時間がある時には、この冬のお勉強のテーマ「修験道」について、少しずつ勉強しています。話が縄文時代から始まっているようなので、古い時代から見ていますが、とても幅広く、いろいろなことに関連しているようなので、時代が進みません。
ようやく平安時代まで来ていますが、ある程度、カタチになればと思いながら進めてはいるのですが、ただ単に歴史の話だけでは、当YHにある必要がありませんので、それが秋田や東北にどう結びつくのか、実際に見ることが出来るものがあるのか、なども調べています、
さすがに古い時代のものは、ほとんど見られないようです。一番古いとされるものは、羽黒山神社近くにある「蜂子皇子の墓」のようです。蜂子皇子は能除大師とも呼ばれた人で、湯殿山や月山など出羽三山の開山の祖と云われ、修験道の生みの親の一人とも云われる人。
諸説あるようですが、崇峻天皇(?~592年)の第三皇子とされているため、皇子の墓は東北で唯一の宮内庁の管轄になっているとのこと。知らないで行けば、何?誰?という感じなのでしょう。暖かくなったら、温泉巡りのついでに立ち寄ってみようかと思っています。
のち
ようやく平安時代まで来ていますが、ある程度、カタチになればと思いながら進めてはいるのですが、ただ単に歴史の話だけでは、当YHにある必要がありませんので、それが秋田や東北にどう結びつくのか、実際に見ることが出来るものがあるのか、なども調べています、
さすがに古い時代のものは、ほとんど見られないようです。一番古いとされるものは、羽黒山神社近くにある「蜂子皇子の墓」のようです。蜂子皇子は能除大師とも呼ばれた人で、湯殿山や月山など出羽三山の開山の祖と云われ、修験道の生みの親の一人とも云われる人。
諸説あるようですが、崇峻天皇(?~592年)の第三皇子とされているため、皇子の墓は東北で唯一の宮内庁の管轄になっているとのこと。知らないで行けば、何?誰?という感じなのでしょう。暖かくなったら、温泉巡りのついでに立ち寄ってみようかと思っています。


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