夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

遊び心 白化粧地呉須魚海老文茶碗 伝金城次郎作 茶碗 その5

2018-02-15 00:01:00 | 陶磁器
金城次郎の作品は壺屋時代、読谷村の移窯の最初の頃を最上の作と見直す必要があると本ブログにて再三、記述してきました。性懲りもなく本日は再度、茶碗を例にして紹介してみます。

遊び心 白化粧地呉須魚海老文茶碗 伝金城次郎作 茶碗 その5(整理番号) 
掻銘「次」 合箱
口径115*高台径*高さ80



高台内に掻銘で「次」と記されていますが、共箱はありません。釉薬の流れを止め切れていない点と光沢のある作品であることから壺屋時代の作と推定されます。むろん窯の焼成で釉薬の流れやら光沢の出ることもあり読谷村の初期の頃とも推察される可能性もあります。



金城次郎の共箱はまったく重視する必要はありません。人間国宝になった頃から共箱の依頼を受けることが多くなり、字を書くのが苦手だった金城次郎は数名の他人の方に箱書きを任せるなど、箱書きには全く注意を払っている気配がありません。むろん本人が直接依頼されて書いた箱書きもあるようですが、箱書きがあるから真作という考えが成り立ちません。



光沢を嫌い、釉薬の流れを防ぐことを目指しの理由で、ガス窯化した壺屋から薪で焼成できる読谷村へ移窯したと思われます。

不幸であったのが、移窯後、そして人間国宝になった後に脳梗塞になったことでしょう。作品から冴えが消えました。初期の頃の光沢があって、荒々しい釉薬の流れがあって、本体に窯割れのある雄大な作行が消えました。大胆な構図もどこへやら・・・。



本茶碗はまだ壺屋時代の作行の面白さが十二分に味わえる作品です。



見込みもまた一気に掛けた釉薬の勢いが味わえます。茶碗とはその作者の生きざまです。民芸作品では一気に仕上げることが大切です。



金城次郎が日常陶器ではない、茶碗に挑んだ気概が伝わる作品のひとつでしょう。



釉薬の流れ、光沢、窯割れを良しとした日本人の感性がこの作品を認めるのです。この感性が今、失われているのは寂しいですね。この感性は単なる物を美しいと認めるのではなく、本当の美の価値基準をもってして認めるという感性です。茶席で単なる雑物を備えて、美しいと評する御仁がいますが、実に感性が乏しい。家元好みの作品だけ並べたてる流派の茶席よりはましかもしれませんが・・・。



さて、金城次郎は壷屋で住宅化のため薪窯ができなくなり、ガス窯への変更を余儀なくされると、ガス窯での光沢のある焼成を嫌い、読谷村の薪釜に移窯したことは何度も本ブログで述べた通りです。大皿においてその変遷を推察した記事を掲載しましたが、本日は改めて茶碗にて推察してみようかと思います。



比較する茶碗は当方で所蔵する茶碗での比較となります。当方で紹介した作品から具体的にその「釉薬の流れ、光沢」について、同じ文様の作品を比較してみましょう。

二つの碗はほぼ同時期の作品と推察されますが、窯の焼成、釉薬を金城次郎は変えているのでしょう。



この二つの茶碗は同時期に製作されたものでしょうが、釉薬の処理と焼成において大きな違いがあります。茶碗ではたしかに光沢にないものがふさわしいと思いますので、最終的に光沢のない作品を金城次郎は好んだようです。



茶陶磁器という側面から光沢を嫌ったということ?



光沢のある作品。



たしかに茶碗としては光沢のある壺屋焼は「どうかなと?」いう感じです。



外見はどちらともいえない?。



艶のない作品。こちらの色調を金城次郎は狙ったのでしょう。釉薬の扱いが違いますが、どちらの茶碗もまだ作行に勢いのある魅力を湛えています。



むろん共箱はありません。どちらも掻銘があることから壷屋から読谷村に移窯した前後の頃の作かと推察しています。

民芸作品は茶陶磁器としてはどうでしょうか? ということを問題視しないと茶碗には艶のない作品がいいのでしょうが、そのことで結果的には作品全体の魅力が失われることになったと思います。



茶碗としての狙い目は艶消しのような作品のほうが確かに品があるようですが、ただやはり大きめの壺や大皿には釉薬の流れ、窯割れなどの豪快さは魅力的ですね。

釉薬、胎土が安定し、光沢の消えた安定した作品はなんとも魅力に乏しいことか・・。




艶のある作品は飯茶碗、漬物茶碗だったらどちらがさぞかし魅力的であろうか。そこが結局は民芸作品の原点ではなかろうか。

陶芸家が茶道をわきまえず、茶陶磁器を狙うと碌なことにならない。金城次郎は茶道の茶碗にはなり切れていいないなら、民芸としての道を全うした作品のほうがよいという観点から金城次郎の作品を評価したほうがいい。人間国宝になった以降の作で共箱、掻き銘の作品もきちんと作品そのものを観たほうがいい。

壮年期は目が鋭く、日常雑器を大量に製作していました。また最初に白化粧土を施しているのがうかがえます。

 

晩年期・・? 

  

些細なことのように思われますが、この焼成の変遷は焼き物にとっては大きな違いだったのでしょう。金城次郎にとっては心血を注いで悩んだ変遷期における焼成だったと思います。このような比較をできるのは蒐集家にとっては大きな楽しみです。













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