夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

夏の海岸 中村左洲筆 その12

2024-04-05 00:01:00 | 掛け軸
鯛を描いた作品で著名な中村左洲ですが、中には美人画や主に海岸を描いた作品にも秀作があります。



夏の海岸 中村左洲筆 
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱 
全体サイズ:縦1875*横532 画サイズ:縦1132*横355

 

中村左洲という人は、周囲の好意がなければ画家にはなれなかったかもしれません。幼くして両親をなくし、一家のために働きながら絵筆を捨てないということは、よほど強い想いがあったに違いないですが、多くの若者が自分の意志に関わらず、はかなく夢敗れてしまうのも、また現実です。左洲は、とても人がよく、周りの人が放っておけないようなタイプだったのようです。



伊勢市二見町今一色の漁師の家に生まれ、11歳で父、15歳で母をなくし、一家の生計を立てるため漁師として働きだします。

幼い頃から絵が好きで寸暇を惜しんで絵を描き続け、18歳で宇治の画家・磯部百鱗に師事。

1895年、22歳のとき第4回内国勧業博覧会に出品。作品は受賞、また明治天皇の皇后の目に留まり同一画を描き献納しています。



上流階級の間で話題となり、日本美術協会への出品作品が続々と受賞。その後も数々の展覧会に出品し入選しています。28歳で結婚、2男4女に恵まれ、70歳を超えても絵筆を握り続け、1953年80歳で逝去しています。 




彼の第一のターニングポイントは地元の有力者の目に止まり、画家・磯部百鱗への師事を勧められたこと。

第二のターニングポイントはその師・百鱗から第4回内国勧業博覧会に出品を勧められたこと。

絵の腕前は相当なものと推察されますが、華やかな賞を取ろうとも、また名誉な機会に恵まれようとも、奢ることなく、故郷の風景や生物を描き続けた画家であったとされています。



「鯛の左洲」の異名があるくらい鯛を描かせたら日本一と言われた画家で、そのおめでたい性格のゆえに「鯛左洲」と称されて珍重されています。 ただし風景画や意外にも美人画にも秀作があります。



かつて日本のどこでも見られた漁村の風景が、柔らかい筆致と色彩とによって素直に描き出されている作品です。穏やかな風景構成からは、江戸時代京都に生まれた円山四条派の絵画観が、明治以降も地方へ広範に普及していったさまを見て取ることができる作品と思います。



伊勢は、古くから神宮の門前町として特異な文化的発展を遂げてきました。特に神都伊勢の画檀については、狩野派・南画派・円山四条派などの画派が育まれ、その多様性は京や江戸にも匹敵しました。その中でも広く受け入れられ後代まで受け継がれたのは円山四条派であり、伊勢円山四条派に代表される画人が中村左洲なのでしょう。



下記の印章は他の所蔵作品と一致します。

 

ちょっと表具が痛んでいるので、この作品は改装された時点で改めて投稿したいと思います。



掛け軸は丁寧に改装されると驚くほど作品が良くなりますね。

























































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