玄関に置いてあったシンビジュウムの鉢植えを花入れに入れ替えて応接用の洗面所に飾っていました。
使っていた花入は下記の作品です。
白瓷刻花(葱坊主)小壷 石黒宗麿作
共箱
口径55*最大胴径140*高さ255*底径
使うことで作品も生きてくるようです。
本日はひさかたぶりに「影青刻花碗」の紹介です。以前ほど高価な作品ではなくなったようですが、それでも小皿の影青刻でも10万円ほどのお値段でインターネットオークションで落札していましたので、根強い人気があるようです。
影青刻花碗 宋(北宋?)時代 その10
合二重箱
口径138*高さ50*高台径36
影青刻花の分類においては、青白磁に刻花したものを影青(いんちん)と呼び、刻まれた筋に釉薬がたまり、そこだけ少し色が濃くなり、なんとも静謐にして艶かしい様相となる作品とされています。
その文様が花の文様となり珍重されています。宋代とくに北宋時代は高台を低く作り、円筒形の台を当てて焼いているため、褐色に台の跡が残っています。この有無が真贋鑑定のポイントのひとつとされています。
一時は、12世紀前半までの北宋時代の影青が市場にでれば最低でも500万円、高ければ2000万円とされていたそうです。それほどその当時は希少価値の高い作品であったようです。
とくに北宋時代の作品は数が少なく、比して南宋の時代になると大量生産をしたようです。時代がわかるのは、南宋時代の作品は横から見ると形がはんなりとふっくらしており、また高台がわりと大きく、すべすべしている点とされています。
北宋時代の青白磁は窯道具の台に乗せて、鞘に入れてひとつずつ焼成するため、高台の裏に窯道具の鉄色の跡があります。作品の見込みには、箆か櫛でささっと雲とも水の流れともつかない文様を描かれています。勢いがあり、良い文様であるかがポイントとされます。
なお実に薄い作行なので割れてしまうため、状態の良い青白磁は極めて少ないとされます。
北宋影青の参考記事から
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「定窯と同じ時期の北宋影青の作品だが、これほど数多く優品がマーケットに出回るとは思いもよらなかった。35年ほど前、フィリピンのマニラで素晴らしい影青の鉢を見つけた。
値段を聞くと350万くらいだった。その頃そこそこの家が1軒買えるような値だったように思う。粘って250万くらいにネゴをした。現金の持ち合わせがなかったので、会社の代理店から金を出してもらおうと交渉に行った。セキュリティー上の理由で手持ちのキャッシュがないのでちょっと待ってくれと言われた。半日ほどかかってキャッシュを集め、段ボール箱に入れた。当時フィリピンペソは高額紙幣がなく、かなり大きな箱に金を詰め込んだのを覚えている。
ガードマンを雇って骨董屋へ引き返したら、シンガポールのローさんという業者に先に買われてしまっていた。ワーワー言っていると、「アンタ売り先があるの?」とローさんに聞かれ「こんな高価なもの売り先もないのに仕入をしたらだめだよ。」と逆に説教食らったことが昨日のように思い出される。
その時の青白磁の鉢と殆ど同じものが今は10~20万くらいで入手できるのだ。しかし香港ではもうそろそろ値上がり気味だ。「日本でいい物があれば買いますよ。」と香港の親しいディーラーが、時々言うようになった。今この種の中国陶磁が世界で一番安いのが日本のようです。」
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ところで影青の語源は、白磁に印花や刻花で文様を表し、その上から薄青色の釉薬を施した際に凹んだ”影”の部分に釉薬が深く溜まり、澄んだ深みのある美しい”青”色を呈することから付けられました。
影青の技法は北宋時代に生まれ、南宋時代に完成していますが、北宋時代は胎も釉も薄く、まるで紙のように軽く、触ると手が切れそうなほどシャープです。
一方、南宋時代になると、胎も釉も少し厚みが出て、優しさと艶やかさと瑞々しさが出ます。時代の好みと、技術の向上により影青は南宋時代に最盛期を迎えます。
高台や印刻廻りの釉薬に細かい気泡があり、それが全体に深みのある味わいを醸し出しています。
今では入手が容易くなった影青の碗の作品ですが、これが日本だけのことなのかは分かりませんが、揃いの器ができるのは当方では助かります。
この作品の真偽や価値はよくわかりませんが、揃いの食器となりそうで、手頃なお値段のものを入手しています。
非常に毀れやすい作品なので、二重箱を誂えて保管しております。
この系統の作品は10個になりましたので、10客で揃いになります。揃いの食器として使おうと思っています。