
本ブログで取り上げてきた藤井達吉の日本画の作品ですが、今回は幾度となく四国遍路に赴いた時に描かれた作品の紹介です。
遍路者 藤井達吉筆 その21
紙本水墨金彩軸装 軸先陶器 合箱
全体サイズ:縦1275*横650 画サイズ:縦385*横515

藤井卓吉は1935年(昭和10)に初めての四国遍路、さらに1936年 勝利彦、水野双鶴、近田清を伴って四国遍路という記録があります。そして昭和37年4月~5月には5回目の四国遍路したという記録があり、晩年なってからも含めて幾度となく四国遍路をしているようです。本日の作品は実際に遍路した時に描かれた作品と推察されます。

落款は「遍路者 愚翁? 押印」と推察されます。巻き止めには「足摺岬」とありますが、描いた場所は断定はできません。ただ足摺岬には38番霊場「金剛福寺」がありますので、信憑性は高いものと思われます。

落款と印章は上記のとおりです。印章は不明ですし、落款は「愚翁」の「翁」は断定できていません。これをもって真作とするかどうか疑問に思われる方もおられるでしょうが、当方では画風から真作と断定しています。

なにゆえに幾度となく四国遍路の旅に出かけたのかを記した資料は見当たりません。画家では川端龍子の四国遍路が有名ですが、川端龍子は息子を戦地で、妻を病で亡くしていたことから、供養のために四国遍路に赴いていますが、藤井達吉は生涯独身で、後継に考えていた姪を亡くしますが、それは四国遍路の後のことですので、四国遍路に赴いた明確な理由は当方では把握していません。

当方では「近代の浦上玉堂」としてとらえている藤井達吉ですが、まだまだ評価されていないように思います。
人は年齢を経ると残念ながら多かれ少なかれ、身近の大切な方を亡くすことに遭遇します。供養の目的で四国遍路をする方の気持ちがよく解りますね。
遍路者 藤井達吉筆 その21
紙本水墨金彩軸装 軸先陶器 合箱
全体サイズ:縦1275*横650 画サイズ:縦385*横515

藤井卓吉は1935年(昭和10)に初めての四国遍路、さらに1936年 勝利彦、水野双鶴、近田清を伴って四国遍路という記録があります。そして昭和37年4月~5月には5回目の四国遍路したという記録があり、晩年なってからも含めて幾度となく四国遍路をしているようです。本日の作品は実際に遍路した時に描かれた作品と推察されます。

落款は「遍路者 愚翁? 押印」と推察されます。巻き止めには「足摺岬」とありますが、描いた場所は断定はできません。ただ足摺岬には38番霊場「金剛福寺」がありますので、信憑性は高いものと思われます。

落款と印章は上記のとおりです。印章は不明ですし、落款は「愚翁」の「翁」は断定できていません。これをもって真作とするかどうか疑問に思われる方もおられるでしょうが、当方では画風から真作と断定しています。

なにゆえに幾度となく四国遍路の旅に出かけたのかを記した資料は見当たりません。画家では川端龍子の四国遍路が有名ですが、川端龍子は息子を戦地で、妻を病で亡くしていたことから、供養のために四国遍路に赴いていますが、藤井達吉は生涯独身で、後継に考えていた姪を亡くしますが、それは四国遍路の後のことですので、四国遍路に赴いた明確な理由は当方では把握していません。

当方では「近代の浦上玉堂」としてとらえている藤井達吉ですが、まだまだ評価されていないように思います。
人は年齢を経ると残念ながら多かれ少なかれ、身近の大切な方を亡くすことに遭遇します。供養の目的で四国遍路をする方の気持ちがよく解りますね。