夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

鷹図-2 天龍道人筆 その13

2013-06-08 09:25:43 | 掛け軸
バンコク、ジャカルタ、シンガポールの東南アジア視察で感じたことは建設商社としての今後のビジネスの難しさである。国内では廉価なものを輸出入すればいいと安易に考えるが、現地ではそうそう簡単ではない。



連日、現地に詳しい人と話をするに従ってその実態が少し理解できたように思える。



各々の立場だけで論じることを聞いていも実態は把握できないようの感じました。食事する間も惜しむかのように話を聞けてよかった思いますが、まだまだ収益モデル模索の段階です。



さて、本日はしつこくも天龍道人の作品です。もはや13作品目ですが、まだまだ・・。趣味は、久しぶりに没頭するといやなことも忘れさせてくれます。

天龍道人は前にも説明しましたように五島美術館で以前に「天龍道人 百五十年記念展」を催されるなど、評価の高い画家ながら、未だ一般の認識を得るに至らない画家の一人です。

甲信地方、諏訪湖畔に以前は数百点といわれた保存作品が、かなり散逸されていないかと心配です。甲信地方のみで尊重された画家ですが、知られざるが価値を生まず、散逸の原因にもなっていないのかと危惧されます。コレクターにすればそのほうがありがたいのですが・・。

鷹図 その1」とは対照的な作品です。

本作品は天龍道人の作品のなかでも秀作ののひとつといえるでしょう。

鷹図 その2 天龍道人筆 その13
絹本着色軸装 軸先鹿角 合箱
全体サイズ:縦1810*横492 画サイズ:縦940*横360



落款は「天明丁未煉日鵞湖王□人瑾冩」と記されていることから、1787年(天明7年)、天龍道人が70歳頃の作品で、「天龍道人」と称する直前の作品です。この頃の作品には着色された優品が多く存在します。

「鵞湖」とは「諏訪湖」のことです。

右下には遊印が押印されています。

 


前に本ブログで紹介しました「虎図」とほぼ同時期の作品と推察されます。あきらかに両方の作品から長崎派の影響が見られます。





このような着色で出来の良い鷹の絵は非常に珍しく、シミのあるものを染み抜きし改装したものと推察されます。



天龍道人の作品はその多くが紙表具であり、保存状態の悪い作品が多く存在します。このように改装されたものもまた珍しいです。



このような作品は素人受けのする作品ですが、改めて天龍道人の魅力をしらせてくれます。



天龍道人:日本画家。姓は王。名は瑾、子は公瑜、通称は渋川虚庵、別号に草龍子・水湖観。鷹・葡萄の画を能くした。肥前鹿島(佐賀県鹿島市)の出身で、一説では九州鍋島藩(佐賀)の支藩・鹿島藩家老の板部堅忠の子とされる。天龍道人は鍋島藩の主家に当たる龍造寺隆信の七世下の孫にあたる。




半生の詳細は明らかでないが19歳の時に京に出て、絵画と医術を習い、京では勤皇の活動をしていた。30歳代、40歳代頃には京都の尊王論者、山縣大弐のもとで活動をおこなっていたとされるが、時期早しと言うことで、44歳の時温泉と風向明媚な信州諏訪湖の近くに住み着いた。54歳のころから絵に専念し、74歳の頃からは諏訪湖が天龍川の水源であることにちなんで「天龍道人」と号した。




50歳代から死去する93歳までの後半生、画歴の詳細は明らかでないが、確認される作品は50歳代以降の後半生、信州で制作したもので、鷹と蒲萄を題材とした作品を得意とした。天龍道人は諏訪に来てからは、渋川虚庵と称していた。天龍道人は鷹と葡萄の画家とも言われる様に、葡萄の絵はかなり多いそうですが、鷹の方は少なく、山水画の方はもっと少ない。文化7年(1810)歿、93才。


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