<宮城、松島温泉(1)>
「後悔先に立たず」というが、人生はさて置き、旅の場合なら取り返しがつくこともある。
「日本三景」とは江戸時代の初め、全国を行脚した儒学者の林春斎が記した「日本国事跡考」において<卓越した三つの景観>とした松島、天橋立、宮島である。
わたしは、いずれの景勝地も複数回訪問しているのだが、そのうちの松島だけは、どうにも達成感がないというか、満足感が薄い。きっと、島めぐりをしていないからだと思う。松島とはそろそろ決着をつけねばならない。
松島駅から<島めぐり観光船>が出る中央桟橋まで、歩いてたっぷり15分くらいかかった。
「事前の予約はお済みでしょうか?」
観光船「仁王丸」の窓口に並んでいる行列に近づくと、寄ってきた係員に訊かれた。頷いて済んでいると答えると、送信された予約完了メールを拝見させて欲しいという。
電車が仙台駅に近くなったときに時計を確認すると、16時の出航の最終便に乗れそうとわかり、慣れないスマホでどうにか事前予約したのだった。
スマホを取り出し、メールを探して呈示すると、窓口に向かって「予約のXX様です」と告げ、窓口の中で係員がリストを確認して言った。「事前予約の割引料金で 900円になります」。
(えっ、なんですと! 1,500円が1,000円になるかと思ったら、さらに100円安いぞ! ラッキー!)
出航15分前になって上船、進行方向右側の窓側席を確保した。大きな窓は一航海終えるたびに綺麗に清掃されている。知床とは大違い、客数300名以上の大型の新型船である。
グリーン席と展望デッキ部分のある二階席へいくには、別に600円の追加料金が必要で、カップルたちと裕福そうな家族連れが次々と二階に昇っていく。混み具合は一階席が半分くらい、二階はたぶんガラガラ。
海鳥への餌やりは固く禁止されているとのアナウンスがあり、家からわざわざ持ってきた、小袋入りのかっぱえびせんも出番がなくなったので、デッキに行くのを諦めた。
出航時間が迫るにつれ、顔は平常心を保つがすこしだけ脈が速くなってくる。
(予行演習して準備したじゃないか。所要時間は、たったの50分。だいじょうぶだ!)
わたしは飛行機もダメなら、30分を超える船とバスの移動も大の苦手である。(青森・函館間のフェリーはしょうがないから別として、だ)
今回の松島で乗ろうしている島めぐり遊覧船のために、松島湾もきっと瀬戸内海に似て穏やかな海だろうと、四国の金毘羅さんに参った帰り、高松から小豆島を経由して岡山まで、わざわざ船を利用して事前に備えたのだった。
静かな、滑り出るような出航で安堵する。
「松島」は松島湾の内外に浮かぶ260余りの島々の総称である。
その昔は丘陵であったのが地殻変動で沈下して、山や丘の頂上部分を海面に残して大小それぞれの島となった。すべての島が名づけられているという。
海の青と松の緑、そして雄大な水平線と多島美を享受できる稀有な景勝地、松島。
日本を象徴するこれらの絶景だが、かの芭蕉は「奥の細道」のなかで美しさのあまり一句も詠むことができなかったと記している。
代わりに同行の弟子、河合曾良が「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」と詠んでいる。
ところで、昭和の作曲家である高木東六が、ナントカのひとつ覚えのようにいう「松島や ああ松島や 松島や」という狂歌があまりにも有名だ。
これはもちろん芭蕉の作などではなく、仙台藩の儒者・桜田欽齊著「松島図誌」に載った、相模の国の狂歌師「田原坊」の「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」の”さて”が”ああ”に変化して今に伝えられているそうだ。
途中から「外洋を少しだけ航海する」とのアナウンスにドキリとしたが、なんとか無事に乗り切れた。
(これで、松島の地にも間違いなく達成感が湧いたな・・・)
下船して、落ち着いて一服しながら実感したのだった。
よーし、次は松島温泉だ。
― 続く ―
→「時には海路で。(1)高松~小豆島~岡山」の記事はこちら
→「松島」の記事はこちら
「後悔先に立たず」というが、人生はさて置き、旅の場合なら取り返しがつくこともある。
「日本三景」とは江戸時代の初め、全国を行脚した儒学者の林春斎が記した「日本国事跡考」において<卓越した三つの景観>とした松島、天橋立、宮島である。
わたしは、いずれの景勝地も複数回訪問しているのだが、そのうちの松島だけは、どうにも達成感がないというか、満足感が薄い。きっと、島めぐりをしていないからだと思う。松島とはそろそろ決着をつけねばならない。
松島駅から<島めぐり観光船>が出る中央桟橋まで、歩いてたっぷり15分くらいかかった。
「事前の予約はお済みでしょうか?」
観光船「仁王丸」の窓口に並んでいる行列に近づくと、寄ってきた係員に訊かれた。頷いて済んでいると答えると、送信された予約完了メールを拝見させて欲しいという。
電車が仙台駅に近くなったときに時計を確認すると、16時の出航の最終便に乗れそうとわかり、慣れないスマホでどうにか事前予約したのだった。
スマホを取り出し、メールを探して呈示すると、窓口に向かって「予約のXX様です」と告げ、窓口の中で係員がリストを確認して言った。「事前予約の割引料金で 900円になります」。
(えっ、なんですと! 1,500円が1,000円になるかと思ったら、さらに100円安いぞ! ラッキー!)
出航15分前になって上船、進行方向右側の窓側席を確保した。大きな窓は一航海終えるたびに綺麗に清掃されている。知床とは大違い、客数300名以上の大型の新型船である。
グリーン席と展望デッキ部分のある二階席へいくには、別に600円の追加料金が必要で、カップルたちと裕福そうな家族連れが次々と二階に昇っていく。混み具合は一階席が半分くらい、二階はたぶんガラガラ。
海鳥への餌やりは固く禁止されているとのアナウンスがあり、家からわざわざ持ってきた、小袋入りのかっぱえびせんも出番がなくなったので、デッキに行くのを諦めた。
出航時間が迫るにつれ、顔は平常心を保つがすこしだけ脈が速くなってくる。
(予行演習して準備したじゃないか。所要時間は、たったの50分。だいじょうぶだ!)
わたしは飛行機もダメなら、30分を超える船とバスの移動も大の苦手である。(青森・函館間のフェリーはしょうがないから別として、だ)
今回の松島で乗ろうしている島めぐり遊覧船のために、松島湾もきっと瀬戸内海に似て穏やかな海だろうと、四国の金毘羅さんに参った帰り、高松から小豆島を経由して岡山まで、わざわざ船を利用して事前に備えたのだった。
静かな、滑り出るような出航で安堵する。
「松島」は松島湾の内外に浮かぶ260余りの島々の総称である。
その昔は丘陵であったのが地殻変動で沈下して、山や丘の頂上部分を海面に残して大小それぞれの島となった。すべての島が名づけられているという。
海の青と松の緑、そして雄大な水平線と多島美を享受できる稀有な景勝地、松島。
日本を象徴するこれらの絶景だが、かの芭蕉は「奥の細道」のなかで美しさのあまり一句も詠むことができなかったと記している。
代わりに同行の弟子、河合曾良が「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」と詠んでいる。
ところで、昭和の作曲家である高木東六が、ナントカのひとつ覚えのようにいう「松島や ああ松島や 松島や」という狂歌があまりにも有名だ。
これはもちろん芭蕉の作などではなく、仙台藩の儒者・桜田欽齊著「松島図誌」に載った、相模の国の狂歌師「田原坊」の「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」の”さて”が”ああ”に変化して今に伝えられているそうだ。
途中から「外洋を少しだけ航海する」とのアナウンスにドキリとしたが、なんとか無事に乗り切れた。
(これで、松島の地にも間違いなく達成感が湧いたな・・・)
下船して、落ち着いて一服しながら実感したのだった。
よーし、次は松島温泉だ。
― 続く ―
→「時には海路で。(1)高松~小豆島~岡山」の記事はこちら
→「松島」の記事はこちら
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