をたくわえるよういいながら、さらに「あなたは、およめさんをもらう必要があります。明るくて気だてがよくて、働き者の娘さんを見つけて、結婚することですよ。」「レストランは、なんといったって、客商売ですからね、いくら料理の味がよくても、あいそのいい奥さんがいないと、うまくいきません。」と、あるちっちゃい喫茶店でピアノをひいている娘さんを紹介します。

 ここでも、ひらめにおされて、勇気を出してぶつかっていったしまおでした。

 娘の名まえは”あい”、「海の色の名まえ」でした。

 まもなく しまおはアカシヤをやめ、あいと、ささやかな結婚式をあげて、新しい店へ移っていきました。新しい店の開店準備をすませると、二人は海に行き、ちいさな舟で沖に出ると、真っ白いナプキンにつつんだ骨を海の水にうかべ、心から「ありがとう」と、いいました。

 「海の館のひらめ」は、レストランアカシヤの料理長も、店を売ってくれた男も聞いていましたし、娘の夢にもあらわれます。何百年に一度しか手に入らない、死んでも生きかえるすばらしい魚で、見込まれたものは、とびきりの果報者だといいます。

 昔話では、よく不思議な助言者が登場しますが、「海の館のひらめ」も、そんな助言者で、ひっこみがちな しまおの背中をおしてくれる存在です。


緑の蝶

2020年04月30日 | 安房直子

        銀のくじゃく/作・安房直子 絵・高橋和枝/偕成社文庫


 春から夏への時期の、蝶の世界へ引き込まれそうになった”ぼく”の話。

 風もなく鳥もなかかず、物音ひとつしない夕暮れ、いつも気になっていた緑の蝶を捕まえようと、そっと近寄って白い網が蝶の上にかぶさったとおもったとき、蝶はまいあがっていました。

 木陰から木陰へ、植え込みからつぎの植え込みまで蝶の後をおいかけると、いつのまにか走れば走るほど庭はひろがり、見たこともないバラのアーチをくぐり、ひまわりの花畑をなんかかを走っていました。

 波だつ緑のおくで、蝶はときどき、ほほっとわらいました。その声は一ぴきだけでなく二ひき三びきも。

 とうとうつかまえたとおもったとき、手にはかしわの葉がいちまいだけ。

 うす暗い森のなかで、たき火がパチパチ燃えていました。そのまわりには緑の服を着た女の人が五・六人。女の人の手のグラスには、あわだつ緑色の飲みものが、なみなみとつがれていました。

 女の人がグラスを持った手を、ぼくのほうにのばして、飲む?と、目でききました。

 ぼくは、きゅうに、のどがかわいてきて、おもわず手をのばしました。ぼくの手が、その人のすきとおった緑のそでにふれたとき、ぱらぱらと花粉のような粉が、こぼれおちました。

 ぼくは「いらない!」とさけびました。この飲みもをのんだ者は、たぶん、もう帰れなくなるのです。そう、このふしぎな夏の森で、ちょうのおばさんのとりこになってしまうのです・・・。

 女の人たちがわらいはじめると、いつまでもわらっているのでした。そしてたき火が大きくもえあがり、森全体をめらめらと燃やします。美しさにみとれて気がつくと、火は赤くしずかに燃えているようでした。が、あつく、あたたかくもありませんでした。それは花ざかり、つつじでしたから。

 

 緑の蝶、花ざかりのつつじ、たき火の赤と、色彩と不思議な世界の物語です。そして夕暮れの静寂と夏の匂いも感じられます。


エプロンをかけためんどり

2020年04月29日 | 安房直子

          遠い野ばらの村/作・安房直子 絵・味戸ケイコ/偕成社文庫


 ちょとした病気でおかみさんをなくしたお百姓の三十郎さんは、五歳の初美、三歳の志津、まだ赤んぼうの政吉をかかえ、畑仕事、子どもの世話、ご飯の支度、掃除、洗濯を全部ひとりでしました。だれがもこのことを知りません。隣の家とはだいぶはなれ、したしい親戚もなかったのでした。

 おくさんをなくしてひと月もすると、三十郎さんも病気で寝込んでしまいました。

 こんなとき、小さな紫のふろしきつづみをしょって、真っ白いエプロンをかけためんどりが三十郎さんの家にやってきました。それは何年も前に庭のとり小屋からにげだして、それっきりどこへいったのかわからないにわとりでした。

 めんどりは「おてんとさまの国に行ってました。」と、すずしい顔。

 それから家の仕事はぜんぶめんどりが。おかゆを作り、土間のすみっこのわらたばのところでたまごを一つ生むと四人前の卵焼きをつくり、畑からねぎを一本一とってくると味噌汁をつくりました。

 みんながたべているあいだには洗濯です。もちろん縫い物も。

 めんどりは、眠れない初美に、おてんとさまの国のことを話してくれました。そして押入れのなかにはいると、星もみせてくれます。

 めんどりがやってきてからは家の中は、きちんと整頓され、汚れ物は真っ白にあらわれ三十郎さんも元気になって畑仕事をするようになりました。

 ところが半年を過ぎた頃、三十郎さんは苦しかったことをわすれ不満をもつようになります。ごはんのおかずが、たまごと漬物ばかりなのが気にいらなくなり、初美がめんどりと楽しそうにしていることが心配になりました。

 そんなある日のこと、村のよろずやのおばさんがやってきて、「子どもたちには、どうしても母親が必要さ。」と、三十郎に再婚をすすめます。

 婚礼の日、めんどりを殺して料理することを思いついたのは、このおばさんでした。

 めんどりは、婚礼の前の日、すべての料理を用意しました。

 婚礼のその日、めんどりの姿はありませんでした。

 新しいおかみさんが、三羽のひよこをかうと、どんどん大きくなり、十一月のある日、三羽のにわとりはふわりと空へとびあがあがっていきます。初美は「おてんとさまの国にいくんだよ」といい、「また来ておくれよ。エプロンかけて、魔法の道具持って、いつかきっと、来ておくれよう。」と大声で叫びます。

 

 三十郎は苦しい時期を助けてもらったのにもかかわらず、喉元を過ぎれば感謝の気持ちがなくなるのはずいぶん身勝手。

 めんどりと初美の楽し気なようすが続きますが、多分初美にとって、めんどりは母親そのものだったのでしょう。

 世話好きのおばさん、ちょっと前にはよくみられました。

 めんどりが縫物をする姿、ちょっと想像できません。          


おしゃべりなカーテン

2019年07月12日 | 安房直子

 

     おしゃべりなカーテン/子どもの文学傑作選/安房直子・作 河本祥子・絵/講談社/2004年初版


 10篇のお話。目が弱って洋服つくりは、もう無理と、おばあさんが古いミシンをつかって、ちょっとしたいい仕事をしたいとはじめたのが、カーテン屋さんです。

 カーテンを作るときは

「カーテンぬのは かんたんかんたん まっすぐまっすぐ ぬえばいい

日の光よりまっすぐに 北風よりもまだはやく まっすぐまっすぐ ぬえばいい」と歌います。

 題名を並べると、このおばあさんのつくるカーテンがうかんできます。

海の色のカーテン>1986年初出
 夏。海で育った男が、海の色のカーテンを注文します。こい水色、うすい水色、黄色、薄紫、白いレース5枚を重ねたカーテンは、波の音、海のにおい、水のつめたさを感じさせてくれます。

 口をきくカーテンです。

月夜のカーテン>1986年初出
 秋。月の光がまぶししぎるからと小さな白いチョウの注文のカーテン。しっとりとして、つややかで、ふかいふかいやみの色のカーテンです。

秋のカーテン>1986年初出  
 お客のこない台風の日、仕事部屋の白いカーテンから催促されて、枯葉色、ぶどういろ、やぐるまそう色、すすきいろ、秋のゆうやけいろのカーテン55枚をつくって、お部屋のカーテンをとりかえませんかと張り紙します。

ネコの家のカーテン>1986年初出
 秋。ねこの注文で、リボンもようのカーテンをつくります。届け先は、すすき野原のにれの木のうしろです。

 ねこのお礼は、半月形のワッフルです。

歌声のきこえるカーテン>1986年初出
 枯葉のコーラスが聞こえてきます。いちょうの葉の声、かきの葉の声、もみじの声。

 翌朝、木の葉がみんな散って、庭は冬の景色です。

ピエロのカーテン>1986年初出
 ピエロが、おばあさんのつくったカーテンをのぼって、金色、銀色、すきとおった青、もえているような星をとってきます。

お正月のカーテン>1987年初出
 洗濯機のなかで、ぐるぐるまわされたり、ぎゅうぎゅうしぼられたりしたら、生きていけませんというカーテンの注文で、手洗いでお正月の準備をします。

雪の日の小さなカーテン>1987年初出
 ねずみが結婚式にかぶったレースのベールをつかって、カーテンをつくります。ねずみのおばあさんがお礼に作ってくれたのは、親指さきくらいの針さし。

 ぬかがはいっている針さしをつかうと、針はけっしてさびないし、ぬってもぬってもつかれない針さしです。

春風のカーテン>1987年初出
 赤ちゃんが生まれてはじめて見るカーテンをつくてほしいと春の野原にそっくりのカーテンをつくります。

 うめ、れんげ、なのはなのにおい、小鳥の声、小川の流れる音も聞こえてくるカーテンです。

 四季とさまざまの色。そしてにおいや音の聞こえるカーテン。
 不思議な世界にいざなってくれます。
 女性ならではの繊細さがいっぱいのお話しです。

 他の作品より少し短いので、語るにも適しているようです。   


やさしいたんぽぽ

2019年04月27日 | 安房直子


     やさしいたんぽぽ/安房 直子・文 南塚直子・絵 /小峰書店/2018年


 日が暮れてだれもいなくなった野原にひとりの女の子がたっていました。おかあさんから、眠っている子ねこを捨ててきなさいといわれやってきたのです。

 まだ小さく暖かい子ねこ。すてられたねこはどうなるのでしょう。真っ暗闇で、抱いてくれる人もミルクをくれる人もいなく。こねこはどうなるのでしょう。女の子は、なきながらつぶやきます。

 すると女の子の足元が、ぴっかとひかりました。ちいさく、まるで黄色い豆電球がともったようです。 するとあっちにも ひとつぶ、こっちにも ひとつぶづつ黄色いあかりがふえていきます。そして野原は一面明かりの海になりました。

 黄色い光は、たんぽぽでした。いぬやねこが、この野原に捨てられる日は、こんなふうにひかるといいます。

 子ねこのために、たんぽぽの切り口からは、まっしろいミルクがあふれてきます。

 子ねこの首にたんぽぽをかざると、電車がやってきます。電車にはたくさんのいぬやねこが。
 野原から野原へ捨てられた動物たちをひろってはしる不思議な電車でした。

 女の子のこねこも、<ひかりのくにゆき>の電車にのりこみます。

 すてられそうになった動物たちは、ひかりのくにで、しあわせに暮らしているのでしょうか。

 夕暮れとたんぽぽの黄色の絵が幻想的です。春の夕暮れには、素敵なできごとが起こるんですね。

 たんぽぽから、こんな物語を紡ぎだす安房さんの世界です。


ひめねずみとガラスのストーブ

2016年12月28日 | 安房直子


     ひめねずみとガラスのストーブ/安房直子・作 降矢なな・絵/小学館/2011年初版(初出1969年)

 

 風の子のくせに寒がりのフーは、くまのストーブ店でガラスのストーブを手にいれます。みかん色の光で、春の若葉にふわりとくるまっているようなストーブです。
 「お日さまがおっこちてきたのかと思った」とやってきたのは、ひめねずみ。

 ストーブに、おなべとやかんをかけ、ひめねずみは、料理をつくり、食後のあついお茶ものみます。
 ひめねずみのやきりんごはとてもうまいのです。

 ひとりぼっちだったフーとひめねずみは、いっしょにくらすことに。

 しいんとこおりつくような寒い晩にオーロラという風の子のお客がやってきます。

 「日のくれない国」にひかれたフーは、すぐに帰ってくるからと、オーロラと旅立ちます。

 まってもまってもフーからは、手紙もはがきもきませんでしたから、一人のこされたひめねずみは、料理する張り合いもなく、つくるのをやめます。
 悲しい気持ちでいく日もいく日もすごした、ある朝、ひめねずみはオーロラがおいていったコーヒーを思い出し、コーヒーをわかします。
 コーヒーのかおりが森の中にたちこめると、かおりにひかれて、五十匹のひめねずみが、ストーブのまわりに集まります。
 たった一人ぼっちだとおもっていたひめねずみは、たくさんの仲間が、同じ森の中にいたことをはじめてしります。

 それから何年もたって、フーが遠い国からもどってきます。

 フーがみたのは、千匹ものひめねずみでした。
 昔と同じようにたった一匹のひめねずみがまっていると信じていたフーでしたが、よくよくきいてみると、料理の上手な女の子のひめねずみは、とっくに死んでいたのです。

フーが旅立つ日、多分二度とあうことがないことを予感したひめねずみ。

 もどってきたフーは、おおぜいのひめねずみや小さくなったストーブを見て、ここに入っていくことのできない世界を見て、「さよなら」とゆっくり歩きだします。

 真黒な森の中で、ガラスのストーブがもえるさまが、気持ちを温かくしてくれます。
 降矢さんの絵も素敵です。


安房作品の擬音語

2015年11月11日 | 安房直子

 いろいろありますが、とりあえずきがついた、いくつかの擬音語について。


・「猫の結婚式」
 結婚式で、はなよめチイ子が料理を食べるシーン。
 「ほろほろ」と貝のピラフなんかを食べていました。

 この、ほろほろという擬音語は、「初雪のふる日」にもでてきます。

 「ほろほろと、雪がふりはじめました」。


・「遠い野ばらの村」

 おまじないは”のんのん”です。


・「北風のわすれたハンカチ」
 ホットケーキを食べながら、北風の少女は、いいます。
 「雪は、ほと、ほと、って歌いながらおちてくるのよ」

・「鶴の家」
 猟師の長吉さんがよめさんをもらった晩。

 落葉をふみしめる音が”しんしんしん”と、ひびいてきます。


北風のわすれたハンカチ

2015年11月06日 | 安房直子

 両親も兄弟も人間にドーンとやられて、ひとりぼっちになったつきのわぐま。

 強いから泣くまねなんかしないよといいながらも、胸の中を風がふいているようで、さびしかったくまは

 「どなたか音楽をおしえてください。お礼はたくさんします。」

 こんな張り紙をします。

 やってきたのは北風。

 一週間後やってきたのは北風のおかみさん。

 さらその一週間後やってきたのは北風の少女。

 北風のお父さんからトランペット、お母さんからバイオリンを教えてもらおうと思いますが、どちらもうまくいきません。

 三番目にやってきた少女に、お礼はなにもないというくまに、少女はハンカチをとりだし、50数えるとホットケーキの材料があらわれます。

 ホットケーキを食べながら、北風の少女は、いいます。
 「雪は、ほと、ほと、って歌いながらおちてくるのよ」
 「風にだって雨にだって歌があるわ。木の葉だって、花だって歌をもっているわ」

 この少女がいってしまうと、さびしい自分になってしまうと思いながら少女に声をかけようとするくまでしたが・・・・。

 少女が立ち去ったあと、椅子の上には、青いハンカチがありました。

 また来たときハンカチを返そうと、しまい場所を、さんざん考えたすえに、自分の耳のなかのしまうことにしました。

 するとふしぎな音楽がきこえてきます。雪の音でした。


 ”死”という言葉を使わないで、”ドーンとやられて”とあると、なぜかもっと悲しい感じになります。

 北風は青い馬にのってやってくるのですが、つい最近見た絵本のなかに、青い馬があって親近感がありました。

 多分、素敵なハンカチは、北風の贈り物だったのかもしれません。

 くまの気持ちには北風、青い馬がぴったりしています。南風や東風だったら、また別の物語になりそうです。

 独特の擬音語も安房さんが初期のころから使用していたのがわかりますが、読みながら宮沢賢治の世界と重なるようにも感じました。


小さいやさしい右手

2015年10月28日 | 安房直子

     小さいやさしい右手/北風のわすれたハンカチ/安房直子 牧村慶子・イラスト/ブッキング/2006年


 初版が1971年というので、安房さんが28歳の作品。

 安房さんは、グリムやアンデルセンに親しんでいたようで他の作品ではあまりそのことを感じたことはなかったのですが、昔話の世界が感じられる作品です。

 まものがでてきて、姉妹がでてきますが、妹はまま子。
 姉妹は、うさぎに食べさせる草を刈るため、毎日のように野原にでかけますが、上のむすめはよくといだ鎌で、下のむすめの鎌はさびた古い鎌。

 上のむすめは、お昼すぎに草を刈り終わるのですが、下のむすめは、星が二つ三つ光りはじめるころに、やっとかえる毎日。

 姉妹がいて、まま子が母親からいじわるされるのは、昔話のでだしです。

 姉妹をかしわの木のそばでみているのは小さいまもの。
 まものは、おまじないをして、右手を開くと、食べものでも、金貨でも、小鳥でも、片手に持てるものなら、ほしいものが何でもその手にはいってくるまほうをおぼえたばかりでした。
 まものは、一人前になるまで、けっして人に姿を見せてはならないのです。

 まものは、下のむすめに毎朝よく切れる鎌をわたします。まものはおぼえたての魔法をだれかにみてほしいと考えていたのです。
 むすめは、朝、姉よりはやくかしわの木のところで、やさしい声で歌います。
    小さいやさしい右手さん
    あたしにかまをかしておくれ
    氷みたいによくといだ
    まほうのかまをかしておくれ

 草を刈ることが、前よりずっと早くおわるので、不思議におもった母親が、姉に様子をみてくるように、いいつけたので、かしわの木のところで鎌をうけとっていくところを見られてしまいます。
 いじわるのおっかさんは、砂糖をたっぷりとなめて、下のむすめとそっくりの声で、かしわの木のところで歌います。
 すると黒い手がのびてきて、ピカピカの鎌をさしだしますが、おっかさんはそれをひったくると、その鎌でまものの右手を切り落としてしまいます。

 グリムの「オオカミと七匹の子ヤギ」では、オオカミがチョークを食べて声をかえますが、ここでは砂糖をなめます。

 まものはやがて二百倍も三百倍もしかえしをしようとかたきうちの誓いをたてます。
 人間の姿をほかのものにかえる魔法を身につけたのは20年後。
 右手を切り落としたのは、下のむすめだと思って、あちこちさがしますがみつかりません。
 探したのは、子どもだけでしたから。

 下の娘は粉屋のおかみさんになっていました。

 太ったおかみさんは、まものにお菓子をくれますが、そのとき、昔歌ったふしで、おかみさんは、子どもの頃を思い出します。
 やがてまものは二十年まえのむすめときがつきます。

 自分が思い込んでいたことがまちがいだったことにきがついたまものに、おかみさんは語りかけます。

 「その人のこと、許してあげられない? かたきうちをしないどころか、その人によくしてあげることよ」

 まものは、どうしてもそうしなきゃならないのか、おかみさんのいうことがわかりません。

 しかし、おかみさんのもっている、ひとかけらのすき通ったものを自分もほしいとおもうと、急に胸があつくなり、ポロンとなみだがおちます。だんだんはげしくすすり泣きます。
 それは、まものが流すはじめての涙でした。

 こぼしたたくさんのなみだが、まもののからだをすき通ると、ある朝、暗いかしわの木から、すき通るとおるように白い若者が、まぶしい日の光にとびだしていきます。

 許すかわりに、若者にかわったまものは、その後どうなったでしょうか。

 下のむすめが粉屋のおかみさんになっているのですが、粉屋も昔話にはよくでてきます。

 後半の憎しみや怒りを許すというのは、やはり安房ワールドでしょうか。

 いつもは安房作品によくでてくる食べものや、木、花、植物がでてきません。また色が感じられないのも初期の作品の特徴でしょうか。        


猫の結婚式

2015年10月21日 | 安房直子
        猫の結婚式/安房直子コレクション4 まよいこんだ異界の話/安房 直子/偕成社/2004年


 宿なし猫のギンからとどいた一枚の結婚式招待状。

 結婚式にいくと、花嫁は、なんと”ぼく”が毎朝ブラシをかけてやっていて、毛並みが輝いて、まるで白いビロードのように見える白猫のチイ子でした。

 いつどこでこうなったやら。

 あわてるぼくに、ギンはいいます。

 北の海のほとりに猫の町があって、そこではたくさんの猫が自分で網をこしらえ、魚をとって暮らしています。人間のおこぼれなんかもらわず、自分の力で暮らしています。そこにうつり住みます。

 猫だって自由がほしいのです。

 決意?した猫をとめることは難しそうです。

 猫が自由を選択したら、いさぎよく送り出したいものです。

 結婚式で、はなよめチイ子が料理を食べるシーン。
 「ほろほろ」と貝のピラフなんかを食べていました、とあるのですが、ほろほろというのはどんな感じでしょうか。

安房さんの物語のお店

2015年10月07日 | 安房直子

 安房さんの物語に出てくるお店。どれもこじんまりしていて、ひとくせもふたくせもあるお店です。とりあえずあげてみました。


  「三日月村の黒猫」     洋服屋
  「ライラック通りの帽子屋」 帽子屋
  「海の館のひらめ」     レストラン
  「遠い野ばらの村」     雑貨屋
  「ふしぎな文房具屋」    文房具屋
  「オリオン写真館」     写真館
  「カーテン屋さんのカーテン」カーテン屋
  「ひぐれのお客」手芸店

  「魔法をかけられた舌」   レストラン
  「空にうかんだエレベーター」子ども服
  「青い花」         かさ屋
  「海の口笛」        かけはぎ屋(職人といったほうが適当か)


三日月村の黒猫

2015年10月04日 | 安房直子

      三日月村の黒猫/安房直子コレクション4 まよいこんだ異界の話/安房 直子/偕成社/2004年 1986年初出


 同じコレクション4の「丘の上の小さな家」とは対照的な物語。

 丘の家では、母親と少女ですが、「三日月村の黒猫」では、父親とうまれてまもなく母親をなくした少年です。
 父親が借金のため朝逃げ?し、少年は一人残されるが、少年を助けてくれたのは、ネクタイをした片目の黒猫でした。三日月村には、黒猫の帰りをまつ、エプロンをかけた奥さんがいます。
 丘の家でも主人公の話し相手になるのは猫です。

 丘の家では、主人公がレース編みを習ったレース学院からかえってくると、40年がたっていましたが、三日月村では、ダムの湖底に沈んだまぼろしの村で、ボタンづくりを覚えますが、もとにもどっても歳を重ねることはありません。

 二つの作品には、未来と過去が交錯して、同時に読むと一層の魅力があります。

 たくさんの借金をかかえて、三代続いた老舗の山本洋服店をつぶしてしまったお父さんが、おまえのことは三日月村のおばあさんに頼んでおいたと言い残して、どこかへ行ってしまいました。残されたのは12歳のさちお。

 借金取りにおわれ、途方にくれるさちおのもとへ、おばあさんの使いでやってきたという黒猫があらわれます。

 黒猫は、たったひとつ残された古い手まわしミシンを使って、洋服の寸法直し、縫い直し、ボタンのつけかえなど、修繕をはじめるよういいます。
 なんとか洋服店が軌道に乗り、どうやらこうやら暮らしていくことができるようになったある日、十五年前にこの店で作った洋服のボタンかけをたのまれ、家じゅうのなかを探しますが同じボタンはみつかりません。そこで、ボタンを作った、おばあさんのいる三日月村にいくことに・・。

 ボタンをさがしているとき、みつかった四角いかん。そこには森の夜の林の絵があって<三日月村のボタン>と書かれてありました。この絵をずっとみつめていると、林の奥にあかりがともり、いつのまにかさちおは夜の林のなかに立っていました。

 ここでさちおは、ボタンづくりをはじめます。

 首都圏のみずがめになっているダムですが、ダムをつくるなかで、どのくらいの村が湖底に沈んでいったのでしょうか。豊かさのなかで、何かを失ってきてはいないのでしょうか。
 生まれ育った村をおわれた人々にはどんな未来があったのでしょう。

 湖底に沈んだ村への鎮魂歌のようです。

 さちをのおばあさんは村での暮らしを望んで、猫の夫婦とボタンづくりを再開します。

 けっして入ってはいけなといわれた二階の部屋。しかしさちおはどうしてもきになって、のぞくだけならいいだろうとかぎ穴に目をやります。そこには<外>がひろがって山の谷間にある草原。鳥たちがさえずり、たくさんの花。じつは工房でつくられたボタンが、みんな本物にかわっていました。十何年も前の三日月村の景色でした。(昔話「みるなの座敷」では、タンスをあけると春夏秋冬の景色がうかびあがってきます。)

 黒猫は「わたしたちは、むかしの明るかった三日月村をなつかしく思っています。だから二階のへやに、ほんのひとかけら、むかしの三日月村をこしらえて、だいじにだいじにしているんですよ」といいます。

 ぼくもはいってみたいというさちおに、へやに入ったらへやのとりこになってこの家から動けなくなると黒猫は忠告しますが・・・・。

  さちおが三日月村にいくとき、ふくろう、シラカバの木の歌
  朝つゆのボタンをつくるときのさちおの歌、ふくろうの歌
  朗読のときは、どんな風にうたうのでしょうか。

ー三日月村のぼたんづくりー
 三日月村のボタンの着いた服を着たひとは、なんともいえず、いい気分になれます。春の山の緑を歩いているみたいな、秋の林の中で落ち葉の風にふかれているみたいな、ときには耳に鳥の声が聞こえてきたり、谷川のせせらぎの音が聞こえてきます。

 花、木の葉、虫、鳥のボタンなどがありますが、花のボタンはどうでしょう。リスたちがつくるのは、きすげ、すみれ、ふでりんどう、野ばら、山ゆり、まつむし草など。
 木の葉のボタンは、葉脈のひとつひとつまで彫られています。

ーおばあさんの家ー
 <三日月村ボタン工房>の木の看板がかかって、昔 大家族で暮らしたことを思い出させるどっしりした古い大きな家。しかし、今はおばあさんと猫の二人暮らしです。

 大きなストーブにはおおきな鍋がのせてあります。カーテンは緑色、壁には木でできた壁掛け、二階に上がる階段の下には古いオルガンがひっそりおかれています。いまこのオルガンをひいているのは黒猫でした。


丘の上の小さな家

2015年10月01日 | 安房直子

     丘の上の小さな家/安房直子コレクション4 まよいこんだ異界の話/偕成社/2004年 1989年初出


 ちょっぴり、ほろにがさを感じさせる物語。

 13歳のかなちゃんが家を留守にしたのは、クモのレース学院にいっていたほんの7,8時間のはずだったのですが、家に帰ってみるとお母さんは亡くなっていて、40年がたっていました。
 クモがみごとな巣をつくっているのをみて、この世で一番美しい模様を編んでみたいとレース学院に入学したかなちゃん。

 家に帰るとまだらの猫がむかえてくれますが、すばらしいレース編みをつくると、町の評判になって予約が30枚もはいります。
 しかし、あまり騒がれるので、やがてお客をみんなことわり、猫を話し相手にすごしますが、春になるとレース編みを教えてくださいと、むかしのかなちゃんを思わせる13歳の少女がやってきます。
 その少女もレース学院にはいりたいと尋ねますが、かなちゃんは首をふります。
 そしてかなちゃんが少女にいったことは?

 木もれ陽編みと呼ばれるレース編みを身につけるのは、40年の歳月をようし、かなちゃんはうしなったたくさんのことを考え、きらめく日々を、むざむざ捨ててしまったことを後悔します。

 しかし、猫の「いつまでもかなしんでいるのはやめましょう。新しい生活をはじめましょう。ぼくはあなたの力になりますよ。」という言葉にうなずいて、あたらしい生活をはじめます。
 きっかけをくれた猫は、その後もかなちゃんのよき話し相手になります。

 かなちゃん、いつか自分が花嫁になる日のためのレースを編んでいるのですが、13歳で花嫁になる日のことを考えるのは、男にとっては想像がつかない。結婚願望か・・ハアア。

 青春の一番輝く時期を失ったかのようにみえるかなちゃんですが、ぎらぎらする青春のかわりに、じっくり味のある50代をむかえられたのは、かえってよかったのかもしれません。


<丘の家の風景>
 かなちゃんの丘の家を目に浮かべてみます。
 ゆるい坂道をゆっくりのぼっていくと、赤い煙突のついたかわいい家がみえます。寝室の入り口にはりんごのアップリケのあるスリッパ、部屋のなかには小さな木の椅子。
 ストーブの上では、野菜のシチューやリンゴのジャムがコトコト煮えています。
 そして、おやつは、星や三日月や木の葉のかたちをしたビスケット。
 水は井戸端でポンプをおしながらくんできます。

 お母さんが元気なころは、かぼちゃが植えられていました。小さな畑にはそのほかの野菜も植えられていたのでしょう。

 春には梅、桃、桜の花が咲きますが、この木もお母さんが残していってくれたもの。
 
 そして夏のおわりには、赤、白、うすもも色のコスモスが咲きます。コスモスはどのくらいのおおきさだったのでしょう。

 そういえば、昔、母親がストーブで料理をコトコト煮込んでいたのを思い出しました。
 
 物語を楽しんでから

 あれ、かなちゃんは、お母さんと二人暮らしか?
 父親は?
 母親は、神隠しにあったように消えた娘を探したのか
 何かメッセージを残していなかったのか?
 かなちゃんの友達はどうしたのか?

 こうしたものを全部捨象するのが、ファンタジー?
 
 などなど余計なことがうかんできます。

 夏の日、朝露に輝いているクモの巣。こんなにも細かいのかと目をみはります。

 このお話、クモの巣をみて紡ぎだしたのでしょうか。
 普段何気なくみているものから、こんな着想がうまれるとは!

 小雨の日、コキアのクモの巣で、水玉がキラキラしていました。


ハンカチの上の花畑

2015年09月23日 | 安房直子

    ハンカチの上の花畑/安房直子コレクション4 まよいこんだ異界の話/安房 直子/偕成社/2004年 1973年初出


 え!ハンカチに花畑が?
 ハンカチの上に蕾がひらきはじめると白、黄色、紫の菊の花が。
 花を壺の中にあけると、やがて菊酒が。

 こんな秘密のお酒を郵便配達の良夫さんに飲ましてくれたのは、誰も住んでいないような酒蔵の紺のかすりの着物を着たおばあさん。
 20年以上音信不通だった息子からの手紙をとどけてくれた郵便屋さんへのお礼でした。

 「あんた、びっくりしちゃいけないよ」とささやいて、レースのふちかざりのついたハンカチをとりだし
 「出ておいで 出ておいで 菊酒つくりの 小人さん」と歌をうたうと、壺の口からなわばしごが、するするとおりてきます。そしてゆっくり小人がでてきます。前掛、黒い長ぐつ、木綿の手袋、わらのほつれた麦わら帽子の夫婦と三人のこども。

 壺がからっぽになったとき呼ぶと、小人は一日に一回新しいお酒をつくってくれるというのです。

 おばあさんは息子の手紙をみて、遠い所に住む息子のところに行くから、壺を郵便屋さんにあずかってほしいと頼み、
 「小人がお酒をつくるところは、だれにもみせちゃいけない。菊酒で金もうけをしちゃいけない。約束をやぶるとたいへんなことがおきる」と言い残します。

 幸運のお酒はたしかに幸運をもたらしてくれます。遠いいなかの村からでてきて一人だった良夫さんが結婚することになります。

 ここからはらはらどきどきの展開が。

 はじめは嫁さんにも壺のことは秘密にしていますが、お酒を飲めなくなった良夫さんが奥さんをなんとかんとか理由をつけて、外出させ、その間に菊酒をつくっていましたが、やがて小人がお酒をつくるところを見られてしまいます。

 みられるとたいへんなことがおきるというおばあさんの言葉に何がおきるか心配?になるのですが、奥さんのえみ子さんに目にみえないものが入り込みます。

 えみ子さんも菊酒をつくり、知り合いの人びとにわけてあげると誰からもよろこばれ、みんなはお酒を届けてくれるのを待つようになります。菊酒をもらった人は時計や、手編みのセーターをなどお礼の品物をくれ、郵便屋さんのすまいは、品物でいっぱいになります。

 やがてうわさになったお酒のことを聞きつけた料理店の主人が、高いお金で買い取るとというのです。
 はじめは一日一瓶、次に一日二瓶。

 菊酒で金もうけをしちゃいけないというおばあさんの言葉がどこにいったのでしょうか。

 えみ子さんは、小人たちにビーズ、フェルトの帽子、奥さんの小人には長いスカート、だんなさんいはしまのズボンとチョッキ、子どもたちにはおそろいの青い上着をプレゼントします。

 しかし服装が立派になると小人の仕事はずっと手間取るようになります。せっかくの上着やズボンがよごれるのじゃないか気になり、帽子もいままでのものより小さくなって菊の花を壺に入れるのにとても時間がかかるようになります。
 良夫さんも、豆粒ぐらいのバイオリンをつくり、小人にプレゼントするのですが・・・・。

 大変なこととはなんだったのでしょうか。
 大変なことが頭の片隅にあって次にどうなるか、読み始めたらやめられません。

 おわりのほうで、郊外の赤い屋根を購入して、引っ越しをすると、隣の家には、菊酒をつくっていた小人がすんでいて、小人の国に迷い込んでしまうのですが・・・・。

 えみ子さんが、お金につられて小人たちを働かせ続けるあたりに、人間の欲望を感じさせるのですが、それが、ちいさくても庭付きの家がほしいというので、うーんとなります。

 めずらしく時代も感じさせてくれます。大きなつくり酒屋だったきく屋が戦争でほとんど酒蔵がまるやけになり、残ったのは一つの酒蔵。
 それが二十何年かむかしとありますから、昭和四十年代後半。高度成長がはじまるころでしょうか。

 菊酒を一生懸命つくっていた小人たちですが、プレゼントされた洋服をきて、バイオリンをひき、歌ったり踊ったりする陽気な暮らしで菊酒をつくることはなくなります。

 酒蔵のおばあさんが良夫さんをみても何も思い出しませんから、一つの時代がおわったかのようです。