緊張の決裁、誤字で絶望…元官僚の記者が驚く文書改ざん
大日向寛文
2018年6月8日18時08分
森友学園への国有地売却をめぐる決裁文書改ざん問題に関する調査結果を受けた記者会見で陳謝する財務省の太田充理財局長(左)と矢野康治官房長=2018年6月4日、東京・霞が関
3月2日朝、自社の新聞を見てびっくりした。1面の横カットで「森友文書、書き換えの疑い」の見出し。学校法人・森友学園(大阪市)との国有地取引の際に財務省が作成した決裁文書を、問題発覚後に改ざんしていた疑いがある、と報じていた。
私が朝日新聞社に入社したのは2001年。その前の3年間、ある中央省庁の役人として働いていた。「研修期間」ほどの短い経験で論じるのはおこがましいが、今回の改ざんは、「ウソだろ」というのが率直な印象だ。
私自身、何度か決裁文書を起案したことがある。通常、決裁というのは事前に議論をし終わって決まったものの承認を、形式的に得るための儀式だ。課長補佐、課長、局長と、上司を回って、はんこを押してもらうが、説明を求められることはまずなかった。
だが、それでも通常は会話をすることはまずない「雲上人」のような上司を訪ね、押印を求める決裁は、非常に緊張した。とりわけ真っ青になるのは、回している時に、誤字脱字を見つけてしまったときだ。
本来は、修正して決裁を回し直すのが筋だが、「間違えました」と上司に説明して回るのは、精神的には大きな苦痛だ。決裁が終了する前であれば、間違いがはんこが押されていない2枚目以降なら書き換えることは実務的にはある、と聞いていた。だが1枚目は書き換えようがない。私自身、同じ決裁で2回誤字を見つけ、絶望的な気分でおわびを繰り返した記憶が強く残る。「気をつけろ」という当然の注意が、胸に刺さった。
まして、終了した決裁を直すなど聞いたことがないし、想像もつかない。