本日はいい作品に的を絞って蒐集している倉田松濤の作品の紹介です。
達磨面壁九年図 倉田松濤筆 その29
紙本水墨軸装 軸先塗 壺中老人識箱
全体サイズ:縦1310*横695 画サイズ:縦460*横660
「維□大正十一年歳次□黙
□□□晩□其夜九□□□
寫於東都生□□ 百三談畫□□□□
来世座菩薩 松濤 押印」
大正11年(1922年)、倉田松濤が55歳に描いた作品であると推察されます。
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菩提達磨(ぼだいだるま):中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩との表記もあるが、「洛陽伽藍記」や、いわゆる中国禅の典籍「続高僧伝 」など唐代以前のものは達摩と表記している。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。達磨は嵩山少林寺において壁に向かって9年坐禅を続けたとされているが、これは彼の壁観を誤解してできた伝説であると言う説もある。壁観は達磨の宗旨の特徴をなしており、「壁となって観ること」即ち「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」のことである。これは後の確立した中国禅において、六祖慧能の言葉とされる「坐禅の定義」などに継承されている。
*作品の手前は瀬戸絵の大皿です。これほどの大きさで、出来の良い瀬戸の絵皿は滅多にありません。
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倉田松濤:明治~大正期の日本画家。慶応3年(1867)生~昭和3年(1928)歿。秋田県出身。巽画会・日本美術協会会員。 幼い時から平福穂庵に師事。特異な画家といわれ、匂いたつような濃厚な筆で一種異様な宗教画(仏画)をのこした。少年時代から各地を転々とし、大正期初の頃には東京牛込に住んだ。この頃より尾崎紅葉らと親交を深め、帝展にも数回入選し世評を高くした。宗教画の他に花鳥も得意とし、俳画にも関心が高く「俳画帳」などの著作もある。豪放磊落な性格でしられ、酒を好み、死の床に臨んだ際にも鼻歌交じりで一句を作ったという逸話もある。落款「百三談画房」、雅号は「百三談主人」など。
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箱書きにある「壺中老人識」については不明です。
昭和21年に記された箱書きのようです。
倉田松濤の作品の割には? 良い表具となっています。
本作品は良く描かれている倉田松濤の仏画の中では出来の良いものでしょう。よくみかけるありきたりな布袋図や達磨図はとるにたりないものですが・・・。
本作品で倉田松濤の作品は「その29」となり、これを契機にファイリングしてみました。30作品ほど揃いましたが着色画や亡くなった年の作品など貴重で出来の良い作品に絞って蒐集してきました。郷里の骨董店で購入することも多く、ほぼネットオークションと同等の値段で購入することができます。ネットオークションではあまり出来の良い作品が少ないのと贋作がたまにありますので要注意ですね。
このようなファイリングすることでデジタルだけではなく、アナログで即時に資料となるものとなります。購入の判断には実に有効ですが、骨董店にこのような資料を持ち込んではいけませんよ。これは礼儀というか道義的なことです。常に真剣勝負をしてきた骨董店主に失礼でしょう。
最近のビジネスでも礼儀や道義をわきまえない人が多いです。積み上げてきたプロセスをないがしろにするのは、ビジネスで対等で勝負する相手としては失格でしょう。「コストカットならなんでも」というお金の亡者という輩です。
さてこれらの知見を元にいよいよ当方の蒐集は本格的になります。
達磨面壁九年図 倉田松濤筆 その29
紙本水墨軸装 軸先塗 壺中老人識箱
全体サイズ:縦1310*横695 画サイズ:縦460*横660
「維□大正十一年歳次□黙
□□□晩□其夜九□□□
寫於東都生□□ 百三談畫□□□□
来世座菩薩 松濤 押印」
大正11年(1922年)、倉田松濤が55歳に描いた作品であると推察されます。
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菩提達磨(ぼだいだるま):中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩との表記もあるが、「洛陽伽藍記」や、いわゆる中国禅の典籍「続高僧伝 」など唐代以前のものは達摩と表記している。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。達磨は嵩山少林寺において壁に向かって9年坐禅を続けたとされているが、これは彼の壁観を誤解してできた伝説であると言う説もある。壁観は達磨の宗旨の特徴をなしており、「壁となって観ること」即ち「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」のことである。これは後の確立した中国禅において、六祖慧能の言葉とされる「坐禅の定義」などに継承されている。
*作品の手前は瀬戸絵の大皿です。これほどの大きさで、出来の良い瀬戸の絵皿は滅多にありません。
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倉田松濤:明治~大正期の日本画家。慶応3年(1867)生~昭和3年(1928)歿。秋田県出身。巽画会・日本美術協会会員。 幼い時から平福穂庵に師事。特異な画家といわれ、匂いたつような濃厚な筆で一種異様な宗教画(仏画)をのこした。少年時代から各地を転々とし、大正期初の頃には東京牛込に住んだ。この頃より尾崎紅葉らと親交を深め、帝展にも数回入選し世評を高くした。宗教画の他に花鳥も得意とし、俳画にも関心が高く「俳画帳」などの著作もある。豪放磊落な性格でしられ、酒を好み、死の床に臨んだ際にも鼻歌交じりで一句を作ったという逸話もある。落款「百三談画房」、雅号は「百三談主人」など。
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箱書きにある「壺中老人識」については不明です。
昭和21年に記された箱書きのようです。
倉田松濤の作品の割には? 良い表具となっています。
本作品は良く描かれている倉田松濤の仏画の中では出来の良いものでしょう。よくみかけるありきたりな布袋図や達磨図はとるにたりないものですが・・・。
本作品で倉田松濤の作品は「その29」となり、これを契機にファイリングしてみました。30作品ほど揃いましたが着色画や亡くなった年の作品など貴重で出来の良い作品に絞って蒐集してきました。郷里の骨董店で購入することも多く、ほぼネットオークションと同等の値段で購入することができます。ネットオークションではあまり出来の良い作品が少ないのと贋作がたまにありますので要注意ですね。
このようなファイリングすることでデジタルだけではなく、アナログで即時に資料となるものとなります。購入の判断には実に有効ですが、骨董店にこのような資料を持ち込んではいけませんよ。これは礼儀というか道義的なことです。常に真剣勝負をしてきた骨董店主に失礼でしょう。
最近のビジネスでも礼儀や道義をわきまえない人が多いです。積み上げてきたプロセスをないがしろにするのは、ビジネスで対等で勝負する相手としては失格でしょう。「コストカットならなんでも」というお金の亡者という輩です。
さてこれらの知見を元にいよいよ当方の蒐集は本格的になります。