温泉クンの旅日記

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奈良、東大寺・二月堂へ(2)

2024-11-10 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <奈良、東大寺・二月堂へ(2)>

 残念ながら猫の子一匹にも出逢えず、猫段を登り詰めた。そういえば、鹿も、猫段入口の堀で一頭見かけたきりだ。
「あれが鐘楼か・・・随分とまあ立派なもんだ」

 

 天空に聳える豪放な「鐘楼」は、東大寺復興に足跡を残した「重源上人」を継いだ「栄西(えいさい/ようさい)禅師」が、承元年間(1207~1211年)に再建したものである。重源の「大仏様」に、栄西が禅宗様的要素を加味した鐘楼である。

 

 鐘楼につられた梵鐘は東大寺創建当初のもので、天平勝宝4年(752年)に鋳造されたといわれ、その後、延久2年(1070年)と永長元年(1096年)に地震のため墜落し、また延応元年(1239年)には龍頭が切れて転落したが、いずれもすぐに修理されたことが修理銘によって判明している。
 梵鐘だが、高さ3.86メートル、口径2.71メートル、重さ約26.3トン、大きな釣鐘であるところから古来東大寺では「大鐘(おおがね)」と呼ばれていて、京都・知恩院の鐘、方広寺の鐘とともに日本三大梵鐘のひとつに数えられている。

 

「鐘を1回だけでもこっそり突いてみたいものだが、独りでは無理そうか・・・」
 というか、許されない行為なのだ。
 欅造りの撞木は、長さ4.5メートル、直径30センチ、重さ180キロ、金具を入れると約200キロもあるので、除夜のときなどは8名程度が組になって綱を引いて突くという。除夜以外には、二月堂の「修二会(しゅにえ=お水取り)」の時期を除き、現在でも毎日20時に撞かれているという。
 錫の比率が少ない青銅(銅錫合金)の梵鐘が生みだす低い重厚な「ゴォーン」という低音は、60秒間聞くだけで心身が清められるという。
 この鐘声の振幅は非常に長く「奈良太郎」と愛称され、古くより「姿(形)の平等院」、「声の園城寺」、「銘の神護寺」、そして「勢の東大寺」と称されている名鐘である。

 鐘楼のそばに建つ「俊乗堂」。

 

 入母屋造の堂のあるところは、「(俊乗房)重源上人」によって建てられた浄土堂のあったところで、永禄10年(1567年)の兵火で類焼したが、元禄年間に「公慶上人」が重源上人の偉大な功績を称え、菩提を弔うためにここに堂を建て、そこに「重源上人像」を移し本尊とした。肖像彫刻の白眉といわれるこの像は慶派一門作で、仏師「快慶」作ともいわれている。
 堂内には「快慶」作の「阿弥陀如来像」と、平安末期の貴重で数少ない「愛染明王像」が安置されているが、年に2度ほどしか公開されていない。

 同じく鐘楼そばにある、寄棟造の「念仏堂」は、もとは「地蔵堂」といわれた鎌倉時代の建物である。

 

 錣葺(しころぶき)の屋根は、元禄年間に改修されたものという。堂内には嘉禎3年(1237年)に仏師「康清」が造った「地蔵菩薩像」が安置されている。
 俊乗堂、念仏堂、ともに建物外観だけの観賞で満足し、先へ進む。

 鐘楼から100メートルほど歩き、売店のあるところを左に曲がって緩やかな石段を昇る。
「オッ、前方に久しぶりに鹿、発見!」

 

 おいおい。ま、まさか、待ち伏せかよ!? 
 やだなあ。なんとなくビビってしまう。
 あいにく今日は連れもなく丸腰である。朝早いから周囲には助っ人が誰もいない。
(鹿の急所てぇのはどこだっけか・・・延髄に必殺の仕掛針も隠し持ってないので、眼と眼の間を狙って<鹿殺し>の正拳直突きといくか・・・。なんてね)

 猫大好きで犬も好きだが、鹿は主に北海道で車の窓ガラス越しに観るぐらいのお付き合いだけなのだよ。


  ― 続く ―

   →「奈良、東大寺・二月堂へ(1)」の記事はこちら

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