<京都、下鴨さんで抹茶を一服(1)>
延暦十三年(794年)、桓武(かんむ)天皇が平安京に都を遷す際に、中国の風水に従い都市設計をした。北に「玄武」、南に「朱雀」、東に「青龍」、西に「白虎」が配置された「四神相応(しじんそうおう)」の地への遷都である。
玄武は船岡山、朱雀は巨椋池(おぐらいけ)、青龍は鴨川、白虎は山陰道に相当し、いわゆる「北に山」、「南に池」、「東に川」、「西に大道」が配された土地が<風水>上最も良いとされていた。
京の都が千二百年以上続いたのは、鬼門封じの「魔除けの猿」の配備(御所、延暦寺)を含め、この都市設計にあるともいわれている。
京都の市内を、北から南へと流れる青龍「鴨川」の上流域に存在する「上賀茂神社」と「下鴨神社」は、「賀茂神社(賀茂社)」と総称される京都で最古級の神社である。
陰陽道では北東を「鬼門(鬼が出入りする忌むべき方角)」として嫌うが、京都御所の北東に位置する「下鴨(しもがも)神社」は、御所の鬼門守護の役割を担ってきた。
「下鴨さん」は地元の愛称、「下鴨神社」も実は通称であり、正式には「賀茂御祖(かもみおや)神社」という。
重要文化財の楼門を入ってすぐのところにある、「舞殿」。
賀茂祭(葵祭)では、勅使が御祭文を奏上し、東游(あずまあそび)が奉納されるこちらも重要文化財である。
中門を入り、奥のご本社(本殿)を参拝する。
本殿には、右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」、左に玉依姫命の父の「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。
そして忘れずに、自分のえと(十二支)の社の各自の守護神にも、続けて参拝する。
よし。お参りはすませたぞ。
さあて、ここらでそろそろ、抹茶で一服するとするか。
― 続く ―
→「秋色の上賀茂神社(1)」の記事はこちら
→「秋色の上賀茂神社(2)」の記事はこちら
延暦十三年(794年)、桓武(かんむ)天皇が平安京に都を遷す際に、中国の風水に従い都市設計をした。北に「玄武」、南に「朱雀」、東に「青龍」、西に「白虎」が配置された「四神相応(しじんそうおう)」の地への遷都である。
玄武は船岡山、朱雀は巨椋池(おぐらいけ)、青龍は鴨川、白虎は山陰道に相当し、いわゆる「北に山」、「南に池」、「東に川」、「西に大道」が配された土地が<風水>上最も良いとされていた。
京の都が千二百年以上続いたのは、鬼門封じの「魔除けの猿」の配備(御所、延暦寺)を含め、この都市設計にあるともいわれている。
京都の市内を、北から南へと流れる青龍「鴨川」の上流域に存在する「上賀茂神社」と「下鴨神社」は、「賀茂神社(賀茂社)」と総称される京都で最古級の神社である。
陰陽道では北東を「鬼門(鬼が出入りする忌むべき方角)」として嫌うが、京都御所の北東に位置する「下鴨(しもがも)神社」は、御所の鬼門守護の役割を担ってきた。
「下鴨さん」は地元の愛称、「下鴨神社」も実は通称であり、正式には「賀茂御祖(かもみおや)神社」という。
重要文化財の楼門を入ってすぐのところにある、「舞殿」。
賀茂祭(葵祭)では、勅使が御祭文を奏上し、東游(あずまあそび)が奉納されるこちらも重要文化財である。
中門を入り、奥のご本社(本殿)を参拝する。
本殿には、右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」、左に玉依姫命の父の「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。
そして忘れずに、自分のえと(十二支)の社の各自の守護神にも、続けて参拝する。
よし。お参りはすませたぞ。
さあて、ここらでそろそろ、抹茶で一服するとするか。
― 続く ―
→「秋色の上賀茂神社(1)」の記事はこちら
→「秋色の上賀茂神社(2)」の記事はこちら
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