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東日本大震災:福島第1原発事故 福島の子ども対象 2巡目検査で初、1人甲状腺がん 

2015年02月16日 16時18分27秒 | 
東日本大震災:福島第1原発事故 福島の子ども対象 2巡目検査で初、1人甲状腺がん 
毎日新聞社 2015年2月13日(金) 配信
東日本大震災:福島第1原発事故 2巡目検査で初、1人甲状腺がん 福島の子ども対象



 東京電力福島第1原発事故の影響を調べるため福島県が子どもを対象に行っている甲状腺検査で、同県は12日、2巡目の検査で1人ががんと診断されたことを明らかにした。昨年4月からの2巡目の検査でがんが確定したのは初めて。

 診断は昨年末現在。約7万5000人の検査結果が判明し、他に7人が「がんの疑い」とされた。8人は事故当時、6~17歳だった男女としたが、個別の性別や年齢は明らかにしていない。いずれも、1巡目の検査(2011年10月~昨年12月)で異常がなかった。

 同委員会の星北斗(ほしほくと)座長は記者会見で、「原発事故との因果関係はないとは言えないが、『考えにくい』というこれまでの評価を変えるものではない」と述べた。

 1巡目の検査は、当時18歳以下の対象者約37万人のうち約30万人が受け、甲状腺がんが確定したのは86人で、その疑いがあるのは23人だった。2巡目の検査は15年度まで実施する。【小林洋子】
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羊膜、へその緒を「合併症」治療に 兵庫医科大など、骨髄移植患者で臨床研究

2015年02月16日 16時12分32秒 | 
羊膜、へその緒を「合併症」治療に 兵庫医科大など、骨髄移植患者で臨床研究
神戸新聞 2015年2月13日(金) 配信


 兵庫医科大(兵庫県西宮市)などは、骨髄移植などを受けて合併症を起こした患者を対象に、母体で胎児を包んでいた「羊膜」やへその緒にある幹細胞を使って過剰な免疫を抑える臨床研究を始めた。既存治療より効果が高い可能性があり、廃棄物を利用するため提供者の負担が軽い点が特長。このうち羊膜の幹細胞を使った臨床研究は世界初になるという。

 羊膜を使った1例目の治療は今年夏の実施を目指し、幹細胞を凍結保存するなどの準備を進めている。

 対象は、白血病などの治療として血液をつくるもとになる細胞を移植した際、提供者の免疫細胞が患者の体を異物とみなして攻撃する合併症「移植片対宿主病(いしょくへんたいしゅくしゅびょう)」。ステロイドを投与しても効果がない場合には確立した治療法がなく、死亡率も高いことから新薬開発が急がれている。

 健康な妊婦から出産後、羊膜とへその緒の提供を受けて特定の幹細胞を分離、培養し、患者に点滴で投与する。この幹細胞は増殖しやすく、拒絶反応が起きにくいため、患者のタイプを選ばず投与できるという。

 臨床研究の対象は15~80歳の計10人を想定。同大の相馬俊裕臨床准教授と藤盛好啓主任教授は「効果が確認できれば、過剰な免疫が関連する他の病気に幅広く使える可能性も研究していきたい」と話す。

 臨床研究で効果と安全性が確認できれば、羊膜の幹細胞を使う治療は製造販売承認に向けて2018年にも化学メーカーのカネカ(大阪市)などと臨床試験(治験)を共同実施。へその緒の幹細胞を使った治療は兵庫医科大で保険診療と併用できる先進医療の適用を目指す。

 ステロイドが効かない移植片対宿主病に対しては、今回の臨床研究と同種類で骨髄中にある幹細胞を使う治療薬を、芦屋市の医薬品メーカー「JCRファーマ」が厚生労働省に製造販売の承認を申請している。

 【移植片対宿主病】 血液のもとになる幹細胞(造血幹細胞)移植の合併症のうち、最も危険度が高い。年間3千例以上の造血幹細胞移植のうち半数以上で発症。ステロイドが効かない重症型はそのうち1割前後という統計があり、それに沿うと年間150~200例程度の対象患者数と推定される。
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がん社会はどこへ第1部 : 迷える患者たち/4 疑問や要望をメモで用意

2015年02月16日 12時54分25秒 | 仕事
がん社会はどこへ第1部 : 迷える患者たち/4 疑問や要望をメモで用意
毎日新聞社 2015年2月13日(金) 配信

 書店の医療コーナーには、医師や従来の医療を批判する本が平積みになっている。このうち、がん医療では、抗がん剤治療に否定的な本もよく売れている。

 医師と患者とのよりよい関係を求めて情報発信する神戸市在住の勤務医、村田幸生医師(54)は、医療不信の本の人気を懸念する一人だ。著書の「『医療否定』は患者にとって幸せか」(祥伝社新書)などで患者と医師の意思疎通について問題提起してきた。義父の大腸がん治療と死別も経験し、患者家族の立場も踏まえて「医者と患者はうまくいっているとは言い難い」と率直に語る。

 ●治療巡り対極

 村田医師の義父は、抗がん剤治療で画像上がんが一旦消えたが再発し、亡くなった。医師の立場からすると「2年ほど寿命が延び、抗がん剤はよく効いた」と評価できる。しかし、家族の思いは「抗がん剤治療に手放しで感謝はしていない」と対極にあった。

 「家族は最後に再発してがんが大きくなって苦しんだ記憶しか残らない。『抗がん剤治療をしたのに、やっぱり効かなかったのね』と」。その一方、医師が効果が低いと判断して「抗がん剤の投与はやめましょう」と言っても、患者側は「なぜあきらめるのか」と思う。

 また、患者が、今のがん治療を批判する本を信じて「無治療」を希望してきた場合、「別の病院に行ってくれ」と怒り出す医師がいることについて触れ、「どちらの気持ちも分かる」と言う。「どんな治療をしても家族や本人が喜べなければ意味がない」と医師としてのもどかしさを語った。

 ●医師も「ずれ」実感

 東京都医師会が都内の医師1927人から回答を得た調査(2011年)によると、医師と患者とのコミュニケーションギャップ(食い違い)について、「いつも感じている」(7・7%)▽「時々感じている」(42・9%)▽「たまに感じている」(44・3%)――と何らかのずれを感じている人が多かった。

 医師のコミュニケーションと患者の治療効果について「とても影響がある」(61・0%)、「影響がある」(37・2%)と重要性を認識しているものの、コミュニケーションギャップが生じたときの医師の問題は「忙しすぎて、患者さんの気持ちに気配りをする余裕がない」が53・6%で半数を超えた。

 一方、「患者側の問題」では、「自分の考えをうまく表現できない」(59・4%)という回答が最も多かった。

 ●積極的な関わりを

 こうしたコミュニケーションギャップについて、宮崎善仁会病院(宮崎市)の消化器内科、押川勝太郎医師(49)は「患者さんの疑問や要望をくみ取る時間がないのが実情でしょう」と語る。その上で、「コミュニケーションについて病院はサポートしてくれない。患者さんもそれが治療に響くと意識していない。治療は一方的に医療側から受けるものだと思っていると不満がたまる。一緒に考えるスタイルが当たり前だと思ってほしい」と患者側からの行動を促す。

 押川医師はがん患者の勉強会やサロンに毎月参加し、講義をしたり、患者からの疑問に答えたりしている。そこで聞く治療や主治医への不満の多くが、ボタンの掛け違いのような内容で、患者のちょっとした工夫で解決できるものだという。

 「例えば自覚症状や気に懸かっていることを話してもらわなければ分からない。『医師にそんなことを言っていいの?』と遠慮する必要もない」

 押川医師は限られた診察時間に要点を効率的に伝えるため、メモの持参を勧める。直接話しにくければ、手紙を渡してもらうのもよいと言う。「がんは人によって、生活によって適切な治療法が変わる。だからコミュニケーションは大事なんです」

 国立がん研究センターがん対策情報センターの若尾文彦センター長も「医師へのお任せでもなく、自分だけで決めるのでもなく、しっかりとコミュニケーションを取って一緒に考えることで納得して治療を受けられる。医師に聞きにくい場合は、がん診療連携拠点病院のがん相談支援センターに相談するのもよいでしょう」と背中を押す。

 情報センターが運営する「がん情報サービス」のホームページでは「何を質問したらよいか分からない」との声に応え、多くある質問項目を載せた冊子「重要な面談にのぞまれる患者さんとご家族へ」などのヒントも載せている。【山田麻未、三輪晴美】=次回は17日掲載
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【埼玉】医療・巨大グループ誕生:中村秀夫物語/上 2人の兄追い医師に 「患者に寄り添う」評判広がる

2015年02月16日 11時44分46秒 | 
【埼玉】医療・巨大グループ誕生:中村秀夫物語/上 2人の兄追い医師に 「患者に寄り添う」評判広がる
毎日新聞社 2015年2月13日(金) 配信
医療・巨大グループ誕生:中村秀夫物語/上 2人の兄追い医師に 「患者に寄り添う」評判広がる /埼玉



 上尾中央総合病院(上尾市柏座)を中核とする上尾中央医科グループ(AMG)は昨年12月、創立50周年を迎えた。「西の徳洲会と東の中央医科グループ」と称される巨大な医療組織。1都5県に27病院、20の介護老人保健施設のほか、看護専門学校、保育園など100の関連施設を擁し、職員数は約1万6000人に上る。

 創業者は会長の中村秀夫(85)。北海道瀬棚町(現せたな町)に生まれ、長兄・哲夫(故人)と次兄・隆俊(87)、秀夫の「中村三兄弟」が、東京と埼玉に板橋・戸田・上尾の中央医科グループを展開。連携しながら、巨大グループへと育て上げた。

 秀夫は、雑穀・精米業を営む父末吉と母ヨシノの3男4女の三男として生まれた。父は幼年の三兄弟を地元の海岸にそびえる「三本杉岩」が見える海岸に連れ出し、毛利元就の「三本の矢」の逸話に触れ、力を合わせれば成し遂げられないことはないと説いた。このエピソードが、兄弟の凌雲(りょううん)の志となる。

 やがて医師となった2人の兄の影響で、秀夫も「医師になりたい」と望んだ。秀夫を跡取りにと考えていた父は「東京医科大に入学できれば、認めてやる」と条件を付けたが、見事、合格。55年に同大を卒業した。

 また、レコードデビューして間もない昭和の歌姫・美空ひばりの家庭教師を三兄弟で引き受けることになった。当時、ひばりは地方ロケや巡業が多く、学校に出席するのが困難だった。哲夫は甲信越、隆俊は関西、秀夫は東北への出張に同行し、小学5年から中学卒業まで面倒をみることになった。

 インターンを経て国家試験に合格した秀夫は、患者の不安を親身になって聞くことをモットーとした。三兄弟は母の肺がん発症を機に「3人の病院を持ちたい」「自分たちの病院で母をみとりたい」との思いを強くし、東京都板橋区の小豆沢に病院を建て始めた。

 しかし3人の願いむなしく、母は56年に帰らぬ人となった。母の死から約1カ月後、念願の「板橋中央医院」を開院。院長に哲夫、副院長に隆俊が就き、秀夫は夜間の責任者と当直を担当した。

 秀夫は冬の深夜でも防寒用の新聞紙を腹に巻いて往診に出た。「患者に寄り添う医者」との評判は地域に広がり、日を追うごとに患者が増えた。58年、「板橋中央病院」と名称変更し、総合病院となった。

 都県境を越えて戸田市へも往診していた秀夫は、埼玉県の南部にも病院が必要と感じるようになった。三兄弟は「2本目の矢」を実現すべく、62年、戸田市本町に「戸田中央病院」を開く。院長に隆俊、副院長には秀夫が就任した。フットワークの軽い秀夫は、老人が倒れたと聞けば小回りのきくバイクで駆けつけた。夜勤を積極的に担った秀夫は「夜の院長」とも呼ばれた。

 そんなある日、隆俊が県から「上尾市立病院が閉院することになり、市民のためにも、何とか病院を引き継いでほしい」と要請された。三兄弟は快諾し、秀夫が院長として就任することになった。64年、「3本目の矢」となる「上尾中央医院」が誕生する。

  ◇    ◇

 県内の医療で大きな役割を果たす巨大グループ・AMGはいかに生まれ、成長したか。創業者・中村秀夫の半生をたどる。(敬称略)【我妻玲子】
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ローソン食材

2015年02月16日 11時01分07秒 | 
家族から言われて分かったおいしいもの

ローソンの讃岐うどん、要冷凍。

我が家の孫たちはだぁい好き
一人は何もかけないでそのまま食べる。
婆はいろいろアレンジするけど、そのままの方がおいしいと思ったりするぐらいおいしい。
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やばいやばいやばぁい

2015年02月16日 10時34分42秒 | 私自身や健康
やばいやばいやばぁい
椅子から落っこちて、しりもちをついてしまった。

寝たきり予防は転ばないこと!!!!!

しかし、やばかったね。
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今夜はなぜか外国の方の歌を聞いている

2015年02月16日 01時36分16秒 | 
今夜はなぜか外国の方の歌を聞いている。
途中、日本の歌謡曲を聞いたりしながら
ドレスデン国立管弦楽団のジルヴェスター・コンサート2014

4人の歌手の素晴らしいお声、、、、、、、、

歌の内容はいつもの男女の日々だけれども

いつか、プラバホールで、松江市出身のお方の歌を
ほんの少し聞いたけれど
すごいお声だったことを覚えている。
人間の声の艶やかさに驚いた。

一生オペラなるものは見に行かないと思うけれど
今夜の歌を聞いて
できれば行きたいななんて
かぼそい思いが湧いて来たりしている。

歌にせよ楽器にせよ
音楽を奏でるお方は
凄いです。
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