Mars&Jupiter

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ピョートル・チャイコフスキーの「四季」作品37bを聴きながら二俣川から緑園都市まで歩く

2008-08-03 05:07:09 | ピョートル・チャイコフスキーの作品
昨日は二俣川から緑園都市駅まで歩きました。
室内楽曲・器楽曲はドイツ・オーストリア編を終わりにし、
今回からロシア編に入る。
途中聴いたのは1840年生まれのチャイコフスキーの作品。
ピアノのための作品である「四季」作品37bは、
1875年から1876年にかけて作曲された。
1年の12ヶ月をそれぞれ音にした作品である。

1月「炉辺にて」は、冬の寒さを忘れさせるような
炉辺の火にあたっているような情景を感じさせる曲である。
聴いていて何だか暖かい曲なのである。
2月「謝肉祭」は、元気のいい軽快な舞踏的な曲で、
祭りを楽しむ人々の楽しさが伝わってくるような曲だ。
3月「ひばりの歌」は、少し哀愁漂う悲しい感じの曲である。
4月「松雪草」は、軽快で優雅な舞踏風の曲で、
流れるようなピアノの旋律が印象的である。
5月「白夜」は、ゆったりとしたおだやかな曲で、
北欧的な雰囲気も感じさせる曲である。
6月「舟歌」は、冒頭に現れるどことなく悲しい感じの旋律が、
心にしみてきて、とても印象的な曲である。
人恋しくなるような感じを持たせる曲である。
中間部の明るく華麗な部分との対比が素晴らしい。
7月「草刈人の歌」は、元気で軽快な曲である。
聴いていて(農作業)頑張るぞという気にさせる曲である。
8月「収穫」は、ピアノの魅力を感じさせる華麗な曲で、
中間部のゆったりした影のある音楽との対比がいい。
9月「狩り」は、狩りに向かう人々の行進する姿を
描写しているかのように聴こえる軽快な元気のいい曲だ。
10月「秋の歌」は、しっとりとした哀愁のある曲で、
深まる秋に対して何か寂しさを感じさせる曲である。
11月「トロイカで」は、ロシア民謡風の親しみやすい曲だ。
舞曲風の軽快な部分も持ったロマンティックな作品である。
早く家に帰って暖まろうなんて思うような曲だ。
12月「クリスマス」は、ワルツ風の曲である。
華麗さと優雅さを持ったチャイコフスキーらしい曲である。
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チャイコフスキーとスラヴ行進曲、そして消されたロシア国歌

2007-06-19 06:09:21 | ピョートル・チャイコフスキーの作品
昨日は町田に行く用事があったので、
短い距離ではあるが、町田から長津田まで歩いた。
途中、多少道に迷ったのでほぼ1時間かかった。
いつか246号線沿いに渋谷まで歩くのもいいかもしれない。
この辺りは昔のままの自然や景色が残っていていい。
趣きのある家屋や蔵なども残されている。
この日はそのあと長津田で田園都市線に乗り、
東京の船堀まで地下鉄を乗り継いで行った。

ウォーキングの途中聴いた曲はチャイコフスキーの曲、
有名なスラヴ行進曲と序曲「1812年」である。
ここでは曲の紹介というよりも、
演奏されるべき旋律を演奏しない異版が存在し、
これに政治がからむことに触れたい。


まず聴いたのは小澤征爾の指揮するCD。
これはもちろんスタンダードな演奏で悪くはない。
そのあと聴いたのが、独オイロディスクのCDで、
スラヴ行進曲はフェドセーエフが指揮し、
演奏は全ソビエト連邦放送交響楽団である。
(ドイツ語で書かれた楽団を訳すとこのようになる。)
そして、序曲「1812年」はソビエト国立交響楽団の演奏で、
指揮はコンスタン・イワノフである。

この二人の指揮者の演奏に共通して言えるのは、
旧ロシア国歌が流れず、別の旋律が代用されていることだ。
この話は有名な話で、旧ソ連時代には、
旧ロシア国歌の代わりに、別の旋律が使われていた。
グリンカの旋律が使われた版が存在するようだが、
この演奏はそれに該当するのだろうか。
録音データはないのだが、おそらく1978年頃のものだろう。
それにしても、この仕掛けはあまりも政治的である。

なんとなく気が抜けた感じのスラヴ行進曲、
ロシアの聴衆はそれをどのように感じてきたのだろう。
当たり前のように聴いてきたのか、
何でこんな風な旋律に差し替えるのか、
当時聴いていたロシアの人々はどう感じたのだろう。

イデオロギーを民衆に押し付ける国家は、
そのイデオロギーに逆に縛られるようになる。
民衆はイデオロギーを一時期の間は信じやすいが、
そのイデオロギーに飽きやすいものでもある。

それにしてもこの版はいただけないものである。
お国の事情はどうだったかわからないが、
その旋律が意味するのが歴史的にどうだったのかを
考えるべきなのであって、これを変えるということは、
自国の歴史を改竄するものになってしまう。
でも、このようなことは歴史の世界では実際多いんだなあ。
学問と政治の間を行き来しながら、政治の力によって
その一部が変えられていくことはよくある。
イデオロギーというものにとりつかれた国家はこわいもんだ。
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悪夢?の血圧計、そしてチャイコフスキーの交響曲第1番

2007-02-15 21:43:36 | ピョートル・チャイコフスキーの作品
夜の2時ころ、夢を見て目が覚めた。
それは血圧計を買う夢で、高い値段で店員に買わされた夢だった。

健康診断で血圧が170以上だったので運動しなさいと医師に言われ、
こうして毎日ウォーキングをしているのだが、未だ血圧計は買っていないのだ。

今日は、横浜から西谷まで16号線沿いに歩いた。
1時間10分近くの時間のたいくつを紛らわすために、
チャイコフスキーの交響曲第1番を聞きながら歩いた。

チャイコフスキーの交響曲第1番は第二楽章がいい。
聴いたCDの演奏は、ムーティー指揮によるもので、
ロマンティックであり、ロシアの交響曲らしく心に響いてくる。

明日は血圧計を買おうかな。
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