ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

新聞の読書欄の感想

2013年04月15日 05時59分48秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・先日の新聞の読書欄に『「愛している」なんて言えないよ』と云うタイトルの投書が掲載されていた。 私はこの投書を読んで同感したのである。 さて、この投書の内容の要点は「・・・・実は今、遺言書を書いていて、「愛している」と書き残すかどうかで悩んでいるのだ。 妻が、私が死んで遺言書を涙ながらに読んでいて、そこで噴出したのでは、せっかくの遺言が台無しである。ことさら口に出す必要もないかもしれない。 態度で示せばいいわけだ。 示せているかどうか自信はないが、チャンとお互いを理解している夫婦なので、大丈夫である…筈である。」と書かれていました。

  外国の映画などを見ていると、ごく普通の家族の会話で「愛してる」と云う言葉が頻発して出てくる。 しかも、その使い方を見ていると、日本人が考えているほど気持ちがこもっているとは思えない。 英語の「love」と云う言葉の使い方には、日本語の「好き」と云う意味がある。 即ち、人だけが対象でない〈好き〉と云う言葉が「love」なのである。 この程度の「愛している」なら、日本人も、この言葉を、連発するかもしれない。 

  日本人は、投書の著者も書いているが、「ことさら口に出す必要もないかもしれない。態度で示せばいいわけだ。」と考えてしまう。 しかし、悲しいかな、以心伝心が可能と考えている長年一緒に暮らしている夫婦も、口に出さないと伝わらない時も多い。

  「愛している」は言わなくても、「ありがとう」など、ある意味、英語の言葉「love」に匹敵する程度の気持ちを、時に触れて、長い夫婦の間でも、言葉で表すべきかと思った。

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