夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

林和靖図 倉田松涛筆 その8

2013-06-10 05:03:54 | 掛け軸
秋田に帰省したおり、地元の馴染みの骨董店に入り、私は福田豊四郎の「さくらんぼ」を買おうとしていたところ、家内が本作品がいいと言い出し、自分であらかたのお金をだして購入した作品です。

家内は結構、お目が高い・・、本作品は秋田出身の画家の作品で、かなりの傑作かと思います。

女性が掛け軸を思い切って買ってみる・・、このような光景はそうざらにはありません。


林和靖図 倉田松涛筆
紙本水墨淡彩軸装軸先 箱入 
全体サイズ:横514*縦1985 画サイズ:横390*縦1346



林和靖:林逋(りん ぽ、967年 - 1028年)は中国・宋代の詩人。字は君復。杭州銭塘(浙江省)の出身。若くして父を失い、刻苦して独学する。恬淡な性格で衣食の不足もいっこうに気にとめず、西湖の孤山に盧を結び杭州の街に足を踏み入れぬこと20年におよんだ。
 




北宋3代皇帝である真宗はその名を聞いて粟帛(布)を賜い、役人に時折見回るよう命じた。薛映・李及(当時の役人?)が杭州にいたときは彼らと終日政談し、妻子をもたず、庭に梅を植え鶴を飼い、「梅が妻、鶴が子」といって笑っていたという。




行書が巧みで画も描いたが、詩を最も得意とした。一生仕えず盧のそばに墓を造り、「司馬相如(中国の前漢の頃の文章家)のように封禪の書を遺稿として用意してはいない」と詠み、国事に関心がないことを自認していた。その詩が都に伝わると北宋4代皇帝である仁宗は和靖先生と諡したといいます。



林逋の詩には奇句が多く、「疎影横斜水清浅。 暗香浮動月黄昏。」の二句は梅を詠んだ名吟として人口に伝来しています。平生は詩ができてもそのたびに棄てていたので、残存の持は少ない。


倉田松濤:明治~大正期の日本画家。慶応3年(1867)生~昭和3年(1928)歿。秋田県出身。巽画会・日本美術協会会員。



幼い時から平福穂庵に師事。特異な画家といわれ、匂いたつような濃厚な筆で一種異様な宗教画(仏画)をのこした。少年時代から各地を転々とし、大正期初の頃には東京牛込に住んだ。この頃より尾崎紅葉らと親交を深め、帝展にも数回入選し世評を高くした。




宗教画の他に花鳥も得意とし、俳画にも関心が高く「俳画帳」などの著作もある。豪放磊落な性格でしられ、酒を好み、死の床に臨んだ際にも鼻歌交じりで一句を作ったという逸話もある。



この人に関した俳句として芭蕉の「野ざらし紀行」に「梅白し 昨日や鶴を 盗まれし」があります。芭蕉が、三井秋風という人の山荘を訪れたときの句です。梅の咲き匂う三井秋風さんの山荘の庭園には必ず鶴がいると思ってきてきたのに鶴はいない。これは昨日盗まれちゃっんだろう。この句は、林和靖が、梅林に住んで梅を妻とし、鶴を子として生活していたということを思い出しての句です。

倉田松涛の作品は特に蒐集しているわけではありませんが、もう八作品目となりました。


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