温泉クンの旅日記

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指輪

2007-01-10 | 旅エッセイ
  < 指輪 >

 浴場の入り口で、ひとにらみでスリッパの数を確認する。いつもの癖である。
 スリッパはひと組、つまり、ひとりだ。朝七時だからてっきり混んでいると思っ
たのだが、どうやらついている。

 朝の温泉は、空いているほうが静かでよろしい。洗い場をとりあい、あちこちで
頭を洗ったり歯を磨いているなどというのは、興が醒める。
 団体客はまだ昨夜の深酒でまだ眠っているのだろう。深夜遅くまで一階のクラブ
あたりで、ミュールにミニスカートのコンパニオンが走り回るのをみかけたのだ。



 決めた位置の脱衣籠に、手早く浴衣を脱いで押し込める。

 宿泊した旅館では、最初の入浴のときに自分用の脱衣籠を決めてしまう。チェッ
クアウトまでに最低でも五回、多いときで八回ほどはいるが、いつも同じ籠を使用
するのだ。空いていないときには、その両横の籠をしかたなく使う。脱衣所をでる
ときも、籠のなかをひととおり確認する。忘れ物をまずしないのだが一度だけ時計
を脱衣籠に忘れてしまったことがあり、それいらいの習慣である。いまでは、これ
も癖になった。

 タオルを持ち、そそくさと湯気が充満した浴室にはいる。
 浴槽にいる先客に黙礼を送ると、桶を持ち浴槽の湯を汲み掛け湯する。
 冬の朝一番の入浴なので、足先のほうから徐々に上半身へと、念入りに何杯も
掛けた。身体はじょうぶなのだがすこし血圧が高いので、意識してそうしているの
である。掛け湯にはむろんエチケットの意味もある。

 温泉の温度も朝は高くしているところが多い。たいてい夜より一、二度泉温が高
い。客に長湯をさせずに、回転をよくする意味もあるというが本当かどうかは怪し
い。
 冷え切った肌に、いきなりの高温はまずい。だから浴槽にも、ゆっくりと身体を
沈めていく。アルコール漬けになった身体の表面から湯がしみわたり、すこしずつ
生気が満ちてくる。硫黄臭と効能の強い温泉を両手で掬い、なんどか顔にかけ頭と
眼をシャッキリさせる。



 ここ新潟県の月岡温泉は田んぼのなかにある温泉地である。薄い緑色の硫黄臭の
強烈な硫化水素泉。硫化水素の含有量は日本でも一二を争うという。石油を掘削し
ていたら掘り当てたという。
 硫黄の匂いが平気になりやがて好きになると、必ずやハマる、いい温泉である。
 どやどやと浴室にグループが乱入してきたのを汐にあがることにした。

「あれっ、なにかある・・・」



 着替え終わり部屋の鍵をとって、いつものように使った籠を傾けて視線を走らせ
ると、脱衣籠の底に指輪がにぶく光っていた。
 銀製のようで外側には英語で「心から心へ」と彫られ、けっこう使い込まれてい
た。裏側にはたぶん恋人のイニシャルがあるのだろう。

 きっと、昨夜遅くまで騒いでいた団体客の若い誰かのものである。温泉成分が
強いため入浴の際には貴金属は必ずはずしてください、そう浴場の入り口の注意書
きにあったので、この指輪を大事にしているカレはそのとおりにしたのだろう。

 とにかくこういうものには、贈ったカノジョといただいたカレの、二人の無数の
思いがこもっている。失くしたの、じゃあまた買ってあげるからいいわよ、とは
いかない。
 フロントに忘れ物として届けに向かいながら、時間がかかっても必ず持ち主の
もとに戻れよと、拾ったわたしもそんな思いを込めて握り締めたのだった。

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