小樽のパパの子育て日記

日々のできごとを徒然なるままに2006年から書いて19年目になりました。
ヤプログから2019年9月に引越し。

図書館で借りた本 貧乏性

2021-05-07 06:02:19 | 図書館
図書館で借りた本

















サラサラと読み進め、興味が沸かないと思えば、途中で読むのをやめる。
以前は無理して読んでいたが、それは無意味なことだと思うようになった。
ご飯がちょっと余ったからと言って、もったいないという理由だけで、無理やり口に押し込んでいると、余計な贅肉がつき健康によろしくない。
貧乏性が健康を害してしまう。
読書も同じだ。
貧乏性の自分は、本を購入してしまうと最後まで読まないと損をしたような気持ちになってしまう。
本当は、興味のないことを無理やり頭に詰め込もうとするのは、時間の浪費だし、精神衛生上もよろしくないのに。
一方、図書館の本は、無料で借りてきているのだから、途中で読むのをやめても損をしたとは全く感じない。
図書館ライフは自分にぴったりなのだ。
情けない性分だとつくづく感じるが、こうして半世紀生きてきたのだから簡単には変わることはできないのだろう。
最近は、残りの人生を貧乏性とうまく折り合いをつけながら歩んでいこうとある意味では達観している(´・ω・`)






他山の石

2021-05-06 18:45:19 | 雑感
一通のメールを受け取った。
あなたの言動には非があり、正すべしとの内容であった。
その内容には事実誤認があり、心外なものであったが、何より仕事に対する基本的な姿勢や考え方の根幹に関する核心に触れるものだった。
自分はあなたにそう写っていたのか。
悲しみに打ちひしがれ、信頼関係は大きく毀損した。
自分はこれを他山の石としなければいけない。
事実誤認と不用意な一言が人の心を大きく傷つけ、信頼関係が一瞬で吹き飛んでしまうことを、自分は肝に銘じなければいけない。




レールカーニバル

2021-05-06 12:47:43 | 小樽
GW中に手宮線で開催されたレールカーニバル。


皆さん手弁当で参加されているボランティア。
頭が下がります。






昼ごはん休憩。
潮陵高校の助っ人部も来てくれました。




たくさんの人に乗ってもらいました。
子供たちは口を揃えて「楽しかった!」と言ってくれました。
こんなトロッコでもガタンゴトンと鉄道の音がします。
鉄道マニアにとっては垂涎ものです。








撤収作業。
ブルーシートが飛ばないようにどうしよう、どうしようとなりましたが、転車台の部品を立て掛け、紐で縛るナイスなアイデアで納まりました。
誰とはなしに、自然と拍手が起こりました。
皆さんお疲れさまでした。




小樽市内の桜など

2021-05-04 10:21:16 | 小樽
今朝のランは、東小樽の交差点辺りまでゆっくりと80分。
GWの小樽は各所の桜が咲いている。



小樽警察署前



小樽市総合博物館前。
展示がリニューアルしたので、まだ見ていない人はオススメだ。
プラネタリウムもリニューアルされ、映像は4Kとより美しくなった。



小樽港第3号埠頭



小樽駅前裏



二段公園。
おじいちゃんが孫の乗るブランコを押している姿が微笑ましかった。



寿司屋通り上の交差点。



ちょうど電車が通り過ぎた。



花園銀座商店街。
早朝で人影はない。



南防波堤。



GWとあって釣り客多し。

これから小樽はいい季節に向かいます。


ユネスコと私

2021-05-02 05:25:00 | 雑感
グランパが持っていたUSBメモリーから出てきた文章。2009年頃に書かれたものだろう。
何かの役に立つかもしれないので、ここに残しておく。

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ユネスコと私
私がユネスコを知ったのは小学生の頃の教科書だったと思います。その後中学で他校出身の友人がユネスコ・クラブのことを話していたのをうっすら覚えています。それは新潟県でのことでした。それからは忘れていましたが、ひょんなことで小樽に赴任して間もなくのことです。エスペランチストである、眼科医の山賀勇先生にお会いしたのが機縁となりました。高校時代独学でエスペラント語の初歩を齧っていた私は、先生のエスペラント研究会に顔を出すようになったのでした。その後先生は小樽ユネスコ協会2代目会長として、それまで休眠状態の会を再建されたのでした。また、先生はロータリアンでもあり、後にガバナーも務められたほどで、双方を通して平和への情熱溢れる人でした。因みに、語源の同じエスペーロは平和を意味するのです。また、私が市内に新設され、新しい職場となった小樽女子短期大学の初代学長木曽栄作先生は、北海道ユネスコ運動発祥に携わり、小樽ユネスコ協会設立時の初代会長でした。そして小樽商科大学教授からの就任でした。小樽女子短期大学2代目学長の北村正司先生は副会長を務められました。また3代目会長は小杉八千代氏でした。氏は小樽源氏の会を主宰して文化活動に活躍しておいででした。
小樽ユネスコ協会60年の歴史の中で、私は1967年からの会員として活動してきて、英語祭、英語講座、ユネスコ・サマースクール等多くのことが脳裏を去来しますが、何と言っても、小樽ユネスコ協会が主管した過去3回の全道大会です。32年前の1978年の第12回大会は、小樽市医師会館で開催されました。講演は当時の日本ユネスコ連盟副会長であり京都大学教授の桑原武夫氏でした。先生は東北大学教授時代に、世界初の民間ユネスコを仙台に立ち上げられた功労者の一人でした。記念講演は「世界の中の日本の文明」と題し、感銘深いものでした。2回目は第22回大会を天狗山荘で、「郷土の文化遺産の保全と創生~小樽から世界への呼びかけ」と題してシポジウムが行われました。パネリストは小樽商大教授久野光明氏、考古学者峰山巌氏、郷土史家高橋利蔵氏とインテリア・コーディネーターの町田ひろ子氏でした。3回目第30回大会は展望閣で行われました。講演は「生物学から見た21世紀の展望」と題する山田家正小樽商科大学学長、そして現北海道ユネスコ連絡協議会会長でした。また、1978年は私にとって忘れ得ぬ年でもありました。それは山賀会長の推薦で、日本ユネスコ協会連盟が全国から募集した中高生対象の、「カナダとアメリカ2週間研修旅行」の引率役として、初めての海外旅行を体験したことでした。ロスアンゼルス、サンフランシスコ、バンクーバーと有意義な旅でした。先般の冬季オリンピック開催地はテレビで見ていて、懐かしさが込み上げてきました。ところで、ユネスコ運動は教育、科学、文化を通して世界平和を希求して止まない運動です。小樽ユネスコ協会60年の歴史を振り返り、原点に戻って考えてみたいものです。それにしても、今日を迎えることが出来たのは、多くの皆様の支えがあったからと、肝に銘じているところでもあります。関係各位に、この場をお借りして、改めて深甚なる感謝の意を表わすものであります。

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グランパの初めての海外旅行は欧州だとばかり思っていたが、1978年のアメリカだったのか。
1978年といえば自分が小3のときだが、小3か小4のときの強烈な思い出がある。
真夜中に電話が鳴り、「誰だこんな時間に」と眠い眼をこすりながら電話に出ると、パスポート他一式をカバンごとすられたと話すグランパでマドリッドの公衆電話からだった。
当時、国際電話が高額だったことを小学生なりに理解していた自分は、用件は手短に済ませる必要があると、急いでたかばあを起こした記憶がある。
電話を切ったあとで、旅先で心細いだろうグランパを案じドキドキしながらも、一方で、マドリッドの位置を地球儀で確認し、地球の裏側にいる人と会話ができたという感慨に浸る自分がいた。

忘れてかけていたクランパとの記憶をUSBメモリーが思い出させてくれた。