温泉クンの旅日記

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伊根の舟屋 京都・伊根町

2008-07-06 | 京都点描
  <伊根の舟屋> 

「おぉーっ!」
 思わずため息まじりの声が出てしまう。

 湯村の宿を出発してアクセルを踏みこんだ瞬間に、目の前を中型のサギが翼を
広げてゆっくりと横切ったのだ。なんか、今日はいいことあるかもしれないな。
見送りながらそう思う。とにかく、なんでもいいふういいほうに考える、これ
大事。
 今日はとりあえず日本海に沿って丹呉半島を北上するつもりである。

 餘部鉄橋を通り、途中で城崎への分かれ道を海沿いに細い道をひたすら進む。



 ・・・途中にあったバス停。
 なんとも味があるではないか。

 つづら折れの海沿いの山道で、突然の渋滞。
 事故でもあったのか。まるで動かない。前方のようすがわからずイライラする。
 わたしは渋滞恐怖症だ。渋滞にはまると、ひとが変わってしまうほど、大の嫌い
である。五分くらいかけて、五メートルぐらい進む。引き返そうか。イライラの
頂点の手前で原因がわかった。

 城崎マリンパークの駐車場にはいる客たちのせいで進まなかったのだった。
 なんとか切り抜けて、また快調に車を走らせた。対向車線の渋滞もそれはもの
すごいものであった。延々と続く自家用車の中には、「ゴールデンウィークはこれ
だからいやだ」と諦観しきった運転手と、「パパなんとかして」と詰る家族たちが
いっぱい閉じ込められていた。



 ブランド蟹で有名な間人(たいざ)の地で、刺身定食の昼をとった。これは旨か
った。

 地名の由来が箸袋に書いてある。
 
『この地は古くは大浜の里と呼ばれていた。蘇我氏と物部氏の勢力争いのため、
大和の国の政情が不安定だったころ、聖徳太子の生母「間人皇后(はしどこうご
う)」が都の混乱を避けて、大浜の里で隠棲していた。やがて皇后が都に帰るとき
に、里人たちの手厚いもてなしに報いようと自分の名を贈ったという。しかし里人
たちは呼び捨てにするのは恐れ多いと、皇后が退座したことにちなんで「たいざ」
という読み方にした』
 ・・・だそうである。どおりで、読めないはずだ。



 途中、穏やかな日本海が続く。

 やがて伊根の表示が出て、ハンドルを左にきって伊根湾に進んでいく。



 伊根は穏やかな入り江に沿って舟屋が並ぶ。一階が舟のはいるガレージで、二階
は網や漁具などをおく物置場であったが、現在では二階は客間として居住できるよ
うになっている。





 台風などの影響がまずない、青く澄んだ穏やかな海である。湾の中央部にある
青島が防波堤の役割を果たしていて、干満の差も年間で50センチ程度であるから
こその舟屋なのだ。





 来てよかった・・・。
 なんとも情緒のある、風景である。



 その舟屋の裏に沿って道がある。バスも走るのだが、とちかく道が細い。
 そろそろこのへんで戻ろうかな、と思っても切り返しのできる場所が見つからな
かった。
 

   → 湯村温泉(1)の記事はこちら
   → 餘部鉄橋の記事はこちら

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