横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

手術当日

2014-09-08 | 変形性股関節症
月曜日手術の場合は金曜日に入院する、それが決まりです。

間の(土)(日)は何をするかって、ほとんどやることはない
せいぜい病棟の見学とか、たまに看護師が来て毎度同じことを聞く

そういえば薬剤師も、麻酔科の先生も来たわ  
でもそれほどやることはない

8月4日(月)~8月5日(火)

手術当日を迎えました。始めの話だと朝一の手術予定だったはずなんだけど
急に午後一番だと言われた。

前日の夜から断食なので午後までまたされるということは3食抜きということ
これはきついですよ、水も途中から飲めなくなるし

夫が来ました。今回も新横浜6時発で、なんだ、こんなことならもっとゆっくりでもよかったね
まあ、まだ元気な妻をしばし眺めてくださいな

明日の今頃は術後の苦しみの真っ最中なんだから・・なんて冗談を言ってみる
そうでもしないと落ち着かない、やはり不安はぬぐえない
手術が無事終わったら連絡してほしい人の一覧を書いて渡す。

12時半、看護師が迎えに来る、<よっし、行くぞ>言葉にはしなかったけど気合を入れた

歩いても行けそうだったけど一応車いすを押してもらう

関係者用のエレベーターで4階へ

車いすを押してくれてた看護師さん、のちにお気に入りの看護師の一人となるFさんでしたが
とにかく明るい人なので、私の気持ちを盛り上げてくれるような話をしてくれる
内容はあまり覚えてないけどね

しばらく待たされて名前の確認、そして手術室へ、

夫とはここでバイバイ、家族の控室があるのでそこで待機するそうです。
予定は6時間、その間緊急事態が起こらないとも限らないので、必ず待機していなければいけません

そんなピリピリした空気なのに
なんと手術室に入ろうとする私を写メ撮ってる、元気な姿を見るのが最後か?って、まさかね

私のド近眼さは度々書いてきましたが、メガネをかけてないし、もちろんコンタクトも入れてないから
ぜ~~んぶぼぉ~っとしてて、これが助かった

それでも雰囲気はわかります。、機械がいっぱい、手術台があって、その上にはギラギラのライト
促されて自ら手術台に乗ります。

ここで上半身裸になります。もちろん看護師さんのフォローあり
肩の下あたりになにかペタペタ付けられました。心電図のあれかな?

次に右を下にして横になる。顔はお腹を見る感じで膝を曲げ、背中を丸める
これから背中に硬膜外チューブという痛み止めを送る針を刺します。

これが一番痛い、と言った人がいる、しかし思ったより全然痛くない、お上手

仰向けになって酸素マスクを付けられた、と思ったらそこからまったく記憶がない


「終わりましたよ」 U医師の声、横に夫がいる。

まだ意識はもうろうとしていたけど成功はしたようだ。

その上、6時間の予定が5時間で終わったって、これは大きい
1時間少ないということはそれだけ負担も少ないということ
術後の回復に大きな影響があるはず
夫がレントゲン写真のコピーを見せてくれた。

なんと言ったらいいのか、瞬間思ったのは、なんて美しく、左右対称に寸分の違いもなく
これからの一生の友が入った、よかった~、安心しました。

その時点ですでにGICUのベッド上だった

★ GICU・・General Intensive Care Unit の頭文字を取った言葉、日本語では総合集中治療室

知らない間に体中管だらけ、両太ももはこれでもかってくらい太巻きになっている。
まるで解剖される前のカエルみたいに身動きができないのだ。

傷の痛みは・・・正直まったくってほどない
だけど、なにが大変だったかって腰が異様に痛む

GICUは術後の重症患者が過ごす場所なので、看護師は2時間おきに回ってくることになっている
その都度体位を変えてくれるのだが、私の場合両脚なので変えようがないというのが現実
腰の下に枕を入れてくれたり、バスタオルを入れてくれたりするのだが、一瞬は楽になっても
すぐ我慢できないほどの痛さが襲ってくる

傷が痛いならなんとかなるけど、これだけはどうしようもない

手術終わったらぐっすり寝ようなんて甘い考えはぶっ飛び、ぼんやりした目で
真っ暗な外を見てはひたすら早く夜が明けないかを待つ

それでもナースコールをするとすぐ来てくれる看護師さん、何度も何度もごめんなさい
間にお水も飲ませてもらいました。

こんなことでほとんど眠れないまま最初の夜がようやく明けました。

腰は際限なく痛い、ただそれだけ

体中がんじがらめだというのに、現実は・・・朝食が出る
ベッドを起こしてもらい、少し人間に戻ったか?

下半身はそのままだけど、頭の位置が違っただけで世界観が変わるような気がした

朝食はおかゆと、それにかけるふりかけパック、味噌汁

ナースハルコさんも書いてたけど、おかゆにふりかけ?やっぱり梅干しでしょう
その上おかゆの量が、ご飯1杯分をおかゆにしてしまったっていうくらい大量
だれがこんな時にこんなに食べるのよ
食べなくちゃ、体力付けなくちゃ、なんて少し思ったけど、あんなにお腹空いてるはずなのに
まったく食欲がない、2口、3口、味噌汁もそんなもの、で、ごちそうさま

食べ終わったころ夫が来る、どう?って聞かれたけど、どうもこうも腰が痛いだけ
結局、この腰からお尻の痛みは当時より緩和したものの退院した今も続いている。

ただ、今回救われたのは人工呼吸器の管の問題、前回の倍以上の時間だったにも関わらず
まったく違和感が残らなかったこと

麻酔科の先生の話では、管がなかなか入らなくて大変だったとのこと
術前に何度も訴えていたので一番細い管を使うようにしますと言ってくれてたから
入りにくかったのかな?
私は夢の中でしたから何をされても痛くもかゆくもなかったけど
だた、麻酔が覚めるころだったのか、喉から管が出て行くのをなんとなく感じました。
もしかして夢だったのか、現実だったのか、それも定かではありませんが

準備が整い次第順番に一般病棟に移動ですが、その前に肺のレントゲンを撮りました。
もちろん寝たままです。

人工呼吸器を付けてましたから心肺機能が戻っているか見るのでしょうか?

この時まだ酸素マスクを付けていました。後に”カヌラ”という
耳にひっかけて鼻の穴に直接入れる呼吸器に変わっていくのですが
しばらくの間呼吸器の検査は続き、深呼吸を繰り返すよう言われました。

そして、一般病室に、ここがまた前とは違う部屋、窓際でしたが、悩みが生まれた部屋でもありました。

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今日からぼちぼちと

2014-09-06 | 変形性股関節症
退院6日目、初めての土曜日、夫に付き添ってもらいマンションの敷地内を歩く

そういえば退院後初めて靴を履いた事になる

2本杖でこわごわだけど、一番駅に近い棟まで歩いたから往復で10分くらい
術前はとても歩ける距離ではなかった。
いや、歩いたけど痛くて痛くてつらかった。
気を遣う分腕に力が入ったりするけど、股関節が痛いということはありません。

知り合いの方の奥様が人工骨を入れたけど、リハビリをしなかったのか
原因はわからないけど、車いすになってしまい今では外出も儘ならないそうで
何のために辛い思いをして手術したのか、お気の毒としか言えないと・・
歩きながら夫からそんな話が出ました。

私は歩きます、しっかり歩きます。だってそのために試練を乗り越えるのだから

そんなことで

今回から少しずつ闘病日誌を、興味のない方はもちろんスルーしてください。

2014/8/1(金)  入院日

朝7時前、夫の通勤時とたまたま一緒になったので横浜まで一緒に行ってもらう

改札口で待っていてくれた館山のSSさんと合流
彼女は5時館山発のバスで来てくれた

「よろしくお願いします」

地下鉄で新横浜に向かう  8:22発のひかりに乗車
これが旅行だったらどれだけ楽しいだろうね・・なんて話しながら

11時ちょっと前に京都到着、近鉄に乗り換え、京阪電車に乗り換え
枚方市駅到着

前日の電話で病院から「昼食前には入れますね」って言われてしまったから
とにかく急がなくちゃ

11時45分病院に到着、1階の入院センターへ
手続きが済むと、ボランティアの方に案内されて7階病棟へ

前日の電話だと、「個室しか空いてないからしばらくそちらで、もちろん料金はかかりません」
なんて、すごくうれしい話があったのに、結局案内されたのはナースステーション真ん前の大部屋
窓側で眺めはよかったけどちょっとがっかり

個室、入りたいですよ、できることなら、人に気を遣わなくていいし
ただ安い部屋で1泊17000円、×32日で 544000円、無理です。

友人たちに言ったら、そんなお金があったらもっと別のほうに使いなさいって言われてしまったし
ま、その後いろいろあって夫からは一度だけ、そんなに我慢できなければ個室にしたら・・なんて話もありましたが

4人部屋です。ところが何かおかしい、そうだ昼間からカーテン閉めてる、
これじゃ廊下側の方、真っ暗じゃないの

聞いたら、大部屋はプライバシーが守れないからって大多数の意見だったそうです。

結局この部屋には1晩だけお世話になって、翌日は少し離れた部屋に移動
そのためにせっかく片付け上手のSSさんが付いて来てくれたのに、前もって送っておいた
大きな段ボール、ほとんどそのままで彼女とはさようなら、残念だったけどありがとうね


さあ、いよいよ入院生活の始まりですよ。なんてまだ余裕だったなあ





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さてどこから・・・

2014-09-05 | 変形性股関節症
退院して5日目、昨日は手術して丸1か月が過ぎました。
家事をやらなくては・・元気な時はいつもいい加減だったのに
いざ、やれないとイライラする

夫はきれい好きだし、どんどん物を捨てるタイプだから、私が帰ってきてからのほうが
なんだか散らかってる

でもね、そこはやっぱり男、細かいところに気づかない、
お風呂の床とか、排水溝とか、キッチン流しの水きり棚の下とか
無理でしょうね。
流しはきれいにしたけど、お風呂場はどうしようもない

そんなところへ妹のようにしている蒲田のM子ちゃんが来てくれた。

「私、お料理は得意じゃないけど、掃除は大好きだから

気になって前日排水溝のところに浴室用漂白剤をかけて置いたけど、やっぱりこすりたい

こういうところってわざわざやるんじゃなくて、自分が入浴した時気付くと
その都度さっとやっておけば汚れが付かないんです。

夫には文句も言えなかったからピカピカにしてもらってほっとしました。

ついでに家中の床もすべてきれいに拭いてもらった。

洗濯物も私がいちいち指図するのを素直に聞いてくれて干してくれた。

若いころ、自分が男だったらこの子を嫁にしたい、って思ったけど
助かるわ~

帰宅した夫が、自分の下着まで干させたと、申し訳なかったと言ってたけど
彼女だからこそ遠慮なく頼めたのよ。

ご近所のMさんには買い物頼んだし、みなさんが何かあったら言ってねと声掛けしてくださいます。

ありがたいですね。

そういう自分は、人様が困っている時声掛けしていただろうか・・反省です。

なんて言いながら友人たちから「顔見に行くね」メールが来ると
「顔だけ見に来ないで、必ず何かヘルプをお願いします」なんて返信している。

なんとも図々しいというか、我ながらあきれるけどつい甘えてしまう。

それでもさすがに夫のパンツを干してもらうわけには・・・M子ちゃんごめんね、
ついあなたにだけは正面から甘えてしまいます。
元気になったら今度は私があなたを助けることができるかもしれない
少し期待しててください。



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ただいま!

2014-09-03 | 変形性股関節症


約1か月のご無沙汰でした。

今年も暑かったらしい横浜を離れてまさに8月いっぱい、別荘に行っておりました(笑)

9/1、時折強い雨にたたられながら懐かしい我が家に帰ってまいりました。

10時半ころ退院手続きを済ませて、枚方を出発、途中何度も休憩を入れたのと
私の体調を気遣って、いつもよりスピードをセイブしてくれた夫の運転で
自宅に到着したのは午後6時過ぎ、

「ただいま! ただいま!」誰もいない部屋に向かって思わず出た言葉です。
やだ、涙が出てきちゃったよ

飯田先生を始め、主治医のU医師、理学療法士のH先生、作業療法士のH先生
長時間移動を心配してくださった先生方に報告したい

なんとか帰ってくることができましたよ!

空調の利いた病院内に1か月いましたから、外気に適応できるだろうかと心配でしたが
一気に秋めいたこの頃、却って寒いくらいの陽気に、長袖ブラウスを持ってきてもらったくらいです。

手術からその後の闘病記は追々綴っていきたいと思っていますが
レントゲン写真を見る限り、それは美しく左右対称に人工関節が入りました。
そう、半分に折ったらピタッと一致するくらい
自分の脚なのに感動ものでした

どの先生方も驚くほど驚異的な回復力は幸運と日ごろから鍛えておいた筋肉のおかげかと
感謝でいっぱいです。

それでも自慢の太ももは肉がつまめるほど筋肉が落ちてしまい、サイズもダウン
そのせいか、あまり食欲がなかったせいか、3kgほど体重が減りました。

そのまま維持したいところですが、もともとバランスの取れていなかった上半身との差が
ますます開いてしまい、こんなことでは完全復活は難しい、
無理な筋トレはできませんが、理学療法士から奨励された軽い筋トレから開始です。

皆さんが退院してもどこかにリハビリに行くんでしょ?って聞きますけど
入院先でしっかり受けてきましたので、あとは自主トレ?
日々の生活が即、リハビリになるのです。

明日で手術から1か月、股関節が安定するのは術後3か月、この3か月というキーワードは
何度も何度も、医療関係者から言われた3文字

なぜ3か月なのか、疑問に思ったことは何でも聞かないと気が済まない私はもちろん聞いてみました。

すると、体はその部分によって完治する期間が違うこと、その期間が股関節の場合は3か月なのだそうです。

それまでは

立ったまま体をひねらない 

股関節を90度以上曲げない

脚をクロスさせない


これが3原則です。もちろん転倒はそれ以前の問題

車いすから歩行器、そして2本杖での歩行、順番に進んでいきましたが
この2本杖での生活があと2か月は続きます。

不便です。怖いです。でもこの期間が大事、かといって座ったり横になってばかりいては
いつまでたっても筋肉が付きません。

キッチンに立つこともリハビリの一環、昨夜から早速夕食の支度をしました。
移動しないで立っていることは可能だし、それが筋力強化になるとのこと

術前は10分も立っていられませんでしたが、股関節の痛みが無くなった今は
15分、20分立っていても全く問題ありません。

これで筋肉がついて来れば1時間2時間歩くことも可能になる
いずれは軽いジョギングもできるようになる
私にとって夢のような話です。

今回の入院は私の人生にとってかなり上位に位置するものでした。
もちろん手術そのものもですが、何と言っても多くの人から受けた優しさ、思いやり、”愛”
これほどのものをこの私が受けることができた、それが一番の収穫です。

今回も私の持論、”お金持ちよりおコネ持ち”痛切に感じた日々でした。

1か月間更新なしだったにもかかわらず、毎日のように訪ねてくださった皆様
ありがとうございました。






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