<奈良、東大寺・二月堂へ(4)>
掟破りのようだが、二月堂北側の階段に吸い寄せられるように向かってしまった。
本来の順路としては、南側にある「青石壇(あおいしだん)」と呼ばれている石段を使って二月堂へ昇り、参詣した後に北側にある茶屋で休憩してから北側階段を使って降りてくる正規なルートだそうだ。
北側の階段は屋根付きで「登廊」と呼ばれ、修二会(しゅにえ)で選ばれた「練行衆(れんぎょうしゅう)」が参籠宿舎から二月堂へ上堂する際に通る通路である。
遠くから登廊を発見してしまったわたしは、瞬時に、ついこの前に行った<長谷寺の登廊>を思いだし懐かしくなったのだ。ところで、わたしの登廊の評価だが、長谷寺のほうが上である。
登廊の石段を昇りつめると、大きくて立派な手水鉢があった。
たしか正式な「手水舎」は、南側の青石壇を昇ったところにあるはずなので、この手水鉢は、錬行衆か迷って昇ってしまったわたしみたいな参拝客が使うのだろう。
流れ落ちる水をみているうちに喉が渇いてきた。
左奥にある二月堂茶所に行き、セルフサービスのお茶をいただくことにした。
茶所の壁に展示された、修二会で使うドでかい「籠松明(かごたいまつ)」を観賞しながら温かい茶をゆっくりと喫する。
ここらで「修二会(しゅにえ)」について、簡単に説明しておく。
「修二会」は752年から始まって、大火事で伽藍が焼け落ちても続けられてきた不退の行法で、2024年で1273回目となる。疫病や反乱などの「国の病気」を取り除き、鎮護国家や五穀豊穣など人々の幸福を願う行事である。
旧暦の二月、つまり新暦の3月1日から14日の2週間に渡って、11人の錬行衆で毎日行う<悔過(けか)法要>である。
「修二会」のハイライトは、3月12日の夜だ。
大鐘が19時30分(12日以外は19時)に撞かれると、それを合図に「お松明」が始まる。
11名の錬行衆が1人づつ、行をする二月堂に上堂するための道明かりとしてお松明があがる。
毎日10本上がる松明でも重さ約40キロもある。
12日の「籠松明」ともなると、長さ6メートルほどの根付きの竹の先端に、杉の葉やヘギ・杉の薄板で籠目状に仕上げ、直径1メートル、重さ約80キロほどのでかい松明が11本になる。
漆黒の夜の長い回廊を駆け抜けて移動する、振り回されるその籠松明の燃えあがる大きくゆらめく炎と、撒き散らす爆ぜた無数の火花で、二月堂は荘厳かつ厳粛で迫力のある、一種幻想的な燃えあがるような雰囲気に包まれるのだ。
春の風物詩的な二ユースのひとつとして、きっと一度くらいは、この二月堂の籠松明のシーンをみたことがあるのではないだろうか。(通常のお松明は期間中毎日行われる)
なお「修二会」の行法のひとつである「お水取り」は、3月12日の深夜から13日の未明にかけておこなわれる儀式として、本尊に供える香水を汲み上げる行事である。
さてと・・・。
手水鉢で手を清め、口を漱ぎ、気息を整えて、二月堂の吹き放しの舞台へ“上堂”とするか。
― 続く ―
→「奈良、東大寺・二月堂へ(1)」の記事はこちら
→「奈良、東大寺・二月堂へ(2)」の記事はこちら
→「奈良、東大寺・二月堂へ(3)」の記事はこちら
→「奈良・桜井、長谷寺(1)」の記事はこちら
→「奈良・桜井、長谷寺(2)」の記事はこちら
掟破りのようだが、二月堂北側の階段に吸い寄せられるように向かってしまった。
本来の順路としては、南側にある「青石壇(あおいしだん)」と呼ばれている石段を使って二月堂へ昇り、参詣した後に北側にある茶屋で休憩してから北側階段を使って降りてくる正規なルートだそうだ。
北側の階段は屋根付きで「登廊」と呼ばれ、修二会(しゅにえ)で選ばれた「練行衆(れんぎょうしゅう)」が参籠宿舎から二月堂へ上堂する際に通る通路である。
遠くから登廊を発見してしまったわたしは、瞬時に、ついこの前に行った<長谷寺の登廊>を思いだし懐かしくなったのだ。ところで、わたしの登廊の評価だが、長谷寺のほうが上である。
登廊の石段を昇りつめると、大きくて立派な手水鉢があった。
たしか正式な「手水舎」は、南側の青石壇を昇ったところにあるはずなので、この手水鉢は、錬行衆か迷って昇ってしまったわたしみたいな参拝客が使うのだろう。
流れ落ちる水をみているうちに喉が渇いてきた。
左奥にある二月堂茶所に行き、セルフサービスのお茶をいただくことにした。
茶所の壁に展示された、修二会で使うドでかい「籠松明(かごたいまつ)」を観賞しながら温かい茶をゆっくりと喫する。
ここらで「修二会(しゅにえ)」について、簡単に説明しておく。
「修二会」は752年から始まって、大火事で伽藍が焼け落ちても続けられてきた不退の行法で、2024年で1273回目となる。疫病や反乱などの「国の病気」を取り除き、鎮護国家や五穀豊穣など人々の幸福を願う行事である。
旧暦の二月、つまり新暦の3月1日から14日の2週間に渡って、11人の錬行衆で毎日行う<悔過(けか)法要>である。
「修二会」のハイライトは、3月12日の夜だ。
大鐘が19時30分(12日以外は19時)に撞かれると、それを合図に「お松明」が始まる。
11名の錬行衆が1人づつ、行をする二月堂に上堂するための道明かりとしてお松明があがる。
毎日10本上がる松明でも重さ約40キロもある。
12日の「籠松明」ともなると、長さ6メートルほどの根付きの竹の先端に、杉の葉やヘギ・杉の薄板で籠目状に仕上げ、直径1メートル、重さ約80キロほどのでかい松明が11本になる。
漆黒の夜の長い回廊を駆け抜けて移動する、振り回されるその籠松明の燃えあがる大きくゆらめく炎と、撒き散らす爆ぜた無数の火花で、二月堂は荘厳かつ厳粛で迫力のある、一種幻想的な燃えあがるような雰囲気に包まれるのだ。
春の風物詩的な二ユースのひとつとして、きっと一度くらいは、この二月堂の籠松明のシーンをみたことがあるのではないだろうか。(通常のお松明は期間中毎日行われる)
なお「修二会」の行法のひとつである「お水取り」は、3月12日の深夜から13日の未明にかけておこなわれる儀式として、本尊に供える香水を汲み上げる行事である。
さてと・・・。
手水鉢で手を清め、口を漱ぎ、気息を整えて、二月堂の吹き放しの舞台へ“上堂”とするか。
― 続く ―
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