温泉クンの旅日記

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近江八幡、八幡堀界隈(2)

2020-12-06 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <近江八幡、八幡堀界隈(2)>

 江戸時代、全国各地の生産物や米は船(菱垣廻船・樽廻船など)で大消費地である江戸に運ばれた。上方(大坂や京都など畿内)から江戸に運ばれた酒、装飾品、工芸品、呉服などの品物を「下りもの」としてもてはやされた。(伏見の酒に象徴される)
 水都大坂と同じように、江戸も川や堀などの水路が網の目のように張り巡らせられ、船が物資や人を運んでいた。

 

 時代劇ファンには、この八幡掘あたりの景色はたまらない。垂涎ものである。わくわくと興奮してしまう。観光名所として整備・復元された八幡掘は、時代劇の有名なロケ地でもあるのだ。

 

 前に書いたような朧な記憶もあるが、歴史でわたしが一番好きな時代は群雄割拠の戦国時代(室町時代後期)から、織豊(しょくほう)時代ともいわれる安土桃山時代、そして徳川時代といわれた江戸時代である。
 時代小説もその三つの時代を舞台にした小説とか、時代劇ドラマを、とくに好んで読んだり観たりする。
 江戸時代の映画やテレビドラマに水路と舟のシーンは欠かせない。

 

 

 たとえば池波正太郎原作の「鬼平犯科帖」や「雲霧仁左衛門」では、闇夜に、盗賊たちが盗んだいくつもの千両箱の運搬手段に、たいてい舟を使う。

  

 

「剣客商売」では、無外流の達人の“秋山小兵衛”が、歳のはなれた娘のように若い女房の“おはる”に舟を漕がせて、隠宅のある鐘ヶ淵から橋場にある料亭不二楼や、真崎稲荷近くにある息“大二郎”の道場に向かう。
 この舟で渡る味わいのある情景だが、近江八幡の葦原のある水郷や八幡掘の風景が見事に使われている。

 

 

 八幡掘の歴史にすこし触れておく。

 

 天正十三年(1585年)、四国平定で軍功をあげた秀吉の甥“豊臣秀次”は四十三万石となって、近江国八幡山に城を築いた。琵琶湖畔を埋め立てて、防衛と水路による物流も兼ねて八幡山の周囲に“八幡堀“を開削した。堀には「背割り」と呼ばれる下水システムがあり、随時溜まった汚泥は浚渫され田畑の肥料に使われた。

 

 後に天下人秀吉の養嗣子となって“秀次”は関白にまで上りつめる。文禄四年(1595年)、謀反の疑いで自害し八幡山城は廃城となるが、近江商人は“八幡掘”の水路を利用して“諸国産物回し”と呼ばれる商法で近江はいうに及ばず全国各地の産業を振興させた。

 

 しかし、時代劇にまったく興味のない連れと来ると「なに、これ(いったいどこが面白いの)?」ということにきっとなるだろう。
 そんなときは舟に限る。エンジン船もあるが、できれば手漕ぎの舟がいい。

 

 桜や新緑や紅葉など、四季のなか、手漕ぎの和舟で櫓の音と、鳥の声、船頭の説明を聞きながらゆっくり八幡掘めぐりを楽しむのもきっと喜んでくれるだろう。

 
 
 わたしも柳川での川下り以来の期待感が生まれ、ぜひとも舟にのりたかったが、密な状態を敬遠して、コロナが終息してからの再訪のときまで待つとすることにしたのである。


   ― 続く ―


    →「近江八幡、八幡堀界隈(1)」の記事はこちら
    →「柳川 川下り(1)」の記事はこちら
    →「柳川 川下り(2)」の記事はこちら
    →「柳川 川下り(3)」の記事はこちら


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