どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

森の家・・グリム

2018年02月07日 | グリム

    子どもに語るグリムの昔話4/佐々梨代子 野村ひろし・訳/こぐま社


 タイトルがやや地味でしょうか。 

 貧しい木こりと三人の娘。娘が、父親に昼めしを届けにでかけます。

 途中、父親は娘が道を迷わないように、キビ、レンズ豆、エンドウ豆を道にまいていきますが、どれも鳥たちに食べられ、娘は道にまよって、おじいさんがいる家に泊めてもらうことに。

 三人の娘がでてくると、はじめの二人は災難にあい、三人目はクリアするのが普通。

 二人だと一人目がうまくいっても、二人目がうまくいかないというのも、もう一つのパターンです。道に目印を置くのも、またパターン。

 自己中心的な上の二人は、おじいさんや、おじいさんのところにいるメンドリ、オンドリ、ぶち牛のことは、少しも考えず、地下室に落とされてしまいます。

 ところが末娘は、自分のことだけでなく、おじいさん、動物もきちんと目配りします。

 このおじいさんは、魔女の魔法にかかって白髪の老人にかえられていましたが、最後は王子になって、末娘と結ばれるハッーピーエンドです。

 昔話のパターンが盛り込まれ、楽しそうですが、あまり聞いたことがありません。

 語ると30分はこえそうですが、娘がでかける3回のパターンは同じようですから、入りやすいとも思いました。

 楽しいのはおじいさんが、動物に問いかける場面と動物たちのやりとり。

 「かわいいメンドリ、
  かわいいメンドリ、
  それに、かわいいぶち牛や、
  おまえたちの意見はどうじゃ?」

 すると、動物たちは「ドゥークス!」とこたえます。どうやら「よろしゅうございます」という意味。

 娘が動物に、ベッドの場所を聞くと
 「おまえは、おじいさんと食べ、
  おまえは、おじいさんとのみ、
  わたしらのことは、考えもせぬ。
  自分で探せ、今夜の寝床」

 末娘には
 「おまえは、わたしらといっしょに食べ、
  おまえは、わたしらといっしょにのみ、
  おまえは、みんなに親切にしてくれた。
  それじゃ、ゆっくり、おやすみなさい」
 このセリフがよくきいています。


おいしいおかゆ・・グリム

2017年08月12日 | グリム

 「おいしいおかゆ」は、お話し会の定番。

 食べるものがなくなった女の子が森へ食べ物を探しに行くと、おばあさんが小さなお鍋をくれます。そのお鍋は「ちいさなおなべや、にておくれ!」と言うと、とてもおいしいキビのお粥を煮てくれて、「ちいさなおなべや、やめとくれ!」と言うと、煮るのをやめるお鍋です。
 それから、お母さんと女の子は、いつでも好きな時に美味しいおかゆを食べられ、ひもじい思いをすることがなくなります。
 ところが、女の子が出かけている時に、母親が「ちいさなおなべや、にておくれ!」と言ってみると、お鍋はお粥を煮てくれますが、母親は止める言葉を知らなかったので、お粥はお鍋から溢れて、家中がお粥でいっぱいになり、隣の家も、道もお粥でいっぱいになり、とうとう町中がお粥でいっぱい。誰もどうしていいかわかりません。 とうとうお粥の流れ込んでいない家がたった一軒になった時、女の子が帰ってきて、「ちいさなおなべや、やめとくれ」と言うと、お鍋はやっとぐつぐつ煮るのをやめました。でも、町に帰ってくる人たちは、自分の通る道のお粥をぱくぱく食べて、食べぬかなければなりませんでした。

 不思議なお鍋を手にいれるところが、聞いているときによく理解できていませんでした。語り手による違いもありそうですが、漫然と聞いているとあっというまにすぎてしまうところです。

 東京子ども図書館編・発行(1973年)の「おはなしのろうそく1」では、「女の子がひとりのおばあさんにあって、ちいさなおなべをもらう」のですが、「おいいしいおかゆ」(富安陽子・文 尾崎幸・絵/フェリシオ出版/2010年)では、たべるものがなくなった女の子が、おばあさんに合うところまでは一緒ですが、このおばあさんとのやりとりが続いて、お鍋を手に入れる経過がよくわかります。
 ここまで、詳しいと聞き逃すこともなさそうです。

 女の子がおばあさんとあう場面
 「あたしはあんたがくるのをずっとまってたんだよ。あんたにいいものをあげようと おもってね」
 「わたしはなんでも しっているんだよ。あんたのいえには もう たべるものがないってことも。あんたと おかあさんが はらぺこだってことも」
 女の子が鍋をもらう場面
 「おばあさん、せっかくだけど、おなべをもらっても、うちには おなべにいれるものが ないのよ」    

 お粥の煮える場面
 「グツグツ クツクツ、ポコポコ、モコモコ」
 おいいしいお粥は、トロトロのお粥がホカホカ ゆげをたてて。

 擬音語も楽しく、お粥が、ホカホカゆげをたててとあって、美味しいお粥と表現するよりもイメージがふくらんできます。

 全文をかいてみたら、10分超えることになりました。東京子ども図書館版は、5分ですから、他のグリムの翻訳も参考にする必要がありそうです。



ラプンツェル

2016年04月04日 | グリム

 グリムの「ラプンツェル」は、魔女、娘、王子がでてきて、あまり長くもなく、語られる人も多いようです。

 語り手による楽しさもありますが、ぜひ聞いてみたいのは矢川澄子訳のもの。矢川訳は味がある訳という感じです。

 例えば、冒頭の子どもがいない夫婦に子どもがさずかるところ.

 「やっと子どもをさずかることになり、妻のおなかがだんだん大きくなってきました。」佐々木田鶴子訳・岩波少年文庫
 「神さまもようやくのぞみをかなえてくださるおつもりか、おかみさんは身重になったのだった」矢川澄子訳

 王子が塔のなかに、髪をのぼって、娘にあいにいくと、そこにいた魔女がいうセリフ。
 「ラプンツェルは、もういないのさ。おまえのようなわるいやつは、もう二度と会うことがないだろうよ」佐々木田鶴子訳

 「いとしい奥方をつれにおいでかね。ところがきれいな鳥さんはもう巣にゃいない。もう唄もうたわない。猫にとられちまったのさ。お猫さんたら、あんたの目玉をほじくりがっててねえ。ラプンツェルはもう手に入らない。二度とふたたびあの子にゃ会えるものかね」矢川澄子訳

 矢川訳では「ラプンツェルというこまかいサラダ菜の青々と生えているのが目にとまった」と話の流れでラプンツェルを説明しています。「おはなしのろうそく」の「チシャ」、こぐま社版は、ラプンツェルをそのまま使い、注釈をそえていますが、矢川訳が一番しっくりきそうです。
 
 ラプンツェルが、塔の下にたらす髪の毛の長さ、矢川訳では13m、「おはなしのろうそく」では9m、こぐま社版では、20エレとして注釈を、また40フィートとしているものもあります。
 語るということからすると、メートルとした方がわかりやすいと思いますが、どうでしょうか。

 筑摩書房の野村訳に「エレ」は、人間の腕の長さをもとにした尺度で、60~80㎝という注釈がありますから、髪の長さは12mから16mということのようです。

 さらに矢川訳に、「ゴテルばあさんよりよりもあたしを大事にしてくれそうだと思ってね」という場面があって、このゴテルばあさんというのが突然でてきて、違和感がありましたが、野村訳に、ゴテルというのは固有名詞ではなく「女の名付け親」をさす普通名詞と注釈があって、疑問が解消されました。
 グリムの訳はたくさんあるので、あたってみることいろいろ発見があります。
  
 2000年に発行されている東京子ども図書館の愛蔵版「おはなしのろうそく」のなかに、「王子はまったくのめくらとなり、もりの中をあちこちさまよいあるきました」というシーンがあります。めくらは放送禁止用語。少し(大分?)気になっていましたが、その後に訂正されていることがわかりました。

      
   ラプンツェル/ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろ/L・シーガル M・センダック選/矢川澄子・訳/福音館初書店/1986年初版 
   ラプンツェル/ついでにペロリ 愛蔵版おはなしのろうそく3/東京子ども図書館編/2000年初版    
   ラプンツェル/子どもに語るグリムの昔話3/佐々梨代子・野村 ひろし 訳/こぐま社/1991年初版
   ラプンツェル/グリム童話集1/相良 守峯 訳/岩波少年文庫/1997年
   ラプンツェル/完訳 グリム童話集1/野村 ひろし 訳/筑摩書房/1999年初版


 絵本版の「ラプンツェル」では、ラプンツェルと王子が塔から落とされる順番が逆で、さらに魔女がどうなったかにもふれられています。(髪の長さは15m)
 そして、ラプンツェルが双子を産んだこともでてきません。 

ながいかみのラプンツェル  


 ところで、矢川澄子訳で何回か読み直しています。
 場面をイメージしながら覚えなさいというので、いろいろと妄想。

 昔話ではこまかな描写がないので、想像するしかありませんが、ラプンツェルが閉じ込められた森と塔はどんな様子だったろうか。高さは地上にたれる髪の長さがヒントになります。

 ラプンツェルが閉じ込められた塔のなかの灯りは、トイレは?

 魔女がラプンツェルをさらっていったのはなぜ? 一人暮らしの魔女がさびしさをまぎらわすため?
 魔女がラプンチェルを塔に閉じ込めてしまったのは、下世話に言うと虫がつかないようにするため?
 でも、この魔女、子育てに失敗しています。

 魔女が、髪の毛をつたってのぼっていくのは、ラプンツェルの様子をみにいくことだけなのか、はたまた、食事をもっていってあげたのか。

 この魔女、わざわざ髪をつたわって塔にのぼるというは、魔法は使えないようなので、どんな怖さがあったのか想像するしかなさそう。

 ラプンツェルは王子の最初のよびかけに髪をたらすが、魔女と区別がつかないのは不自然なので、もしかして魔女以外の誰かを期待していたのではないか。

 しかし、この話、「成熟の過程を描いたもの」というわりには、簡潔で、もう少し別な展開があってもよさそうな話。長ければいいというものでもないが。

 イギリスのルース・マニング=サンダース著(ラプンゼル/世界の民話館 魔女の本/西本鶏介・訳/ブッキング/2004年初版)は、この話が大分ふくらんでいるのが特徴。

 魔女が、ラプンチェルを連れ去る場面で言うセリフ。
 「これかからも子どもはたくさんうまれるのだから」とあって、この夫婦には、子どもが次々に生まれるという場面がでてくる。
 ラプンチェルが絹のはしごを編んでいるはずが、グリムでは、この梯子はでてこない。サンダースは、この梯子を発見する場面をくわえている。
 王子が塔から身を投げ、茨で目が見えなくなる場面では、枯葉の山に落ちるとあります。

 ところで、「ラプンツェル」は、17世紀末のフランスの女流作家の恋愛小説を18世紀のドイツの作家が翻訳したものが採用されているという(昔話入門/小澤俊夫編著)。

 また、太宰治の「ろまん燈籠」は、五人の兄弟が共同して小説を完成させていく話ですが、このなかでラプンツェルが素材となっていました。太宰治の想像力みたいなものがでていて、両方を読みくらべてみると楽しい。


「雪白とばら紅」「一つ目、二つ目、三つ目」

2013年01月16日 | グリム

     雪白とばら紅/子どもに語るグリムの昔話2/佐々梨代子・野村ひろし/こぐま社/1991年初版
     一つ目、二つ目、三つ目/子どもに語るグリムの昔話5/佐々梨代子・野村ひろし/こぐま社/1992年初版


「雪白とばら紅」は二人の姉妹につけられた名前。昔話にはめずらしく仲のよい姉妹の一つ。

 雪白とばら紅という名前が二人のイメージをあらわしている。途中にこびとが道化の役で登場し、最後は、姉が王子と、妹は王子の弟と結婚するお話。

 二人が森の中をかけまわり、赤い野いちごをあつめたり、子うさぎや鹿とのふれあい、鳥たちが歌をうたってくれたりと、牧歌的な情景も。 
 白と赤のバラが効果的につかわれているのも印象にのこる。
 
「一つ目、二つ目、三つ目」は、長女は目が一つ。次女は目が二つ。三女は目が三つという意外性にとんだ三人姉妹。
 次女は目が二つで、つまらないやつらとおんなじではないかと上と下にいじめられる。
 毎日食べ物をならべてくれたやぎを、母に殺されてしまうが、殺されたやぎのはらわたを家の戸口の前の地面に植えると、そこから葉が銀で、金の実がなる木が生えてくる。ここにもすてきな騎士があらわれ、二つ目は、この騎士とめでたく結婚する。

 「こやぎ、めえーとないて、おぜんのしたく」というフレーズが何回か効果的につかわれている。

 ところで、下記の、こぐま社の二冊のなかから、結婚という話を抜き出すと半分ちかくをしめる。

 「あわれな粉やの若者とねこ」「かえるの王さま」「白雪ひめ」
 「三まい鳥の羽」「森のなかの三人のこびと」「かしこい百姓娘」「千枚皮」「鉄のハンス」

 女性は、結婚イコール幸せと読めるのには、少し(だいぶか?)抵抗があるところ。しかしグリムにかぎらず、昔話の多くの結末は幸せな結婚でおわる。
 夢がもてるのが子どもの特権ですが、夢が破れることもありうるというのがあってもよさそう。


白雪ひめ

2013年01月11日 | グリム

    子どもに語るグリムの昔話2/佐々梨代子・野村ひろし・訳/こぐま社/2000年第18刷

 ラジオでドイツに住む日本人の方が、ドイツでは今年、グリム童話の出版200年を記念して、イベントが長期間続くことと、百数十か国で翻訳され、聖書より読まれていることをレポートしていました。

 グリムの童話のなかでもよく知られている「白雪ひめ」、何となく知っているようであるが、こぐま社の本から物語の流れを整理すると

1 王さまのきさきに、はだは雪のように白く、ほおは血のように赤く、髪の毛は黒檀のようにまっ黒な白雪ひめが誕生する。
2 父親である王さまと、だれよりも美しくなければ我慢できない、あたらしいおきさきとの再婚
3 晴れたように美しくずっときれいになった白雪ひめ成長
4 ねたましやくやしさで昼も夜も心の休まることがなくなった継母のねたみ
5 継母のいいつけで、狩人に殺されかける白雪ひめ
6 白雪ひめが、七人のこびとの家に逃げ込み、歓迎される
7 すがたをかえた継母に、一度目は胸紐で、二度目は毒の櫛で、三度目は毒の入ったリンゴで三度にわたって殺される白雪ひめ
8 ガラスの棺におさめられた白雪ひめのところに王子が登場し、この棺を王子がもらいうけ、召し使いが担いでいくが、途中、低い木に足をとられ棺がゆれると、白雪ひめのかじった毒りんごのかけらがのどからとびだし、白雪ひめが生きかえる
9 白雪ひめと王子の結婚と継母の最後
  継母は、真っ赤にやけたくつをはいて、死んでたおれるまでおどりつづける。

 別の角度からの疑問。

1 王さまがなぜ高慢でうぬぼれが強いきさきと再婚したのか。物語の進行上はたしかに王さまは必要ではないが、それにしてもまったく見えない存在。

2 ひとそれぞれが違っていいという価値観からすると、ほかの昔話でもそうであるが、女性=美しくなければという図式があまりにも多い。

3 この話で、美しさを決めるのは鏡。美しいかどうかの判断を他者にゆだね、それに依存している。

4 白雪姫ひめは、三度も殺されるが、深い森にある小屋にやってくる人物を警戒しないのは、あまりにも学習能力が不足。

5 こびとが なぜ登場しなければならないのか。原文がどうなっているかはさだかでないが、白雪ひめが、こびとのベッドに入り込む場面では「長すぎたり、短すぎたりしました」とあって、この訳ではこびとのおおきさがきわめて不透明

 文章を読むともっと疑問がでそうだが、これを語りできくとスムーズにうけとめられるから不思議。


鳴いてはねるひばり・・グリム

2012年12月21日 | グリム

     鳴いてはねるひばり/子どもに語るグリムの昔話1/佐々梨代・野村ひろし・訳/こぐま社/1990年初版


 ひばりのほか、鳩、怪鳥グライフ?がでてきます。題名からはあまりイメージできませんが、重層的な内容の話。

 三人の娘におみやげを買うことにした男が、末の娘からは鳴いてはねるひばりをたのまれるが、ひばりの代償にライオンのところに娘をやることに。

 このライオン、魔法をかけられた王子で、夜だけ人間の姿になります。結婚したふたりは、昼と夜が逆転した生活をおくりますが、姉の結婚式に出席したときに、光が王子にあたって、鳩になり、七年間とびまわることになります。

 七年後、太陽、月、風にたすけられ王子を救うことになる末娘が、こんどは龍だった王女に王子をさらわれて、王女から王子をとりもどすまでの長い道のり。

 王子は、ライオンにかえられたり、鳩になったり、王女にさらわれたりと忙しい。末娘はなんども見捨てられることになるが、あきらめず王子をとりもどすことになる。
 
 山場が何度もあらわれて、話すことができたら楽しいだろうなと思わせる。

 30分はかかりそうですが、こんな長い?ものでも、短期間に覚える方もいらっしゃるようで、なにかコツがあるのでしょうか。