<紅葉とあぶり餅(2)>
今宮神社の紅葉する東門の門前、あぶり餅を売る茶店が参道の両側に一軒ずつある。あぶり餅好きなわたしには見慣れた風景だ。
今日は、呼び込みの達者なほうの茶店「かざりや」に決めた。
店先で焼いている、持ち切れないほどのあぶり餅がなんとも香ばしい匂いを撒いている。奥のほうではわらび餅の串を仕込む職人たちがいる。
焼き場の女衆の後ろでは焼きあがった熱々の餅串に白味噌たれをくぐらせている。出来上がったあぶり餅と湯呑茶碗と急須を盆にのせて接客の女衆が席の客に運ぶ。
女衆は客の呼び込みもとても達者である。誰もが気持ちいいくらい手際がよい。
あぶり餅については、いままで何度か記事に書いてきたので、手抜きのようだが引用したい。
『わたしは京都に行くと実によく歩く。
「歩き倒す」という勢いで名所を次々と巡るのだ。
だから、嵐山から歩き始めて洛西を歩きとおし、大徳寺の裏を抜けた今宮神社門前の茶屋に辿り着いて初めてあぶり餅を食べたとき、
餅にからんだ白味噌の甘みがじわーとへとへとの身体にしみわたり、こいつは実に旨いと心から思ったのだ。
平安時代から千年の歴史をもつ今宮神社のあぶり餅は日本最古の和菓子屋といわれ、参道で応仁の乱や飢饉のときに
庶民に振る舞ったといわれている。
運ばれてきたあぶり餅は、いやはやどうも、いい意味で期待を裏切る本格的なものだった。京都のように白味噌だれではなく醤油だれだが、
いやあ、こいつはたまらないぞ。美味しいのひと言。たしかにこれはあぶり餅だ。いや、待てよ。この味・・・どこかで食べたことある。
「ところで、このあぶり餅はとても美味しいですね。いつも京都へ行くと食べるヤツにも引けをとりませんね」
強い郷土愛からだろうか、スイッチが入って佐原のアツイ話が明日の朝まで止まらなくなりそうなので話題を変えたつもりが
失敗してしまう。
「あ、今宮神社のを、お客さまは知ってらっしゃるんですか!」
ジツは大徳寺のそばで生まれて、幼いころから今宮神社門前の二軒の茶屋にしょっちゅう出入りしていたと、別な熱弁が始まり、
ここからしばらくは京都の甘味話で盛りあがってしまう。それにしても、てっきり佐原かとばかり思ったら京都生まれだったとは驚いた。
「あぶり餅って、ベースの味がたしかあちらは白味噌ですよね・・・」
「ええ、そうですが、オリジナルなものにしようと思い、すべて佐原の名物でつくろうと、たれは醤油と味醂でこしらえたんです」
なるほど。ただし、正月だけは京都と同じ白味噌だれで提供するそうだ。ああ、そのテーブルの山椒をかけると
ひと味違いますので試してくださいな、と言われて試して瞠目する。うなぎだけでなく山椒は、醤油だれ全般のものにかけると
魔法のようにすべてひと味引き立てるのだ。
その瞬間、思いだした。
「この醤油だれの絶妙の味わい、どちらかというと鹿児島の両棒餅(じゃんぼもち)にそっくりですね」』
――佐原で極上あぶり餅より
『上新粉の楕円状の団子に竹串を二本刺し(両棒)てあり、上から生姜風味のほんのり甘い醤油のたれをかけてある。
これは・・・。
どこかで食べたことのある味・・・そうだ、あれだ。京都の今宮神社の門前で食べたあぶり餅を思い出した。
味はそっくり、食感はほぼ同じで、甘党でなくてもぺろりと食べられる。』
――両棒餅より
歩きに歩いたあと、へとへと状態でかぶりつくあぶり餅も飛びきりに美味だが、今日みたいにたいして歩いていなくても格別な味は変わらない。
ジツに旨い。
記憶がたしかならば、九年前食べたときと一人前の料金が五百円と、変わらないようだ。あぶり餅の熱狂ファンのわたしとしては嬉しい限りである。
→「紅葉とあぶり餅(1)」の記事はこちら
→「佐原で極上あぶり餅」の記事はこちら
→「両棒餅」の記事はこちら
今宮神社の紅葉する東門の門前、あぶり餅を売る茶店が参道の両側に一軒ずつある。あぶり餅好きなわたしには見慣れた風景だ。
今日は、呼び込みの達者なほうの茶店「かざりや」に決めた。
店先で焼いている、持ち切れないほどのあぶり餅がなんとも香ばしい匂いを撒いている。奥のほうではわらび餅の串を仕込む職人たちがいる。
焼き場の女衆の後ろでは焼きあがった熱々の餅串に白味噌たれをくぐらせている。出来上がったあぶり餅と湯呑茶碗と急須を盆にのせて接客の女衆が席の客に運ぶ。
女衆は客の呼び込みもとても達者である。誰もが気持ちいいくらい手際がよい。
あぶり餅については、いままで何度か記事に書いてきたので、手抜きのようだが引用したい。
『わたしは京都に行くと実によく歩く。
「歩き倒す」という勢いで名所を次々と巡るのだ。
だから、嵐山から歩き始めて洛西を歩きとおし、大徳寺の裏を抜けた今宮神社門前の茶屋に辿り着いて初めてあぶり餅を食べたとき、
餅にからんだ白味噌の甘みがじわーとへとへとの身体にしみわたり、こいつは実に旨いと心から思ったのだ。
平安時代から千年の歴史をもつ今宮神社のあぶり餅は日本最古の和菓子屋といわれ、参道で応仁の乱や飢饉のときに
庶民に振る舞ったといわれている。
運ばれてきたあぶり餅は、いやはやどうも、いい意味で期待を裏切る本格的なものだった。京都のように白味噌だれではなく醤油だれだが、
いやあ、こいつはたまらないぞ。美味しいのひと言。たしかにこれはあぶり餅だ。いや、待てよ。この味・・・どこかで食べたことある。
「ところで、このあぶり餅はとても美味しいですね。いつも京都へ行くと食べるヤツにも引けをとりませんね」
強い郷土愛からだろうか、スイッチが入って佐原のアツイ話が明日の朝まで止まらなくなりそうなので話題を変えたつもりが
失敗してしまう。
「あ、今宮神社のを、お客さまは知ってらっしゃるんですか!」
ジツは大徳寺のそばで生まれて、幼いころから今宮神社門前の二軒の茶屋にしょっちゅう出入りしていたと、別な熱弁が始まり、
ここからしばらくは京都の甘味話で盛りあがってしまう。それにしても、てっきり佐原かとばかり思ったら京都生まれだったとは驚いた。
「あぶり餅って、ベースの味がたしかあちらは白味噌ですよね・・・」
「ええ、そうですが、オリジナルなものにしようと思い、すべて佐原の名物でつくろうと、たれは醤油と味醂でこしらえたんです」
なるほど。ただし、正月だけは京都と同じ白味噌だれで提供するそうだ。ああ、そのテーブルの山椒をかけると
ひと味違いますので試してくださいな、と言われて試して瞠目する。うなぎだけでなく山椒は、醤油だれ全般のものにかけると
魔法のようにすべてひと味引き立てるのだ。
その瞬間、思いだした。
「この醤油だれの絶妙の味わい、どちらかというと鹿児島の両棒餅(じゃんぼもち)にそっくりですね」』
――佐原で極上あぶり餅より
『上新粉の楕円状の団子に竹串を二本刺し(両棒)てあり、上から生姜風味のほんのり甘い醤油のたれをかけてある。
これは・・・。
どこかで食べたことのある味・・・そうだ、あれだ。京都の今宮神社の門前で食べたあぶり餅を思い出した。
味はそっくり、食感はほぼ同じで、甘党でなくてもぺろりと食べられる。』
――両棒餅より
歩きに歩いたあと、へとへと状態でかぶりつくあぶり餅も飛びきりに美味だが、今日みたいにたいして歩いていなくても格別な味は変わらない。
ジツに旨い。
記憶がたしかならば、九年前食べたときと一人前の料金が五百円と、変わらないようだ。あぶり餅の熱狂ファンのわたしとしては嬉しい限りである。
→「紅葉とあぶり餅(1)」の記事はこちら
→「佐原で極上あぶり餅」の記事はこちら
→「両棒餅」の記事はこちら
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