<博多・天神、とびきり『鯛茶』>
たっぷりの山葵を載せた海苔しか見えない小鉢、それにご飯とお新香。

(これ・・・で千円<税込で千八十円>かよ!)
と、食すのが初めてであれば、まずは目を点にしてガックリ肩を落とすがいい。わたしも初めて連れてこられたときは同じだった。といっても十数年前だから千円ではないが。

まずは小鉢のなかをぐるぐる掻きまわす。なかには鯛の切り身が嬉しいことに意外にいっぱい入っている。
「こ、こいつは・・・うめえ!」
あの鬼平でも唸っちまうだろう。

ひと口食べれば、問答無用の旨さである。胡麻・味醂・醤油、それにきっと一子相伝の出汁かなにかを加えたのであろう極上で風味あるタレと、新鮮な鯛との仲を清涼で一途な山葵がとりもって、玄妙でとびきりな美味しさが口中に広がる。ただただ驚き唖然、愁眉を開き、目を瞠り、落ちたその肩は間違いなく元通りになる。
鮮度抜群のこりこりとした歯ごたえもよい鯛である。秘伝のタレをまとったほどよい厚みの上品な刺身を載せた飯を、世の中にまだこんなうまいものがあったんだと、無言で飯をわしわしと掻きこむことになるのだ。

博多での昼食は天ぷらや刺身、焼き鯖、うどん、ラーメン、スパゲッティ、餃子など食べたいものがジツに多すぎて困る。

ただし、博多で昼を一回だけ過ごすのであれば、鉄板の昼メシは「『割烹よし田』の鯛茶」がある。創業五十余年の老舗で、地下鉄天神駅そばのオフィス街、みずほ銀行の脇道にある大箱の店だが満員行列、人気なのも頷くはずだ。

呼子のイカ、佐賀の関サバなどもメニューにあるが、昼はまず、とびきりの「鯛茶」が目当ての客ばかりである。
いろいろ悩む博多の昼の選択肢をすべて捨て去り、これを選ぶ。一点の迷いもない。ここはまったくの「別格」なのである。鯛茶漬けではなく鯛茶と書いてある通り、漬けこまず、客に提供直前にタレと和えているだけ、というがこれはちょっと信じがたい。
お櫃には軽く三杯分の飯が入っている。
でも、待ってくれ。刺身だけで食う気か。おいおい、鼻を鳴らして抗議するな。前座でノックアウトされ、お櫃を空にしてはならぬ。わたしはしないが、ぜひとも一杯は卓に置かれた自家製の鯛の身をほぐしたふりかけだけで食べろというひともいるぞ。
思いだしてくれたまえ、本命は「鯛茶」なのだ。
鉢に残った鯛とタレをご飯に載せて、急須から熱い茶を注ぐ。あ、注ぐまえにひと口食べるのもいいぞ。お茶で味が薄まるのでは・・・なんて心配もご無用。とことん薄い茶だから。
熱を加えたので切り身は白く半生になりふわプリッの食感となる。

秘伝のタレに、鯛に、飯に薄めのお茶が助太刀して、さらに目を瞠ること必定の感動的とさえいえる新しい味の世界が迎えてくれる。高菜と大根のぬか漬けの箸休めもつい忘れてしまうぞ。

さてさて、空っぽのお櫃が、とびきり「鯛茶」の大満足の証ってやつだ。
今日の昼メシ代は決して高くなかったぞと思い知るのである。
→「禁断のドンブリ」の記事はこちら
→「松江しんじ湖温泉(1)」の記事はこちら
→「松江しんじ湖温泉(2)」の記事はこちら
→「松江しんじ湖温泉(3)」の記事はこちら
たっぷりの山葵を載せた海苔しか見えない小鉢、それにご飯とお新香。

(これ・・・で千円<税込で千八十円>かよ!)
と、食すのが初めてであれば、まずは目を点にしてガックリ肩を落とすがいい。わたしも初めて連れてこられたときは同じだった。といっても十数年前だから千円ではないが。


まずは小鉢のなかをぐるぐる掻きまわす。なかには鯛の切り身が嬉しいことに意外にいっぱい入っている。
「こ、こいつは・・・うめえ!」
あの鬼平でも唸っちまうだろう。

ひと口食べれば、問答無用の旨さである。胡麻・味醂・醤油、それにきっと一子相伝の出汁かなにかを加えたのであろう極上で風味あるタレと、新鮮な鯛との仲を清涼で一途な山葵がとりもって、玄妙でとびきりな美味しさが口中に広がる。ただただ驚き唖然、愁眉を開き、目を瞠り、落ちたその肩は間違いなく元通りになる。
鮮度抜群のこりこりとした歯ごたえもよい鯛である。秘伝のタレをまとったほどよい厚みの上品な刺身を載せた飯を、世の中にまだこんなうまいものがあったんだと、無言で飯をわしわしと掻きこむことになるのだ。

博多での昼食は天ぷらや刺身、焼き鯖、うどん、ラーメン、スパゲッティ、餃子など食べたいものがジツに多すぎて困る。

ただし、博多で昼を一回だけ過ごすのであれば、鉄板の昼メシは「『割烹よし田』の鯛茶」がある。創業五十余年の老舗で、地下鉄天神駅そばのオフィス街、みずほ銀行の脇道にある大箱の店だが満員行列、人気なのも頷くはずだ。


呼子のイカ、佐賀の関サバなどもメニューにあるが、昼はまず、とびきりの「鯛茶」が目当ての客ばかりである。
いろいろ悩む博多の昼の選択肢をすべて捨て去り、これを選ぶ。一点の迷いもない。ここはまったくの「別格」なのである。鯛茶漬けではなく鯛茶と書いてある通り、漬けこまず、客に提供直前にタレと和えているだけ、というがこれはちょっと信じがたい。
お櫃には軽く三杯分の飯が入っている。
でも、待ってくれ。刺身だけで食う気か。おいおい、鼻を鳴らして抗議するな。前座でノックアウトされ、お櫃を空にしてはならぬ。わたしはしないが、ぜひとも一杯は卓に置かれた自家製の鯛の身をほぐしたふりかけだけで食べろというひともいるぞ。
思いだしてくれたまえ、本命は「鯛茶」なのだ。
鉢に残った鯛とタレをご飯に載せて、急須から熱い茶を注ぐ。あ、注ぐまえにひと口食べるのもいいぞ。お茶で味が薄まるのでは・・・なんて心配もご無用。とことん薄い茶だから。
熱を加えたので切り身は白く半生になりふわプリッの食感となる。

秘伝のタレに、鯛に、飯に薄めのお茶が助太刀して、さらに目を瞠ること必定の感動的とさえいえる新しい味の世界が迎えてくれる。高菜と大根のぬか漬けの箸休めもつい忘れてしまうぞ。


さてさて、空っぽのお櫃が、とびきり「鯛茶」の大満足の証ってやつだ。
今日の昼メシ代は決して高くなかったぞと思い知るのである。
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