「令和の時代にも戦争の悲惨さ、命の尊さを伝え残したいー。太平洋戦争末期に特攻隊で死を覚悟し、終戦直後にシベリアで苛烈な抑留経験をした佐賀市の鳥谷邦武さん(92)が8月3日、福岡市筑前町の町立大刀洗平和記念館で講演」されるそうです。鳥谷さんのは「16歳で大刀洗陸軍飛行学校に入校」、「1944年には中国-満州に移り飛行訓練を積んだが、出動前に『特攻隊』編入に命じられ突撃訓練の日々。」しかし、「出撃命令はでないまま『特攻待機』は解除され、終戦を迎え」、「ほどなく進攻してきた旧ソ連の兵士に捕まり」、「シベリアの收容所」へ「日本人捕虜は労働力として」使われ、「鳥谷さんは材木の運搬作業などを行ったが、積み上がった材木がはねるように崩れるたび、多くの戦友が下敷きになり命を落とした」そうです。「ソ連軍は約57万5先生人を抑留し、うち5万5千人が亡くなったとされる」そうです。「冬季の凍土は掘れないため、遺体の埋葬は雪中。着ていた衣服は別の捕虜が使い、死体はオオカミが食べた」そうで、~ここで固まってしまいました。~シベリア抑留者の収集された遺骨全部が日本人のものでなかった~という報道があってましたが~鳥谷さんのお話と交差します。「戦った相手にも家族がいる人間。その人間が変わってしまうのが戦争の恐ろしさ」と話される鳥谷さんは「時間の許す限り一人でも多くの人に、自分が知る<戦争の真実>を話したいと願って」あるそうです。
(下:2019年7月30日西日本新聞-四宮淳平「特攻、抑留何度も命諦め かじ利かぬ低速機体 飢えしのいだ腐ったイモ 佐賀の鳥谷さん『殺し合いばからしい』筑前町で来月講演」より)
(下:2019年7月30日西日本新聞-四宮淳平「特攻、抑留何度も命諦め かじ利かぬ低速機体 飢えしのいだ腐ったイモ 佐賀の鳥谷さん『殺し合いばからしい』筑前町で来月講演」より)