…大阪の街が古代史で脚光を浴びるのは古墳時代になってからである。 その頃は大阪城のある辺りが台地で今の大阪の街はほとんどが大阪湾と河内湖と云われる内海であった。
河内湖から、大阪湾に出る運河があり、上町台地は古墳時代以降、大陸への拠点港になった。
その上町台地に難波宮が築かれた。 前記の難波宮は乙巳の変の後、645年に孝徳天皇は難波(難波長柄豊崎宮)に遷都し、宮殿は652年に完成した。 大化の改新とよばれる革新政治はこの宮でおこなわれた。
大阪歴史博物館の難波宮の展示場所から見た、難波宮の遺跡です。 写真中央付近の石積みの基壇が大極殿跡、左の草地が内裏跡です。
上町台地の難波宮があった場所の北にある港から、遣唐使が出港する図が大阪市歴史博物館のパネルにあった。