設計変更・トラブル・旅客需要減で逆風…国産初のジェット機MSJ、幻に
三菱重工業は国産初のジェット旅客機「三菱スペースジェット(MSJ)」の開発中止を近く発表する方針だ。約15年にわたって機体の開発を手がけてきた子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)も清算するとみられ、航空機産業が盛んな東海地方の経済にも影響は波及しそうだ。
部品会社に影響広がる
三菱航空機は2008年4月に設立され、トヨタ自動車や三菱商事なども出資した。開発体制の強化に伴い、従業員は一時、約2000人まで膨らんだ
だが、設計変更やトラブルで開発スケジュールは繰り返し延期され、コロナ禍による旅客需要の激減も逆風となった。凍結によって開発費は圧縮され、従業員は100人規模に減った。22年3月には、米ワシントン州の開発拠点も閉鎖した。
三菱重工は開発を中止しても、航空機の脱炭素化や航空機メーカーとの連携、次世代戦闘機の開発などに、知見を生かしていく考えだ。愛知県内の関連施設や設備の利用も検討する方向だが、技術者などは配置転換していくとみられる。
東海地方の航空機部品メーカーは、MSJの開発体制に合わせて揺れ動いてきた。ある企業は、量産化を見据え、工場の増強に数十億円を投じる計画だった。凍結が決まった当時、経営者は「何年先に再開されるのか見込みもない」と頭を抱えていた。
帝国データバンク名古屋支店によると、東海3県の航空機関連企業は、MSJの試作機の部品などを受注し、売上高が11年度の964億円から、19年度には2734億円まで増えた。だが、凍結後の21年度には1820億円に落ち込んだ。
一方、中部経済産業局によると、東海3県と石川、富山両県の航空機部品の生産額は21年時点で、日本全体の45・7%を占める。航空機部品を手がける中小企業などは販路の拡大を目指してきただけに、新たな産業の育成も課題となる。