<みやけうどん 博多・呉服町>
チェックインしたホテルは警固神社のすぐ傍だった。
警固神社前から中州方面に向かう国体道路をまっすぐ祇園までいき、左に曲がって少しいったところが「みやけうどん」のある呉服町だ。二キロちょっとで、わたしにはきわめて軽く歩ける距離だった。
意外と新しい提灯と暖簾だが、店構え全体と木の看板に書かれた「うどん」の文字がなんとも末枯れてシブい。それもその筈で大正時代の建物、昭和29年の創業である。
懐かしい木の格子戸を引いて店内に入ると、入口近くの卓にお婆さんがひとりうどんをゆっくりと啜っていた。時刻はもうすぐ五時だ。ひょっとしたら、ゆっくりできるように空いている隙間の時間を狙っての入店かもしれない。
厨房の女将さんに軽く会釈しながらカウンター前の卓に座り、注文は決めているのにメニューを検討するふうに店内をじっくり拝見する。椅子も木のカウンターも、卓も、あらゆるものに年季が入りまくっている。
「ごぼ天うどんをください」
魅力的なえび天を追加していなりも二個くらい頼みたいのをここはぐっと我慢する。
丼に熱い釜の湯を満たすと、函からうどんを取りあげ釜に放ち泳がせた。昔は炭でいまはガスを使っているという大釜の中には、中に饂飩つゆが入っているのだろう大徳利が浮いていた。つゆを釜で徳利を使い湯せんしているのは、口が細く狭いので蒸発しにくく味が変わらないからだそうである。うどんは製麺所であらかじめ一度茹でた特注の極太麺を仕入れ、注文を受けるともう一度温める。みやけでは夏も熱いうどんかそばだけで、冷たいものはない。
手早く慣れた手つきで麺の湯切りをすると、湯を捨てた丼にするりと滑り込ませ、大徳利からつゆをとくとくと注ぐ。天ぷらをのせて、はい一丁上がり。
あっという間に運ばれてきた。
お、きたきた。まずはつゆを啜る。
昆布と鰹節、いりこ、サバ節など数種の魚のけずり節に日田の薄口醤油を加えたつゆは、優しいがしっかりと深みのある旨さで、小さな一輪の花をちぎってそっと散らしたようなかすかな甘みを感じる。
太い麺は、博多の真骨頂ともいえる腰はあるかなきかのもちもちとしたやわらかいうどんで、それに、つゆがもの静かな伴侶のようにぴたりと仲良く寄り添ってくる。
う、うまい! 五島うどんの旨さにも舌を巻いたが、間違いなくこのうどんも病みつきになるな。
「ごめんなさい、うどんはさきほど終わってしまって、おそばしかないんですよ」
ガラリと格子戸を開けてスマホ片手に入ってきたカップル(旅行者、それも多分韓国とみた)に女将さんが詫びた。
えっ! わたしのうどんが最後だったのか。もう五分遅れたら立場は逆転していたのだ。
仕方なくそばを頼む異国のカップルには申し訳ないが、許してほしい。わたしもずっと楽しみにしてやっと訪れたのだ。
ネギは卓の上にあり、客が好みの量を入れるようになっている。わたしは少量のネギをのせ、一味唐辛子も少々かける。
薄切りを掻き揚げた<ごぼ天>は、初めサクサクカリッとしているが、つゆが沁みるとトロトロになってたぬきうどんみたいになるのもジツに好ましい。
「ごちそうさま!」
わたしが早食い過ぎたのであろうか、入口そばの卓のお婆さんは、まだゆっくりとうどんを啜っているのだった。
あんなにうまくて四百円である。まさに博多の地に根ざしている、毎日食べても飽きない旨いうどんだ。
格子戸を閉めながら、「早くて旨くて安い」の三拍子揃ったこの店が博多っ子に熱愛されるのは至極当然、と実感したのだった。
→「博多・天神、とびきり『鯛茶』」の記事はこちら
→「長崎空港で地獄炊き」の記事はこちら
チェックインしたホテルは警固神社のすぐ傍だった。
警固神社前から中州方面に向かう国体道路をまっすぐ祇園までいき、左に曲がって少しいったところが「みやけうどん」のある呉服町だ。二キロちょっとで、わたしにはきわめて軽く歩ける距離だった。
意外と新しい提灯と暖簾だが、店構え全体と木の看板に書かれた「うどん」の文字がなんとも末枯れてシブい。それもその筈で大正時代の建物、昭和29年の創業である。
懐かしい木の格子戸を引いて店内に入ると、入口近くの卓にお婆さんがひとりうどんをゆっくりと啜っていた。時刻はもうすぐ五時だ。ひょっとしたら、ゆっくりできるように空いている隙間の時間を狙っての入店かもしれない。
厨房の女将さんに軽く会釈しながらカウンター前の卓に座り、注文は決めているのにメニューを検討するふうに店内をじっくり拝見する。椅子も木のカウンターも、卓も、あらゆるものに年季が入りまくっている。
「ごぼ天うどんをください」
魅力的なえび天を追加していなりも二個くらい頼みたいのをここはぐっと我慢する。
丼に熱い釜の湯を満たすと、函からうどんを取りあげ釜に放ち泳がせた。昔は炭でいまはガスを使っているという大釜の中には、中に饂飩つゆが入っているのだろう大徳利が浮いていた。つゆを釜で徳利を使い湯せんしているのは、口が細く狭いので蒸発しにくく味が変わらないからだそうである。うどんは製麺所であらかじめ一度茹でた特注の極太麺を仕入れ、注文を受けるともう一度温める。みやけでは夏も熱いうどんかそばだけで、冷たいものはない。
手早く慣れた手つきで麺の湯切りをすると、湯を捨てた丼にするりと滑り込ませ、大徳利からつゆをとくとくと注ぐ。天ぷらをのせて、はい一丁上がり。
あっという間に運ばれてきた。
お、きたきた。まずはつゆを啜る。
昆布と鰹節、いりこ、サバ節など数種の魚のけずり節に日田の薄口醤油を加えたつゆは、優しいがしっかりと深みのある旨さで、小さな一輪の花をちぎってそっと散らしたようなかすかな甘みを感じる。
太い麺は、博多の真骨頂ともいえる腰はあるかなきかのもちもちとしたやわらかいうどんで、それに、つゆがもの静かな伴侶のようにぴたりと仲良く寄り添ってくる。
う、うまい! 五島うどんの旨さにも舌を巻いたが、間違いなくこのうどんも病みつきになるな。
「ごめんなさい、うどんはさきほど終わってしまって、おそばしかないんですよ」
ガラリと格子戸を開けてスマホ片手に入ってきたカップル(旅行者、それも多分韓国とみた)に女将さんが詫びた。
えっ! わたしのうどんが最後だったのか。もう五分遅れたら立場は逆転していたのだ。
仕方なくそばを頼む異国のカップルには申し訳ないが、許してほしい。わたしもずっと楽しみにしてやっと訪れたのだ。
ネギは卓の上にあり、客が好みの量を入れるようになっている。わたしは少量のネギをのせ、一味唐辛子も少々かける。
薄切りを掻き揚げた<ごぼ天>は、初めサクサクカリッとしているが、つゆが沁みるとトロトロになってたぬきうどんみたいになるのもジツに好ましい。
「ごちそうさま!」
わたしが早食い過ぎたのであろうか、入口そばの卓のお婆さんは、まだゆっくりとうどんを啜っているのだった。
あんなにうまくて四百円である。まさに博多の地に根ざしている、毎日食べても飽きない旨いうどんだ。
格子戸を閉めながら、「早くて旨くて安い」の三拍子揃ったこの店が博多っ子に熱愛されるのは至極当然、と実感したのだった。
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