温泉クンの旅日記

温泉巡り好き、旅好き、堂社物詣好き、物見遊山好き、老舗酒場好き、食べ歩き好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!

京都、白川の畔を歩く(3)

2025-02-16 | 京都点描
  <京都、白川の畔を歩く(3)>

 さあて、と。漸くお待たせの祇園白川あたりの話となった。

 

「祇園」は、かつて“祇園社”と呼ばれていた「八坂神社」の門前町であったことから付けられた名称で、京都を代表する花街である。

  

 その祇園の中を流れる、白川に架けられているのが「巽橋」で、その名はすぐ近くにある「辰巳神社(辰巳大明神)」に由来する。

 

 新橋通と四条通を結ぶ路地(切り通し)の起点にある白川に架かる、橋長は7.5メートル、幅員は3.1メートルの鋼桁橋である。文政12年(1829年)に“木橋”が架けられ、その後“土橋”となり、昭和32年(1957年)に、現在の橋に架け替えられた。

 

 石畳の舗装と木製の高欄、そして町家が並ぶ、祇園の風情と調和して京都といえば祇園白川を思い浮かべる方も多い。定番の観光スポットとして多くの観光客が訪れている。

 春の桜の時期は本当に素晴らしく、ソメイヨシノや枝垂れ桜の本数は40本ほどで決して多くは無いのだが、ライトアップされた夜桜は必見だ。早朝でさえ、ウェディングの和装前撮りロケ組たちで混雑するのは間違いない。

 

 白川の流れ、料亭の灯り、辰巳大明神や巽橋があり、舞妓さんの姿もみかけられて、京都の情緒を楽しむことが出来る特別な場所である。

 祇園白川沿いには、「かにかくに碑」がある。

 

    かにかくに 祇園は恋し 寝(ぬ)る時も
         枕の下を 水の流るる

 この歌は、祇園をこよなく愛した歌人「吉井勇(よしいいさむ)」が明治43年(1910年)に詠んだ一首で、彼の第一歌集「酒ほがひ」に収められているものだ。(「かにかくに」とは、「あれこれと」、「いろいろと」などといった意味である)
 当時は白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、「枕の下を 水の流るる」はその情景を詠んでいる。

 

 昭和30年11月8日、友人たちにより吉井勇の古稀(70歳)の祝いとして、ここに歌碑が建立された。発起人には、「大佛次郎(おさらぎじろう)」、「久保田万太郎(くぼたまんたろう)」、「里見敦(さとみとん)」、「志賀直哉(しがなおや)」、「新村出(しんむらいずる)」、「谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)」、「湯川秀樹(ゆかわひでき)」など錚々たるメンバーが顔をつらねた。

 毎年11月8日には「吉井勇」を偲んで,「かにかくに祭」が祇園甲部の行事として行なわれている。 当日は歌碑の前にお茶やお蕎麦の席が設けられ、舞妓や芸妓が白い菊の花の献花を行い、接待するそうだ。

 

 白川の流れは祇園を抜けると、鴨川に静かに合流する。
 権勢を思うままに振るった、かの白河法皇が意のままにならない“三不如意”の筆頭に挙げた暴れ川の「鴨川(賀茂川の水)」に、だ。“三不如意”とは賀茂川の水、双六の賽(の目)、(比叡山の)山法師のこと。

 

 ともあれ、祇園白川から一本橋までは、30分も掛からず徒歩移動できる距離である。気が向いたら、歩いてみても決して損はないと思う。
 5月の中旬から6月上旬にかけての夜、観光スポットの巽橋付近でもしもホタルが飛び交うのが観られたら、とんでもない幸運が舞い込むかもしれない。



  →「京都、白川の畔を歩く(1)」の記事はこちら
  →「京都、白川の畔を歩く(2)」の記事はこちら


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京都、白川の畔を歩く(2) | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

京都点描」カテゴリの最新記事