< 首輪 >
奥久慈の「湯の澤鉱泉」に行ったときのことだ。
常磐道の那珂インターから30分ほど走った、山方町にある茨城の秘湯の宿であ
る。秘湯に登録されたのはまだ新しく、茨城では初めてである。泉質は重曹泉、
神経痛皮膚病に効能がある。岩風呂と檜風呂の浴室がある。新しい檜の薫りがい
い。この夏、北海道旅行の帰りに立ち寄り湯をしてすでに下調べずみだ。秘湯の宿
といえども、信用していきなり泊まるのは体験上無謀といえるのである。大はずれ
があるのだ。
宿は、まさに家庭的といった民宿に近い雰囲気でくつろげる。泊まったのは旧舘
で一泊二食、一万一千円と手ごろだった。夕食の量も多すぎず適当で、手作りの
豆腐料理と、仕上げの手打ち蕎麦がおいしかった。焼酎も格安のボトルで頼めて、
残りを部屋に持ち帰って空けられる。
残念なことがひとつ、温泉に塩素臭がかなりしたことである。秘湯は温泉が売り
物である。塩素くさい温泉では、リピーターは増やせない。百五十年の歴史ある
名湯が泣くというものだ。
「あれ、まだ掃除中ですか」
男性用の浴場の前にさきほどまであった「清掃中」の板がなかったのではいって
しまったのだった。朝食後の最後のひと風呂である。
「浴室はもうお掃除が終わってますから、どうぞお使いください」
更衣室の、真新しい板張りの床を掃除機でガーゴー清掃しているおばさんが許可
してくれた。
「効きますか、それって」
更衣室が狭いのでちょっと恥ずかしいが、とりあえず平気そうな顔で帯をほどこ
うとしているわたしにおばさんが訊く。
ここの温泉の効能のことかと思い、なにか答えねばと頭をフル回転モードにしよ
うとしたが、掃除機のスイッチをきったおばさんの指先が、わたしの首もとを指し
ているのに気がついた。
「昨日から気がついてて、ずっと訊きたかったんだけどね」
おばさんは首もとに手をつっこみ、色違いのわたしとおなじ首輪をズルズルとと
りだした。
三年前になるが、ある日左手の人差し指の指先に軽いしびれを感じた。
ひどい肩こり症である。そのうち、しばらくぶりにマッサージでもいけば直るだ
ろう。気にせず何日もほっておいたら、何重もの手袋をしているように、ものを触
っても感触がしない。おまけに中指もしびれを感じはじめたので慌てた。
病院の外科でみてもらい、首の後ろのすこし下にある頚椎の部分が変形して神経
を圧迫しているらしく、いわゆるむちうち症に近いという。原因について一応の
説明を受けたが自分の場合よくわからないが、ストレスも原因といわれると黙るし
かない。そういえばオートバイで死にそうな事故があったな。衝突の衝撃で空中に
投げ出され、十メートルほど飛んだあげく背中を、地下鉄工事で敷き詰められた
鉄板にしたたかに打ちつけた。あのときのあれが、いまごろでたのか。
外科で、投薬と理科療法を三ヶ月ほどしたがいっこうに直らない。
現代医学をあきらめ、友人に勧められた広尾の整骨院に週に三回通ってみると、
二ヶ月ほどでしびれも軽くなった。先生いわく、しびれというのは痛みより悪く、
そうとう良くない兆候だそうだ。念のために週の通院回数をへらして治療をうけ、
六ヶ月でほぼ完治した。ただ、またいつ発症するかもしれないと釘をさされた。
そんな、ひどい肩こりと頚椎の爆弾を抱えるわたしに、ことしの春、この首輪が
効くかも、と友人から頂戴したのが今している首輪である。チタンが練りこまれて
いるそうだ。野球選手、サッカー選手も愛用しているアレ「RAKUWA」である。この
ごろはスポーツ用品店でも買えるらしい。
これが、効いた。
ひどい肩こりも感じない。軽い肩こりはあっても、集中したコリでなくバラけて
いるので、マッサージも必要としないすごく快適な日々を送っている。頚椎のうえ
にあるからしびれの再発防止にもいいようだ。たぶん温泉効果も相乗しているだろ
うとは思う。まったく暗示に弱いから、と口の悪い友人はいう。
「そーなんだ。効くのねえ。ともだちにすすめられて最近購入したもんだから。
ふふふ。ほんとーになんか、効くのかなあって、思ったりしたもんだから」
いけない、いけない、そーじ掃除しなきゃ。思い切って訊いてよかったわ、おば
さんは嬉しそうに掃除機のスイッチをいれた。
たっぷり話し込んでしまった。壁の時計が九時を指している。ひげそってチェッ
クアウトして出発だ。ひげがコワイので、剃刀のときは顎を数分湯につけ、その
うえ時間をかけて蒸らさないといけないのだ。首輪をていねいにはずし、勢いよく
浴衣を脱ぐと浴室にバタバタ向かった。
奥久慈の「湯の澤鉱泉」に行ったときのことだ。
常磐道の那珂インターから30分ほど走った、山方町にある茨城の秘湯の宿であ
る。秘湯に登録されたのはまだ新しく、茨城では初めてである。泉質は重曹泉、
神経痛皮膚病に効能がある。岩風呂と檜風呂の浴室がある。新しい檜の薫りがい
い。この夏、北海道旅行の帰りに立ち寄り湯をしてすでに下調べずみだ。秘湯の宿
といえども、信用していきなり泊まるのは体験上無謀といえるのである。大はずれ
があるのだ。
宿は、まさに家庭的といった民宿に近い雰囲気でくつろげる。泊まったのは旧舘
で一泊二食、一万一千円と手ごろだった。夕食の量も多すぎず適当で、手作りの
豆腐料理と、仕上げの手打ち蕎麦がおいしかった。焼酎も格安のボトルで頼めて、
残りを部屋に持ち帰って空けられる。
残念なことがひとつ、温泉に塩素臭がかなりしたことである。秘湯は温泉が売り
物である。塩素くさい温泉では、リピーターは増やせない。百五十年の歴史ある
名湯が泣くというものだ。
「あれ、まだ掃除中ですか」
男性用の浴場の前にさきほどまであった「清掃中」の板がなかったのではいって
しまったのだった。朝食後の最後のひと風呂である。
「浴室はもうお掃除が終わってますから、どうぞお使いください」
更衣室の、真新しい板張りの床を掃除機でガーゴー清掃しているおばさんが許可
してくれた。
「効きますか、それって」
更衣室が狭いのでちょっと恥ずかしいが、とりあえず平気そうな顔で帯をほどこ
うとしているわたしにおばさんが訊く。
ここの温泉の効能のことかと思い、なにか答えねばと頭をフル回転モードにしよ
うとしたが、掃除機のスイッチをきったおばさんの指先が、わたしの首もとを指し
ているのに気がついた。
「昨日から気がついてて、ずっと訊きたかったんだけどね」
おばさんは首もとに手をつっこみ、色違いのわたしとおなじ首輪をズルズルとと
りだした。
三年前になるが、ある日左手の人差し指の指先に軽いしびれを感じた。
ひどい肩こり症である。そのうち、しばらくぶりにマッサージでもいけば直るだ
ろう。気にせず何日もほっておいたら、何重もの手袋をしているように、ものを触
っても感触がしない。おまけに中指もしびれを感じはじめたので慌てた。
病院の外科でみてもらい、首の後ろのすこし下にある頚椎の部分が変形して神経
を圧迫しているらしく、いわゆるむちうち症に近いという。原因について一応の
説明を受けたが自分の場合よくわからないが、ストレスも原因といわれると黙るし
かない。そういえばオートバイで死にそうな事故があったな。衝突の衝撃で空中に
投げ出され、十メートルほど飛んだあげく背中を、地下鉄工事で敷き詰められた
鉄板にしたたかに打ちつけた。あのときのあれが、いまごろでたのか。
外科で、投薬と理科療法を三ヶ月ほどしたがいっこうに直らない。
現代医学をあきらめ、友人に勧められた広尾の整骨院に週に三回通ってみると、
二ヶ月ほどでしびれも軽くなった。先生いわく、しびれというのは痛みより悪く、
そうとう良くない兆候だそうだ。念のために週の通院回数をへらして治療をうけ、
六ヶ月でほぼ完治した。ただ、またいつ発症するかもしれないと釘をさされた。
そんな、ひどい肩こりと頚椎の爆弾を抱えるわたしに、ことしの春、この首輪が
効くかも、と友人から頂戴したのが今している首輪である。チタンが練りこまれて
いるそうだ。野球選手、サッカー選手も愛用しているアレ「RAKUWA」である。この
ごろはスポーツ用品店でも買えるらしい。
これが、効いた。
ひどい肩こりも感じない。軽い肩こりはあっても、集中したコリでなくバラけて
いるので、マッサージも必要としないすごく快適な日々を送っている。頚椎のうえ
にあるからしびれの再発防止にもいいようだ。たぶん温泉効果も相乗しているだろ
うとは思う。まったく暗示に弱いから、と口の悪い友人はいう。
「そーなんだ。効くのねえ。ともだちにすすめられて最近購入したもんだから。
ふふふ。ほんとーになんか、効くのかなあって、思ったりしたもんだから」
いけない、いけない、そーじ掃除しなきゃ。思い切って訊いてよかったわ、おば
さんは嬉しそうに掃除機のスイッチをいれた。
たっぷり話し込んでしまった。壁の時計が九時を指している。ひげそってチェッ
クアウトして出発だ。ひげがコワイので、剃刀のときは顎を数分湯につけ、その
うえ時間をかけて蒸らさないといけないのだ。首輪をていねいにはずし、勢いよく
浴衣を脱ぐと浴室にバタバタ向かった。
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