
本日紹介する作品は、家にある作品を整理していた友人から譲り受けた刀剣ですが、以前に*本ブログでは研ぎに出す前の状況で投稿しております。この度、銀座にある「刀剣柴田」に依頼して研いでもらいました。
*以前に「縁のある刀剣たち」(2018-05-12 投稿)にて投稿した作品です。研ぐ前の状態や鍔や拵えなどの詳細はそちらの記事を参考にしてください。拵えのままでしたのでこの度の研ぎに際して白鞘を誂えました。
刀 その九 末古刀(室町末期) 無銘
長さ:73.8センチメートル
登録 平成29年7月10日発行
反り:2.9センチメートル 目くぎ穴1個

参考までに研ぐ前の状況は下記のとおりですが、柄の部分は錆だらけで柄を抜くのに苦労しました。研ぐ前は刀剣柴田の方は新刀ではないかとのことでしたが、研いだ結果、どうも室町末期くらいはありそうだとのことです。

分類では末古刀~新古境と称する時代に分類されるようです。末古刀の作られた戦国期には「数打ち」の粗製濫造品が多かったようですが、この作品は保存刀剣としての認定のとれるきちんとした刀剣だそうです。ただ残念ながら無銘ですが、無銘の刀剣は非常の数が多く、無銘でも専門家は出来不出来、製作者を推定できるようです。

ちなみに刀剣の時代による分類は下記のとおりです。
***********************************
刀剣には時代のよって下記のように分類されます。
上古刀:通常日本刀の分類に入らない、古刀以前の刀をさす。直刀が主であるが、大刀などにはそりが見られるものがある。
古刀:狭義の日本刀が制作されてから、慶長(1596-1615年)以前の日本刀をさす。室町中期以前は、太刀が主である。
末古刀:室町時代末期、応永以降の概ね戦国時代頃の古刀を、「末古刀」と呼び、区別することがある。「数打ち」の粗製濫造品が多い。
新古境:安土桃山時代 - 江戸最初期頃の、古刀から新刀への過渡期をこう呼んで区別することがある。慶長 - 元和の頭文字を取り、「慶元新刀」とも呼ばれる。
新刀:慶長以降の刀をさす。この時期の日本刀は、さらに「慶長新刀」「寛文新刀」「元禄新刀」に分類される。
新々刀:「水心子正秀が提唱した古刀の鍛錬法」を用い制作された刀などの諸説あるが、新刀の内でも明和年間(1764-1772年)以降の日本刀をさす。
幕末刀:新々刀の内でも幕末頃に作成されたもの。
復古刀:江戸時代後期に鎌倉時代などの古名刀を手本として製作されたもの。
現代刀:これも諸説あるが明治9年(1876年)の廃刀令以降に作刀された刀剣をさすことが多い。
昭和刀:主に軍刀向けとして作られた刀をさす。美術刀剣としての日本刀の分類から除外されることが多いが、昭和に製作された刀の全てを指すわけではない。製法は様々であるが、本鍛錬刀でないものは原則的に教育委員会の登録審査に通らず、公安委員会の所持許可が必要となる。しかしながら、必ずしも厳密なものではなく明らかに鍛錬刀とは見られない特殊刀身であっても登録が通っているものや、特例として戦後間もなくは遺品などとして登録証の交付を受けているものも数多くある。
***********************************
友人の父上が出征する際に友人の母の実家から譲りうけた刀剣で、入隊するに際して拵えを軍刀として扱えるようにしたものと推察されます。家族ぐるみでお付き合いさせていただいた同郷の友人ですので、譲りうけた上はこちらできちんと手入れすべきものと心得た上での入手です。

金銭的な価値で判断するなら、刀剣そのものの代価に比して研ぎなどの手入れの費用の方が大きいのですが、そこは骨董に携わる者の役目が優先します。
ビジネス的には、「刀剣柴田」ではこのような作品は廉価な研ぎを施し、居合刀として売るとのことです。本当かな? 失礼ながら買い叩く時の常套句もあり得ると考慮しておきましょう。
研ぎが完了してみたら、思いのほか良く仕上げられています。刀剣の出来不出来は研ぎ次第か?
研ぎ代金は安くはありませんが、見違えるほどきれいに研ぎ上がりました。錆びついている時には傷の有無、波紋の状態への判断が難しかったようですが、わりと良い刀剣だと感じました、刀剣柴田の方によると作は美濃系で「末古刀」か「新古境」の時代の作とのことです。

刀剣に詳しい方だと波紋がどうのこうのと説明ができるのでしょうが、当方は刀剣についてはまったくの門外漢ですので、そのような詳細の説明はできかねますのでご了解ください。

拵えと刀剣本体は離れ離れにならないように保管しておきます。鍔がついたままでは拵えなどを傷める可能性があるので、鍔は外して箱に入れて保管しておきますし、登録証は入手経緯、研ぎの経緯を記した資料と同封しておきます。

鍔はたいしたものではないのですが、下記のように虎を図柄にしたものです。

戦地に赴く者へ「虎は千里を帰る」という願いを込めて渡したのでしょう。無事帰還した友人の父上は県庁で部長までなられました。

さらにもう一振り、同時に友人から譲り受けた刀剣に短刀がありましたが、こちらも錆だらけ。おそらく友人の母が嫁入りに際して実家から譲り受け継いだ刀剣のようです。古来、嫁入りに際して短刀を所持してくる女性は多かったようです
刀 その十 新々刀 短刀 無銘
長さ:21.6センチメートル
登録 平成29年7月10日発行
反り:0.3センチメートル 目くぎ穴1個

譲り受けた当初は錆だらけで見るも無残な状態でした。

研いでみたらかなり立派になりました。大きな傷はなく、こちらも見違えるほどきれいになりました。

こちらは新々刀に分類され時代は新しく、拵えもたいしたものではありませんが、刀剣柴田の方によるとこちらも保存刀剣の認定は所得出来る作品だそうです。

思いのほかいい仕上がりです。

嫁入りに際して友人の母が実家から譲り受けてきた作品と推定しましたが、その実家は小生の郷里の近くで近い親戚には同級生もいます。
また最近刀剣柴田の方によると当方が現在住んでいる東京都内で当方の近所の方が嫁ぎ先に持たせる短刀を買いに来たそうです。現代でもそのような方がおられるというのは驚きですね。

刀剣柴田で頂いた保存袋に収納しておきました。家内らは刀剣は物騒だと嫌がりますが、しばらくは今は亡き友人からの預かりものとして保管しておくつもりです。
骨董には歴史あり、人との縁あり・・・・、刀剣女子は歴史は学べても肝心の縁は学べまい。
*以前に「縁のある刀剣たち」(2018-05-12 投稿)にて投稿した作品です。研ぐ前の状態や鍔や拵えなどの詳細はそちらの記事を参考にしてください。拵えのままでしたのでこの度の研ぎに際して白鞘を誂えました。
刀 その九 末古刀(室町末期) 無銘
長さ:73.8センチメートル
登録 平成29年7月10日発行
反り:2.9センチメートル 目くぎ穴1個

参考までに研ぐ前の状況は下記のとおりですが、柄の部分は錆だらけで柄を抜くのに苦労しました。研ぐ前は刀剣柴田の方は新刀ではないかとのことでしたが、研いだ結果、どうも室町末期くらいはありそうだとのことです。

分類では末古刀~新古境と称する時代に分類されるようです。末古刀の作られた戦国期には「数打ち」の粗製濫造品が多かったようですが、この作品は保存刀剣としての認定のとれるきちんとした刀剣だそうです。ただ残念ながら無銘ですが、無銘の刀剣は非常の数が多く、無銘でも専門家は出来不出来、製作者を推定できるようです。

ちなみに刀剣の時代による分類は下記のとおりです。
***********************************
刀剣には時代のよって下記のように分類されます。
上古刀:通常日本刀の分類に入らない、古刀以前の刀をさす。直刀が主であるが、大刀などにはそりが見られるものがある。
古刀:狭義の日本刀が制作されてから、慶長(1596-1615年)以前の日本刀をさす。室町中期以前は、太刀が主である。
末古刀:室町時代末期、応永以降の概ね戦国時代頃の古刀を、「末古刀」と呼び、区別することがある。「数打ち」の粗製濫造品が多い。
新古境:安土桃山時代 - 江戸最初期頃の、古刀から新刀への過渡期をこう呼んで区別することがある。慶長 - 元和の頭文字を取り、「慶元新刀」とも呼ばれる。
新刀:慶長以降の刀をさす。この時期の日本刀は、さらに「慶長新刀」「寛文新刀」「元禄新刀」に分類される。
新々刀:「水心子正秀が提唱した古刀の鍛錬法」を用い制作された刀などの諸説あるが、新刀の内でも明和年間(1764-1772年)以降の日本刀をさす。
幕末刀:新々刀の内でも幕末頃に作成されたもの。
復古刀:江戸時代後期に鎌倉時代などの古名刀を手本として製作されたもの。
現代刀:これも諸説あるが明治9年(1876年)の廃刀令以降に作刀された刀剣をさすことが多い。
昭和刀:主に軍刀向けとして作られた刀をさす。美術刀剣としての日本刀の分類から除外されることが多いが、昭和に製作された刀の全てを指すわけではない。製法は様々であるが、本鍛錬刀でないものは原則的に教育委員会の登録審査に通らず、公安委員会の所持許可が必要となる。しかしながら、必ずしも厳密なものではなく明らかに鍛錬刀とは見られない特殊刀身であっても登録が通っているものや、特例として戦後間もなくは遺品などとして登録証の交付を受けているものも数多くある。
***********************************
友人の父上が出征する際に友人の母の実家から譲りうけた刀剣で、入隊するに際して拵えを軍刀として扱えるようにしたものと推察されます。家族ぐるみでお付き合いさせていただいた同郷の友人ですので、譲りうけた上はこちらできちんと手入れすべきものと心得た上での入手です。


金銭的な価値で判断するなら、刀剣そのものの代価に比して研ぎなどの手入れの費用の方が大きいのですが、そこは骨董に携わる者の役目が優先します。
ビジネス的には、「刀剣柴田」ではこのような作品は廉価な研ぎを施し、居合刀として売るとのことです。本当かな? 失礼ながら買い叩く時の常套句もあり得ると考慮しておきましょう。
研ぎが完了してみたら、思いのほか良く仕上げられています。刀剣の出来不出来は研ぎ次第か?
研ぎ代金は安くはありませんが、見違えるほどきれいに研ぎ上がりました。錆びついている時には傷の有無、波紋の状態への判断が難しかったようですが、わりと良い刀剣だと感じました、刀剣柴田の方によると作は美濃系で「末古刀」か「新古境」の時代の作とのことです。

刀剣に詳しい方だと波紋がどうのこうのと説明ができるのでしょうが、当方は刀剣についてはまったくの門外漢ですので、そのような詳細の説明はできかねますのでご了解ください。

拵えと刀剣本体は離れ離れにならないように保管しておきます。鍔がついたままでは拵えなどを傷める可能性があるので、鍔は外して箱に入れて保管しておきますし、登録証は入手経緯、研ぎの経緯を記した資料と同封しておきます。

鍔はたいしたものではないのですが、下記のように虎を図柄にしたものです。

戦地に赴く者へ「虎は千里を帰る」という願いを込めて渡したのでしょう。無事帰還した友人の父上は県庁で部長までなられました。

さらにもう一振り、同時に友人から譲り受けた刀剣に短刀がありましたが、こちらも錆だらけ。おそらく友人の母が嫁入りに際して実家から譲り受け継いだ刀剣のようです。古来、嫁入りに際して短刀を所持してくる女性は多かったようです

刀 その十 新々刀 短刀 無銘
長さ:21.6センチメートル
登録 平成29年7月10日発行
反り:0.3センチメートル 目くぎ穴1個

譲り受けた当初は錆だらけで見るも無残な状態でした。

研いでみたらかなり立派になりました。大きな傷はなく、こちらも見違えるほどきれいになりました。

こちらは新々刀に分類され時代は新しく、拵えもたいしたものではありませんが、刀剣柴田の方によるとこちらも保存刀剣の認定は所得出来る作品だそうです。

思いのほかいい仕上がりです。


嫁入りに際して友人の母が実家から譲り受けてきた作品と推定しましたが、その実家は小生の郷里の近くで近い親戚には同級生もいます。
また最近刀剣柴田の方によると当方が現在住んでいる東京都内で当方の近所の方が嫁ぎ先に持たせる短刀を買いに来たそうです。現代でもそのような方がおられるというのは驚きですね。


刀剣柴田で頂いた保存袋に収納しておきました。家内らは刀剣は物騒だと嫌がりますが、しばらくは今は亡き友人からの預かりものとして保管しておくつもりです。
骨董には歴史あり、人との縁あり・・・・、刀剣女子は歴史は学べても肝心の縁は学べまい。
なお本ブログで紹介された短刀が嫁入りの際に持たされた懐刀か否かは当方のあくまでも推測ですのでご了解ください。