<風待ち港、鞆の浦(2)>
万葉集にも歌われた鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央にあるため、“潮待ち港”でもある。

瀬戸内海は関門海峡、豊予海峡、紀淡海峡、鳴門海峡を通って、干潮から満潮まで鞆の浦に潮が流れ込む。
満潮から干潮にかけては、鞆の浦から潮が四つの海峡に向かって流れる。
瀬戸内海では日に二回の干満があり、六時間ごとに潮流が逆転するのだ。逆潮を避けて潮に乗るために潮待ちする。だから赤間関(下関)、中の関、室積、上関、沖の家室、津和地(松山)、蒲刈、尾道、鞆の浦、下津井、牛窓、室津、兵庫など一定距離ごとに港ができたのである。
風待ち港で潮待ち港・・・どちらも胸にグッとくる言葉だ。
そんな港町で、いくら好物でもうどんとかトーストはないだろう。目の前の瀬戸内海の新鮮な魚をつかった刺身か焼き魚の定食が食べたい。
たしか定食を出す食堂があったはずだ・・・。
あ、あそこかな。あった! 食事処「おてび」だ。

「ウソだろ!」
暖簾は出ているが、なんと「準備中」の札も出ている。
腕時計を確認すると、現在時刻は14:10分。たしか調べた限りでは昼の営業は11時から14時半までだったはずだ。なにかい、昼のラストオーダー14時までとでもいうのかよ。それとも、人気ラーメン店なみに、スープ(味噌汁)と麺(ご飯)がなくなり次第終了、ってか。
平日だからなのか、飲食店の選択肢が少なすぎるぜ、ついでに宿も高いとこばかりじゃんか、オイ鞆の浦。
・・・頭にきた。
空きっ腹とすばやく相談する。腹を割って、だ。「そんなに切羽詰まっていないわ」という。(胃袋が彼女か!) 周防大島近くの「せとみ」でやった小芝居めいた“ゴリ押し”もやりたくない。
もう、いいわ。チャッチャッと観光して繁華街に移動しようと決めた。
鞆の浦は数多くの映画やCM、テレビドラマのロケ地になっていて、宮崎駿が一軒家を借りきって二カ月滞在し「崖の上のポニョ」の構想を練った地としても有名である。町にある「鞆の浦観光情報センター」へ行けば主要なロケ地情報が手に入るらしい。
わたしも前に劇場で観たハリウッド映画、X-MENのヒュー・ジャックマン主演「ウルヴァリン:SAMURAI」でもロケ地になっていたと知り、ちょっと驚く。ただし、映画のなかでは冬の長崎という設定で使われたという。

この横道だろうか。先に幟がみえるがあそこだろうか。案外わかりづらい。
うん、ここだ。「對潮楼 福禅寺」の看板があった。


真言宗大覚派の寺院、「海岸山 千手院 福禅寺」である。
石段を昇り境内を進むとすぐに小さな堂があって、覗いたら白い親子の神馬像が入っていた。珍しい。神社でもないのに不思議だ。

本堂に隣接する「対潮楼」は元禄時代(1690年ごろ)に創建された客殿である。鞆の港は朝鮮通信使の寄港地に度々指定されたこともあって、元禄七年(1694年)には朝鮮通信使たちの迎賓館として利用され、日本の漢学者や書家らとの交流の場になっていた。

座敷に座ると、瀬戸内海にぽっかり浮かぶ鞆の浦のシンボルともいえる弁天島と仙酔島の眺めを一望できる。
正徳元年(1711年)、通信使従事官の李邦彦(イパンオン)はこの眺望を「日東第一形勝(朝鮮より東で一番風光明媚な景勝地)」と賞賛した。

手前に朱塗りの堂が見える「弁天島」は、鞆町と仙酔島の間にある無人島で、航海の守護神である弁財天を祀る「弁天堂(福寿堂)」が建てられていることから弁天島と呼ばれているが、古くは「百貫島」と呼ばれていた。


その弁天島の後ろ、渡し船で往来できる「仙酔島(せんすいとう)」は鞆の浦最大の島で、仙人も酔ってしまうほど美しいことから名づけられた。無人島であるがホテル、国民宿舎、キャンプ場、海水浴場がある。

窓枠を額縁に景色を観賞するというのは初めてではなく、たしか島根の「足立美術館」でみたことがある。
対潮楼を出て、ぶらぶら歩いていてみつけた町屋、「桝屋清右衛門宅」。

あの「いろは丸」事件の折りに坂本龍馬らが宿泊したところで、朝鮮通信使も宿泊したことがある。廻船問屋を営んでいた桝屋は薩摩藩、大洲藩、土佐藩とも取引があったそうで、その縁で龍馬に関わった。天井裏の八畳ほど隠し部屋に龍馬が隠れていたといわれ、いまは一般公開されている。しかし、鞆の浦がこんなに坂本龍馬にゆかりがあるとは知らなかった。
「あれっ! あの一見古くさい蒸気船みたいなのはなんだろう?」

後でしったが、鞆の浦福山市営渡船場から仙酔島までの渡し船「平成いろは丸」だった。日中は1時間に3本ペースで運航され、料金は往復で240円と安いし、乗船時間は5分と楽勝コースだ。
そろそろ鞆の浦とおさらばするか。
楽しみにしていた「阿伏兎観音(磐台寺観音堂)」の観光は、切実な空きっ腹を抱えているし、鞆の浦からけっこう離れているので、すっぱりとあきらめたのであった。
ところで、鞆の浦ではなぜか一匹の猫とも出逢えなかった。わたしには、これが一番残念だった。
→「風待ち港、鞆の浦(1)」の記事はこちら
→「せとみの刺身定食」の記事はこちら
→「足立美術館(1)」の記事はこちら
→「足立美術館(2)」の記事はこちら
→「足立美術館(3)」の記事はこちら
万葉集にも歌われた鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央にあるため、“潮待ち港”でもある。

瀬戸内海は関門海峡、豊予海峡、紀淡海峡、鳴門海峡を通って、干潮から満潮まで鞆の浦に潮が流れ込む。
満潮から干潮にかけては、鞆の浦から潮が四つの海峡に向かって流れる。
瀬戸内海では日に二回の干満があり、六時間ごとに潮流が逆転するのだ。逆潮を避けて潮に乗るために潮待ちする。だから赤間関(下関)、中の関、室積、上関、沖の家室、津和地(松山)、蒲刈、尾道、鞆の浦、下津井、牛窓、室津、兵庫など一定距離ごとに港ができたのである。
風待ち港で潮待ち港・・・どちらも胸にグッとくる言葉だ。
そんな港町で、いくら好物でもうどんとかトーストはないだろう。目の前の瀬戸内海の新鮮な魚をつかった刺身か焼き魚の定食が食べたい。
たしか定食を出す食堂があったはずだ・・・。
あ、あそこかな。あった! 食事処「おてび」だ。

「ウソだろ!」
暖簾は出ているが、なんと「準備中」の札も出ている。
腕時計を確認すると、現在時刻は14:10分。たしか調べた限りでは昼の営業は11時から14時半までだったはずだ。なにかい、昼のラストオーダー14時までとでもいうのかよ。それとも、人気ラーメン店なみに、スープ(味噌汁)と麺(ご飯)がなくなり次第終了、ってか。
平日だからなのか、飲食店の選択肢が少なすぎるぜ、ついでに宿も高いとこばかりじゃんか、オイ鞆の浦。
・・・頭にきた。
空きっ腹とすばやく相談する。腹を割って、だ。「そんなに切羽詰まっていないわ」という。(胃袋が彼女か!) 周防大島近くの「せとみ」でやった小芝居めいた“ゴリ押し”もやりたくない。
もう、いいわ。チャッチャッと観光して繁華街に移動しようと決めた。
鞆の浦は数多くの映画やCM、テレビドラマのロケ地になっていて、宮崎駿が一軒家を借りきって二カ月滞在し「崖の上のポニョ」の構想を練った地としても有名である。町にある「鞆の浦観光情報センター」へ行けば主要なロケ地情報が手に入るらしい。
わたしも前に劇場で観たハリウッド映画、X-MENのヒュー・ジャックマン主演「ウルヴァリン:SAMURAI」でもロケ地になっていたと知り、ちょっと驚く。ただし、映画のなかでは冬の長崎という設定で使われたという。

この横道だろうか。先に幟がみえるがあそこだろうか。案外わかりづらい。
うん、ここだ。「對潮楼 福禅寺」の看板があった。


真言宗大覚派の寺院、「海岸山 千手院 福禅寺」である。
石段を昇り境内を進むとすぐに小さな堂があって、覗いたら白い親子の神馬像が入っていた。珍しい。神社でもないのに不思議だ。

本堂に隣接する「対潮楼」は元禄時代(1690年ごろ)に創建された客殿である。鞆の港は朝鮮通信使の寄港地に度々指定されたこともあって、元禄七年(1694年)には朝鮮通信使たちの迎賓館として利用され、日本の漢学者や書家らとの交流の場になっていた。

座敷に座ると、瀬戸内海にぽっかり浮かぶ鞆の浦のシンボルともいえる弁天島と仙酔島の眺めを一望できる。
正徳元年(1711年)、通信使従事官の李邦彦(イパンオン)はこの眺望を「日東第一形勝(朝鮮より東で一番風光明媚な景勝地)」と賞賛した。

手前に朱塗りの堂が見える「弁天島」は、鞆町と仙酔島の間にある無人島で、航海の守護神である弁財天を祀る「弁天堂(福寿堂)」が建てられていることから弁天島と呼ばれているが、古くは「百貫島」と呼ばれていた。


その弁天島の後ろ、渡し船で往来できる「仙酔島(せんすいとう)」は鞆の浦最大の島で、仙人も酔ってしまうほど美しいことから名づけられた。無人島であるがホテル、国民宿舎、キャンプ場、海水浴場がある。

窓枠を額縁に景色を観賞するというのは初めてではなく、たしか島根の「足立美術館」でみたことがある。
対潮楼を出て、ぶらぶら歩いていてみつけた町屋、「桝屋清右衛門宅」。

あの「いろは丸」事件の折りに坂本龍馬らが宿泊したところで、朝鮮通信使も宿泊したことがある。廻船問屋を営んでいた桝屋は薩摩藩、大洲藩、土佐藩とも取引があったそうで、その縁で龍馬に関わった。天井裏の八畳ほど隠し部屋に龍馬が隠れていたといわれ、いまは一般公開されている。しかし、鞆の浦がこんなに坂本龍馬にゆかりがあるとは知らなかった。
「あれっ! あの一見古くさい蒸気船みたいなのはなんだろう?」

後でしったが、鞆の浦福山市営渡船場から仙酔島までの渡し船「平成いろは丸」だった。日中は1時間に3本ペースで運航され、料金は往復で240円と安いし、乗船時間は5分と楽勝コースだ。
そろそろ鞆の浦とおさらばするか。
楽しみにしていた「阿伏兎観音(磐台寺観音堂)」の観光は、切実な空きっ腹を抱えているし、鞆の浦からけっこう離れているので、すっぱりとあきらめたのであった。
ところで、鞆の浦ではなぜか一匹の猫とも出逢えなかった。わたしには、これが一番残念だった。
→「風待ち港、鞆の浦(1)」の記事はこちら
→「せとみの刺身定食」の記事はこちら
→「足立美術館(1)」の記事はこちら
→「足立美術館(2)」の記事はこちら
→「足立美術館(3)」の記事はこちら
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