
古伊万里は柿右衛門手を含めて中国製の模倣品が多いので要警戒の分野のようで、素人である当方は基本的には積極的には入手していない分野ですが、本日の作品は、硯屏という筆立てにも活用できる実用性から入手しました。

木下孝則の裸婦のデッサン画(壁に掛けている作品)と展示しています。

氏素性の解らぬ作品 柿右衛門手風 濁手龍鳳文山水図硯屏
9代柿右衛門作と記された12代柿右衛門による識箱入
幅115*奥行65*高さ115

柿右衛門手はすっきりとした濁手と称される白釉が特徴ですね。

幾世代に亘って、日本や海外でも模作があるようですので、「氏素性の解らぬ作品」として、当方では真贋云々はさておいていますので、ご了解ください。


さらに真偽のほどは解りませんが、下記のような箱書の収納箱に納まっています。参考程度のものでしょう。

*12代柿右衛門の揃いの工房作品を所蔵しており、本ブログにて紹介されています。

本ブログにての「柿右衛門様式の陶歴」の記事を改めて記載します。
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柿右衛門様式の陶歴
良質の陶土が発見されたため現在の佐賀県西松浦郡有田町に移住した酒井田円西は、息子である喜三右衛門とともに陶器や白磁、染付などの磁器を製作していたが、やがて17世紀前半に喜三右衛門は赤絵磁器の焼成に成功し、柿右衛門を名乗った。
初代は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立し、その作品はヨーロッパなどにも輸出されマイセン窯などでは模倣品も作られた。また、磁器の発祥地である中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)、同様の作品が作られやはりヨーロッパに輸出された。
1666年に没した初代、その息子である二代(1620年-1661年)、二代の弟の三代(1622年-1672年)は製作期が重なっており、作風にも大きな差は見られない。また、三者とも極めて技量が高かったと言われる。これに加えて四代(三代の息子、1640年-1679年)までの間が初期柿右衛門とされる。
続く17世紀後半から18世紀前半にかけての約90年間、五代(1660年-1691年)から七代までが中期柿右衛門とされる。五代は技量が芳しくなかったために、1685年を以って鍋島藩からの恒常的な発注が差し止められた。
六代(1690年-1735年)は意匠・細工に優れた叔父の渋右衛門にも助けられ、食器類のほか花器、香炉など様々な磁器製品を高い水準で量産することに成功したため、中興の祖とされる。また1724年には嘆願書を藩に提出し、臨時の発注の一部が酒井田家に用命されることとなった。この一方で、高い技術が要されることなどから七代(1711年-1764年)以降に濁手の作品は中絶してしまう。
18世紀前半から19世紀にかけての八代(1734年-1781年)、九代(1776年-1836年)と十代(1805年-1860年)の期間は後期柿右衛門とされ、主に染付の磁器を製作した。
七代から八代にかけては四角の中に福の字が入った「角福」と呼ぶマークを施したものが多い。これは明清の陶磁器に元々あったものである。ヨーロッパへの輸出が途絶えた江戸後期、販路を失った有田は低迷を続けました。藩財政の窮乏により有田で生産が命じられる品は日用品などの量産が主でした。
九代、十代柿右衛門も例外ではなく、染付の角皿や色絵の変形皿の制作が主でしたが、量産体制の中にあっても柿右衛門窯の職人が精魂こめて描いたことが感じられる丁寧な仕上がりのものばかりです。
明治になり藩による後ろ盾が無くなった有田で、低迷を続ける柿右衛門窯の指揮をとったのは十一代柿右衛門です。日常雑器を焼く傍ら、最盛期の柿右衛門窯の復興に情熱をそそいだ人物です。柿右衛門という名が再認識されるきっかけとなったのは、1912年、片岡仁左衛門による歌舞伎「名工柿右衛門」の上演でした。染付の食器の制作が中心ではありましたが、十一代の作り出す丁寧な成形に入念な絵付けが施された品質の良い作品は世に知れるところとなりました。近代以降では、十一代(1839年-1916年、1860年に襲名)は「角福」のマークの商標登録の可否などを争う訴訟を起こして経済的に困窮したが、海外にも積極的な出品を行なった。
1919年には出資する事業家と共同で十二代が柿右衛門合資会社を設立し、赤絵技術と「角福」銘を供与した。しかし美術品の制作を志向する十二代(1878年-1963年)は会社と経営方針が合わず、1928年に関係を解消した。以降それぞれが「柿右衛門」作品を制作したが、1969年に和解し、その後合資会社は名義を使用していない。
十二代と十三代(1906年-1982年)は1947年頃から濁手の復活を目標とし、1953年に初めて濁手の作品を発表した。濁手の製作技術は1955年に国の選択無形文化財に選択され、1971年には重要無形文化財に指定されている(保持団体として柿右衛門製陶技術保存会を認定)。
*十二代柿右衛門以前の作品には現在のように裏銘が描かれていないため、柿右衛門窯でつくられたものかどうかの判別が難しいのですが、中には裏銘が入っているものもあり、これらを研究し総合的に判断されています。
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上記の記事から12代柿右衛門が9代柿右衛門を「濁手」と称したのだろうか????

ただ絵は洒脱・・・・、山水画は鍛錬されたセンスの良いもののようです。

実用性としては、ペン立てに使えますね。

ともかく実用性のあるもの・・。

飾るよりも、実際の書斎か事務所の机の上で使おうと思って入手した作品です。
売買すると思えば真贋が気になるが、使おうと思うと真贋は気にならない、器とは所詮そんなもの・・。