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先週末は長男のお宮参りでした。家内の実家に保存されていた着物から選んだのは富士に鷹の柄・・。
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羽織は鯉の図柄・・・。
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いずれも本ブログで幾つも取り上げた画題です。
お宮参りの後は写真撮影ですが、泣き出して撮影終了に一時間以上かかりました。その後お祝いを戴いた近所の親戚に挨拶回りです。郷里の秋田以上に古いしきたりが残っています。骨董が好きな方とほんの少し骨董談義・・・。
あとはゆっくり休養・・・。元気な男の子が生まれたのは、実家の床の間に鐘馗様や鯉の作品を飾ったからという・・
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着物の柄に共通して思い起こすのはわが郷里出身の画家である寺崎廣業です。秋田出身の画家で、小生の好きな画家です。郷里でお世話になった人に差し上げる際、喜ばれるであろうと思い幾つか購入しているうちに22作品目となりました。
本作品は晩年の作とのことですが53歳で若くして亡くなっています。
舞子之帰帆図 寺崎廣業筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 鳥谷幡山鑑定二重箱
全体サイズ:横495*縦2070 画サイズ:横357*縦1095
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舞子は神戸近くで淡路島と本土の間を通る海上運航の要の地域のことでしょうか?
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箱書には「舞子之帰帆 寺崎廣業先生晩年作」とあり、裏には「昭和八年初秋幡山道人承題 押印」と記されています。鳥谷幡山が56歳の時の鑑定となります。
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作品には「天龍軒印」の白文朱方印と「天籟」の朱文白方印の累印が押印されています。
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寺崎廣業は存命当時、横山大観と同等以上の評価であり、評価が高かったことから残念ながら贋作が横行しています。たとえ鳥谷幡山の鑑定があっても信用してはいけません。秋田県内での鑑定書があるようですが、平福父子と同じく信用に値しません。慎重を期して真贋の判断が必要です。
お世話になった方に差し上げるものですから、よけいにきちんと真贋を見極めてからにしなくてはいけません。
落款の同時期の真作との比較。
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資料の印章との検証。
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本作品はよさそうです。ネットオークションに出品されている寺崎廣業の作品のほとんどが贋作ですので、落札する場合はその中から真作を見極めることができないと贋作をつかむことになります。
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寺崎廣業:慶応2年生まれ。廣業の父は佐竹家に仕えた家老職でしたが維新後の生活は貧しく、廣業が15歳の頃には横手市で氷水を売って親の手助けをしていたという話もある。
はじめ狩野派の小室怡々斎に、のちに四条派の平福穂庵、南画家の菅原白龍に出会い、3つの伝統的な画法を学ぶ。さらには明治22年 (1889) 東陽堂への入社。廣業は穂庵の後任として中国や日本の古名画や浮世絵などの版下縮図に取り組み、各派の特徴を学び取りながらめきめきと腕を上げていった
。明治23年、第3回内国勧業博覧会に出品した「東遊図」が褒状を受けた。翌年には日本青年絵画協会 (会頭岡倉天心)の創立へ参加した。
上京後わずか数年にして目覚しい活躍をし、明治30年には東京美術学校助教授となったが、翌年には東京美術学校騒動により共に辞職した橋本雅邦や横山大観らとともに日本美術院を創立した。
大観や菱田春草らが朦朧体を試みて保守的な画壇から非難を浴びる中、廣業は伝統的な画法を生かした作品を発表、各方面からの賞賛を得た。その後廣業は東京美術学校へ教授として復職、さらに日本最初の官設美術展である文展で審査委員をつとめ、自らの天籟画塾では門弟が300人にもなるなど、日本画壇を支える太い柱となった。
好きな信州に別荘をかまえて絵を描き、いよいよこれからの日本画壇を先導するかに見えたが、帝室技芸員に任命された2年後の大正8年(1919)、53年の短い生涯を閉じた。
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箱の誂えも鑑賞や鑑定のポイントにはなります。
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鳥谷幡山:(とや-ばんざん) 1876-1966。明治-昭和時代の日本画家。明治9年1月18日生まれ。寺崎広業,橋本雅邦にまなぶ。明治35年美術研精会の創立に加わり,のち独立絵画会主幹をつとめる。十和田湖を好んで描いた。昭和41年2月20日死去。90歳。青森県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「十和田湖大観」など。
郷里の作品を蒐集していますが、郷里がどんどん遠のいているような気がします。今年は一度は帰省しようかと思います。
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羽織は鯉の図柄・・・。
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いずれも本ブログで幾つも取り上げた画題です。
お宮参りの後は写真撮影ですが、泣き出して撮影終了に一時間以上かかりました。その後お祝いを戴いた近所の親戚に挨拶回りです。郷里の秋田以上に古いしきたりが残っています。骨董が好きな方とほんの少し骨董談義・・・。
あとはゆっくり休養・・・。元気な男の子が生まれたのは、実家の床の間に鐘馗様や鯉の作品を飾ったからという・・
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着物の柄に共通して思い起こすのはわが郷里出身の画家である寺崎廣業です。秋田出身の画家で、小生の好きな画家です。郷里でお世話になった人に差し上げる際、喜ばれるであろうと思い幾つか購入しているうちに22作品目となりました。
本作品は晩年の作とのことですが53歳で若くして亡くなっています。
舞子之帰帆図 寺崎廣業筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 鳥谷幡山鑑定二重箱
全体サイズ:横495*縦2070 画サイズ:横357*縦1095
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箱書には「舞子之帰帆 寺崎廣業先生晩年作」とあり、裏には「昭和八年初秋幡山道人承題 押印」と記されています。鳥谷幡山が56歳の時の鑑定となります。
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作品には「天龍軒印」の白文朱方印と「天籟」の朱文白方印の累印が押印されています。
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寺崎廣業は存命当時、横山大観と同等以上の評価であり、評価が高かったことから残念ながら贋作が横行しています。たとえ鳥谷幡山の鑑定があっても信用してはいけません。秋田県内での鑑定書があるようですが、平福父子と同じく信用に値しません。慎重を期して真贋の判断が必要です。
お世話になった方に差し上げるものですから、よけいにきちんと真贋を見極めてからにしなくてはいけません。
落款の同時期の真作との比較。
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資料の印章との検証。
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本作品はよさそうです。ネットオークションに出品されている寺崎廣業の作品のほとんどが贋作ですので、落札する場合はその中から真作を見極めることができないと贋作をつかむことになります。
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寺崎廣業:慶応2年生まれ。廣業の父は佐竹家に仕えた家老職でしたが維新後の生活は貧しく、廣業が15歳の頃には横手市で氷水を売って親の手助けをしていたという話もある。
はじめ狩野派の小室怡々斎に、のちに四条派の平福穂庵、南画家の菅原白龍に出会い、3つの伝統的な画法を学ぶ。さらには明治22年 (1889) 東陽堂への入社。廣業は穂庵の後任として中国や日本の古名画や浮世絵などの版下縮図に取り組み、各派の特徴を学び取りながらめきめきと腕を上げていった
。明治23年、第3回内国勧業博覧会に出品した「東遊図」が褒状を受けた。翌年には日本青年絵画協会 (会頭岡倉天心)の創立へ参加した。
上京後わずか数年にして目覚しい活躍をし、明治30年には東京美術学校助教授となったが、翌年には東京美術学校騒動により共に辞職した橋本雅邦や横山大観らとともに日本美術院を創立した。
大観や菱田春草らが朦朧体を試みて保守的な画壇から非難を浴びる中、廣業は伝統的な画法を生かした作品を発表、各方面からの賞賛を得た。その後廣業は東京美術学校へ教授として復職、さらに日本最初の官設美術展である文展で審査委員をつとめ、自らの天籟画塾では門弟が300人にもなるなど、日本画壇を支える太い柱となった。
好きな信州に別荘をかまえて絵を描き、いよいよこれからの日本画壇を先導するかに見えたが、帝室技芸員に任命された2年後の大正8年(1919)、53年の短い生涯を閉じた。
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箱の誂えも鑑賞や鑑定のポイントにはなります。
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鳥谷幡山:(とや-ばんざん) 1876-1966。明治-昭和時代の日本画家。明治9年1月18日生まれ。寺崎広業,橋本雅邦にまなぶ。明治35年美術研精会の創立に加わり,のち独立絵画会主幹をつとめる。十和田湖を好んで描いた。昭和41年2月20日死去。90歳。青森県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「十和田湖大観」など。
郷里の作品を蒐集していますが、郷里がどんどん遠のいているような気がします。今年は一度は帰省しようかと思います。