温泉クンの旅日記

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呼子でイカ三昧(1)

2019-08-11 | 食べある記
  <呼子でイカ三昧(1)>

 人はいつかしら岐路に立たされ、一方の径を選びもう一方を捨てる。
 無数に枝別れしている径のはるか先のほうまで進んで、あああれが岐路だったのかと気がついても遅い。気が変わっても、もはやその岐路にまで戻ることは不可能である。
 人生いかにも長いようだがしたいことをすべてすることは叶わず、ここでも選ばねばならない。旅も同じように景色や名所、名物を取捨選択せざるをえない。
 ただ、旅の場合にはその地を再訪することが可能である。

 

 懐かしい・・・七年か八年ぶりの呼子である。
 港には呼子らしい、漁灯を吊るした夜焚きイカ釣り船が係留されている。

 

 

 もちろん名物のイカばかりでなく玄界灘の新鮮な魚を獲る、普通の漁船も並んでいた。
(オッ、あれは・・・)

 

 イカ丸は奇岩景勝として知られる神秘の洞窟「七ツ釜」を遊覧できる。たしか前に来たときには鯨の形の展望船をみたことを思いだす。

 

 時間潰しに朝市にいってみることにした。
 朝市の終わりかけくらいの時間だが、前方にかなりな人だかりがあった。

 

 近づいてみると、どうやら外国人観光客ばかりのようである。
 国内の旅先で佐賀県は「一生行くことはないだろうと思う都道府県ランキング」第一位と散々だが、博多が近いことから佐賀を訪れる韓国、中国、台湾、タイなど外国人観光客が多いのだ。2013年までは平均で四、五万人だったのが、年々倍々に増加して2016年には約二十五万とどえらく高い伸びである。

 

 時計をチラリとみて、そろそろいいかなと呟く。
 朝市の駐車場に戻り、呼子のイカ活き造り発祥の店「お魚処 玄海」へ車を走らせる。

 

 殿ノ浦にある「玄海」のすぐ近くには伊達正宗の陣跡があり、店のすぐ裏手にある海の対岸には徳川家康の陣跡、その奥にあの名護屋城跡、加藤清正の陣跡や福島正則の陣跡がある。

 

 名護屋城は秀吉の朝鮮出兵に際して築かれ、当時大坂城に次ぐ規模を誇った。秀吉の死で諸大名が撤退するまでの間侵攻の拠点となった。
 肥前名護屋には百三十以上の大名が集り、それぞれが陣屋を建て、全国から二十万人を超える人々が集ったのである。

 

  ― 続く ―


   →「呼子(1) 佐賀・唐津」の記事はこちら
   →「呼子(2) 佐賀・唐津」の記事はこちら
   →「名護屋城跡」の記事はこちら
   →「からつバーガー」の記事はこちら



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