Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

カール・オルフの「時の終わりの劇」を聴きながら新横浜から西谷まで歩く

2007-12-11 06:29:00 | カール・オルフの作品
昨日は新横浜から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのはオルフの「時の終わりの劇」。
1972年に作曲され、1973年ザルツブルクで初演された。
オルフの作品の集大成ともいうべきこの曲は、
何度も繰り返される強烈なリズムが印象的で、
オスティナート的に打楽器と歌でつくりあげる世界は、
まさにオルフしかできない個性的特徴を持っている。、
それでいて謎めいていて象徴性に満ちている。
最後がバロック音楽以前の音楽風になるところも
モンテヴェルディの舞台音楽の編曲をした
彼だからこそできることだろう。

世界がどのようにして終わりを迎えるか
舞台の上では、その考え方を象徴的に示していくが、
紀元前2世紀ローマの『オラキュラ・シビリナ』という予言と、
古代ギリシアのオルフェウス教の賛歌、
カルミナ・ブラーナの中の悪魔の呪詛などのようだ。
音楽はさまざまや要素が込まれており、
テキストもギリシア、ラテン語など使われている。
第3部の「その日(DIES ILLA)」は、
その終末の日であり、最後の人類が現れる。
そしてルシファーの懺悔があるが許されることはない。

世界の終わりとはどういうものだろうか、
古代文明などの場合は、その世界が終わったのかを
はっきりと示すことは難しいものである。
これが終わりだということを気づかないうちに、
世界の終わりは訪れるのかもしれない。
そんなこの世の行方に対して、
何か警鐘を鳴らしているような気がしてならない。
オルフにとっての大規模な作品の最後となるこの曲は、
オルフが創り出してきた彼独自の音楽の世界の
最後を飾るにふさわしい終わりの音楽である。
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カール・オルフの「プロメテウス」、二俣川から和田町、そして衛星プロメテウス

2007-12-10 07:00:09 | カール・オルフの作品
昨日は二俣川から和田町駅まで歩きました。
途中聴いたのはオルフの「プロメテウス」の第6場から第9場。
「プロメテウス」のCDで私が持っているのは、
ライトナー盤とクーベリック盤である。
登場人物として活躍する歌手たちは全く同じなのだが、
ク―ベリック盤はライブ盤であることもあり、
登場人物をはじめ管弦楽団も気迫みなぎる演奏で、
とても説得力のある演奏となっている。
言葉のもつ表現力とリズムに圧倒されるのだ。

第6場以降、プロメテウスは神ゼウスと対立し、
人間を守ったりし、重要な役割を持っている。
しかもゼウスに物怖じすることもない。
プロメテウスはゼウスの将来を知っている。
それは、クロノスが子のゼウスに追われたように、
やがてはゼウスもその子によって追われることになる。
その運命を予言から知っているのだ。
だから、ゼウスが知りたいと思う予言の話を話さない。
最後は雷鳴や地響きが起こり、岩山は崩れ、
プロメテウスは岩の中に閉じ込められるという話だ。

ところで、プロメテウスというと、土星の衛星の一つ。
リングの中にある衛星で、リングを形成する周囲の粒子に
影響を及ぼしているようだ。
リングの中に閉じ込められているようで、
そんな状況がプロメテウスと似ているのかもしれない。
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カール・オルフの「プロメテウス」を聴きながら横浜から和田町まで歩く

2007-12-09 09:23:07 | カール・オルフの作品
昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
途中聴いたのはオルフの「プロメテウス」。
第1場から第5場までを聴いた。
全9場からなるこの作品は1967年に作曲された作品で、
演奏時間は2時間を越す大作である。

CDの英文の解説書によると
初演は1968年3月24日シュトゥツガルト。
アイスキュロスの「縛られたプロメテウス」だが、
本人の手による作品ではないという説もある。
「アンティゴネ」、「僭主オイディプス」とともに、
ギリシア悲劇3部作のひとつをなしている。
テキストは前作までのドイツ語訳ではなく、
ギリシア語を使用している。

冒頭の音楽はその悲劇性を示すように、
打楽器の連打が続くが、
この中には日本の大太鼓が含まれている。
プロメテウスは、人間に火を与える。
そのことがゼウスの怒りをかい、
スキュティアの岩山に縛り付けられる。
そこで、彼は苦痛を強いられるのである。
ここでも打楽器は繰り返すリズムを刻み、
音楽はその劇の展開の中で効果的な場面で使うが、
やはり、話される言語が「アンティゴネ」、
「僭主オイディプス」とは違い、ギリシア語なので、
しっくりした印象を持つことができ、納得できる。
やはりなかなか聴きごたえのある作品である。
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カール・オルフの小協奏曲、そしてガリレオ・ガリレイの父

2007-12-08 08:14:11 | カール・オルフの作品
昨日は飲み会のため、ウォーキングを休みました。
昨日聴いたのはオルフの小協奏曲(Kleines Konzert)。
管楽器とチェンバロによる作品で、1927年に作曲されている。
16世紀の作曲家の作品を管楽器用に編曲したものなので、
曲自体は彼のオリジナルではないが、
忘れてはならないオルフの活動としては、
モンテヴェルディなど過去の作曲家の作品を発掘し、
現代において演奏できる形にしたという功績があげられる。
この作品もその一つであると考えていい。

曲は5つの小品から構成される。
第1曲の原曲は、ヴィンセンツォ・ガリレイの
リュートのために書かれた作品である。
このヴィンセンツォ・ガリレイ(Vincenzo Galilei)は、
なんとあの天文学者・物理学者で有名な
ガリレオ・ガリレイの父なのである。
第2曲は16世紀の作曲者不詳の作品である。
第3曲から第5曲は、ジャン=バティスト・ベザールの作品。
フランスのリュート奏者および作曲家として有名である。
これらの作品を管楽器用に編曲した
オルフの腕前はなかなかである。
ジャン=バティスト・ベザールの作品については、
原曲は知らないが、軽快な作品に仕上がっている。

ところでこのCDは、「カルミナ・ブラーナ」や「月」、
そして「賢い女」の管楽器編曲版もおさめられている。
3つの作品とも編曲はヴァネックによるもの。
「カルミナ・ブラーナ」はいまいちという感じだが、
「月」と「賢い女」は管楽器の良さを活かし、
なかなかの仕上がりのような感じがする。
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カール・オルフの歌劇「アンティゴネ」第4幕・第5幕を聴きながら、横浜から星川まで歩く

2007-12-07 05:09:29 | カール・オルフの作品
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのはオルフの歌劇「アンティゴネ」第4幕・第5幕。
第3幕の重要な場面に続き、第4幕から入るが、
「僭主オイディプス」に比べると前の作品なので、
やはりこちらの方が私としては聞きやすく、
音楽として聴いている場合はおもしろい。
第4幕でいよいよドラマも大詰めである。

アンティゴネはこの世に別れを告げ、
自分の胸中を語る。
少年に導かれた盲目の予言者テイレシアスは、
クレオンに非人間的な行為をした罰として、
クレオンに罰が下されるであろうことを予言する。
はじめはその話を信じないクレオンではあったが、
テイレシアスの助言に次第に耳を傾け、
アンティゴネを自由にすること、
ポリュネイケスを丁重に埋葬することを約束する。

第5幕では、クレオンがアンティゴネのもとに向かうが、
彼女が閉じ込められた岩穴では、
アンティゴネが首を吊り、自害している姿があり、
それを嘆く婚約者のハイモンは父の前で
剣を自らの脇腹に刺して息絶える。
その一部始終をクレオンの妻エウリュディケは、
岩穴に行った使者から聞き、自害する。
クレオンはその妻の知らせを使者から聞き、絶望する。
彼は愛する妻・息子といったすべてを失う。
死を願うクレオンではあるが、その運命を背負いながら、
クレオンは生きていかなければいけない。
古代ギリシアの作家が描く悲劇の世界は、
過酷な運命を担わされた人間の世界である。
人間は自分の運命に気づいた時に
初めて人生を謙虚に生きようと考えるのか、
それを感じさせる作品ではあるが、
オルフもその作品を歌・セリフだけでなく、
音楽を効果的に使ってその劇的な世界を描いている。
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