<近江八幡、八幡堀界隈(1)>
滋賀では、湖北の尾上温泉、長浜、大津、栗東に宿泊している。
そのうち大津と栗東は、京都への観光のためだけの宿泊であった。前に<大津、あがり家(1)>で書いたが、滋賀と京都はすこぶる近いのである。
『突然、京都に行こうと思い立って京都市内に宿をとることは至難の業だ。
トップシーズンの桜の四月と紅葉の十一月はとにかく絶対に無理のひと言だ。
三大祭りである下鴨・上賀茂神社の葵祭り(賀茂祭り)の五月、八坂神社の祇園祭の七月、
平安神宮の時代祭りの十月も極めて難しい。そして大文字五山の送り火が八月も一年前から予約せねば
不可能であろう。地元のひと曰く、正月明け、梅雨時、祇園祭りのあと、紅葉が終わった十二月の
第二週以降が空いているというが、宿がとれてもいく気がしない。
では、手はまるでないかといえばそうでもない。
発想を変えればいい。観光は京都でするが、京都ではないところに泊まればいいのだ。事実、
大阪や滋賀に泊まる京都観光客は多いのだ。
たとえば京都から大津までは琵琶湖線でたったの二駅、わずか九分しか掛からない。なんと
京都府の府庁所在地の京都と滋賀県の県庁所在地の大津は直線で十キロ足らずと恐ろしく近いのである。』
前回に“あがり家”で呑んでいるとき、京都観光のために滋賀に宿泊しているといって、京都の話をペラペラしゃべっていると、だんだん店主の顔が不機嫌になってきた。きっと郷土愛にかられてだろう、ちょっとムッとした感じで「京都もいいですが・・・ここ滋賀もいいところがいっぱいありますから、ぜひ訪れてみてくださいよ」とぼそりとだが語気強めに勧められたのだった。
大津の“あがり家”にはまた寄りたいというか、きっと寄るに違いない。次に行くまえに滋賀を観光しておこう。
前置きが長すぎたが、というわけで今回、近江八幡を訪れたのである。
駅の北方(八幡山方面)約2キロ、小幡の信号のところから右に入ると、すぐに“旧伴家住宅”があった。
(観光は、この辺からだな・・・)
江戸初期から明治維新まで活躍した八幡商人(屋号は扇屋)伴家であったが、明治期に終焉、建物は八幡町に譲渡された。戦後は近江兄弟社図書館として使用され、後に近江八幡市立図書館となり、整備事業を経て公開されている。
旧伴家のすぐそばに「左 京街道」、「右 町なみ 新町通り」と彫られた新しい道標があった。
左に曲がると、落ち着いたいい雰囲気の通りだった。
新町周辺は重要伝統的建造物保存地域で、古い街並みが保存されている。通りの西側には旧西川宅、旧森宅など町内屈指の八幡商人の居宅が並ぶ。
右手にあった再生された古民家だが三店舗入っていて、葦筆や葦紙など琵琶湖の葦を使った商品を取り扱う「アトリエ伸」、近江の麻を使った服や雑貨を揃えた「麻香(あさがお)」、奥には展示スペース「ギャラリー淡海座」があるということだ。
ちょっと寄りたい気分だが残念ながら定休日みたいだ。
お麩の店「麩の吉井」では、八幡名物の郷土料理「ちょうじ麩のからしあえ」や麩を使った「ちょうじ最中」をお土産で買ったり、店で飲み物とセットで食べられるそうだ。
近江八幡の町は碁盤の目のように区切られた城下町。丁(町)の位置が解りやすいし、その字(あざ名)も覚えやすい。その町の整然とした町並みの美しさを表す、角型の麩を、「丁字(ちょうじ)麩」と言うのだそうである。
「オッ、ここか!」
ほどなくして、近江八幡で一番の目的地である「八幡堀」に出た。ここまで見物を一切スルーしてきたが、さて、いよいよここからが本格的な観光スタートである。
― 続く ―
→「大津、あがり家(1)」の記事はこちら
→「尾上温泉(1)」の記事はこちら
→「尾上温泉(2)」の記事はこちら
→「尾上温泉(3)」の記事はこちら
滋賀では、湖北の尾上温泉、長浜、大津、栗東に宿泊している。
そのうち大津と栗東は、京都への観光のためだけの宿泊であった。前に<大津、あがり家(1)>で書いたが、滋賀と京都はすこぶる近いのである。
『突然、京都に行こうと思い立って京都市内に宿をとることは至難の業だ。
トップシーズンの桜の四月と紅葉の十一月はとにかく絶対に無理のひと言だ。
三大祭りである下鴨・上賀茂神社の葵祭り(賀茂祭り)の五月、八坂神社の祇園祭の七月、
平安神宮の時代祭りの十月も極めて難しい。そして大文字五山の送り火が八月も一年前から予約せねば
不可能であろう。地元のひと曰く、正月明け、梅雨時、祇園祭りのあと、紅葉が終わった十二月の
第二週以降が空いているというが、宿がとれてもいく気がしない。
では、手はまるでないかといえばそうでもない。
発想を変えればいい。観光は京都でするが、京都ではないところに泊まればいいのだ。事実、
大阪や滋賀に泊まる京都観光客は多いのだ。
たとえば京都から大津までは琵琶湖線でたったの二駅、わずか九分しか掛からない。なんと
京都府の府庁所在地の京都と滋賀県の県庁所在地の大津は直線で十キロ足らずと恐ろしく近いのである。』
前回に“あがり家”で呑んでいるとき、京都観光のために滋賀に宿泊しているといって、京都の話をペラペラしゃべっていると、だんだん店主の顔が不機嫌になってきた。きっと郷土愛にかられてだろう、ちょっとムッとした感じで「京都もいいですが・・・ここ滋賀もいいところがいっぱいありますから、ぜひ訪れてみてくださいよ」とぼそりとだが語気強めに勧められたのだった。
大津の“あがり家”にはまた寄りたいというか、きっと寄るに違いない。次に行くまえに滋賀を観光しておこう。
前置きが長すぎたが、というわけで今回、近江八幡を訪れたのである。
駅の北方(八幡山方面)約2キロ、小幡の信号のところから右に入ると、すぐに“旧伴家住宅”があった。
(観光は、この辺からだな・・・)
江戸初期から明治維新まで活躍した八幡商人(屋号は扇屋)伴家であったが、明治期に終焉、建物は八幡町に譲渡された。戦後は近江兄弟社図書館として使用され、後に近江八幡市立図書館となり、整備事業を経て公開されている。
旧伴家のすぐそばに「左 京街道」、「右 町なみ 新町通り」と彫られた新しい道標があった。
左に曲がると、落ち着いたいい雰囲気の通りだった。
新町周辺は重要伝統的建造物保存地域で、古い街並みが保存されている。通りの西側には旧西川宅、旧森宅など町内屈指の八幡商人の居宅が並ぶ。
右手にあった再生された古民家だが三店舗入っていて、葦筆や葦紙など琵琶湖の葦を使った商品を取り扱う「アトリエ伸」、近江の麻を使った服や雑貨を揃えた「麻香(あさがお)」、奥には展示スペース「ギャラリー淡海座」があるということだ。
ちょっと寄りたい気分だが残念ながら定休日みたいだ。
お麩の店「麩の吉井」では、八幡名物の郷土料理「ちょうじ麩のからしあえ」や麩を使った「ちょうじ最中」をお土産で買ったり、店で飲み物とセットで食べられるそうだ。
近江八幡の町は碁盤の目のように区切られた城下町。丁(町)の位置が解りやすいし、その字(あざ名)も覚えやすい。その町の整然とした町並みの美しさを表す、角型の麩を、「丁字(ちょうじ)麩」と言うのだそうである。
「オッ、ここか!」
ほどなくして、近江八幡で一番の目的地である「八幡堀」に出た。ここまで見物を一切スルーしてきたが、さて、いよいよここからが本格的な観光スタートである。
― 続く ―
→「大津、あがり家(1)」の記事はこちら
→「尾上温泉(1)」の記事はこちら
→「尾上温泉(2)」の記事はこちら
→「尾上温泉(3)」の記事はこちら
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