<京都・鹿ヶ谷、法然院>
歩きだしたばかりの、銀閣寺へ続く“哲学の道”をすぐに山側に逸れるように小さな橋を渡り、閑静な住宅街を抜ける短い坂を昇りつめる。
目の前に、鬱蒼と茂った緑のなかに「総門」の石段があった。
(今まで、どうやら飛ばして観光したらしいな・・・)
銀閣寺からずっと南、東福寺あたりまでの東山側一帯の寺はかなり訪れていたのだが、ここは初めてだ。
洛東の鹿ヶ谷(ししがたに)にある「法然院」は、東山の支峰 「善気(ぜんき)山」の山麓に建つ、小さいけれど名刹である。
法然が、弟子の「住蓮」や「安楽」とともに六時礼讃法要を勤めた草庵の旧跡で、延宝8年(1680年)知恩院第38代門主「万無(ばんぶ)上人」が再興した。
名刹の正式名は「善気山(ぜんきさん) 法然院 萬無教(ばんぶきょう)寺」と号し、別称には「本山獅子谷 法然院」があるが、京都では通称の「法然院」だけを覚えておけば十分だ。
左側の石碑にある「圓光大師」とは、浄土宗の開祖「法然」上人のことだ。鎌倉時代に生きた法然上人だが、江戸時代の元禄10年(1697年)になって、初めての大師号(高徳な僧に朝廷から贈られる尊称)である「圓光」が贈られた。その後、法然は現在までに8つの大師号を下賜されている。
静かな参道を進むと、趣きのある苔むした茅葺き屋根の山門が出迎えてくれる。さきほどの総門といい、山門といい、なかなかの雰囲気を持っている寺だ。
山門の手前にある石碑には「不許葷辛酒肉入山門」と記してある。「葷辛酒肉(くんしんしゅにく)、山門に入るを許さず」とは、大蒜(ニンニク)や葱などの臭みが強い野菜、酒、肉をこれよりの山門内に持ち込むことを禁ずる、という意味である。
山門を入ると、両側には、「白砂壇(びゃくさだん)」と呼ばれる白い盛り砂があり、この水を表す白砂壇の間を通ることで、心身を清めて浄域に入る。
砂壇の上に描かれるのは、水を表す紋様で、季節ごとに波紋の大きさが変わるそうであり、夏になると水流を表す砂紋が描かれる。
山門から白砂壇の間をまっすぐ突きあたり、右手へ進む。庭を眺めながら左へ回り込むとすぐに本堂前に出る。
公開時期以外は、縁側からの本堂参拝になる。
本堂内の本尊の「阿弥陀如来」坐像は、補修を経て現在も極彩色の美しい姿であり、法然上人が自ら安置されたものと伝わっている。
東福寺本堂なみの<覗き参拝>はここでは遠慮して、わたしは本堂の正面の石段上にある、江戸時代に祀られたという「地蔵菩薩」像を参拝した。
この地蔵は「祠(ほこら)地蔵」とも呼ばれている。
方丈庭園も三銘椿で有名な中庭も現在は公開されていないので、引き返す途中の小さな放生池辺りの、<庭らしい景色>で我慢することにする。
山門を抜けずに帰る道をみつけ、哲学の道の方面に下っていく。
思い切り静かなひとときを持てた、ように思う。しかも、特別公開の時期でないので拝観料は、嬉しい“無料”だ。
落ち着いた、しっとりとしたひとときを味わって満足したら、なんか急に小腹が減ってきたぞ。
→「二条城前、喫茶チロルと神泉苑(1)」の記事はこちら
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→「京都・左京区、永観堂(1)」の記事はこちら
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目の前に、鬱蒼と茂った緑のなかに「総門」の石段があった。
(今まで、どうやら飛ばして観光したらしいな・・・)
銀閣寺からずっと南、東福寺あたりまでの東山側一帯の寺はかなり訪れていたのだが、ここは初めてだ。
洛東の鹿ヶ谷(ししがたに)にある「法然院」は、東山の支峰 「善気(ぜんき)山」の山麓に建つ、小さいけれど名刹である。
法然が、弟子の「住蓮」や「安楽」とともに六時礼讃法要を勤めた草庵の旧跡で、延宝8年(1680年)知恩院第38代門主「万無(ばんぶ)上人」が再興した。
名刹の正式名は「善気山(ぜんきさん) 法然院 萬無教(ばんぶきょう)寺」と号し、別称には「本山獅子谷 法然院」があるが、京都では通称の「法然院」だけを覚えておけば十分だ。
左側の石碑にある「圓光大師」とは、浄土宗の開祖「法然」上人のことだ。鎌倉時代に生きた法然上人だが、江戸時代の元禄10年(1697年)になって、初めての大師号(高徳な僧に朝廷から贈られる尊称)である「圓光」が贈られた。その後、法然は現在までに8つの大師号を下賜されている。
静かな参道を進むと、趣きのある苔むした茅葺き屋根の山門が出迎えてくれる。さきほどの総門といい、山門といい、なかなかの雰囲気を持っている寺だ。
山門の手前にある石碑には「不許葷辛酒肉入山門」と記してある。「葷辛酒肉(くんしんしゅにく)、山門に入るを許さず」とは、大蒜(ニンニク)や葱などの臭みが強い野菜、酒、肉をこれよりの山門内に持ち込むことを禁ずる、という意味である。
山門を入ると、両側には、「白砂壇(びゃくさだん)」と呼ばれる白い盛り砂があり、この水を表す白砂壇の間を通ることで、心身を清めて浄域に入る。
砂壇の上に描かれるのは、水を表す紋様で、季節ごとに波紋の大きさが変わるそうであり、夏になると水流を表す砂紋が描かれる。
山門から白砂壇の間をまっすぐ突きあたり、右手へ進む。庭を眺めながら左へ回り込むとすぐに本堂前に出る。
公開時期以外は、縁側からの本堂参拝になる。
本堂内の本尊の「阿弥陀如来」坐像は、補修を経て現在も極彩色の美しい姿であり、法然上人が自ら安置されたものと伝わっている。
東福寺本堂なみの<覗き参拝>はここでは遠慮して、わたしは本堂の正面の石段上にある、江戸時代に祀られたという「地蔵菩薩」像を参拝した。
この地蔵は「祠(ほこら)地蔵」とも呼ばれている。
方丈庭園も三銘椿で有名な中庭も現在は公開されていないので、引き返す途中の小さな放生池辺りの、<庭らしい景色>で我慢することにする。
山門を抜けずに帰る道をみつけ、哲学の道の方面に下っていく。
思い切り静かなひとときを持てた、ように思う。しかも、特別公開の時期でないので拝観料は、嬉しい“無料”だ。
落ち着いた、しっとりとしたひとときを味わって満足したら、なんか急に小腹が減ってきたぞ。
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