夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

婦人愛児図 伝上村松園筆 その5 明治期

2023-07-21 00:01:00 | 掛け軸
真贋はともかく愛らしき作品として入手した作品です。

※真贋はあくまでも「伝」ですのでご了解願います。



絹本着色軸装 軸先陶器 誂太巻上箱+塗二重箱
改装前:全体サイズ:横525*縦1973 画サイズ:横409*縦1130
改装後:全体サイズ:横542*縦1918 画サイズ:横404*縦1123

 

本作品は前の所蔵者の祖父母の家にあったものだそうです。共箱があったようですが、紛失したようです。探してももらいましたが、見つからないとのこと・・・。

※※入手時の状態がだいぶ痛んでいたので改装しています。

 

入手時には前述のように箱もなく軸先も片方が欠損している状態ですので、題名は仮題となります。



上村松園は28歳の明治35年(1905年)11月に師である画家鈴木松年との間に嗣子信太郎(のちの上村松篁)を出産しています。真作ならこの出産後に描かれたものと・・・???



ようやく世に出たばかりの上村松園にとってまたひとつの困難な条件が加わったのですが、母親の仲子の深い理解で、幼児は母に託され、絵画の制作に支障をきたすことはなかったようです。



なお松園は晩年に至るまで、その居室には鈴木松年の作品が絶えず掛けられていたといわれています。また1902年の作とされる「上村松篁の幼時」の写生が遺されています。



ちなみにあらためて上村松園の画歴は下記のとおりです。

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上村松園:1875年(明治8年)4月23日 - 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。本名は上村津禰(つね)、常子(つねこ)と名乗っていたこともあります。

明治の京都下京に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いき続けました。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受賞しています。子の上村松篁、孫の上村淳之と三代続く日本画家です。なお上村松園の長男松篁の父親は鈴木松年と推察されます。

松園は日本最初の画学校に12歳で入学しますが、内弟子で修行する道を選び、翌年画学校を退学して、鈴木松年に師事し、彼女は腕をあげ「松園」の号を与えられます。その後、松園は幾度となく師を変えていっています。19歳からは幸野楳嶺、21歳からは、竹内栖鳳に師事をしています。しかし、松年との繋がりは保たれており、27歳の時、妊娠しましたが、先方に家庭があるため松園は多くを語っていません。彼女は未婚の母の道を選び、世間の冷たい視線に耐えながら長男松篁を出産し、松篁も長じて、日本画家になり文化勲章を受章しています。

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上村松園の20歳代後半の初々しさの特徴があります。まだうまいとまでは・・・、熟練していませんね。あくまでも真作ならの感想です。



髪の描き方もふんわりとした感じより線が強調された描き方です。



手の描き方は良く描かれています。幼子には幼さが、母親にはしなやかさのある描き方はさすが・・。



ちなみにこの時期?から上村松園は一段と画力が上がることになります。



落款は「松園女画之」とあり、上村松園の明治期から大正期の作品はそのほとんどが「松園女」となっています。昭和期にはそのほとんどが「松園」だけとなります。



松の木扁は右肩上がりの作品(「娘深雪」)はあるものの初期の作品の多くが右肩は下がっています。資料の作品の書体と近似しています。

 

印章は白文朱方印「上邨(村)常印」、朱文白方印「松園」の累印です。参考資料の真印と一致すると判断していいと思われます。

 

細かい部分に印影の違いとするのかどうかは微妙でしょう。逆に通常偽印ではまねのできない部分が完全に一致しています。

 

前述のようにこれらの落款と印章から真作ならば、上村松篁の生まれてまもない明治期の昭和30年代後半の作と推定されます。

なお入手時の表具があまりにも痛んでいたので表具を改装しましたが、絵の具の剥落が生じてきたため一応太巻きに誂えています。



真贋はともかく作品を保持したらメンテしていますが、この作品はあくまでも自分で愉しむもの・・。







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