温泉クンの旅日記

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太秦映画村(2)

2017-01-11 | 京都点描
  <太秦映画村(2)>

 にゅうめんで身体がほっこりと温まった。
 では、まずはたっぷり江戸情緒を楽しむとするか。あいにくの雨で客足が少ないが、嵯峨野・嵐山で紅葉狩りした観光客が午後には押しかけてくるかもしれないから。

 徳川吉宗のころ、人口が急増して百万都市となった江戸には「日千両(ひせんりょう)」といって一日千両ものお金が動く商い場所が朝・昼・夜で三カ所あったそうである。時代小説好きなので自慢でないがこれは知っていた。



 朝千両は魚河岸(日本橋)、昼千両は浅草の芝居町、そして夜千両吉原である。千両はいまでいう億の単位の金だ。
 俗に「日に三箱、鼻の上下にへその下」とも云う。鼻の上の目は芝居、鼻の下の口は魚河岸の意味である。
 幕府公認の芝居小屋「中村座」・「市村座」・「森田座」のことを江戸三座、俗に猿若三座と呼ばれた。





 吉原の大門である。



  『日本堤の新吉原は縦百三十五間横百八十間、四周に堀を巡らした二万七百六十七坪に仲の町の大通りが抜けて、
  この通りの左右に引手茶屋が並んでいた。




   この通りの左右に江戸町二丁目、江戸町一丁目、角町、揚屋町、京町一丁目、京町二丁目、俗にいう五丁町が延びて、
  大籬、半籬、小格子などの大小の妓楼が軒を連ねて、遊女三千人が妍を競っていた。』


             佐伯泰英著「流離 吉原裏同心(一)」より



 吉原の老舗妓楼「三浦屋」は大籬(おおまがき)である。



 抱え遊女「高尾太夫(たかおだゆう)」という吉原で最も有名な遊女で、代々襲名された名前で三浦屋に伝わる大名跡であった。





 浪人には現代風の傘ではなく、番傘を持って村を歩いてもらいたいものである。


  ― 続く ―

   →「太秦映画村(1)」の記事はこちら


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