下記の作品は窯割れと地震のときに割れた跡があり補修されています。幕末から明治期にかけての作品でしょうが、古伊万里に分類してもよろしいかと思います。所蔵しているのは江戸期から続く地主であった家柄の旧家であり、他の古伊万里の食器からも同時期であろうと推察しています。
古伊万里 富士ニ龍文図染付大皿
杉古箱入
口径475~477*高台径280*高さ53~55
亡くなった家内の父によると、元々窯割れがあったようですが、地震の際にら落下して割れたようです。補修はとりあえず小生にて行いましたが、いずれきちんと補修する必要がありそうです。
見事な染付の器だと思います。
幕末の古伊万里の大皿は数と種類は多いもののこれほどの絵付の優品は珍しいでしょう。
染付の発色もきれいであり、それゆえ多少の窯傷があっても市場に出たのでしょう。
幕末から明治にかけての器を「古伊万里」と分類するには抵抗のある方もいるでしょうが、最盛期にはなかった大皿はやはあり貴重です。
裏面に書き銘がありますが、これは古伊万里からの決まり事・・。
もう一点は鯉の図柄の大きな幕末頃の古伊万里の大皿です。大きさは40CM強あります。裏にある「成化年製」は伊万里にて1730年以降に使用されたものであり、もともとは「大明成化年製」の略であり、小さなところに記入するのに約されたものであるという。その後、1790年まで盛んに使用されたそうです。
古伊万里 鯉之図染付大皿
杉古箱入
口径426~432*高台径約255*高さ62~67
これらの作品は冒頭に「リメイク」とあるように本ブログではなんどか紹介している作品ですが、いつも見ても飽きない作品です。
今回は男の隠れ家に飾ってあったこのに作品を古くからあった箱に収納するために持ち帰っています。
男の隠れ家を古くから知る近所の方々は「見事な大皿があったわよね~」と5月の帰省での法事の食事の席で問われました。
これらの作品のことだろうと推測されます。義父も自慢そうに座敷の床に飾っていましたから・・。
裏面の高台内の銘はおきまりの「成化年製」・・・。
納めていた箱は、所蔵している旧家の蔵にあった箱ですが古来からこの2作品が入っていた箱かどうかは不明です。箱表には「大沙(大皿?)鉢入 但斗枚(二枚?)之内 高橋氏」とあります。
箱裏には「安政六年 未又?月政 高橋八郎蔵」とあり、現在所蔵している旧家での所蔵ではなかったようです。こういうことはよくあり、江戸期に入手した作品を幕末や明治期に所蔵が移転することはよくあります。
幕末にはこのような色絵や染付の伊万里の大皿が大いに売れたようです。陶磁器の食器が庶民にもようや出回った頃なのでしょう。地方の庄屋や商家ではこぞって揃えたようですが、このような出来の面白い作品は意外に少ないかもしれません。
ついでに最近紹介した色絵の伊万里の大皿は下記のものです。
色絵の幕末の皿はある程度パターン化されていますが、完品で遺っている皿は数が少ないようです。
庶民に出回った皿は雑な絵付けが多くなり、また明治期になると海外受けする作品が多いのですが、このような染付様式を踏襲している皿は小生は好きです。
以前は骨董店の欄間にたくさん並んでいたのですが、最近はあまり見かけなくなりました。
自宅で大勢で会食したりしなくなり、個人では使用用途が少なくあったこともあるのでしょう。
今はこうして飾皿として愉しませていただいています。
大きな皿は見栄えがしていいと思います。
古い箱を修理して大切に元の所に戻しておきます。箱を積み重ねる可能性があるので強度が弱いままでは危険です。
このように保存をきちんとしておくには箱意外にいくつかの材料がいります。まずは白の包装紙、黄色の布、周囲に回すクッション材、隙を埋める綿、いくつかの幅の種類の真田紐、箱の表面を保護する紙、中身の解る写真の貼り付け、そして大きさのいくつかの種類の風呂敷、風呂敷の外に付ける名札・・・。
蒐集して整理するにはこれだけの材料を用意して加工する手間をかける必要があります。これが苦にならずに鼻歌交じりに作業するもの好きさが一番大切でしょうね。さてこれらをどう扱うか、それは将来に託すしかありません。小生はただひたすら整理していくのみ・・・・